『中国のあけぼの(世界の歴史3)』を読んで想起したこと2022年02月13日

『中国のあけぼの(世界の歴史3)』(貝塚茂樹/河出書房/1968.5)
 このところ、中国史を何冊か読んで頭が中国史モードになっている。この機に、未読だった古い概説書を読んだ。

 『中国のあけぼの(世界の歴史3)』(貝塚茂樹/河出書房/1968.5)

 先日読んだ『大唐帝国(世界の歴史7)』の前の時代、先史時代から漢滅亡までを扱った巻である。読んだばかりの『中華文明の誕生(中公版・世界の歴史2)』と重なるので頭に入りやすかった。

 著者は高名な貝塚茂樹となっているが、冒頭約40ページが貝塚茂樹の執筆で、大半は大島利一の執筆である。本書の河出文庫版は貝塚茂樹・大島利一共著になっている。

 春秋戦国の歴史は、やはり面白い。東西南北に散在するさまざまな小国がせめぎ合うなかで、田舎の秦が台頭して統一をはたす物語である。秦から漢へ移行する混乱期の劉邦・項羽の話も面白い。この時代が虚実不明の有名エピソードにあふれているのも面白さの一因である。漢字文化圏の故事来歴物語の趣に惹かれてしまう。

 本書刊行の1968年、中国は文化革命の最中、日本では学園闘争まっさかりだった。本書を読んでいて、ふいに故・高橋和巳を想起する場面が2ヵ所あった。

 一つは『わが心は石にあらず』だ。高橋和巳がこの長編のタイトルを中国の詩から取っているとは知っていたが、それ以上の知識はなかった。本書で「わが心は石にあらねば、転がすべからず、わが心は席(むしろ)にあらねば、巻くべからず」の引用に出会い、このタイトルの意味を誤解していたと感じた。作者が女性だと知って驚いた。

 もう一つは「党錮の禍」である。本書挟み込みの月報には京大助教授・高橋和巳の「党錮の禍」に関する解説的エッセイが載っている。本文を読む前に月報を読み、何やらゴチャゴチャした出来事だなと思った。要は宦官と反宦官官僚との争いである。本文の「党錮の禍」の箇所を読んでいて「清流」「濁流」という言葉に出会い、ハッとした。高橋和巳が『わが解体』で苦しげに述べた「清宮教授」という言葉を連想したのだ。調べてみると「清宮」「濁宮」は清末の言葉だから直接の関連はない。

 連想ついでに年譜を調べてみた。月報にエッセイを寄せた本書刊行が1968年5月、その翌年の『文芸』1969年6月号から3回にわたって『わが解体』を連載し、1970年3月に京大助教授を辞職している。逝去は1年後の1971年5月、享年39歳だった。

 本書の内容とはほとんど関係ないが、本書がきっかけでそんな昔日を思い出した。