私のピースボート体験(4)-終-2009年01月24日

◎火山灰に埋もれたラバウル(パプアニューギニア)

 ラバウルという名は「さらばラバウルよ、また来るまでは……」の歌で、子供のときから知っていたが、今回訪問するまでは、どこにあるのかもよく知らなかった。
 ラバウルは観光客が訪れるような場所ではなかった。観光客向けの設備など何もない。しかし、ピースボートが到着すると、港近くの道端にゴザを敷いた即席の売店がならぶ。売っているのは貝殻細工や木彫り彫刻などだ。
 驚いたことに、この町は火山灰に埋もれつつあった。近くに大きな活火山があり、噴火を続けているのだ。盛大に噴火をくり返している活火山を間近に見たのは初めての経験だった。浅間山や桜島しか知らない私は、その迫力に圧倒された。ラバウルに近づいたときから、船のデッキは火山灰でざらざらになった。
 1994年の大きな噴火で、ラバウルの町には5メートル以上の火山灰が降ったそうだ。そのため、ラバウルにあった政府機関などは別の町に移転した。現在も火山灰が降り続けているラバウルは、半ば放棄された町になっている。
 かつて、ここに日本軍の航空基地があった。山本五十六が最後に飛び立った滑走路の跡に行ったが、そこは火山灰の平原だった。爆撃機や零戦の残骸が保存されてはいるのたが、機体のほとんどは火山灰に埋もれている。人力で機体周囲の火山灰を取り除いて、かろうじて航空機の残骸と分かるようになっている。しかし、早晩、火山灰に埋もれてしまうのだろうと思った。
 ラバウルといえば、私の好きな漫画家・水木しげる氏が言う「南の島」でもある。現地の愛想のいい人々を見て、水木しげる氏はこういう人々に助けられて「南の島」に魅せられたのだろうと考えると、何となく彼らに親しみを感じた。

◎戦没者慰霊祭

 ラバウル(パプアニューギニア)寄港の前日、船上デッキで戦没者慰霊祭があり、「海ゆかば」を合唱した。もちろん、ピースボートの企画ではない。乗船者の企画である。企画者がピースボートに打診したとき、黙認するということになったそうだ。当初は「船内新聞」に案内は載せないという話だったが、どういう経緯からか簡単な案内は載った。
 戦没者慰霊祭は参加者も多く、盛況だった。「海ゆかば」は若い女性のトランペット奏者の伴奏で歌われた。参加者には歌詞を印刷したビラが配られた。歌詞は以下の通りだ。

  海ゆかば水漬く屍
  山ゆかば草むす屍
  大君の辺にこそ死なめ
  かへりみはせじ

 「海ゆかば」は旧軍隊を連想する歌で、「天皇のおそばに命を投げ出して悔いはない」という意味の歌詞がピースボートの船上で歌われるのは、ちょっとシュールな光景だった。
 戦後生まれの私にとっても「海ゆかば」の合唱は初体験だった。歌詞の意味が分かっていた若い人はほとんどいなかったのではないかと思う。すばらしいトランペット伴奏をした若い女性は、その日の朝食のとき、たまたま私の隣の席にいた。彼女は友人に「よくわからないけど、頼まれたので、これからトランペット吹くの」と言っていた。
 ピースボートの乗客は意外に多様だった。私は、そんなに多くの乗客と知り合いになったわけではないが、自民党の地区支部長だった人や自衛官だった人もいる。日本を代表する大企業の役員だった人や世界最大級の多国籍企業の副社長だった人もいる。多様な乗客がいたから「海ゆかば」を歌う戦没者慰霊祭もできたのだろう。

