別役実の『天才バカボンのパパなのだ』はブラックな不条理劇 ― 2024年07月01日
下北沢の駅前劇場で、ぽこぽこクラブ公演『天才バカボンのパパなのだ』(作:別役実、演出:三上陽永、出演:三上陽永、杉浦一輝、渡辺芳博、新垣亘平、山崎薫、他)を観た。この劇団の芝居を観るのは初めてである。別役実が天才バカボン題材の戯曲を書いていたとは知らなかったので、どんな作品なのか興味がわき、観劇した。
この作品の初演は46年前の1978年、文学座アトリエの会公演だったそうだ。1978年だと、まだ『天才バカボン』の連載は続いていたかもしれないと思い、調べてみると1978年で一応完結したらしい。
芝居のチラシを見たとき、別役実と天才バカボンの取り合わせに驚いた。だが、考えてみると天才バカボンには不条理劇に通じるものがある。ナンセンスの暴走をギャグと感じていたが、あれは一種の不条理感だったかもしれない。
この芝居、まず署長と警官が登場する。懐かしき昭和の警官の制服である。警官はデスク、椅子、電話機、書類箱などを抱えている。署長の指示で警官は電信柱の傍にデスクを置く。そこが警官の執務場所になる。バカボンが住む家の前である。別役ワールードと天才バカボンがミックスした見事な設定だ。
机の上に電話機(昭和の黒電話)と書類箱を置き、電話をかける。配線のない電話機なのに何故かつながる。笑える場面ではあるが、現在の若い人には屋外で電話がつながるのに何の不思議も感じないかもしれないなどと考えてしまった。
この電信柱の傍にバカボン、バカボンのパパ、バカボンのママ、レレレのおばさんなどが次々に登場し、署長や警官との絡みになり、ナンセンスで不条理な会話が繰り広げられる。赤塚不二夫の世界をより支離滅裂にした展開で、とても面白い。最後に登場人物の大半が、みんなをびっくりさせようと思って青酸カリを分け合って飲み、死んでしまう。しかし、通りがかった人は驚かない。ブラックコメディのような不条理劇だ。
観劇帰りの電車の中で、バカボンのパパが登場するACジャパンの中吊り広告が揺れていた。バカボンのパパの寿命の長さに感心した。
この作品の初演は46年前の1978年、文学座アトリエの会公演だったそうだ。1978年だと、まだ『天才バカボン』の連載は続いていたかもしれないと思い、調べてみると1978年で一応完結したらしい。
芝居のチラシを見たとき、別役実と天才バカボンの取り合わせに驚いた。だが、考えてみると天才バカボンには不条理劇に通じるものがある。ナンセンスの暴走をギャグと感じていたが、あれは一種の不条理感だったかもしれない。
この芝居、まず署長と警官が登場する。懐かしき昭和の警官の制服である。警官はデスク、椅子、電話機、書類箱などを抱えている。署長の指示で警官は電信柱の傍にデスクを置く。そこが警官の執務場所になる。バカボンが住む家の前である。別役ワールードと天才バカボンがミックスした見事な設定だ。
机の上に電話機(昭和の黒電話)と書類箱を置き、電話をかける。配線のない電話機なのに何故かつながる。笑える場面ではあるが、現在の若い人には屋外で電話がつながるのに何の不思議も感じないかもしれないなどと考えてしまった。
この電信柱の傍にバカボン、バカボンのパパ、バカボンのママ、レレレのおばさんなどが次々に登場し、署長や警官との絡みになり、ナンセンスで不条理な会話が繰り広げられる。赤塚不二夫の世界をより支離滅裂にした展開で、とても面白い。最後に登場人物の大半が、みんなをびっくりさせようと思って青酸カリを分け合って飲み、死んでしまう。しかし、通りがかった人は驚かない。ブラックコメディのような不条理劇だ。
観劇帰りの電車の中で、バカボンのパパが登場するACジャパンの中吊り広告が揺れていた。バカボンのパパの寿命の長さに感心した。
『3か月でマスターする世界史』のテキスト読んで番組再視聴 ― 2024年07月03日
Eテレの『3か月でマスターする世界史』が先月(2024年6月)完結した。30分12回の番組だった。私は録画して毎回視聴した。テキストも購入したが、パラパラとめくるだけだった。番組完結を機に、テキスト3冊をまとめて読み、録画していた番組(30分×12回=6時間)を一気に観返した。
『3か月でマスターする世界史』は、アジアから見た世界史である。私たちの頭に刷り込まれている西欧視点の世界史の見直しは、私の大いなる関心領域だ。数年前から、いくつかの関連書を読んできた。『遊牧民から見た世界史』(杉山正明)、『世界史の誕生』(岡田英弘)、『シルクロード世界史』(森安孝夫)、『ヨーロッパ覇権以前』(アブー=ルゴド)、『アジアの歴史』(松田壽男)、『世界史序説』(岡本隆司:このテレビ講座の講師)などである。
