『通し狂言 仮名手本忠臣蔵』を観て新たに気づいたこと ― 2025年03月24日
歌舞伎座で『通し狂言 仮名手本忠臣蔵』を、11時開演の「昼の部」から「夜の部」の21時02分終演まで連続で観劇した。今回の公演は「Aプロ」「Bプロ」があり、一部の役者が入れ替わる。私が観たのは「Bプロ」である。「通し狂言」と言っても全十一段すべての上演ではない。演目は以下の通りだ。
〔昼の部〕
大序 鶴ヶ岡社頭兜改めの場
三段目 足利館門前進物の場
足利館松の間刃傷の場
四段目 扇ヶ谷塩冶判官切腹の場
扇ヶ谷表門城明渡しの場
浄瑠璃 道行旅路の花聟
〔夜の部〕
五段目 山崎街道鉄砲渡しの場
山崎街道二つ玉の場
六段目 与市兵衛内勘平腹切の場
七段目 祇園一力茶屋の場
十一段目 高家表門討入りの場
高家奥庭泉水の場
高家炭部屋本懐の場
引揚げの場
かなり長時間の観劇だったが、さほど長く感じなかった。開演前の「口上」と「大序」で観劇気分が盛り上がるが、大長編のダイジェストを観た気分である。
私が初めて『仮名手本忠臣蔵』を観たのは、1986年2月の歌舞伎座の「通し狂言」で、今回とほぼ同じ演目だった。39年前のあの芝居が、私の歌舞伎座初体験だった。「昼の部」と「夜の部」を別の日に観た。市川團十郎(12代目)、片岡孝夫(現・仁左衛門)、坂東玉三郎が中心の舞台だった。
9年前の2016年には、国立劇場で三部に分けて全11段を上演した公演を第1部、第2部、第3部とも観た。その他にも有名場面は何度か観ていると思う。仮名手本忠臣蔵関連の本も何冊か読んだ。『仮名手本忠臣蔵』の内容はほぼ把握しているつもりだったが、忘却力が増進しているせいもあり、今回の観劇で新たに気づいた点がいくつかあった。以前に感じたことを忘れてしまっている可能性もあるが…。
塩冶判官は、我慢の果てに限界に達して刃傷に及ぶ。だが、歌舞伎の塩冶判官は、浅野内匠頭とは少しイメージが違って、冷静で温厚な人物である。血気にはやって逆上する役割は若狭之助である。塩冶判官が高師直の挑発に乗って逆上し刃傷に及ぶのは、やや不自然に感じた。高師直が顔世御前から拒絶の文を受け取ったのが挑発の契機なのだが…
今回初めて気づいたのは、高師直が顔世御前から文箱を受領するタイミングが、お軽(と勘平)のせいでズレてしまい、それが刃傷につながったという点である。お軽と勘平の道行の背景には、お軽との逢瀬のために主君の大事に居合わせなかった勘平の後悔があると思っていた。だが、お軽が逢瀬を急ぐばかりに文箱を早く届けたことの方が重大な失態だと気づいた。
今回の観劇であらためて感じたのは、芝居に引き込まれるのは5段目、6段目、7段目であり、つまるところはお軽と勘平の物語である。考えてみれば、これはメインの四十七士の物語ではなく外伝に近い。『仮名手本忠臣蔵』が不思議な芝居に思えた。
〔昼の部〕
大序 鶴ヶ岡社頭兜改めの場
三段目 足利館門前進物の場
足利館松の間刃傷の場
四段目 扇ヶ谷塩冶判官切腹の場
扇ヶ谷表門城明渡しの場
浄瑠璃 道行旅路の花聟
〔夜の部〕
五段目 山崎街道鉄砲渡しの場
山崎街道二つ玉の場
六段目 与市兵衛内勘平腹切の場
七段目 祇園一力茶屋の場
十一段目 高家表門討入りの場
高家奥庭泉水の場
高家炭部屋本懐の場
引揚げの場
かなり長時間の観劇だったが、さほど長く感じなかった。開演前の「口上」と「大序」で観劇気分が盛り上がるが、大長編のダイジェストを観た気分である。
私が初めて『仮名手本忠臣蔵』を観たのは、1986年2月の歌舞伎座の「通し狂言」で、今回とほぼ同じ演目だった。39年前のあの芝居が、私の歌舞伎座初体験だった。「昼の部」と「夜の部」を別の日に観た。市川團十郎(12代目)、片岡孝夫(現・仁左衛門)、坂東玉三郎が中心の舞台だった。
9年前の2016年には、国立劇場で三部に分けて全11段を上演した公演を第1部、第2部、第3部とも観た。その他にも有名場面は何度か観ていると思う。仮名手本忠臣蔵関連の本も何冊か読んだ。『仮名手本忠臣蔵』の内容はほぼ把握しているつもりだったが、忘却力が増進しているせいもあり、今回の観劇で新たに気づいた点がいくつかあった。以前に感じたことを忘れてしまっている可能性もあるが…。
塩冶判官は、我慢の果てに限界に達して刃傷に及ぶ。だが、歌舞伎の塩冶判官は、浅野内匠頭とは少しイメージが違って、冷静で温厚な人物である。血気にはやって逆上する役割は若狭之助である。塩冶判官が高師直の挑発に乗って逆上し刃傷に及ぶのは、やや不自然に感じた。高師直が顔世御前から拒絶の文を受け取ったのが挑発の契機なのだが…
今回初めて気づいたのは、高師直が顔世御前から文箱を受領するタイミングが、お軽(と勘平)のせいでズレてしまい、それが刃傷につながったという点である。お軽と勘平の道行の背景には、お軽との逢瀬のために主君の大事に居合わせなかった勘平の後悔があると思っていた。だが、お軽が逢瀬を急ぐばかりに文箱を早く届けたことの方が重大な失態だと気づいた。
今回の観劇であらためて感じたのは、芝居に引き込まれるのは5段目、6段目、7段目であり、つまるところはお軽と勘平の物語である。考えてみれば、これはメインの四十七士の物語ではなく外伝に近い。『仮名手本忠臣蔵』が不思議な芝居に思えた。
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