◎若者

 私は若者たちとはほとんどつきあわなかった。乗船前には、船の上では若者との多少の会話などもできるかなと考えていたが、友だちになりたい若者とは出会わなかった。断定はできないが、頼りにならない若者が多かったように思う。
 アンコールワットのツアーのとき「癩王のテラス」という遺跡を見た。昔、三島由紀夫がこの遺跡で着想を得て『癩王のテラス』という戯曲を書いたことを思い出した。昼食のとき若者二人組と一緒になり、「癩王のテラス」のことを話してみたくなった。「三島由紀夫って知ってる?」と軽く聞いてみると、「はあ?」という意外な反応が返ってきた。戯曲『癩王のテラス』を知らなくても、三島由紀夫の名前ぐらいは知っているだろうと思ったのだが、甘かった。そんなことも、若者と話すのが億劫になった一因だ。
 クルーズの後半になって、世界最大級の多国籍企業の副社長だった人から、ある依頼があった。その人は積極的に若者と接する人で、若者たちから就職相談を受ける企画をしていた。新聞記者になりたいという若者がいるので相談に乗ってくれないかという依頼だった。私は新聞記者ではないが、新聞社に長く勤めていた。新聞社の実情や知り合いの新聞記者たちの様子ぐらいは話せると考えて、気安く引き受けた。
 しばらくして、その若者から船室に電話があった。都合を聞くと、いつでもいいというので、翌日(イースター島上陸日)の夕食後に私の船室で会うことにした。翌日の夜、彼から電話があった。「今日、ぼくはとっても疲れてしまったんです。明日にしてくれませんか」という内容だった。あきれてしまい、この若者への期待感はなくなった。
 翌日の夜10時頃、若者は私の部屋に来た。遅い時間になったのは私の都合だった。缶ビールを飲みながら2時間ほど話した。大学を卒業して就職をせずにピースボートに乗ったそうで、船内企画のスタッフなどもしていたそうだ。いくつか質問してみて、本人がフラフラしたあいまいな考えしか持っていないことが分かった。まさに「自分さがし」の典型だ。いくつかアドバイスになりそうなことは話した。最後に、「疲れているなんて理由で人との約束をキャンセルするようでは、新聞記者になる以前に、社会人にもなれない。それだけで不合格」とも言ったが、どこまで通じたか。
 そんなわけで、不幸なことに私の出会った若者に魅力は感じなかった。こんな感想を抱くのは私が年を取ったせいだろう。

◎おりづるプロジェクト

 第63回ピースボートには、広島・長崎の原爆被爆者百二名が無料招待されていた。ピースボートが「ヒバクシャ地球一周証言の航海」(通称「おりづるプロジェクト」)という企画を立ち上げていたのだ。
 私が百二名の被爆者が無料招待されていることを知ったのは、ピースボートに乗船した後だった。その後、船内で知り合った人に聞いてみると、「おりづるプロジェクト」の案内が出航直前に郵送で届いたという人と、そんな案内は受け取っていないという人がいて、後者の方が多かった。このような連絡のずさんさは珍しくない。
 無料招待された被爆者たちは、各寄港地で被爆証言活動に参加することが義務付けられていた。ピースボートが無料で被爆者を招待するのは結構な話だが、費用負担は大変だろうと気になった。
 一般乗客の中には、「百人も無料招待したために、食事や各種イベントの費用が抑えられている」と憤慨する人もいた。私は初めての乗船なので分からないが、何度も乗船しているリピーターの乗客は「今までに比べて、今回はサービスの質もイベントの質も格段に低下している」と嘆いていた。
 それはさておき、実は「おりづるプロジェクト」の参加者にも不満が鬱積していたのだ。クルーズの終盤になって「おりづる」メンバーの数人と知り合いになり、彼らから不満を聞かされた。不満の要旨は「無料招待に惹かれて参加を申し込んだが、ピースボートの宣伝道具にされているだけで、まともな証言活動はさせてもらっていない。タダほど高いものはないと後悔している」といったことだった。

◎船の上ではDIY(Do It Yourself)