番組を観返して、アジアから見た世界史の全体的イメージがぼんやりと浮かんできた。オリエント地域で発生した文明は、ユーラシア大陸における農耕民と遊牧民の関わりのなかで発展・拡大した。それは、ユーラシア全体を交易で統合したモンゴルによって完成する。さまざまな事情でモンゴル帝国が瓦解し、モンゴル後継帝国の時代となる。東西の交易はムスリム商人や地中海の都市国家の商人らが担っていた。やがて、西端の後進地域だった西欧が航路の開拓によって東西交易に参入する。西欧はメキシコ銀山発見などの僥倖によって交易を拡大させ、西欧覇権の時代へと移行していく――大雑把に言えば、そんなイメージである。
テキストには番組が触れなかった事項も解説していて勉強になる。だが、テキストを読んだ後で番組を観返すと、テキストに書いていない話題も番組が取り上げていることに気づく。ゲスト講師とのディスカッションなどの興味深い話である。その部分もテキストに入れてほしかったと思う。
この番組によって、なるほどと思った知見は多い。そのいくつかを羅列する。
・アレクサンドロスは「アケメネス朝最後の王」だった。
・ローマはオリエントの経済基盤入手によって繁栄した。
・ローマとササン朝の争い→交易ルートがヒジャーズ地方へ→イスラムを胚胎
・西欧の大航海時代はオスマン帝国に地中海東の交易路をふさがれたのが契機。
・スペイン、ポルトガルは後ウマイヤ朝の遺産で大航海時代の覇者になれた。
・モンゴルの遺産と記憶がルネサンスをもたらした。
・日露戦争は第0次世界大戦だった。
・21世紀のイスラムは歴史上最も厳格化している。キリスト教が16世紀に経験した「宗教改革」の時代をいま迎えている。
『3か月でマスターする世界史』は、アジアから見た世界史である。私たちの頭に刷り込まれている西欧視点の世界史の見直しは、私の大いなる関心領域だ。数年前から、いくつかの関連書を読んできた。『遊牧民から見た世界史』(杉山正明)、『世界史の誕生』(岡田英弘)、『シルクロード世界史』(森安孝夫)、『ヨーロッパ覇権以前』(アブー=ルゴド)、『アジアの歴史』(松田壽男)、『世界史序説』(岡本隆司:このテレビ講座の講師)などである。
番組を観返して、アジアから見た世界史の全体的イメージがぼんやりと浮かんできた。オリエント地域で発生した文明は、ユーラシア大陸における農耕民と遊牧民の関わりのなかで発展・拡大した。それは、ユーラシア全体を交易で統合したモンゴルによって完成する。さまざまな事情でモンゴル帝国が瓦解し、モンゴル後継帝国の時代となる。東西の交易はムスリム商人や地中海の都市国家の商人らが担っていた。やがて、西端の後進地域だった西欧が航路の開拓によって東西交易に参入する。西欧はメキシコ銀山発見などの僥倖によって交易を拡大させ、西欧覇権の時代へと移行していく――大雑把に言えば、そんなイメージである。
テキストには番組が触れなかった事項も解説していて勉強になる。だが、テキストを読んだ後で番組を観返すと、テキストに書いていない話題も番組が取り上げていることに気づく。ゲスト講師とのディスカッションなどの興味深い話である。その部分もテキストに入れてほしかったと思う。
この番組によって、なるほどと思った知見は多い。そのいくつかを羅列する。
・アレクサンドロスは「アケメネス朝最後の王」だった。
・ローマはオリエントの経済基盤入手によって繁栄した。
・ローマとササン朝の争い→交易ルートがヒジャーズ地方へ→イスラムを胚胎
・西欧の大航海時代はオスマン帝国に地中海東の交易路をふさがれたのが契機。
・スペイン、ポルトガルは後ウマイヤ朝の遺産で大航海時代の覇者になれた。
・モンゴルの遺産と記憶がルネサンスをもたらした。
・日露戦争は第0次世界大戦だった。
・21世紀のイスラムは歴史上最も厳格化している。キリスト教が16世紀に経験した「宗教改革」の時代をいま迎えている。
2024年上半期に読んだ本のマイ・ベスト3 ― 2024年07月05日
2024年前半に読んだ本のマイ・ベスト3を選んだ。
『ダーウィンの呪い』(千葉聡/講談社現代新書)
『十二世紀ルネサンス』(伊東俊太郎/講談社学術文庫)
『封建制の文明史観:近代化をもたらした歴史の遺産』(今谷明/PHP新書)
『ダーウィンの呪い』(千葉聡/講談社現代新書)
『十二世紀ルネサンス』(伊東俊太郎/講談社学術文庫)
『封建制の文明史観:近代化をもたらした歴史の遺産』(今谷明/PHP新書)
フィールド調査の面白さが伝わってくる『南イタリアへ!』 ― 2024年07月07日
私は4年前の2020年5月「前田耕作先生と巡る古代史の旅 南イタリア11日間」というツアーに参加予定だった。だが、コロナでツアーは中止になり、前田先生は2022年10月に帰らぬ人になってしまった。
4年前のツアー準備の際に購入し、未読のままだった次の本を読んだ。来月(2024年8月)、南イタリアに行くことになったからである。
『南イタリアへ!:地中海都市と文化の旅』(陣内秀信/講談社現代新書)
1999年4月に出た新書で、私が入手したのは2018年の14刷である。カラー写真、地図、図解を多数収録している。旅への誘い本であり、旅の予定がなければひもとく気になりにくい。それ故に4年間未読のままだった。
