私のピースボート体験(2)2009年01月24日

◎寄港地とオーバーランドツアー

 第63回ピースボートの寄港地は22カ所だ。大半の寄港地では朝入港し、その日の夜には出港する。港で一泊して翌日出港する寄港地もいくつかあるが、滞在時間12時間以下の寄港地が多い。
 寄港地から離れた場所に行きたいなら、オーバーランドツアーを申し込むことになる。オーバーランドツアーとは、ある寄港地で下船し、航空機やバスで観光地などを巡り、次の寄港地で船に合流するツアーのことだ。
 私たち夫婦は、この機会に各地の世界遺産などを見ておきたいと思い、次のオーバーランドツアーを申し込んでいた。

 ・アンコールワット遺跡探訪(3泊)
 ・インド文化遺跡の旅(6泊)
 ・ルクソール遺跡とピラミッド観光(3泊)
 ・トルコ世界遺産の旅(4泊)
 ・ギアナ高地(1泊。同じ寄港地に帰るので正確にはオーバーランドツアーではない)
 ・ガラパゴスとマチュピチュ遺跡(10泊)

◎出航後の遅延

 第63回ピースボートの地球一周は、2008年9月7日から2008年12月18日までの103日の予定だった。しかし、帰航は2009年1月13日になった。予定より26日遅れて、129日間のクルーズになった。4カ月以上の船旅だった。
 こんなに遅れたのは、以下のように寄港地での足止めがくり返されたからだ(詳細は、別表「第63回ピースボートの寄港地と日程」参照)。

 ・ダナン(ベトナム)で2日停泊予定が4日停泊になり、2日遅延
 ・シンガポールで1日停泊予定が6日停泊になり、5日遅延
 ・寄港予定がなかったイズミル(トルコ)に15日停泊し、15日遅延
 ・ピレウス(ギリシャ)で1日停泊予定が8日停泊になり、7日遅延

 上記の遅延日数を合計すると29日になるが、実際の遅延は26日だった。航行速度を上げて洋上航海の日数を短縮したからだ。

◎私の体験した遅延

 横浜出航のときから遅延は始まっていたのだが、最初の寄港地・ダナンの到着も大幅に遅れた。入港は朝の予定だったので、私はミーソン遺跡日帰りツアーを申し込んでいた。入港が数時間遅れるというので、ジャパングレイスのデスクに様子を聞きに行った。多少遅くなってもツアーを催行するとのことだった。ツアーの帰着が深夜になるといやだと思い、その日帰りツアーはキャンセルした。結局、船の入港は午後になってしまい、ミーソン遺跡日帰りツアーは中止になった。これが、出航後の最初の遅延体験である。
 その後の私の遅延体験は、一般の乗客とは少し異なる。オーバーランドツアーに参加していたからだ。
 私は、ダナン停泊の2日目に「アンコールワット遺跡探訪(3泊)」に出発し、シンガポールで船に合流する予定だった。ところが、ツアーを終えてシンガポールに到着しても船が着いていない。シンガポールのホテルで2泊して船を待った。だから、ダナン4日停泊の遅延を船内では体験していない。
 船がシンガポールに入港すると、私たちは船室に帰って大急ぎで荷造りして、すぐに「インド文化遺跡の旅(6泊)」へ出発した。オーバーランドツアーのハシゴである。
 「インド文化遺跡の旅」はコーチン(インド)で船に合流する予定だった。ところがコーチンに到着しても船が来ない。シンガポールで足止めされていたからだ。コーチンではホテルに5泊することになった。だから、シンガポール6日停泊の遅延も船内では体験していない
。  「トルコ世界遺産の旅(4泊)」ではトルコの寄港地クサダシで下船した。合流予定はパレルモ(イタリア)だった。ところが、ツアー中に船が予定通りに運航していないとの情報が入ってきた。アジアからヨーロッパに赴く前に、予定外のイズミル(トルコ)に停泊し、船の整備を万全にするというのだ。ヨーロッパの方が船の検査が厳しいそうだ。そのため、ツアーの到着地はパレルモではなくイズミルになった。
 イズミルで船に合流したのは10月17日、すでに停泊4日目だった。翌日の10月18日に出港する予定だったが、10月18日になると「出港は20日18時に延期」のアナウンスがあった。
 20日以降は「本日は出港できません。出港予定は明日お知らせします」のアナウンスがくり返され、実際に出港したのは10月28日だった。イズミル停泊は15日に及んだ。
 イズミルを出港した船は、翌日にはピレウス(ギリシャ)に到着した。ピレウスでも予定通りに出港できず、ついに別の船に乗り換えることになった。引越し作業などもあり、ピレウス停泊は8日になった。
 このように、私たちが船内で遅延を体験したのはイズミルでの停泊4日目以降からである。

