クライトンの『トラヴェルズ』は釈然としないオカルト本2016年12月08日

『トラヴェルズ:旅、心の軌跡』(マイクル・クライトン/田中昌太郎訳/ハヤカワ文庫)
 『アンドロメダ病原体』や『ジュラシック・パーク』の作家マイクル・クライトンの自伝的エッセイ『トラヴェルズ:旅、心の軌跡』(田中昌太郎訳/ハヤカワ文庫)を読んだ。小説より面白いという評判を聞き、上下2冊を図書館で借りたのだ。

 確かに面白いが釈然としない読後感だ。前半は医者になる道を断念する経緯を綴っている。ハーバードのメディカル・スクール首席の医学生クライトンは医学博士にはなるが小説家、映画監督に転身する。医学生時代を描いた前半はスリリングで面白いが、後半になるとクライトンがオカルトにのめりこんで行くのだ。他人のオーラを視認し、サボテンに語りかけ、スプーンを曲げ、悪魔払いまで体験する。その過程を語る本人が終始理性的で知的に見えるので何とも奇妙な気分になる。

 30年以上昔、クライトンの『アンドロメダ病原体』を読んだときは傑作だと感心した。その後、何冊かの小説を読み、彼が原案・総指揮のテレビドラマ『ER』も観て、才能豊かな人だと思った。

 『トラヴェルズ』を読んで、あらためてその多才ぶりに驚いた。『アンドロメダ病原体』を書いたのが医学生時代で、それ以前にも学費を稼ぐために何冊かのスリラー小説を別名で書き、アメリカ探偵作家クラブのエドガー賞まで受賞している。医学生になる前にケンブリッジ大学で人類学の講師をしていたというのも驚きだ。

 そんな才能豊かなクライトンではあるが、本書前半の医学生時代の記録を読んでいると、知的で活動的だが常に自分の内面を洞察するナイーブな人物像が浮かんでくる。医学生時代にすでに、肉体的現象である疾病の発病には精神的要因があると考えている。「病は気から」に近い考えであり、ちょっと変わった人だなと思ったが、後半になるとドンドンとすごく変わった人へとつき進んでいく。

 医者で作家でオカルトと言えば晩年に妖精を信じたコナン・ドイルが思い浮かぶ。下巻の冒頭で自戒を込めたドイルへの批判的言及があるのが面白い。

 「わたしは過去にコナン・ドイルに強く共鳴していたし、いまや彼とそっくり同じ道を辿りつつあるような気がした。用心して進もうとわたしは決意した」

 用心して進んだ結果、高い知能をもち科学的思考を身につけているクライトンは自身の懐疑論を乗り越えて超常現象を信じるようになる。私にはついて行けない認識だ。

 もちろん、クライトンは自分の考えが多くの人から疑いの目で見られることを知っている。本書の最終章は「追記 カリフォルニア工科大学の懐疑論者たち」というタイトルで、懐疑論者の会合への招待に応じたクライトンの講演原稿である。なぜか、実際にはクライトンはこの会合に招かれず幻の講演に終わったそうだ。その講演内容は彼の科学観・哲学がかなりの力を込めて語られている。エキセントリックではないが不可知論のようでも文明論のようでもあり、やはり理解しがたい。

 私はオカルトを信じない懐疑論者だが、世の中にはオカルトを信じる知性が根強く存在していることをあらためて認識した。

ダリの超現実絵画の懐かしさ2016年12月09日

 国立新美術館で開催中の『ダリ展』に行った。閉幕が迫った平日だったが混雑していた。

 今やダリは私の頭の中では懐かしい往年の画家だが、少年時代に強烈な衝撃を受けたのは間違いない。半世紀以上昔の中学高校の頃、ダリは他のどの画家とも異なる異次元に屹立する魔法使いのような特別の画家だった。

 あの頃、ダリの画集で超現実的な光景に接し、その不思議な世界に引き込まれ恍惚感と不安感があいまざったしびれるような感覚を味わった。また、雑誌のグラビアページに掲載されたダリ本人の芝居がかったトリックスター的風貌を見て、そのうさんくささに惹かれた。ヒーローに見えた。そんな年頃だったのだ。

 いま思えば「超現実」という観念・感覚を私が初めて知ったのはダリの絵画によってだと思う。キリコやエルンストの不思議な世界にも惹かれたが、それは「幻想世界」であり、ダリが紡ぐニューロティックな青空の光景こそが「超現実世界」だった。

 ダリの絵画を観たという体験があるからこそ、あの光景を手がかりに、つかみ所のない夢のような「超現実世界」を文字化することも可能になった……そんな気もする。その意味でダリは文学的画家だ。

