『大唐帝国』(宮崎市定)は見たてが秀逸2022年01月25日

『大唐帝国(世界の歴史7)』(宮崎市定/河出書房)
 ずいぶん昔から「いずれ読もう」と気になっていた次の歴史概説書をついに読んだ。

 『大唐帝国(世界の歴史7)』(宮崎市定/河出書房)

 半世紀以上昔に河出書房から出た歴史叢書の1冊である。30年ぐらい前に全24巻を古書で安価に入手し、その何冊かは読んだが本書は未読だった。

 この巻の刊行は1968年11月、かなり昔だが、後に河出文庫や中公文庫に収録され、いまでも文庫本で入手できる。碩学の名著なのだと思う。

 1901年生まれの宮崎市定は戦時中に京大教授になっている。67歳のときに出た本書を読んでいると、老教授の闊達な史談を拝聴している気分になる。

 書名は「大唐帝国」だが唐に関する記述は後ろの約2割、後漢滅亡以降から唐にいたるまでの記述がメインで、著者は本書が扱う時代を「中国の中世」としている。この時代の王朝を羅列すると以下の通りだ。

 魏、蜀、呉、西晋、東晋、宋、斉、梁、陳、五胡十六国、北魏、東魏、西魏、北斉、北周、隋、唐

 ここで五胡十六国と一括した国も本書では個別に登場する。中国史が不得手な私は、未知の地名と人名のオンパレードに悩まされた。それでも面白く読めたのは、宮崎節とでも言いたくなる語り口の魅力と、虫の目と鳥の目の絶妙なバランスのおかげである。小説のような情景描写と大きな時代把握がないまぜになっている。

 漢滅亡後の混乱の時代をローマ帝国末期になぞらえているのがわかりやすい。カエサルの『ガリア戦記』を読んだとき、おびただしい数の蛮族名に悩まされたが、中国史に登場する部族名や国名の多さも似ている。人間の集団が織りなすものは似て当然か。

 面白いなと感心したのは、北魏をメロヴィンガ朝フランク王国、唐をカール大帝のカロリング朝フランク王国に見立てている点である。中世の意味が少し見えてくる。

 その他にも興味深い「見たて」が頻出する。則天武后による粛清以降の唐と終戦後日本に共通点があると指摘しているのには驚いた。旧勢力一掃で自由に人材登用ができた点、軍備を外注にして財政にウエイトを置いた点などである。

 本書にはヤバイと思われる表現も出てくる。古い映画のテレビ放映の際に出る「現代では不適切な表現がありますが、作者の意図を尊重してそのまま放送します」に似た感じだ。北方遊牧民を野蛮人と見下し、安禄山の兵を「西方イラン系や北方遊牧民族出身の異国人が多く、中国人に対しては情も容赦もない」と描いている。ウイグル族の闇商人を戦後日本の第三国人や第一次大戦後ドイツのユダヤ人の闇屋と重ねる表現もある。

 とは言うものの、雄渾な歴史概説書である。

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〔追記〕
 上記の文章を書いて数日後、中公文庫版『大唐帝国』(1988.9.10初版
2018.8.25改版)を手にした。巻末に以下の編集部コメントが載っていた。

 「本書には、今日の人権意識からみて不適切と思われる表現が使用されていますが、本書が書かれた時代背景、および著者が故人であることを考慮し、発表時のままとしました。(編集部)」

〔追記2〕
 本書函カバーの人物、どこにも説明表記がない。唐の太宗、高宗、玄宗のいずれかと推測したが、違っていた。画像検索によって「西晋の初代皇帝・司馬炎(武帝)」と判明した。

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