加藤九祚の魅力が伝わってくる『シベリア記』2020年09月26日

週刊朝日(2020.9.25号)、『シベリア記:遥かなる旅の原点』(加藤九祚/論創社/2020.8)
 『週刊朝日(2020.9.25号)』に「94歳のインディ・ジョーンズ」と題する嵐山光三郎のコラムが載っていた。このコラムで加藤九祚の『シベリア記』発行を知り、さっそく入手して読んだ。

 『シベリア記:遥かなる旅の原点』(加藤九祚/論創社/2020.8)

 本書は1980年に潮出版社から刊行された『シベリア記』に随筆や年譜を付加した新版である。

 加藤九祚は2016年9月、ウズベキスタンで発掘調査中に94歳で亡くなった。私は、その死亡ニュースに接するまで加藤九祚という人を知らなかった。ある先生から「加藤九祚さんがウズベキスタンで亡くなりましたねぇ」と聞いて、はじめて知った。その後少し調べ、すごい人だと思った。

 加藤九祚は1944年に出征して満州で終戦を迎え、シベリアで5年間の抑留生活を送り、その間にロシア語を憶える。1950年に帰国したときは27歳、上智大学の独文科を卒業し平凡社に勤務、49歳で平凡社退社、大学の非常勤講師などを経て国立民族博物館の教授になる。嵐山光三郎は平凡社時代の後輩である。

 ウズベキスタンでの発掘調査を始めたのは60代になってからで、65歳にして大型ストゥーパ(仏塔)を発見、発掘調査と保存の事業を始める。

 私は加藤九祚を知った後、その著作や翻訳書をいくつか読み、昨年(2019年)夏にはウズベキスタンとタジキスタンを巡るツアーに参加した。参加者は9人で、ガイドは日本語ができるウズベキスタン人だった。ツアー中にガイドが「加藤先生」や「加藤の家」について語ったが、私以外のツアー参加者に加藤の名は初耳だったようだ。ガイドは「ウズベキスタンで加藤先生を知らない人はいません。教科書にも載っています」と言っていた。

 『シベリア記』は加藤九祚のシベリア抑留生活を綴った本と思って読み始めたが、いささか趣が違った。日本とシベリアの交流史の紹介がメインで、それに付加する形で抑留体験が載っている。自身の体験を歴史のなかに位置付けて検証する試みのようだ。そんな歴史概説風でも、著者の魅力的な人柄が伝わってくる。

 ウラジオストックの歴史や明治期にシベリアに渡った日本人の話などは、私にはまったく未知の話で、興味深く読めた。以前に榎本武揚の『シベリア日記』を読んでいたので、本書で少しだけ榎本が顔を出すのがうれしかった。

 最も興味深かったのは都筑小三治という写真修正技術士の話である。1900年(明治33年)、30歳のときにウラジオストックに渡り、紆余曲折があってシベリアの最果ての町で写真館を開き、ロシア人女性と結婚し二子をもうける。日露戦争のときに在留日本人のほとんどが帰国するが、都筑小三治はシベリアに留まる。ロシア革命後の1918年に妻子と帰国、シベリア出兵に際して通訳としてイルクーツクを再訪、1946年に東京八王子で亡くなる。加藤九祚は「私はいずれ、もう一度この人物の生涯の研究にもどりたいと思っている」と述べて、この稿を結んでいる。それが果たされたか否かはわからない。Wikipediaでは「都筑小三治」は出てこない。