◎署名運動の欺瞞

 シンガポール停泊中にジャパングレイスの船内説明会が開かれ、かなり荒れたと聞いた。目撃していないので詳細は分からないが、大衆団交か債権者会議のような雰囲気だったらしい。
 イズミル停泊中に説明会が開かれたのは停泊14日目の10月27日だった。
 説明会ではジャパングレイスの責任者が状況説明をしたが、その内容は空疎で何も進展しなかった。何人かの乗客が、問題がある船を出航させたことの責任を質したが「当局の許可を得て横浜を出港したので問題ない」と回答するだけだった。遅延による旅行の質の低下への対応を求める要望にも明確な回答はなかった。
 この日の説明会で驚いたのは、冒頭にピースボートの責任者が出てきて、例の「こんにちはー」の後、「この状況への怒りをどこにぶつければいいのでしょうか」と言い出したことだ。「お前だろう」という当然の野次も飛んだが、この責任者は「地球一周をやりとげるため、私たちにできることは何でもやりましょう。私たちの声を船会社にぶつけるために、署名運動を始めます」と宣言した。
 問題のすりかえに唖然とし、腹が立った。こんな演説に拍手する乗客が少なくないことにも驚いた。
 ピースボートとジャパングレイスは、船の遅延を船会社のせいにして、自分たちも被害者だと言い張ろうとしているのだ。被害者は乗客であって、その責任を負うべきは、船会社を選定したピースボートとジャパングレイスなのに、それをごまかそうとしているように感じられた。
 船会社に対して「出港させろ」という乗客の署名を集めても、効果が期待できるとは思えない。ピースボートが児戯に等しい署名集めをしたのは、彼らが無邪気で真面目だからではない。ずる賢いからである。署名運動によって乗客の矛先を船会社に向けさせ、ピースボートやジャパングレイスに対する責任追及をかわそうとしたのだろう。
 後で分かった状況から見て、10月27日の時点で別の船会社の船に乗り換える交渉は進んでいたはずだ。船会社に対する署名集めが無意味なことを一番よく知っていたのはピースボートなのだ。そんな無意味な署名運動を始めたのは、乗客をバカにした欺瞞であり、彼らの狡猾な政治性を露呈させる行為だった。
 それでも、ボランティアを使った署名運動では、かなりの乗客の署名を集めたようだ。

◎社長説明会

 ピレウス停泊中の11月1日、日本からやって来たジャパングレイス社長の説明会が開催された。社長は原稿を読み上げる形で形式的な謝罪をし、以下のような主旨の説明をした。

(1) 代替船「モナリザ号」を手配した。ピレウスで船を乗り換える。
(2) 当初予定の12月18日帰航は不可能。12月18日に帰国したい人の航空券はジャパングレイスが負担する。

 その後の質疑では「途中下船者への代金返還」「遅延、旅行の質の低下に対する補償」などの要求が出て、社長は検討すると回答した。また、「12月18日に帰国した後、無料で再乗船できるか」の質問に対して「できます」と回答した。
 イズミルでの説明会とピレウスでの社長説明会で、何となく乗客の色分けが分かってきた。発言者のほとんどはジャパングレイスに対する批判者だが、特にまとまって組織的に動いているわけではなさそうだ。批判者に対して野次を飛ばす人もいるし、ジャパングレイスやピースボートの説明に拍手する人も少なくはない。

