半世紀ぶりに読了した『司馬遷 史記の世界』は気迫の作品2022年02月17日

『司馬遷 史記の世界』(武田泰淳/講談社)
 貝塚茂樹の『史記』(中公新書)で、冒頭の司馬遷の手紙の部分を読んでいて、かすかなデジャブがわいた。やがて、それが武田泰淳だと思い至った。

 若い頃、武田泰淳の小説何編かを興味深く読んだ。彼の重要作品が『司馬遷 史記の世界』だと知り、入手して読み始めたが、あえなく挫折した。冒頭の印象深いフレーズ「司馬遷は生き恥をさらした男である」だけが半世紀を経ても残っている。

 貝塚茂樹が冒頭で紹介した「手紙」は、武田泰淳も冒頭で引用していた。そんな記憶が少しよみがえり、書架の奥から探し出した古い本に、あらためてチャレンジした。

 『司馬遷 史記の世界』(武田泰淳/講談社)

 本書には自序が六つ載っている。初版刊行は著者31歳の戦時中だ。後に何度も改版され、そのつど自序を追加している。自序の日付を古い順に示すと「昭和17年12月」「昭和23年6月末日」「昭和27年6月16日」「昭和34年1月10日」「昭和35年12月」「1965年」となる。読み継がれる名著の証だと思う。

 半世紀ぶりに手にした本書、今回は何とか読了した。事前に多少ながらも史記のサワリに触れていたので興味が持続し、読み進めることができた。かなり難儀だった。

 「第1篇 司馬遷傳」はともかく、メインの「第2篇「史記」の世界構造」は読みやすくはない。史記が表現する世界を縦横に論じていて、史記の概要が頭に入っていないと論についていくのが難しい。

 だから、本書を理解したと言えない。だが、面白さは感じ取れた。気負った奔放な文体から、学者ではなく作家の貌が見える。何かを目指して飛翔する思考を巧みなレトリックで追いかける文章である。

 武田泰淳が史記に託して追究しているのは「世界」把握だ。歴史を時間だけでなく空間として捉え、中心と周縁のせめぎあいを、人間主体に追究する――よくはわからないが、そんな論述の書である。果敢に挑戦する若気の気迫が伝わってくる。