 船には船医が乗っている。若い内科医で人柄のいい人だった。2回ほど船医の所に行ったが2回とも成果はなかった。

 乗船して2週間ほどして奥歯の詰め物が取れた。国内なら、すぐに歯医者に行って修復してもらうのだが、船に歯医者はいない。ダメもとで船医の所へ行き「接着剤があれば自分で詰めてもいいが」と相談してみたが「そんなものはない」と言われた。帰国まで数カ月も不具合な歯で暮らすことになるのかと憂鬱になった。
 船上で知り合った獣医の方に歯の話をすると「歯は普通の瞬間接着剤で付けて大丈夫です」と言われた。船の売店に瞬間接着剤を売っていたので、さっそくそれを買ってきた。自分で歯の詰め物を付けるのは、そう簡単ではない。歯が濡れていたり、接着剤の量が多すぎるとうまく付かない。最初は何回か失敗したが、やがてコツが分かってきた。最初に詰めたときは翌日には取れた。次は1週間ほどで取れ、その次は1カ月弱で取れた。その後に詰めたのは3カ月以上もっている。
 船内で食事をしているとき、歯の詰め物が取れたという人がいたので「売店で瞬間接着剤を買ってきて、自分で付ければいいですよ」と教えてあげた。あの人はうまく付けることができただろうか。

 2回目に船医の所へ行ったのは、ガラパゴスから帰ってきて2週間ほど経った頃だ。ガラパゴスに行ったとき、左薬指の第1関節のあたりにキイチゴのトゲが刺さった。少し血が出たが大したことはないと思った。その日の夜、念のために消毒した針で傷あとをつついてみた。トゲが刺さった所が腫れていたので、トゲが残っていないか気になったからだ。トゲの残りはなかった。
 数日経っても第1関節は少し腫れたままで、そのせいか、第1関節の部分が少し内側に折れた状態になっていた。
 その後、痛みはなくなったが、左薬指の第1関節は少し内側に折れたままだった。傷あとはかすかに腫れているような気がした。で、2週間目に船医に診てもらった。状況を説明すると、針で傷をつついたことを、適切な処理だったと褒めてくれた。海外には日本にない毒性をもつ植物もあるので腫れがひきにくいのだろうと言って、抗生物質を出してくれた。
 その日の夜、船の居酒屋でガラパゴスに一緒に行った写真家で生物学の専門家でもある藤原幸一氏らと飲んだ。指の傷の話をすると、藤原氏は「キイチゴなんて日本にもある普通の植物だけどなあ」と言った。その酒席に、リタイアード・ドクターのK氏がいた。K氏は整形外科医だった。私の指を見たK氏は「これは関節の腱が切れています。このままだと指先は90度ぐらいまで曲がってしまいます」と即座に言った。そして「割り箸のようなもので支えてバンソコウで縛っておけば直るでしょう。でも1カ月以上かかりますよ」とアドバイスしてくれた。
 翌日、木切れを調達してバンドエイドで第1関節を固定した。K氏に見せると、「本当は、上に反った金具で支えるのだが、これでいいでしょう」と言った。そこで、ナイフを使って木切れにくぼみをつけて、反った金具と同じような形になるようにした。われながら満足のいくできばえだった。その木切れは、まだ私の指にバンドエイドでくっついている。すでに1カ月は経過したのだが、下船の頃になって、K氏から「2カ月ほどつけておく方がいいでしょう」と言われたのだ。指が元に戻るかどうかは、まだ分からない。