◎要望書の提出

 私たち夫婦は、説明会におけるジャパングレイスへの批判的発言に共感していたので、発言者の何人かに声をかけて知り合いになった。
 11月6日、代替船「モナリザ号」はピレウスを出港した。その後、この船は帰国までスケジュール通りに運航した。あたりまえのことなのだが、予定通りに入出港する航海が新鮮に感じられた。
 代替船で出港してから4日後の11月10日、説明会で批判発言をくり返していたM氏から相談を受けた。説明会では補償問題についての明確な回答がなかったので、ジャパングレイス社長あてに文書を提出し、期限付きで文書による回答を求めたいというのだ。地方の中小企業経営者であるM氏は、私に提出文書を作文してほしいと言った。
 私はM氏の話を聞きながら提出文書を作成した。どうせなら、M氏単独で提出するより、多くの乗客の署名を添えた連名の方がいいと思った。M氏以外の数人に集まってもらい、提出文書を検討した。
 集まったメンバーのK氏は、すでに単独の要望書をジャパングレイスに提出していた。M氏の意向に沿って私が作った文書は、ジャパングレイスの見解を質したうえで要望する形になっていて、やや長文だった。何人かの意見を取り入れて、より簡潔な要望書に作り変えた。
 文書の提出日は11月12日、回答期限は11月19日とした。行動は速いに越したことはないのだが、翌日の11月11日はバルセロナへの寄港日で、私を含めてほとんどの乗客が船にはいない。だから、翌々日の11月12日に提出することにしたのだ。要望書の内容は以下の通りだ。
---------------------------------------------------------
   要望書

 下記事項について、ご検討いただきたく要望いたします。
なお、ご検討結果を11月19日までに文書にて回答願います。

   記

1. 12月18日以降の下船者(地球一周船旅の未遂行部分)に
対する補償
2. 旅行遅延に伴う精神的苦痛等に対する対応

   以上
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 M氏は「最初の版の長い文書の方が自分の考えをよく反映しているので、自分はそれに署名して提出したい」との考えだった。そこで、乗船者有志一同の名で提出する要望書とM氏の文書の両方を提出することにした。
 11月12日の午前、私の船室に有志数名に集まってもらい、文書に署名した。腰の軽いT氏がその文書を持って船内を回り、短時間で20名の署名が集まった。時間をかければもっと集まると思ったが、速度を優先すべきだと判断し、昼過ぎには有志数名でその要望書をジャパングレイスの責任者に提出した。行きがかり上、私が最初に署名したので、回答は私あてにもらうよう要望した。

◎要望書への回答

 11月19日午前、ジャパングレイスの責任者から「本社から回答文書が届いた」との連絡があった。回答を受け取る場所を探してもらったが、どこも空いていないので、私の船室で受け取ることにした。連絡の取れる有志に船室に集まってもらうと、十数名になった。比較的広い船室だったが一杯になった。船室でジャパングレイス社長名の文書を受け取り、ジャパングレイスの責任者にその文書を読み上げてもらった。
 短くはない文書だったが、言い訳や居直りを連ねた内容で、要望への回答はなかった。要は「検討中です」という回答だった。その場で「検討結果がいつ出るかを早急に知らせてほしい」と要望した。
 翌日、ジャパングレイスの責任者から「近日中に社長名の回答をするが、有志あてではなく全乗客に対して回答する」との話があった。
 私たちは、前回の文書の無内容さから判断して期待はずれの回答が出る可能性が高いと考え、そのような事態に備えて、全乗客に呼びかける署名集めの準備を始めた。
 11月22日、社長メッセージが発表された。説明会が開催されたのではなく、各寄港地の到着前に開催される恒例の寄港地説明会の中で発表されたのだ。社長メッセージの主旨は以下の通りだった。

(1) 全乗客に300ドルを支払う
(2) 全乗客に12万円のジャパングレイスのクーポン券を支給する。このクーポン券は本人が今後2年以内の地球一周クルーズに参加する時にだけ使える
(3) 途中帰国を余儀なくされた乗客に対するクルーズ未遂分の補償として、未遂の寄港地1カ所について1万円を支払う
(4) 社長説明会で「途中帰国後、無料で再乗船できる」と回答したが、弁護士から無理だと指摘されたので撤回する

