日本が開発した上陸用舟艇「大発」2022年02月09日

2009年1月、ラバウル
 先日読んだ 『暁の宇品』には陸軍船舶司令部の技術者たちが上陸用舟艇を開発する話が出てくる。従来、兵士や物資を輸送船から海岸に陸揚げするには手漕ぎの木舟を使っていた。これをエンジン付きの鉄舟に転換する開発である。

 そして大発(大発動艇)が完成し、1932年の上海事変で初めて実戦に使用される。これは「鉄製の自走舟艇を主力に使っての師団規模の上陸作戦としては世界初の成功例」として世界の軍事関係者の関心を集めた。米国海軍情報部は「日本は艦隊から海岸の攻撃要領を完全に開発した最初の大国」と認めていたそうだ。

 意外な話だった。上陸用舟艇と言えば映画「史上最大の作戦」のノルマンジー上陸の映像が頭に浮かび、やはり米国軍の装備はスゴイという印象を抱いていた。しかし、太平洋戦争開戦前の時点では日本の技術が米国を凌駕していたのだ。『暁の宇品』の著者は「このとき(1939年頃)が頂点であった」と述べている。

 大発とはどんな船だったのだろうと興味を抱き、ネット検索し、いくつかの写真を見た。そして、ハッとした。私は13年前に大発の残骸の実物を見たことがあったのだ。

 2009年1月、パプアニューギニアの ラバウルを訪問し、戦跡を巡った。戦車やゼロ戦の残骸が印象に残っている。あのとき、海岸の洞穴に残された鉄製の小さな船舶の残骸も見た。それが大発だったのだ。当時は、この船の用途も知らず「みすぼらしい船だなあ。こんな小さな船で戦っていたのか」と思った。あの船が一時は世界先端だったとは驚きである。13年前に撮影した写真を引っぱりだし、感慨を新たにした。