 今回のクルーズで私が習得したことは、歯の詰め物の応急措置、指の腱の直し方、それと南十字星の見つけ方だ。私は、この程度の収穫に満足している。

◎西回りの理由

 ピースボートに限らず他の多くのクルーズも西回りで地球を一周する。海流のせいかなと思っていたが、乗船してみて西回りの理由がよく分かった。
 船は飛行機のように速くないので船旅では時差ボケが発生しない。しかし、時差は発生する。西に航行していると、4、5日に1回の割合で1日が24時間ではなく25時間になる日がある。そんな日は深夜0時に時計を1時間戻すのだ。だから、1時間得した気分になる。夜飲んでいて、もう11時だと思っても、時差発生の日だと実はまだ10時なのだ。睡眠時間もゆっくりとれる。
 そんな25時間の日を20回以上もくり返していると、やがて日付変更線を通過して1日が消滅する。だから103日間地球一周と言っても、それは日本での日数であって、乗船者にとっては102日なのだ。その代わり、25時間の日が24回という勘定になる。
 これが東回りだと、23時間の日が24回になって日付変更線で1日増える。時差発生の日の夜は、まだ10時だと思っていたら、実はもう11時ということになる。これではせわしないし、睡眠不足にもなりかねない。ゆったりした時間を過ごしたい船旅には、東回りは不向きなのである。私にとっての小さな発見だった。

◎散髪

 3カ月以上のクルーズなので、途中で散髪することになるだろうとは考えていた。船内には美容室があり、散髪もしてくれる。料金は四千円だったが、船内の美容室には一度も行かなかった。
 イズミル(トルコ)で船が停泊をくり返しているとき、イズミルの床屋で散髪してもらったのだ。停泊が長引いたので、私たちは次第にイズミルの町になれてきた。イズミルは床屋の多い町だった。町の床屋を利用した人から「いい床屋だった」と聞き、そこに行こうとしたのだが、別の床屋に入ってしまった。床屋の亭主には英語が通じない。しかし、一人だけいた客が日本にも来たことがあるトルコ人で、英語も堪能だった。こちらは、値段の確認と散髪してほしいという意思疎通ができればいいので、何とかなった。値段は7ユーロで、洗髪も髭剃りもしてくれた。散髪そのものは日本の床屋とそんなに違わない。
 散髪の途中で「チャイ(トルコの紅茶)を飲むか」と聞かれた。せっかくだから「イエス」と答えた。しばらくすると、お盆に乗った出前のチャイが届いた。どうするのかと思っていると、散髪を中断して、亭主も私も待合席の人もみな一緒にチャイを飲み始めた。散髪の椅子に座ったまま、散髪の途中でお茶を飲むのは初めての経験だった。
 それから約2カ月後、もう一度髪を刈ってもらった。今度は寄港地ではなく船内だった。船内には闇の床屋が出現するのだ。理髪道具を持ち込んでいる理容師の乗客がいて、それぞれの船室で散髪してくれるのだ。船内での商売は禁止されているが、クチコミで情報が入ってくる。私も利用した。料金は1500円だった。もちろんカットだけだ。刈った髪が床に散らばらないコンパクトな道具があることを知った。他にも、私の知らない闇の船内サービスがいろいろあったのかもしれない。

◎噂話

 乗客700人が外界の情報から隔離されている船内は、いわば辺境の村のような所で、村内のいろいろな噂話が聞こえてくる。時間をもてあまして退屈している人も多いので、噂話には尾ひれがついて広まるようだ。噂話は噂話に過ぎないから、その信憑性は不明だ。私たち夫婦は、あまり人とはつきあわなかったので、船内の噂話にはうとい方だったが、それでもいろいろな話を聞いた。

 クルーズでは、毎回、強制下船になる人が何人かは出る。船長には船の安全な航海の妨げになる乗客を強制下船させる権限があるのだ。強制下船は公式に発表されるわけではないので、噂話として聞こえてくる。船室で煙草を吸ってボヤを出した人が下船させられた、船室でマリファナを吸っていた人が下船させられたと、などという話を聞いた。いろいろあって、酒を理由に強制下船になった人もいたが、これは知人で、本人から聞いたので噂話ではない。