読み進めながら、私が想定した内容とは少し違うと感じた。旅への誘いなのは確かだが、むしろ、建物や都市に関するフィールド調査報告風のエッセイなのだ。著者は建築学科の教授で、専門はイタリア建築史・都市史だそうだ。私のまったく知らない分野である。だが、このフィールド調査の過程の話がとても興味深い。
著者の関心は教会や城砦のような立派な建築物だけでなく一般人の住む住居へも及ぶ。また、都市や村落のたたずまいや全体像も調査対象だ。著者が関心をいだく歴史的建造物を住居として暮らしている人も多いので、住人と交渉して住居の内部も調査する。コミュニケーション力を発揮しなければ調査は進展しない。本書を読んでいると、著者とともにスリリングなフィールド調査に参加している気分になる。
本書後半のアマルフィの章には次のような記述がある。
「こんなに魅力的な所で、世界遺産にも選ばれている町なのに、旧市街の都市空間や住宅に関する調査研究は、驚くことにほとんど行われていない。(…)要するにイタリアには、価値ある歴史的な建築や都市が多すぎるのだ。」
ということで、著者のチームはアマルフィの調査に着手することになる。著者が面白いと思って調査対象に選ぶ都市は、どこも住民にホスピタリティがあり料理がおいしいそうだ。それは偶然でなく、相互につなっがっているという分析が面白い。
4年前のツアー準備の際に購入し、未読のままだった次の本を読んだ。来月(2024年8月)、南イタリアに行くことになったからである。
『南イタリアへ!:地中海都市と文化の旅』(陣内秀信/講談社現代新書)
1999年4月に出た新書で、私が入手したのは2018年の14刷である。カラー写真、地図、図解を多数収録している。旅への誘い本であり、旅の予定がなければひもとく気になりにくい。それ故に4年間未読のままだった。
読み進めながら、私が想定した内容とは少し違うと感じた。旅への誘いなのは確かだが、むしろ、建物や都市に関するフィールド調査報告風のエッセイなのだ。著者は建築学科の教授で、専門はイタリア建築史・都市史だそうだ。私のまったく知らない分野である。だが、このフィールド調査の過程の話がとても興味深い。
著者の関心は教会や城砦のような立派な建築物だけでなく一般人の住む住居へも及ぶ。また、都市や村落のたたずまいや全体像も調査対象だ。著者が関心をいだく歴史的建造物を住居として暮らしている人も多いので、住人と交渉して住居の内部も調査する。コミュニケーション力を発揮しなければ調査は進展しない。本書を読んでいると、著者とともにスリリングなフィールド調査に参加している気分になる。
本書後半のアマルフィの章には次のような記述がある。
「こんなに魅力的な所で、世界遺産にも選ばれている町なのに、旧市街の都市空間や住宅に関する調査研究は、驚くことにほとんど行われていない。(…)要するにイタリアには、価値ある歴史的な建築や都市が多すぎるのだ。」
ということで、著者のチームはアマルフィの調査に着手することになる。著者が面白いと思って調査対象に選ぶ都市は、どこも住民にホスピタリティがあり料理がおいしいそうだ。それは偶然でなく、相互につなっがっているという分析が面白い。
安部公房の最初期と最晩年の作品が文庫になった ― 2024年07月09日
今年(2024年)は安部公房生誕100年である。カフカ没後100年でもある。100年前、安部公房が生まれた年にカフカは40歳で没した。 安部公房は1993年に68歳で没した。カフカはもとより、いま考えれば安部公房も早世だった。
安部公房生誕100年を記念する気分で、今年刊行された次の新潮文庫を読んだ。
『(霊媒の話より)題未定:安部公房初期短編集』(安部公房/新潮文庫)
『飛ぶ男』(安部公房/新潮文庫)
前者は安部公房の最も初期の作品、後者は最晩年の作品、いぜれも生前には刊行されていない。この2冊に収録した小説の大半が未完成作品である。オビには「世界を震撼させた安部文学、その幕開け」「鬼才・安部公房 幻の遺作」の惹句がおどっている。
私は『安部公房全集』をそろえていて、その全作品は手元にある。なのに、あえて文庫本を購入したのは、付加された解説の筆者に魅力を感じたからである。前者の解説はヤマザキマリ氏、後者の解説は福岡伸一氏である。解説者が小説家や文芸評論家でないのが安部公房らしくて面白い。
前者の『安部公房初期短編集』には、19歳から25歳までに書いた11編(全集刊行後に発見され、「新潮」(2012.12)に載った「天使」も含む)を収録している。安部公房は21歳のときに満州で終戦を迎えているので、本書収録の短編は終戦前後の数年間に書いたものだ。
当時の様子を年譜から抜粋する。19歳で東大医学部に入学するも、精神状態が悪化し、ほとんど学校に行かない。敗戦が近いとの噂を聞いて自宅のある満州に帰る。馬賊に仲間入りするつもりだった。1946年(22歳)に引揚船で帰国、1年下のクラスに編入するが、極度の貧困と栄養失調で殆ど学校には行かず街中を彷徨する。1947年(22歳)、画学生・山田真知子と結婚。ガリ版刷りの『無名詩集』を自費出版。1948年(23歳)、東大医学部を卒業するがインターンになるのを断念。『終りし道の標べに』の一部が雑誌に掲載される。
