『仮名手本忠臣蔵』の解説書2冊を読んだ2016年11月26日

『忠臣蔵』(戸板康二/創元選書/東京創元社)、『忠臣蔵の世界:日本人の心情の源流』(諏訪春雄/大和書房)
 歌舞伎鑑賞の前提のつもりで読み返した『忠臣蔵 元禄十五年の反逆』が史実探求ミステリーだったので、その口直し気分で赤穂事件の史実ではなく芝居『仮名手本忠臣蔵』にウエイトを置いた次の2冊を読んだ。

(1)『忠臣蔵』(戸板康二/創元選書/東京創元社)
(2)『忠臣蔵の世界:日本人の心情の源流』(諏訪春雄/大和書房)

 (1)は1957年の初版を1968年に改訂したもの、(2)は1982年の出版、どちらもかなり昔の本だ。最近古書で入手した。

 (1)の著者・戸板康二氏は高名な演劇評論家で『名作歌舞伎全集』(東京創元社)の解説文も書いている。「仮名手本忠臣蔵」の巻の解説文末尾に「創元選書の中の小著『忠臣蔵』を参考にしていただければ幸いである」とあったので、馬鹿正直にネットで古書を検索して購入した。

 (2)の著者・諏訪春雄氏は、丸谷才一氏の『忠臣蔵とは何か』(講談社)を巡って丸谷氏と忠臣蔵論争を展開した国文学者だ。私が忠臣蔵への関心を自覚したのは1984年刊行の『忠臣蔵とは何か』がきっかけで、この論争のあらましは把握しているが、今はこの論争にさほど関心はない。文学作品の読み方は多様だと思っているからだ。

 だが、古い雑誌に載っていた諏訪氏の『忠臣蔵の世界』を紹介する文章で「研究者として丸谷才一の『忠臣蔵とは何か』に疑義を呈した心境がよく納得できる」という一節に接し、本書を読みたくなった。

 『仮名手本忠臣蔵』は元禄15年の討ち入りから47年後に上演された人形浄瑠璃で、その直後に歌舞伎でも上演された。(1)も(2)も浄瑠璃と歌舞伎の『仮名手本忠臣蔵』の解説本で、(1)は歌舞伎にウエイトを置き(2)は浄瑠璃にウエイトを置いているように思える。どちらも芝居解説にとどまらず赤穂事件の史実との対応解説にかなりのページを割いている。そこにこの芝居の特異性がある。史実のインパクトが大きく、フィクションとの融合が醸成する「文化」に引きずられざるを得ないのだ。

 討ち入りの47年後に上演された『仮名手本忠臣蔵』は史実をかなりデフォルメした芝居だから、史実との対応にこだわらなくてもいいのにと思いつつ、47年という年月を思いをはせてみた。

 現在の2016年から47年前の1969年は東大安田講堂攻防や三億円事件のあった年で、三島由紀夫事件は翌年の1970年だ。67歳の私にとっては懐かしくも記憶鮮明な過去で、歴史のかなたの遠い昔ではない。当時『仮名手本忠臣蔵』を観た人々は、いまの私たちが安田講堂攻防、三億円強奪、三島由紀夫割腹などをテーマにした演劇を観るのと同じ時間感覚で観劇したことになる。

 そう思うと、この芝居は当時の人々の事件への心情を反映した同時代演劇だとあらためて気付いた。史実ヌキにこの芝居を語ることはできないのかもしれない。

 戸板康二氏の『忠臣蔵』は『仮名手本忠臣蔵』の演出と演技を詳細に解説していて観劇の手引きになる。ただし、取り上げている役者は過去の未知の人ばかりなので具体的イメージをつかむのは難しい。

 諏訪春雄氏の『忠臣蔵の世界』は演出や演技より戯曲にウエイトをおいたわかりやすい解説書だ。私がユニークに思ったのは十段目の評価だ。「天河屋の義平は男でござる」の段で、一般にこの段の評価は高くない。戸板康二氏も「十段目は作として低調なものである」「四・六・九段目にくらべて、各段に見劣りのする十段目であり、上演度数のすくないのも、当然と思われる」と述べている。諏訪氏はこの十段目を次のように評価している。

 「当時の戯曲の作劇法の特色をよく発揮した名場面であったといえる。この場面にはいかにも日本人好みの趣向が巧みに配置されている」「この十段目には、大衆劇としての近世演劇の論理がみごとに貫徹している」「この十段目には、日本人の心性に対するみごとな洞察がある」

 私も、芝居じみたこの十段目が嫌いではない。

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