 遅延によって4カ月を超える航海になったので、終盤ではみんなダレた気分になってくる。乗船直後のように、だれかれなく表面的な愛想を振りまいてお話をする気力はなくなり、噂話をネタに人間ウォッチングをする方が面白くなる。上品な趣味ではないが、中高年の男女の人間模様の行方を観察するのも面白かった。
 一人乗船の中高年男女の中には、ストーカーまがいもいれば、高校生に戻ったような純情な恋心をいだく人も、年相応の手練手管を発揮する人もいる。もちろん、真面目に交際する人もいる。
 ある日、A氏から「B氏とCさんが結婚するらしい」と聞いた。私は「そう言えば、こないだの寄港地でも二人で行動していたし、たまたま一緒になったレストランでも和気藹々でしたよ」と言った。その後、Dさんに「B氏とCさんが結婚するみたいですよ」と伝えた。Dさんは「本当、確かめてみる」と言った。しばらくして、Dさんから「まだ、そこまでは行ってないらしい。その話の出所はだれ?」と聞かれた。そこで、A氏に「B氏とCさんの話、だれから聞きました?」と確かめると「あれ、あなたから聞いたんじゃないかな」と言われてしまった。
 記憶力が減退してきている中高年の噂話なんてこんなものである。若者たちのおバカ企画の低俗さにはうんざりしているが、当方もいばれたものではない。

◎船での運動

 船旅では健康な生活を送りたいと考えていた。何もすることはないのだから、健康維持の運動ぐらいは心がけようと思った。また、多少でもゴルフの練習ができればと思い、中古ショップで買った100円の9番アイアインを持ち込んだ。素振りでもできれば思っていたのだ。テレビ番組を収録した太極拳の講座9回分のDVDとテキストも持ち込んだ。デッキを散歩するための小道具として万歩計も買った。
 しかし、ゴルフの素振りは一度もしなかった。適当な場所がなかったのだ。太極拳のDVDは数回見ただけで止めてしまった。
 最初のうちは万歩計をつけて運動靴でデッキを散歩し、1日1万歩を心がけていたが、1カ月ぐらいで万歩計を使わなくなり、散歩も面倒になってきた。
 船内企画では朝6時から太極拳、6時30分からラジオ体操をやっている。早朝の甲板でやるので、日の出を見るチャンスも多く、気持ちがいい。しかし、太極拳は最初の10日ぐらいで挫折した。ラジオ体操は2カ月ぐらいは続いたが、しだいに億劫になり、後半はときたま参加するだけになった。
 子供の頃の夏休みの計画と同じで、最初は計画通りにがんばるのだが、だんだんとサボるようになる。六十歳になっても進歩しないものである。

◎船での読書

 3カ月の船旅となると読書の時間も十分にとれそうな気がする。しかし、ガツガツ読書するよりは、のんびりした時間を過ごしたいとも考えた。だから、持って行く本は少なくしようと思った。すぐ読めそうな本ではなく、日常生活では読む気になりにくい本がいいと思った。結局、10冊ほどは持って行ったが、メインは数年前に購入した『磁力と重力の発見』(山本義隆)全3冊だった。これを含めて、持って行った本はすべて読了できた。
 今回のクルーズは停泊が長く、イライラがつのることも多かったので、船の図書館にあった面白そうな本で時間をつぶすことも多かった。図書館で調達した『モンテクリスト伯』全3冊、『沈まぬ太陽』全5冊などは、イライラ時間の解消に役立った。
 船で知り合った人々の本を聞いてみると、見かけによらず渋い本を読んでいる人が多かった。元船乗りでクルーやホテルマンにチップを弾んでいる豪快そうな人が読んでいたのは、島崎藤村の『夜明け前』だった。中小企業オーナーの乱暴者に見えた人は、西部邁の『国民の道徳』やマルコポーロの『東方見聞録』を読んでいた。ニヤけた中年男に見えた人は、ニーチェの『ツァラトゥストラ』とモンテーニュの『エセー』を読んでいた。
 やはり、船に持って行くのは面白すぎる本ではなく、読みにくくて大部の本がいいように思える。読んでいて退屈すれば居眠りをすればいいのだし、読了しなくてもかまわないと思っていれば気楽である。
 仮にもう一度船に乗るとすれば何を持っていくか、きっと悩むだろう。

