仏教がインドでほろびた理由を考察した『ガンジスの文明』2023年11月28日

『ガンジスの文明(講談社版 世界の歴史5)』(中村元/1977.3)
 私の頭のなかの世界史はまだら模様で、特にインド史は空白に近い。『ゆかいな仏教』『ブッダが説いた幸せな生き方』で仏教の成り立ちに多少の関心がわき、ずいぶん昔に入手した古代インド史の概説書を読んだ。

 『ガンジスの文明(講談社版 世界の歴史5)』(中村元/1977.3)

 46年前の本である。当時、インド哲学&仏教学の権威・中村元氏(1912-1999)のテレビ講座を視聴し、この先生の話が面白いので本書を購入した。しかし、拾い読みしただけで通読していない。テレビ講座の内容は何も覚えていない。

 本書は、紀元前3000年のインダス文明から6世紀のグプタ朝衰退までの古代インド史を概説している。バラモン教、仏教、ジャイナ教、ヒンドゥー教の動向もよくわかる。特に大乗仏教にかなりのページを割いている。『ゆかいな仏教』の前に本書のような歴史書を読んでおけば、仏教への理解も多少は深まっただろうと思った。読む順番は大事だ。

 大乗仏教の解説のなかで、般若心経を翻訳した玄奘を批判しているのが興味深い。大乗仏教は、原始仏教が禁じていた呪句(陀羅尼)を教化に用いた。社会的事情をふまえた民衆との妥協である。中村氏は、それが大乗仏教堕落の遠因になったとし、呪術的な一例として般若心経末尾の次の翻訳をあげている。

 原文「往き往きて、彼岸に往き、彼岸に到達せる覚りよ。幸あれ。」
 漢訳「羯諦羯諦(ぎゃていぎゃてい)、波羅羯諦、波羅僧羯諦、菩提薩婆訶」

 訳者は玄奘である。中村氏は、玄奘は原典の意味をすっかりかくし、呪術的効果をねらった、としている。日本人だから「ぎゃていぎゃてい」を異様に感じるのかと思っていたが、中国人も同様だったようだ。

 インドで生まれた仏教はマウリヤ朝のアショカ王(BC3世紀)の時代に大いに発展するが、その後、インドでは衰退する。本書は「仏教はなぜインドでほろんだか」を考察、その理由として「民衆から乖離した合理主義」「民衆を無視して上層階級と結託」「深遠な哲理の思索に没頭」などいろいろあげている。そのなかで、私が面白いと思ったのは、ローマ帝国衰亡との関連である。ローマ帝国との交易で興隆した豪商たちは仏教の支持基盤だった。ローマ帝国が衰亡し、インドの豪商が没落し、仏教は支持基盤を失ったという話である。

 本書は、私にとって新たな知見を得る読書体験だった。しかし、本書読了後、読書記録のExcelを検索していて、同じ著者の類書『ガンジスと三日月(大世界史6)』を2年前に読んでいたことに気づいた。その本をめくると、本書と重なる解説も少なくないが、まったく失念していた。おのれの記憶保持力の薄弱を嘆くしかない。

コメント

コメントをどうぞ

※メールアドレスとURLの入力は必須ではありません。 入力されたメールアドレスは記事に反映されず、ブログの管理者のみが参照できます。

※なお、送られたコメントはブログの管理者が確認するまで公開されません。

※投稿には管理者が設定した質問に答える必要があります。

名前:
メールアドレス:
URL:
次の質問に答えてください:
ウサギとカメ、勝ったのどっち?

コメント:

トラックバック

このエントリのトラックバックURL: http://dark.asablo.jp/blog/2023/11/28/9638136/tb

※なお、送られたトラックバックはブログの管理者が確認するまで公開されません。