 私の妻が「300ドルやクーポン券を受け取る際『今回の件について今後、一切文句は言いません』という一札を入れるのか」と質問すると「そのような主旨の受取書にサインしていただく」という回答があった。
 社長メッセージをふまえ、私の船室に有志十数名に集まってもらい、さらなる要望に向けての署名集めをするか否かを検討した。「満足できる回答ではないが、これ以上の回答を引き出すための署名活動をするのは難しい」という意見が大半だった。
 ということで、私たちの「運動準備」は運動がスタートする前に終了した。「署名を集めようよ」と言った人もいたが共感を得られなかった。中には「こうなったからには『署名活動はしません』とピースボートに申し入れた方がいいのではないか」などとトンチンカンで卑屈なことを言い出す人もいた。「今後は個別交渉をする」と言う人もいたし、「日本に帰ってから個人で訴訟を起こす」と言う人もいた。有志といっても、何となく声をかけ合って集まった人々で、内実はバラバラだった。
 私たち夫婦は300ドルもクーポン券も受け取らなかった。受け取らなかったのは、ほんの少数だったようだ。クーポン券は受け取らず、300ドルだけ受け取った人もいた。

       私のピースボート体験 (1) (2) (3) (4)

コメント

_ Yoshino Cherry ― 2011年05月03日 21時23分

ピースボートのレポート、これほど参考になったものはありません。 実は7月19日出航の74クルーズに参加することになっていたのですが、キャンセルしました。 あなたの書かれた冷静でかつ事実をありのままに報告したブログには感動しました。 それは船の問題やジャパングレイスの卑怯ともいえる対応の仕方に憤りを覚えたのは事実ですが、それだけでなく、オーバーランドの旅行で行かれた各地で感動されたときの日誌、その表現力が素晴らしいと思いました。 自費出版の指導をされたようですが、ご自分でもぜひ本として発表していただきたいものです。

_ 神登山 ― 2011年05月04日 23時29分

 過分なお褒めのコメント。痛みいります。
 ピースボート体験は、私にとってはすでに数年前の過去のことで、記憶の彼方のモヤに包まれつつあります。ただ、私たちの一つ前の62回クルーズの方々が中心になって、ピースボートを訴えた裁判の傍聴には付き合っています。かなり、時間はかかりそうですが…
 私の駄文はボケ予防のつもりでしたためている手前勝手なもので、ブログが適当と自覚しております。

_ 中岡宏美 ― 2012年03月30日 22時48分

確か2000年ミレニアムツアーに参加しました。当時4歳と7歳の息子と私の姉4人で、Acapulcoの前の寄港地から、船内ペンキ塗り替え作業を、何の説明もなく、始められて、娘がシンナー中毒になり幻覚をみて、走ったりおかしな行動を取りました。私自身も頭痛、吐き気などおこりました。船医の稲葉と言う、ドクターに、娘を診察してもらった所。性的虐待を受けた、可能性が高いと、診断され、Acapulcoで強制下船を命令されました。船の乗客に小児科医、恒川さんに診察してもらった所。性的虐待の事実は認められないと言われました。納得行かないけれど、娘が熱下がらず。湿疹も出てきた為。泣く泣く船を降りました。姉が英語話せる為。一緒に下船してくれました。日本に帰国してから、関西医大にかかって相談した所。シンナー中毒の後遺症で、娘の睡眠時の脳波に、異常がみられました。今、思えば、もっと戦うべきやったと後悔してます。何故なら、船で性的虐待を受けた可能性があるなら。犯人を捜したり。船医の誤診で、強制下船ならば、費用を持って貰うべきでした。これ以上ピースボートの犠牲者を増やしたら駄目やと思ってます。当時私は、28歳で未熟やったから。母親として娘を守れなかった。とても悔しい思いをしました。船旅で知りあった、参加者の方から、後から聞きました。Acapulcoの後オリビア号の、エンジン故障の為、漂流した事。寄港地にも行けなく。寒くて大変やった。勿論帰国も遅れた事。

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