――そんな青年・安部公房が書き残した短編を読むと、やはり「若い!」と感じる。同時に、そこに後年の傑作群の萌芽がひそんでいることに気づく。哲学青年の晦渋な思索とやや滑稽な物語作りがないまぜになっている。
かつて安部公房は自らの軌跡を「実存主義からシュール・リアリズムへ、そしてコミュニズムへ…」と語ったことがあるが、人の思想がそんなにキレイなカーブで変遷するとは思えない。初期短編群はそれらの思想すべてを内包している。
『飛ぶ男』は「飛ぶ男」「さまざまな父」の2編を収録している。安部公房が最後に発表した小説は、逝去(1993.1.22)とほぼ同時期の「新潮」(1993.1-2)に載った「さまざまな父」である。「飛ぶ男」はワープロに残されていた執筆途中の小説である。逝去の1年後、この2作を収録した単行本『飛ぶ男』が刊行された。今年文庫化された『飛ぶ男』は、単行本版よりも元の原稿に近い形になっている。
約10年ぶりに『飛ぶ男』を再読し、以前とは少し違う印象を受けた。初読時には、晩年をむかえた作家が若い頃の作品を模倣しているように感じた。だが、よく読むとそうでもない。
ディティールの偏執狂的な描写は作者自身を客体化しているように見えて興味深い。「さまざまな父」と「飛ぶ男」は共通のモチーフの作品で、それらをまとめた全体像は思いの他に大きい。残された作品(の断片)はそのほんの一部に過ぎないようだ。作者に気力と時間が残されていたら、かなり壮大な構想の長編になったかもしれない。
安部公房の最初期と最晩年の未定稿の作品を続けて読み、故人の遺品の膨大なノートの一部を盗み読みしたような気分になった。人の一生は長いようで短い。
安部公房生誕100年を記念する気分で、今年刊行された次の新潮文庫を読んだ。
『(霊媒の話より)題未定:安部公房初期短編集』(安部公房/新潮文庫)
『飛ぶ男』(安部公房/新潮文庫)
前者は安部公房の最も初期の作品、後者は最晩年の作品、いぜれも生前には刊行されていない。この2冊に収録した小説の大半が未完成作品である。オビには「世界を震撼させた安部文学、その幕開け」「鬼才・安部公房 幻の遺作」の惹句がおどっている。
私は『安部公房全集』をそろえていて、その全作品は手元にある。なのに、あえて文庫本を購入したのは、付加された解説の筆者に魅力を感じたからである。前者の解説はヤマザキマリ氏、後者の解説は福岡伸一氏である。解説者が小説家や文芸評論家でないのが安部公房らしくて面白い。
前者の『安部公房初期短編集』には、19歳から25歳までに書いた11編(全集刊行後に発見され、「新潮」(2012.12)に載った「天使」も含む)を収録している。安部公房は21歳のときに満州で終戦を迎えているので、本書収録の短編は終戦前後の数年間に書いたものだ。
当時の様子を年譜から抜粋する。19歳で東大医学部に入学するも、精神状態が悪化し、ほとんど学校に行かない。敗戦が近いとの噂を聞いて自宅のある満州に帰る。馬賊に仲間入りするつもりだった。1946年(22歳)に引揚船で帰国、1年下のクラスに編入するが、極度の貧困と栄養失調で殆ど学校には行かず街中を彷徨する。1947年(22歳)、画学生・山田真知子と結婚。ガリ版刷りの『無名詩集』を自費出版。1948年(23歳)、東大医学部を卒業するがインターンになるのを断念。『終りし道の標べに』の一部が雑誌に掲載される。
――そんな青年・安部公房が書き残した短編を読むと、やはり「若い!」と感じる。同時に、そこに後年の傑作群の萌芽がひそんでいることに気づく。哲学青年の晦渋な思索とやや滑稽な物語作りがないまぜになっている。
かつて安部公房は自らの軌跡を「実存主義からシュール・リアリズムへ、そしてコミュニズムへ…」と語ったことがあるが、人の思想がそんなにキレイなカーブで変遷するとは思えない。初期短編群はそれらの思想すべてを内包している。
『飛ぶ男』は「飛ぶ男」「さまざまな父」の2編を収録している。安部公房が最後に発表した小説は、逝去(1993.1.22)とほぼ同時期の「新潮」(1993.1-2)に載った「さまざまな父」である。「飛ぶ男」はワープロに残されていた執筆途中の小説である。逝去の1年後、この2作を収録した単行本『飛ぶ男』が刊行された。今年文庫化された『飛ぶ男』は、単行本版よりも元の原稿に近い形になっている。
約10年ぶりに『飛ぶ男』を再読し、以前とは少し違う印象を受けた。初読時には、晩年をむかえた作家が若い頃の作品を模倣しているように感じた。だが、よく読むとそうでもない。
ディティールの偏執狂的な描写は作者自身を客体化しているように見えて興味深い。「さまざまな父」と「飛ぶ男」は共通のモチーフの作品で、それらをまとめた全体像は思いの他に大きい。残された作品(の断片)はそのほんの一部に過ぎないようだ。作者に気力と時間が残されていたら、かなり壮大な構想の長編になったかもしれない。
