四方田犬彦氏の思い出話で文系アカデミズムの世界を垣間見た2023年12月12日

『先生とわたし』(四方田犬彦/新潮社/2007.6)
 ふとしたきっかけで四方田犬彦氏の次の本を読んだ。

 『先生とわたし』(四方田犬彦/新潮社/2007.6)

 私は四方田犬彦氏についてよく知らない。かなり以前に『ハイスクール1968』を読んだが、内容は失念している。本書を読もうと思ったのは、故・前田耕作先生がらみである。

 私はカルチャーセンターで前田先生の講座をいくつか受講し、先生が同行するシチリア古跡巡りのツアーに参加したこともある。知人から、かなり前に四方田氏が前田耕作先生について書いた文章が面白かったと聞き、それを確認したくなった。

 知人の話では、前田先生の師・丸山静と四方田氏の師・由良君美に交流があり、その縁で四方田氏が前田先生に言及したらしい。ネット検索すると、四方田氏には膨大な著作があり、どの本に前田先生への言及があるか判然としない。だが、四方田氏が師・由良君美を語った『先生とわたし』という本を見つけ、これを読めば何かわかるかもしれないと思ったのである。

 「前田耕作」という単語を探す流し読みのつもりで読み始めた本書、意外に面白くて引きこまれ、一気に読了した。前田先生の名は一箇所だけ出てくるが、特に論評しているわけではなく、私の目論見は果たせなかった。だが、当初の目的を離れて、四方田氏の「思い出ボロボロ話」を堪能した。

 四方田犬彦という人はサブカルチャー批評の人と思っていたが、アカデミズムの人だった。当然ながら、サブカルチャーも立派な研究分野なのだ。本書を読むまで由良君美という英文学者を知らなかった。仏文の澁澤龍彦、独文の種村季弘、英文の由良君美と言われたそうだ。何となく学風の雰囲気が想像できる。

 本書は文系アカデミズムの世界のアレコレを描いている。学問の厳しさと学者たちのドロドロした生態がないまぜになった魔訶不思議な世界である。批判と悪口が蔓延している。以前に読んだ『文学部をめぐる病い』や筒井康隆氏の『文学部唯野教授』を連想した。アカデミズムとは無縁の門外漢が野次馬席から眺めるには面白いが、近づきたくない世界である。

 四方田氏が師・由良君美の思い出を語った本書は、師の学業を高く評価すると同時に師の醜態(酔態)も語っている。その件りは面白く読めるのだが、やや索漠とする。一家を成した弟子が師を語る物語はスタンスが難しい。