歴史の見方の面白さが伝わる『歴史学の始まり』2023年05月30日

『歴史学の始まり:ヘロドトスとトゥキュディデス』(桜井万里子/講談社学術文庫)
 桜井万里子氏の『ヘロドトスとトゥキュディデス:歴史学の始まり』(山川出版/2006.5)が、先月、講談社学術文庫で刊行された。

 『歴史学の始まり:ヘロドトスとトゥキュディデス』(桜井万里子/講談社学術文庫)

 文庫化に際して書名が『歴史学の始まり』に変わった。原著のサブタイトルとメインタイトルが入れ替わったのだ。私は以前に原著を入手、いずれ読もうと積んでいた。文庫版には新たな論が補足されているので、文庫版を購入して読んだ。

 私は、7年前に読んだ桜井氏の文章(『世界の歴史⑤ ギリシアとローマ』)でヘロドトスとトゥキュディデスの違いの面白さを知った。トゥキュディデスは史実を真摯に追究するタイプ、ヘロドトスは事実だけでなく伝説や神話も書き込むタイプである。歴史研究者としてはトゥキュディデスに敬意を抱くが、事実を掘り下げて捉えるにはヘロドトスも貴重、という主旨の文章だった。

 桜井氏の文章で古の歴史家二人への関心がわき、5年前に中公の『世界の名著⑤ヘロドトス/トゥキュディデス』を読んだ。収録されている『歴史』『戦史』はいずれも抄録だった。意外と面白く、いずれ全文を読みたいと思った。

 ヘロドトスの『歴史』やトゥキュディデス『戦史』を精読するにはそれなりの準備が必要と思い、その一環として入手したのが桜井氏の原著である。抄録版を読んで5年経っても依然として準備中なのが、われながら情けない。関心領域が右往左往するのをよしとする気まぐれ生活なので、いたしかたない。

 BC5世紀のヘロドトスを「歴史の父」と呼んだのはBC1世紀のキケロである。だが、彼が本当に「歴史の父」になったのは20世紀になってからである、という説を著者は紹介している。歴史学の対象範囲が拡大して学際的な研究が重視される20世紀になってヘロドトスが再評価されたのである。歴史学の変遷の面白さを感じる。

 トゥキュディデスはヘロドトスより1世代若い。著者が推測するトゥキュディデスのヘロドトス観も興味深い。要は批判的に乗り越えようとしつつも尊敬していた、ということだが、著者が同業の大先達に抱く敬愛がにじみ出ていると感じた。

 20世紀の高名な歴史家E・H・カーは『歴史とは何か』でトゥキュディデスは洞察力が欠けると述べているそうだ。著者は、カーのその言説こそがいまや時代遅れであることを実証的に解説し、トゥキュディデスを救済している。歴史の見方の変転の面白さを感じた。

 巻末の「学術文庫版のための補足――二人の歴史家とアテナイ民主政」には、現代社会にも通じる警鐘がある。

 ヘロドトスやトゥキュディデスの影響もあり、われわれはギリシア視点でオリエント世界を眺めがちである。ギリシアはアケメネス朝ペルシアから見れば西の辺境である。だが、ペルシア戦争での勝利を契機にギリシア人のあいだにペルシア蔑視の風潮が広まったそうだ(日清戦争後の日本人の中国観に似ているか)。著者によれば、ヘロドトスは『歴史』のなかで、そんなギリシア人のペルシア人蔑視に警鐘を鳴らしている。指摘されなければ見落としそうな箇所である。著者の炯眼になるほどと思った。

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