◎終盤の「仕事」

 のんびりと何もしないのが一番と思って乗船したのだが、クルーズの終盤で原稿書きの仕事のようなことをしてしまった。
 12月20日、「おりづる」で乗船している73歳のY氏から、今回のクルーズの記録を残したいとの相談を受けた。長崎原爆の被爆者であるY氏はピースボートのやり方には批判的で、自分が体験したことを記録に残しておきたいと言った。面白い話だと思い、自費出版を勧めた。本人もその気になった。
 翌日の12月21日の夜、私の船室を訪ねてきたY氏とワインを1本空けながら、さらに詰めた話を聞いていて、Y氏は自分で原稿を書くようなタイプの人ではないことに気づいた。そして、つい「テープにお話を吹き込んでいただければ、私が原稿にしましょうか」と言ってしまった。Y氏はすぐに乗り気になった。
 私が原稿書きを安請合いしたのは、ワインで酔っていたせいばかりではない。
 一つには、このクルーズでいろいろトラブルがあったので、ピースボート批判の本の手伝いをしてもいいと考えていたのだ。
 二つには、以前からY氏の一代記を聞いていて、本にできるぐらい面白い話だと思い、その一代記を原稿にすることに興味をもったのだ。だから、ピースボート体験だけでなく自分史を含めた本にするよう提案した。
 三つには、クルーズ終盤にさしかかった私は船内生活にも少々飽きはじめていて、原稿書きは手ごろな時間つぶしになると思ったのだ。
 Y氏とワインを空けたのは12月21日。その翌日は12月23日だった。日付変更線を通過したので12月22日は消滅した。その12月23日の午前、私の船室で約2時間のインタビューをテープに収録した。その日の午後から原稿に取りかかった。12月28日には、補足インタビューをさらに2時間テープに収録した。Y氏は12月30日にシドニーで下船した。
 テープを元にした原稿が一応できあがったのは1月2日だった。四百字詰め原稿用紙換算で約七十枚の分量になった。
 9月からの船内生活は基本的に早寝早起きだったのだが、この原稿書きの期間は、日本にいたときのような夜更かし生活になってしまった。原稿書きと健康な生活の両立は難しいと痛感した。

◎ピースボートのビジネスモデル

 ピースボートに乗船して分かったことは、ピースボートが特異な船だということだ。金を払った客に「参加者意識」をもたせて、ボランティアスタッフで運航するというのは、通常の商売ではなく新興宗教のようでもある。教義はもちろん「ピース」だ。
 乗客に対して「みんなで勝手に遊ぶ場」「みんなで勉強する場」だけでなく「楽しく働く場」までを提供し、その対価として金を取るのは一種のコミュニティ・ビジネスである。そのコミュニティに「地球一周」という付加価値もつくのだから魅力を感じる人も多いだろう。
 世界のクルーズ状況は知らないが、若者が多数乗船している世界一周クルーズは全世界を見ても例がないのではなかろうか。
 ボランティアの割引料金だとしても、乗船している若者の負担は少なくない。それを負担できるのだから、やはり日本の若者はゆたかなのだ。そして、日本の社会に閉塞感をもつ若者も多いのだろう。だから、ピースボートが成り立つのだ。「自分さがし」をしている若者にとっては、おバカで楽しいことと、社会的に意義のありそうなことが両立できるピースボートは、まさに「私の大学」なのかもしれない。
 そんな若者たちが集まるカジュアルな船に魅力を感じる中高年も少なくないだろう。
 ピースボートは、ゆたかで閉塞した日本の仇花のように見える。しかし、実はピースボートは卓越したビジネスモデルを発見しているのかもしれない。
 と言っても、ピースボートにホスピタリティの欠如という問題があるのは確かだ。だとすれば、ピースボートのコンペティターのようなクルーズ・ビジネスも成り立つような気がする。私は素人なのでよくは分からないが、ピースボートと「飛鳥」の中間のクルーズがあってもいいと思う。簡潔に言えば、ホスピタリティに問題がないカジュアルなクルーズである。主に中高年を対象にした生涯学習的なコミュニティ・ビジネスの要素も必要だろう。だれか、企画する人はいないだろうか。団塊の世代が大量に退職する時期だからマーケットはありそうだ。

