『零の発見』は私が予感した内容ではなかったが……2023年12月08日

『零の発見:数学の生い立ち』(吉田洋一/岩波新書)
 古代インド史の概説書(『ガンジスの文明』『古代インドの文明と社会』)を続けて読み、「インドで生まれたアラビア数字」への関心がわき、未読棚の次の新書を読んだ。

 『零の発見:数学の生い立ち』(吉田洋一/岩波新書)

 岩波新書の「古典」である。本書の存在は60年以上昔の中学生の頃から承知していたが、入手したのは数年前だ。奥付によれば、初版は1939年(昭和14年、太平洋戦争前夜)、1978年に改訂、私の手元にあるのは2016年発行の111刷である。

 本書を購入したのは、今年101歳になる伯父がきっかけである。数学の著書もある合理的思考をする人である。伯父の暮すホームでは、100歳を迎えた人の百寿を祝う。だが、伯父は99歳が百寿だと主張し、99歳で百寿を祝った。「数え年」を是としているのか思ったが、伯父の話をよく聞くと、少し違う。人間に「0歳」を設定するのはおかしいという考えなのだ。言われてみれば、0は不思議で特殊な数字である。

 「0歳」などあり得ないと語る伯父の話のなかで『零の発見』への言及があった。書名だけを知っていて内容を知らない本書を読んでおかねばと思い、ネット古書店で入手した。だが、そのまま未読棚に積んでいた。

 「零」という数についていろいろ考察する内容を想像したが、そんな内容ではなかった。インドの数学を論じた本でもない。数学の誕生を語る数学史エッセイである。世界史の解説がかなり詳しい。期待した内容ではなかったが、面白く読めた。

 本書は「零の発見――アラビア数字の由来」「直線を切る――連続の問題」という2篇のエッセイから成る。「連続」を扱った後者の方がスリリングで面白かった。

 数と図形の調和を夢見ていたピュタゴラス教団が、有理数で表せない数の存在に気づいたたときの動揺が特に面白い。直角二等辺三角形の対辺のような不通約量をアロゴン(口にしえざるもの)と名付け、その存在を教団の外部に洩らすことを禁じたそうだ。造化の妙の欠陥を意味するからである。ピュタゴラス教団の狼狽に同情した。