安部公房の最初期と最晩年の未定稿の作品を続けて読み、故人の遺品の膨大なノートの一部を盗み読みしたような気分になった。人の一生は長いようで短い。
『江戸時代の思い出』は破天荒なナンセンスコメディ ― 2024年07月11日
本多劇場でナイロン100℃ 49th SESSION『江戸時代の思い出』(作・演出:ケラリーノ・サンドロヴィッチ、出演:三宅弘城、みのすけ、犬山イヌコ、峯村リエ、大倉孝二、池田成志、坂井真紀、奥菜恵、山西惇、他)を観た。ナンセンスコメディである。
上演時間3時間15分(休憩15分を含む)、破天荒な展開にあっけに取られたまま、退屈することなく笑えた。ナンセンスコメディと不条理劇に違いがあるか否か、私にはよくわからないが、不条理ともデタラメとも言える展開とギャグを十分に楽しめた。
舞台は人通りの少なそうな街道である。下手に茶店があり縁台が出ている。上手には塚のような小山がある。いかにも江戸時代っぽい設定だ。通りがかった侍を変な町人が呼び止め、思い出話を聞かせようとする。武士は急いでいるといやがるが、町人は無理やりに話を始める。その思い出話はなぜか過去から現在を突き抜けて未来におよび、舞台上手の塚の周辺には未来人(要は現代人)が思い出話の登場人物として出現する。
――という導入だが、このテの芝居の内容を文章で脈絡をつけて紹介しようとするた、異質なものになってしまいそうだ。脈絡を超えた展開の芝居だから、文章による内容を伝えるのは難しい。
この芝居には飢饉による人食いの話が出てくる。食人を扱った芝居は、ブラックユーモアか深刻な話になりがちだが、『江戸時代の思い出』の食人茶店は明るく乾いている。「食人は駄目という倫理観」と「飢饉における食人は仕方ない」を何の葛藤もなく両立させている。ナンセンスコメディである。
疫病で斑点だらけの人物や顔面が尻の姿で尺八を奏でる侍から救世主まで登場する。なぜか客席の男女までが登場人物になる。この芝居を観ながら、ナンセンスコメディを成立させるには、ある種の強烈なパワーが必要なのだと感じた。それは、芝居全般に言えることではあるが…。
上演時間3時間15分(休憩15分を含む)、破天荒な展開にあっけに取られたまま、退屈することなく笑えた。ナンセンスコメディと不条理劇に違いがあるか否か、私にはよくわからないが、不条理ともデタラメとも言える展開とギャグを十分に楽しめた。
舞台は人通りの少なそうな街道である。下手に茶店があり縁台が出ている。上手には塚のような小山がある。いかにも江戸時代っぽい設定だ。通りがかった侍を変な町人が呼び止め、思い出話を聞かせようとする。武士は急いでいるといやがるが、町人は無理やりに話を始める。その思い出話はなぜか過去から現在を突き抜けて未来におよび、舞台上手の塚の周辺には未来人(要は現代人)が思い出話の登場人物として出現する。
――という導入だが、このテの芝居の内容を文章で脈絡をつけて紹介しようとするた、異質なものになってしまいそうだ。脈絡を超えた展開の芝居だから、文章による内容を伝えるのは難しい。
この芝居には飢饉による人食いの話が出てくる。食人を扱った芝居は、ブラックユーモアか深刻な話になりがちだが、『江戸時代の思い出』の食人茶店は明るく乾いている。「食人は駄目という倫理観」と「飢饉における食人は仕方ない」を何の葛藤もなく両立させている。ナンセンスコメディである。
疫病で斑点だらけの人物や顔面が尻の姿で尺八を奏でる侍から救世主まで登場する。なぜか客席の男女までが登場人物になる。この芝居を観ながら、ナンセンスコメディを成立させるには、ある種の強烈なパワーが必要なのだと感じた。それは、芝居全般に言えることではあるが…。
ポンペイ本2冊を読んだ ― 2024年07月13日
私は古代ローマ史に関心があるがポンペイに行ったことはない。後期高齢者になってしまい、もはやポンペイを見ることはなかろうと思っていたが、来月、南イタリアのツアーに参加することになり、ポンペイも訪問予定だ。その準備気分で、ポンペイに関する次の2冊を読んだ。
『ポンペイ・奇跡の町』(ロベール・エティエンヌ/弓削達監修/知の再発見双書/創元社)
『古代ポンペイの日常生活:「落書き」でよみがえるローマ人』(本村凌二/祥伝社新書)
後者は、2年前に読んだ『古代ポンペイの日常生活』(講談社学術文庫)と同じ内容である。新書が文庫になるケースはあるが文庫から新書は珍しい。その経緯を新書版の「まえがき」で述べている。この本は何と「中公新書」→「単行本(講談社)」→「講談社学術文庫」→「祥伝社新書」と変遷してきたそうだ。
同じ内容なら既読の版を読み返せばいいのに、祥伝社新書版を購入した。著者とヤマザキマリ氏との対談が付加され、写真も少し追加されているからである。
