森安孝夫氏の新著『シルクロード世界史』は意欲的な歴史書2020年09月16日

『シルクロード世界史』(森安孝夫/講談社選書メチエ/2020.9.9)
◎力の入った序章

 歴史学者・森安孝夫氏の 『シルクロードと唐帝国』 を読んだのは昨年6月だった。唐の時代にシルクロードで活躍したソグド人をクローズアップした内容に惹かれ、関連書を読んだ後に再読したが、錯綜した時代様相は、まだわが頭には定着していない。その森安氏が新たな概説書を上梓したので、早速入手して読んだ。

 『シルクロード世界史』(森安孝夫/講談社選書メチエ/2020.9.9)

 歴史教育の現状を懸念し、現代歴史学の使命を説く序章「世界史を学ぶ理由」は、前著『シルクロードと唐帝国』の序章「本当の「自虐史観」とはな何か」と同じように力が入っている。著者の熱意が伝わってくる。

 著者はハラリの『サピエンス全史』に言及し、前半は普遍的だが後半は欧米中心になると指摘し、次のように述べている。

 「これまで世界史というタイトルを付けて出版された著書は日本でも海外でも枚挙に暇ないが、いくら探しても本当の世界史といえるものは見たことがない。」

 こう断言したうえで、諦観に近い次のような見解を吐露している。

 「やはり一人一人の歴史学者は、自分の緻密な研究を通じて獲得した歴史観に基づいて、可能な限り視野を広げた歴史像を提示することを使命とすべきであって、それ以上を望むのは無理なようである。」

 著者のいう「本当の世界史」とは「史料批判と実証に基づいた、フィクションではない世界史像の提示」と推測される。タイトルに「世界史」を付した本書は、不可能性の「本当の世界史」を遠く夢見つつ紡いだ「森安世界史」である。

◎マクロとミクロが混ざった歴史概説

 本書は中央ユーラシアのシルクロードを視点にした歴史概説書で、著者はシルクロードを「近代以前においてユーラシアの東西南北を結んだ高級商品のネットワークであり文化交流の舞台」と定義している。そして、近代以前のユーラシアを、ウォーラーステインの近代世界システム論(私は未読)に倣って「前近代世界システム」とし、次のように描出している。

 「北方の遊牧国家側が不足する資源・財物を南方の農耕国家側から獲得する手段として侵攻・略奪と表裏一体で「歳幣」「徴税」「交易」という複数の回路を構築し、それによって吸収した財源・財貨を国内で再分配することによって国家を運営するシステム」

 本書の前半では、このようにマクロな歴史を描き、後半ではウイグル文書などの史料に基づいたミクロな歴史を描いている。読了すると「マクロなくしてミクロなし、ミクロなくしてマクロなし」という気分になる。

◎ソグド語と古ウイグル語

 本書索引には研究者名も載っていて、最も頻出するのが吉田豊氏である。吉田豊氏はソグド語が解読できる日本で唯一人の研究者である。古ウイグル語が解読できる日本人は森安孝夫氏を含めて10人ほどだそうだ。吉田豊氏と森安孝夫氏が連携したソグド文書、ウイグル文書解読による研究成果の紹介は、歴史研究の現場の空気を多少なりとも感じることができ、門外漢をもワクワクさせる。

◎ソグド人とペルシア人はちがう

 著者は近代史学において「胡」はイラン人、ペルシア人を指すという間違った解釈が蔓延したと嘆いている。隋唐時代の胡人はソグド人で、ソグド人とはゾグディアナを故地とするイラン系の人々である。私は、イラン系もイランもペルシアも似たようなものだと思っていたが、それは間違いのようだ。考えてみれば、ササン朝ペルシアとソグディアナは同じではない。

 著者は次のように述べている。

 「そうした学界の影響は、一般向けの小説やジャーナリズムにも及び、例えば松本清張の古代史に関する著述などを通じて、「胡」をペルシアとする説が広く流布していった。」

 本書は、私が数カ月前に読んでソグド人の話だと感動した 松本清張の『眩人』 には言及していない。だが、あの小説も間違った解釈に基づいていることになりそうだ。松本清張がヒントにした『続日本紀』の波斯人・李密翳はペルシア人であってソグド人ではないのだ。松本清張は『眩人』において、胡人・康許生(架空の人物)が来日にあたって李密翳と改名したとしているので、ソグド人がペルシア人に化けたと解釈してもいいのだが……

◎マニ教絵画の驚き

 本書の末尾では、21世紀になって多数のマニ教絵画が日本で発見された「事件」を紹介している。私には初耳の話である。学者たちの興奮が伝わってくる胸躍る内容に、歴史のミクロとマクロが絡み合う面白さを感じた。