政治的暴力が日常化した100年前を描いた『ナチズム前夜』 ― 2025年02月26日
昨年8月に出た次の新書を読んだ。
『ナチズム前夜:ワイマル共和国と政治的暴力』(原田昌博/集英社新書)
民主的なワイマル憲法のワイマル共和国はナチズムを産んで崩壊した。本書はワイマル共和国の時代を「政治的暴力」に焦点をあてて社会史的に描いている。
著者は序章で次のように述べている。
「本書は、政治的暴力の問題が共和国の最初から終わりまで一貫して影を落としており、それが共和国の政治手的安定性を揺るがす負荷になっていたのではないかと想定している。」
ワイマル共和国の前期(1918~1923年)は左翼や右翼による体制転覆志向型暴力の物騒な時代だった。その後、相対的安定期と呼ばれる中期(1924~1929年)を経て、世界恐慌が契機の混乱の後期(1930~1933年)となる。中期・後期は党派対立型暴力の不穏な時代である。本書は、その党派対立型暴力を詳述している。
この時代、政党が絡みの武装組織はナチ党のSAの他に、右翼の鉄兜団や青年ドイツ騎士団、共和国擁護派の国旗団、共産党のRFBがあった。これらの武装組織が街頭や集会場で抗争を繰り返した。それはプロパガンダとしての暴力でもあった。
本書であらためて認識したのが、政治的暴力の日常化である。街頭や政治集会で死者が出る銃撃戦があっても、よくある事件なので新聞記事にならない。警察が取り締まりを強化しても政治的暴力はエスカレートするばかりだ。人々はそんな社会に馴らされていく。
常連酒場という言葉を本書で初めて知った。共産党員が集まる酒場やナチ党員が集まる酒場のことである。酒場の店主に政治性があったか否かはわからないが常連客が増えれば商売になる。常連酒場は党派の拠点となり銃撃戦の現場にもなる。飲んで、歌って、銃をとる――そんな情景が目に浮かんでくる。
党派対立型暴力はしだいに「ナチ党 vs 共産党」の暴力に収斂していく。そして、1933年1月のヒトラー政権誕生、1933年3月の全権委任法可決で共和国は崩壊。ナチ党以外の政党は消滅する。党派対立型暴力の時代からナチ党による国家テロ型暴力の時代に移行するのである。
著者は終章で次のように述べている。
「共和国の不安定化の間隙を突くように、暴力の行使をためらわない政党が伸長し、政治は見る見るうちに急進化していった。この意味で、政治的暴力は共和国の政治に深刻な影響を及ぼしていたのである。こうした状況を踏まえた時、「民主主義と独裁」という対比の中でしばしば断絶として理解されてきたワイマル共和国からナチ体制への転換を、連続性の観点から捉えなおす必要も出てくるだろう。」
年表を100年ずらして、本書の内容を現在に重ねて世界を眺めるとゾクゾクしてくる。25年を現在とすればミュンヘン一揆は2年前、ヒトラーは昨年末に仮釈放。昨年12月の国会選挙でナチ党が獲得したのは14議席(議員定数493)にすぎない。国会選挙でのナチ党大躍進は7年後だ。でも過半数には届かない。その翌年にはヒトラーの連立政権が誕生し、3カ月後には全権委任法が可決される。
『ナチズム前夜:ワイマル共和国と政治的暴力』(原田昌博/集英社新書)
民主的なワイマル憲法のワイマル共和国はナチズムを産んで崩壊した。本書はワイマル共和国の時代を「政治的暴力」に焦点をあてて社会史的に描いている。
著者は序章で次のように述べている。
「本書は、政治的暴力の問題が共和国の最初から終わりまで一貫して影を落としており、それが共和国の政治手的安定性を揺るがす負荷になっていたのではないかと想定している。」
ワイマル共和国の前期(1918~1923年)は左翼や右翼による体制転覆志向型暴力の物騒な時代だった。その後、相対的安定期と呼ばれる中期(1924~1929年)を経て、世界恐慌が契機の混乱の後期(1930~1933年)となる。中期・後期は党派対立型暴力の不穏な時代である。本書は、その党派対立型暴力を詳述している。
この時代、政党が絡みの武装組織はナチ党のSAの他に、右翼の鉄兜団や青年ドイツ騎士団、共和国擁護派の国旗団、共産党のRFBがあった。これらの武装組織が街頭や集会場で抗争を繰り返した。それはプロパガンダとしての暴力でもあった。
本書であらためて認識したのが、政治的暴力の日常化である。街頭や政治集会で死者が出る銃撃戦があっても、よくある事件なので新聞記事にならない。警察が取り締まりを強化しても政治的暴力はエスカレートするばかりだ。人々はそんな社会に馴らされていく。
常連酒場という言葉を本書で初めて知った。共産党員が集まる酒場やナチ党員が集まる酒場のことである。酒場の店主に政治性があったか否かはわからないが常連客が増えれば商売になる。常連酒場は党派の拠点となり銃撃戦の現場にもなる。飲んで、歌って、銃をとる――そんな情景が目に浮かんでくる。
党派対立型暴力はしだいに「ナチ党 vs 共産党」の暴力に収斂していく。そして、1933年1月のヒトラー政権誕生、1933年3月の全権委任法可決で共和国は崩壊。ナチ党以外の政党は消滅する。党派対立型暴力の時代からナチ党による国家テロ型暴力の時代に移行するのである。
著者は終章で次のように述べている。
「共和国の不安定化の間隙を突くように、暴力の行使をためらわない政党が伸長し、政治は見る見るうちに急進化していった。この意味で、政治的暴力は共和国の政治に深刻な影響を及ぼしていたのである。こうした状況を踏まえた時、「民主主義と独裁」という対比の中でしばしば断絶として理解されてきたワイマル共和国からナチ体制への転換を、連続性の観点から捉えなおす必要も出てくるだろう。」
年表を100年ずらして、本書の内容を現在に重ねて世界を眺めるとゾクゾクしてくる。25年を現在とすればミュンヘン一揆は2年前、ヒトラーは昨年末に仮釈放。昨年12月の国会選挙でナチ党が獲得したのは14議席(議員定数493)にすぎない。国会選挙でのナチ党大躍進は7年後だ。でも過半数には届かない。その翌年にはヒトラーの連立政権が誕生し、3カ月後には全権委任法が可決される。
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