ミトラ教研究の大家キュモンの定説崩壊にビックリ2025年03月29日

『異教のローマ:ミトラス教とその時代』(井上文則/講談社選書メチエ)
 ローマ史家・井上文則氏がミトラス教を語った新刊書を読んだ。

 『異教のローマ:ミトラス教とその時代』(井上文則/講談社選書メチエ)

 井上氏の本を読むのは『シルクロードとローマ帝国の興亡』(文春新書)、『軍と兵士のローマ帝国』(岩波新書)に続いて3冊目だ。前の2冊も斬新で面白かったが、本書はそれ以上に驚きの書だった。

 ペルシアではミスラ神、インドではミトラ神、ローマではミトラス神と呼ばれた太陽神を祀るこの宗教(ミスラ教、ミトラ教、ミトラス教)に、私は多少の関心がある。牡牛を屠るミトラ神の彫像は印象的だ。ローマ史の本には時おりミトラ教が登場する。『ローマ帝国の神々』(小川英雄)、『ミトラの密儀』(フランツ・キュモン)なども読んだ。しかし、この宗教のぼんやりしたイメージしかつかめていない。

 本書の序章では、高校世界史の教科書の以下の説明を引用している。

 「ミトラ教は、インド・イランのミトラ神に起源をもち、小アジアで宗教として成立した。ミトラ神は太陽と同一視された。ローマ時代には皇帝・軍人に信者が多く、さかんに牛を屠る密儀が行われた」

 私のミトラ教のイメージはこれに近い。この説明はミトラ教研究の大家フランツ・キュモン(1868-1947)の学説を踏まえているそうだ。本書の序章はキュモンの業績を紹介したうえで、その学説を大幅に相対化し、「定説の崩壊」として、キュモン以後の研究に言及している。著者の見解では、教科書の上記の記述は適切ではない。門外漢の私には驚きの序章だった。

 ゾロアスター教とも関連が深いペルシアのミスラ神が、西に伝わってローマのミトラス教となり、東に伝わって弥勒になった――私はそんな壮大なイメージを抱いていた。だが、著者はそのような直接的な伝達には否定的である。

 西方(ローマ帝国)への伝達については「現在ではミトラ神とミトラス神の連続性を前提とするキュモン説は批判され、両者の関係を否定する見方すら出てきている」と述べている。

 東方に関しては、バーミヤンの東大仏の頭上に描かれた太陽神ミトラを例に、ミトラ神がペルシアからバーミアンを経て日本にまで伝わったと述べている。しかし、ミトラが弥勒菩薩になったという説は論拠が乏しいとしている。

 ローマのミトラス教に関しては、考古学的な遺跡はあるものの文書史料が少なく、不明な点が多い。したがって諸説あるらしい。多面的な検討を踏まえたうえで著者が展開する見解は、私には驚きだった。

 著者の見解では、ミトラス教は紀元70年頃、ローマで一人の教祖によって始まり、短期間でローマ世界に広まった。その教祖は、小アジアのコンマゲネ王国からローマに連れて来られた知識人の解放奴隷だった。その教祖は自らの宗教の創始者をゾロアスターとしていたので、ミトラス教徒も自らの宗教の起源をペルシアのゾロアスターと考えていた。教祖は教義を文書化していたと思われるが、それは失われた。

 キリスト教の興隆によって消滅したミトラス教の成立は、キリスト教より新しかったというのである。どの宗教も初めは新興宗教だが、ミトラス教はキリスト教より新しい新興宗教で、1世紀後半から4世紀にかけて拡大し、その後、急速に消滅する。やはり、謎の新興宗教である。

 キュモンは、ミトラス教などがローマの伝統宗教を破壊してキリスト教が広まる地均しをしたと考えたそうだ。著者は、キリスト教とミトラス教の流布地域のズレからキュモン説を否定し、キリスト教普及には皇帝の上からの力が大きかったとしている。興味深い見解だ。皇帝によるキリスト教支援がなければ、ミトラス教が世界宗教になった可能性はあったかもしれない。

 著者はユリアヌス帝にも言及し、彼がミトラス教徒だったことは疑いないとしている。私は9年前に辻邦生の『背教者ユリアヌス』を面白く読み、その頃、ユリアヌス関連書にも目を通したが、ユリアヌスがミトラス教徒だとは認識していなかった。あらてめて確認したくなった。

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