2年前に読んだ本の内容の大半は失念している。『古代ポンペイの日常生活』の冒頭、「円形闘技場での乱闘」の壁画を提示してヌケリアとポンペイの住民の間の抗争を語っている。本書初読の後、私は、東博の特別展「ポンペイ」でこの壁画の実物を観ている。再読でこの壁画の白黒写真に接したとき、それを思い出し、うれしくなった。
ポンペイの落書き紹介がメインの『古代ポンペイの日常生活』には、落書きの図解が多数載っているが、実物の写真は載っていない。落書きは『碑文集』なる文献に収録されているが、実物が保存されていないものも多いらしい。ポンペイの発掘は18世紀に始まった。それから二百数十年の間、発掘された後に失われてしまったものも多いのだ。
『ポンペイ・奇跡の町』は、多くの写真を掲載した図解本である。壁画、遺物、建物の写真が中心で落書きの写真は載っていない。本書を読むと、発掘の歴史と遺跡の概要を把握できる。発掘の歴史に関して次の記述があった。
「ガリバルディは小説家アレクサンドル・デュマに博物館の管理と指揮をまかせたが、これはポンペイ発掘史上もっとも不適切な人選であることが判明し、デュマはまもなく辞任した。」
これしか書いていない。いったいデュマは何をやらかしたのだろうか。
本書巻末の「資料編」には〔繰り返される「ポンペイの滅亡」〕という項目があり、その内容が衝撃的だ。ポンペイは発掘されたが故に、さらなる滅亡の危機に瀕しているという話である。遺跡は、「植物や湿気」「心ない破壊行為」「押し寄せる観光客」によって息の根を止められようとしていると指摘している。
来月ポンペイに行くのが少し後ろめたくなった。
『ポンペイ・奇跡の町』(ロベール・エティエンヌ/弓削達監修/知の再発見双書/創元社)
『古代ポンペイの日常生活:「落書き」でよみがえるローマ人』(本村凌二/祥伝社新書)
後者は、2年前に読んだ『古代ポンペイの日常生活』(講談社学術文庫)と同じ内容である。新書が文庫になるケースはあるが文庫から新書は珍しい。その経緯を新書版の「まえがき」で述べている。この本は何と「中公新書」→「単行本(講談社)」→「講談社学術文庫」→「祥伝社新書」と変遷してきたそうだ。
同じ内容なら既読の版を読み返せばいいのに、祥伝社新書版を購入した。著者とヤマザキマリ氏との対談が付加され、写真も少し追加されているからである。
2年前に読んだ本の内容の大半は失念している。『古代ポンペイの日常生活』の冒頭、「円形闘技場での乱闘」の壁画を提示してヌケリアとポンペイの住民の間の抗争を語っている。本書初読の後、私は、東博の特別展「ポンペイ」でこの壁画の実物を観ている。再読でこの壁画の白黒写真に接したとき、それを思い出し、うれしくなった。
ポンペイの落書き紹介がメインの『古代ポンペイの日常生活』には、落書きの図解が多数載っているが、実物の写真は載っていない。落書きは『碑文集』なる文献に収録されているが、実物が保存されていないものも多いらしい。ポンペイの発掘は18世紀に始まった。それから二百数十年の間、発掘された後に失われてしまったものも多いのだ。
『ポンペイ・奇跡の町』は、多くの写真を掲載した図解本である。壁画、遺物、建物の写真が中心で落書きの写真は載っていない。本書を読むと、発掘の歴史と遺跡の概要を把握できる。発掘の歴史に関して次の記述があった。
「ガリバルディは小説家アレクサンドル・デュマに博物館の管理と指揮をまかせたが、これはポンペイ発掘史上もっとも不適切な人選であることが判明し、デュマはまもなく辞任した。」
これしか書いていない。いったいデュマは何をやらかしたのだろうか。
本書巻末の「資料編」には〔繰り返される「ポンペイの滅亡」〕という項目があり、その内容が衝撃的だ。ポンペイは発掘されたが故に、さらなる滅亡の危機に瀕しているという話である。遺跡は、「植物や湿気」「心ない破壊行為」「押し寄せる観光客」によって息の根を止められようとしていると指摘している。
来月ポンペイに行くのが少し後ろめたくなった。
『ふくすけ2024:歌舞伎町黙示録』はテンポのいいスペクタクル ― 2024年07月15日
歌舞伎町タワーのTHEATER MILANO-Zaで『ふくすけ2024:歌舞伎町黙示録』(作・演出:松尾スズキ、出演:阿部サダヲ、黒木華、荒川良々、岸井ゆきの、皆川猿時、松本穂香、他)を観た。
松尾スズキ氏の芝居を観るのは初めてである。『ふくすけ』は初演が1991年(33年前)、今回は4度目の上演だそうだ。作者によれば『ふくすけ2024』では四分の三ぐらい書き替えたらしい。チラシには「毒と哀切にまみれた怒涛のダークエンタテインメント。甦生につき要注意!!」とある。どんな内容なのか、まったく予備知識のないまま劇場に足を運んだ。
場面の変化や展開が目まぐるしく、テンポの速い芝居だった。回り舞台は頻繁に回転する。壮大なスペクタクルの趣もある。かなり複雑なストーリーだが、十分に楽しめた。
公演プログラムには「ふくすけクロニカル:人物&社会年代史」という表が載っていた。主要登場人物と時間(1960年代後半~現代?)のマトリックスである。人物ごとのイベントが一覧できる。観劇後にこの表を眺め、芝居の全体像を反芻できた。