(了)

       私のピースボート体験 (1) (2) (3) (4)

コメント

_ 経験者 ― 2010年10月14日 03時43分

なんでもありのごった煮の船
ピースもあれば軍歌もある ニートも居ればホームレスも居る

_ yukaです ― 2012年04月10日 15時06分

大変興味深く拝読いたしました。
娘(18歳)のことで相談したく、書かせていただきます。
この春高校卒業し、浪人しています。
高校の成績も悪くなく、評定平均4.9(満点5) 部活 生徒会もこなす真面目ちゃんの生徒でした。
国立大学目標に一年間受験にまい進していましたが、浪人決定した途端、忙しかった三年間をふりかえり、「受験勉強だけの一年は今年は送らない。ピースボートに乗る」とボランティアスタッフを始めました。
町で見かけるポスターや取り寄せパンフレットでみると、魅力的な日程とシステムとは思いますが、ネット検索すると悪い噂が多く、真面目ちゃんで社会経験のない小娘が一人乗船して、思想洗脳されないか、擬似恋愛が本気になったり、乱暴されたりしないか、純粋に視野を広げる船旅になるのか心配です。

娘は、8月末の出港 11月寄港の予定で出かけ、船旅期間中も勉強すると言っており、その後来年のセンター試験を受験するつもりです。
年配の方々に人生訓を聞かせていただき、将来の活力になれば三ヶ月の船旅も良いとは思いますが、ご経験上のアドバイスを頂けたら幸いです。

_ (未記入) ― 2012年05月01日 14時53分

良いこともあれば悪いこともあり
その中でも、自己形成されていない方の考え方が偏るのは可能性が高いです。
ピースボート自体の薄っぺらい感が拭えません。
実りある活動の場ならば他にもあるのでは?
とても勉強に集中できるとは思えません。

_ 初老の記憶 ― 2015年05月27日 05時37分

もう何年前になりますか
バブル崩壊直後、勤務先が倒産。
幸いバブル期に蓄えた貯金がそこそこあった為、地球一周に参加しました。
居酒屋のトイレの壁に貼ってあった地球一周のチラシを見て、ピースボードがどういった団体なのかは薄々知りながら(今ほど批判はされてませんでしたが、綺麗事の文章が白々しい印象の胡散臭さはありました)、しかし、”沢木幸太郎の深夜特急の海版”と勝手に解釈し、いかなるトラブルも自己責任に近い感覚で参加しました。

説明会の当日、やたら元気が良い若いスタッフの言葉で、「貧しい国々が世界にはまだ沢山あるという現実を知りましょう 知ればそれが財産になります」を聞き、「いやいや、俺はそういう思想めいたことは共有したくないし、今回はそう言うことじゃないんだ」という思いで、以後船内でも続いたスタッフによる同様のメッセージや呼びかけを一切無視しました。

帰国して思ったこと、それは強烈な後悔です。
思想は自由と彼らも言うが、ある方向にバイアスがかかった政治思想だらけの限られた船内は、相当なストレスになり、それを無視し続けるパワーが俺には無かった、と言うべきでしょうか。