「ふくすけ」とは薬剤被害で生まれた奇形の少年である。ホルマリン漬けを拒否して生き残り、病院に保護されるも、そこから連れ出され、見世物小屋のスターになり、ついには新興宗教の教祖になる。初演では温水洋一、再演と再々演では阿部サダヲが演じ、今回は女優の岸井ゆきのだった。ふくすけ頭で舞台を横方向にも縦方向にも駆け巡る姿は印象的である。
この芝居のサブタイトルは「歌舞伎町黙示録」、歌舞伎町で成り上がってビルを建てる三姉妹の物語でもある。歌舞伎町タワーの劇場での上演に符合している。三姉妹のブレーンとなる女性が都知事選に立候補する件りは、今回の都知事選の反映に見える。失踪した妻を14年間探し続けて歌舞伎町に辿り着いた夫の背後に、その妻の巨大な都知事選候補ポスターがあるのが面白い。
私が観劇した日(7月14日)の朝、トランプ狙撃のニュースが流れた。そのニュースも台詞に取り込まれていた。芝居は生モノだ。
松尾スズキ氏の芝居を観るのは初めてである。『ふくすけ』は初演が1991年(33年前)、今回は4度目の上演だそうだ。作者によれば『ふくすけ2024』では四分の三ぐらい書き替えたらしい。チラシには「毒と哀切にまみれた怒涛のダークエンタテインメント。甦生につき要注意!!」とある。どんな内容なのか、まったく予備知識のないまま劇場に足を運んだ。
場面の変化や展開が目まぐるしく、テンポの速い芝居だった。回り舞台は頻繁に回転する。壮大なスペクタクルの趣もある。かなり複雑なストーリーだが、十分に楽しめた。
公演プログラムには「ふくすけクロニカル:人物&社会年代史」という表が載っていた。主要登場人物と時間(1960年代後半~現代?)のマトリックスである。人物ごとのイベントが一覧できる。観劇後にこの表を眺め、芝居の全体像を反芻できた。
「ふくすけ」とは薬剤被害で生まれた奇形の少年である。ホルマリン漬けを拒否して生き残り、病院に保護されるも、そこから連れ出され、見世物小屋のスターになり、ついには新興宗教の教祖になる。初演では温水洋一、再演と再々演では阿部サダヲが演じ、今回は女優の岸井ゆきのだった。ふくすけ頭で舞台を横方向にも縦方向にも駆け巡る姿は印象的である。
この芝居のサブタイトルは「歌舞伎町黙示録」、歌舞伎町で成り上がってビルを建てる三姉妹の物語でもある。歌舞伎町タワーの劇場での上演に符合している。三姉妹のブレーンとなる女性が都知事選に立候補する件りは、今回の都知事選の反映に見える。失踪した妻を14年間探し続けて歌舞伎町に辿り着いた夫の背後に、その妻の巨大な都知事選候補ポスターがあるのが面白い。
私が観劇した日(7月14日)の朝、トランプ狙撃のニュースが流れた。そのニュースも台詞に取り込まれていた。芝居は生モノだ。
『オーランド』はジェンダーを越えて400年生きた永遠の青年 ― 2024年07月17日
パルコ劇場で『オーランド』(原作:ヴァージニア・ウルフ、翻案:岩切正一郎、演出:栗山民也、出演:宮沢りえ、ウエンツ瑛士、河内大和、谷田歩、山崎一)を観た。
小説を原作にした芝居である。過去に映画化・舞台化されたそうだが、私には未知の作品だ。私は20世紀初頭の女性作家ヴァージニア・ウルフについてほとんど知らない。その作品を読んだこともない。
この芝居は、16世紀の英国貴族に生まれた青年が何百年も年を取ることなく、途中で男性から女性に転換して生き続ける話だと聞き、その異様な設定に興味がわいた。性転換する青年貴族を演じるのが宮沢りえ、というのも魅力的だ。
宮沢りえ以外に4人の男優が登場する。だが、宮沢りえの一人芝居の趣が強い。男優たちが活躍しないわけではない。男優4人はコロスとして登場するだけでなく、さまざまな場面でユニークな存在として主役に絡んでくる。だが、宮沢りえの詩的な独白が圧倒的に多いので、一人芝居のような印象を受けるのだ。
舞台装置はシンプルである。正面に巨大な壁があり、その中央に小さな出入口がある。壁にプロジェクションマッピンッグで映される沸き上がり流れ行く雲が時の流転を感じさせる。出入口はタイムトンネルにも見える。舞台下手の巨大なカシの木は時の流れに抗うように立ち続けている。
冒頭、青年貴族オーランドはエリザベス女王(一世)に愛される。ド派手な衣装の河内大和のエリザベス女王が不気味だ。外交官としてコンスタンティノープルに赴いたオーランドは、何日も眠り続けた後、女性に変身する。変身場面は鏡を見て驚くオーランド、という仕掛けになっていた。鏡の中から女性になった宮沢りえが出てくるシーンが印象的だ。
オーランドは、15世紀にカシの木の下でノートに詩を書き始める。その詩が完成するのは400年後の現代である。人の一生が20年であろうが1000年であろうが、人が一生に成し遂げることにさほどの違いはない――そんな気分にさせられた。不思議な芝居だ。
小説を原作にした芝居である。過去に映画化・舞台化されたそうだが、私には未知の作品だ。私は20世紀初頭の女性作家ヴァージニア・ウルフについてほとんど知らない。その作品を読んだこともない。