彼らが言う運命共同体のような思想に寄り添うことが、ストレス回避の着地点だとしたら、それは無理な話で、そうであるならば、サービス業の最低レベルはクリアしてもらいたいと思っていましたが、そちこちの批判記事にありますように、特に医療やOPツアーの際のリスク説明などの説明等、”健康や命に関わること”の業務が非常に稚拙でいい加減で、そういった不備は自己責任では回避できない事で、船中何度も危険な思いや不愉快な思いをしました。(私情が混じるといけませんので、あえて詳細は書きません)

団体として金員を得てる以上、上記のような最低限の義務が彼らに無くてはならず、ボランティアという言葉と立場が責任回避の免罪符になっている感は否めません。

帰国してまず思ったことは、生まれる前の朝鮮人帰国事業や左派達の言葉にあった”北朝鮮は楽園”、”北朝鮮は理想郷”、という中身を紹介しないで綺麗事だけをスローガンとして打ち出したやり方が、この”地球一周事業”にも息づいている、と、そんな感想を持ちました。

はい、当然ですが、この体験以降現在まで、彼らには関わっていません。

”この事業はビジネスとしておかしい”、今でもそんな風に思っております。

_ 初老の記憶 ― 2015年05月27日 05時53分

詳細は書かないと記載しましたが、ひとつだけ、強烈な記憶に残っている出来事を紹介します。

航海序盤のことでした。
船内は常に若いスタッフが大声ではしゃぎ回っており、どなたかも書いておられましたが、催し物は学芸会レベルで興味が削がれ、俺と同じ印象を持った旅仲間6人は、昼は甲板で身体を焼き、夜は星空を眺めるという退屈な毎日でした。
そこへ大柄のスタッフ1名がにこやかに来て、座の真ん中に座り、大きな声と身振り手振りで星や他のウンチクを話す、ということが続きました。
少し前の言葉でKYというやつでしょうか。
あるとき、俺達の仲間の小柄の青年の背後から大柄なKYスタッフが笑いながら近づき、もちろん冗談なのでしょうが、青年を担ぎ上げて手すりの外側の海に落とそうとしました。
辺りは夜の海で、青年は恐怖に引きつり、笑っていたのはそのKYスタッフだけでした。
たまりかねた俺の仲間はそのスタッフの髪をつかみ、手すりから遠い壁側にスタッフの大きな身体を押し付け、「2度とそんなことをやるんじゃねーよ き○○い」と。

この一件は青年の希望でその場だけの話で済み、公になりませんでした。
それ以来、このスタッフの悪ふざけは無くなりましたが、もしこのとき、スタッフが誤って青年を夜の海に落としたら、これは立派な犯罪行為です。

それでも、”いやボランティアだから”、と、ピースボードや彼らを擁護する人達は言えるのでしょうかね。

_ 通りすがり左派 ― 2016年03月08日 03時48分

色々と皆様のクレームの数々を拝見してますと、
北朝鮮に旅行に行った日本人観光客の旅行記みたいですね。笑

北朝鮮がどんなところか分かっていながら高い金を出して参加して、旅行中や、帰ってからもクレーム、批判、愚痴三昧のオンパレード、まるでピースボートによる旅行の趣旨が、最初から冷やかしや批判が目的とされているようで面白いです。

やっぱり右派の方たちの…

普通は100万もあったら、左派だってピースボートにはあまり乗りたいと思いませんよ。笑
ちょっと変わり者の左派か、変わり者の右派でなければ…

私なら普通の豪華客船か飛行機で普通に旅行します。

第一、船医が若過ぎる医者なんて有り得ませんから。

船医ってね、普通は船上では1人しかいませんから、1人で内科、外科、産婦人科、精神科など、多岐にわたる診療を行う必要があり、幅広い医学知識と経験がなくては勤まりませんし、船種によっては高い社交性や語学力も必要とされる、いわば普通の医者じゃなくて、相当なスペシャリストの優秀な医者じゃなきゃダメなんです。

国際医師免許を持つくらいの。

死ななくて良かったですね。

今度は北朝鮮の旅行記でも読みたいです。お待ちしてます。w

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