この芝居は、16世紀の英国貴族に生まれた青年が何百年も年を取ることなく、途中で男性から女性に転換して生き続ける話だと聞き、その異様な設定に興味がわいた。性転換する青年貴族を演じるのが宮沢りえ、というのも魅力的だ。
宮沢りえ以外に4人の男優が登場する。だが、宮沢りえの一人芝居の趣が強い。男優たちが活躍しないわけではない。男優4人はコロスとして登場するだけでなく、さまざまな場面でユニークな存在として主役に絡んでくる。だが、宮沢りえの詩的な独白が圧倒的に多いので、一人芝居のような印象を受けるのだ。
舞台装置はシンプルである。正面に巨大な壁があり、その中央に小さな出入口がある。壁にプロジェクションマッピンッグで映される沸き上がり流れ行く雲が時の流転を感じさせる。出入口はタイムトンネルにも見える。舞台下手の巨大なカシの木は時の流れに抗うように立ち続けている。
冒頭、青年貴族オーランドはエリザベス女王(一世)に愛される。ド派手な衣装の河内大和のエリザベス女王が不気味だ。外交官としてコンスタンティノープルに赴いたオーランドは、何日も眠り続けた後、女性に変身する。変身場面は鏡を見て驚くオーランド、という仕掛けになっていた。鏡の中から女性になった宮沢りえが出てくるシーンが印象的だ。
オーランドは、15世紀にカシの木の下でノートに詩を書き始める。その詩が完成するのは400年後の現代である。人の一生が20年であろうが1000年であろうが、人が一生に成し遂げることにさほどの違いはない――そんな気分にさせられた。不思議な芝居だ。
團十郎の13役早替り千本桜を観た ― 2024年07月19日
七月大歌舞伎昼の部『星合世十三團:成田千本桜』を観た。市川團十郎が13役早替りで、義経千本桜を遠し狂言で演じるという企画である。早送りダイジェストのような芝居だろうと想像した。
義経千本桜は何回か観ている。見せ場を一気にまとめて観るのは楽しそうだし、13役早替りとはどんな舞台なのか興味がわき、歌舞伎座に足を運んだ。エンタメとしての歌舞伎を堪能できた。
それにしても13役とは尋常でない。知盛、いがみの権太、狐忠信などの主要な役だけでなく、老人から女形までさまざまな役に早替りする。舞台に同時に登場する複数の役をどうやって一人で演じるのか不思議だったが、何とかなっていた。後ろ姿で代役に入れ替わるという仕掛けだった。ギャグに近い面白さも芝居を面白くする要素の一つだと思う。
この芝居、導入部を演じた後に、裃姿の團十郎が登場し、図解を使って演目と13役を解説する。そこで宙乗りを2回やると宣言した。狐忠信の宙乗りはわかるが、もう一つの宙乗りがわからない。楽しみにしながら観劇した。
最初の宙乗りは前半の幕切れにあった。大物浦の場で知盛が大錨と共に背面で身投げしただけでは終幕にならない。その後、暗闇の中を無数の人魂のような光が幻想的に劇場中を漂う。そして、知盛の宙乗りになる。霊魂となった知盛の昇天である。なるほどと関心した。
後半、川連法眼館の場で終幕になった後、再び裃姿の團十郎が登場しフィナーレの挨拶になり、大量の紙吹雪が劇場全体を舞う。光学技術を使ったトリックかなとも思ったが本物の紙吹雪のようだった。客席全体に舞い散った紙吹雪を夜の部開始までに片付けるのは大変だろうなと思った。何か画期的な回収技術があるのだろうか。
義経千本桜は何回か観ている。見せ場を一気にまとめて観るのは楽しそうだし、13役早替りとはどんな舞台なのか興味がわき、歌舞伎座に足を運んだ。エンタメとしての歌舞伎を堪能できた。
それにしても13役とは尋常でない。知盛、いがみの権太、狐忠信などの主要な役だけでなく、老人から女形までさまざまな役に早替りする。舞台に同時に登場する複数の役をどうやって一人で演じるのか不思議だったが、何とかなっていた。後ろ姿で代役に入れ替わるという仕掛けだった。ギャグに近い面白さも芝居を面白くする要素の一つだと思う。
この芝居、導入部を演じた後に、裃姿の團十郎が登場し、図解を使って演目と13役を解説する。そこで宙乗りを2回やると宣言した。狐忠信の宙乗りはわかるが、もう一つの宙乗りがわからない。楽しみにしながら観劇した。
最初の宙乗りは前半の幕切れにあった。大物浦の場で知盛が大錨と共に背面で身投げしただけでは終幕にならない。その後、暗闇の中を無数の人魂のような光が幻想的に劇場中を漂う。そして、知盛の宙乗りになる。霊魂となった知盛の昇天である。なるほどと関心した。
後半、川連法眼館の場で終幕になった後、再び裃姿の團十郎が登場しフィナーレの挨拶になり、大量の紙吹雪が劇場全体を舞う。光学技術を使ったトリックかなとも思ったが本物の紙吹雪のようだった。客席全体に舞い散った紙吹雪を夜の部開始までに片付けるのは大変だろうなと思った。何か画期的な回収技術があるのだろうか。
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