 いま観てもダリの超現実絵画は蠱惑的だ。しかし、それは日常的にくり返し観るべきものではない。観続けて飽きがくると魔法が解けてしまう。私たちの日常は超現実ではなくフツーの現実だ。ダリの超現実絵画は、たまに美術館で不意打ちのように観てこそ、その魅力と効能が発揮されるのだ。

 今回、ダリの超現実絵画を観て、少年の頃に見た甘美な悪夢に出会ったような懐かしさを感じてしまった。それを現実と見るか超現実と見なすかはよくわからない。

人形浄瑠璃デビューで認識をあらためた2016年12月10日

 『仮名手本忠臣蔵』のオリジナルが人形浄瑠璃だとしても観劇は歌舞伎で十分だ。あえて人形浄瑠璃まで観たいとは思わなかった。しかし、国立劇場開場50周年記念で歌舞伎の『仮名手本忠臣蔵』に加えて人形浄瑠璃の『仮名手本忠臣蔵』も通し上演すると知り心が動いた。歌舞伎と人形浄瑠璃を見較べる機会は少なかろうと思い、人形浄瑠璃のチケットも手配した。

 歌舞伎は『仮名手本忠臣蔵』全11段を3部に分けて3ヵ月かけて上演するが、人形浄瑠璃は昼と夜の2部で全11段を上演する。昼夜連続で観ると正味10時間以上になる。とりあえず昼の部(大序から6段目まで)だけ観ることにした。

 人形浄瑠璃はほぼ初体験である。半世紀以上昔の高校時代に授業の一環で阿波人形浄瑠璃『傾城阿波の鳴門』を観たが何も憶えていない。そもそも、人形浄瑠璃をなぜ「文楽」と呼ぶのかも知らなかった。今回調べて、大正時代に人形浄瑠璃を上演するのが文楽座のみになったためだと知った。

 観劇の数日前の朝、FM東京をかけると「いま、ここ半蔵門スタジオの前を大勢の女子大生が歩いています。何かイベントがあるのでしょうか」と放送していた。しばらくして「わかりました。みんさん国立劇場の文楽を観に行くそうです。忠臣蔵だそうです」との報告があった。

 そんな放送を聞いていたので観客は女子大生であふれているのかと思っていたが、さほどではなかった。満員の客の大半は中高年で、歌舞伎よりは男性客の比率が高いように思えた。たまたま私の席の周辺がそうだったのかもしれない。

 で、昼の部の5時間を観劇し、想像していた以上にわかりやすく十分に楽しむことができた。私が人形浄瑠璃を敬遠していた理由の一つは、浄瑠璃がわかりにくいと思っていたからだ。

 数十年前、まだ歌舞伎の『仮名手本忠臣蔵』を観ていなかった頃、『仮名手本忠臣蔵』を読んでおこうと思って手にしたのが『岩波古典文学大系』の『浄瑠璃集』だった。これに収録されている『仮名手本忠臣蔵』は何とも読みにくく、途中で投げ出した。その直後に入手した『名作歌舞伎全集』の『仮名手本忠臣蔵』は比較的スラスラと読めた。基本的には同じものの筈だが、歌舞伎台本の形になっている方がはるかに読みやすかった。

 そんな読書体験から歌舞伎に比べて人形浄瑠璃はわかりにくいと思い込んでいた。だが実際に観劇すると、さほどわかりにくくはなかった。よく知っている演目というせいもあるが、何と言っても舞台両脇にある字幕テロップのおかげである。太夫の語りに合わせてその内容が字幕で表示されるのだ。国立劇場の文楽公演にこんなサービスがあるとは知らなかった。字幕の文字を眺めながら義太夫を聞いていると、そこそこに意味を把握でき、楽しく観劇できた。

 チケット予約時には昼の部だけでいいと思っていたが、実際に観劇すると夜の部も観たくなった。ダメモトでネット検索した。案の定、12月の小劇場に空席は残っていなかった。大劇場の歌舞伎の方は多少の空席があった。座席数が違うとは言え、同一演目で文楽が歌舞伎を凌駕していると知り、認識をあらためた。

テレビと読書のシンクロで忠臣蔵の史実を考えた2016年12月12日

『忠臣蔵:その成立と展開』(松島栄一/岩波新書)、『忠臣蔵:赤穂事件・史実の肉声』(野口武彦/ちくま新書)、『赤穂浪士の実像』(谷口眞子/吉川弘文館)、『これが本当の「忠臣蔵」:赤穂浪士討ち入り事件の真相』(山本博文/小学館101新書)
◎読書の直後にテレビで「実況中継」

 一昨日(2016年12月10日)、テレビ朝日の『古舘伊知郎トーキングヒストリー〝忠臣蔵〟吉良邸討入り実況中継』という番組を観た。「新事実続々」と銘打って討入りの「史実」を再現し、俗説との違いを明らかにするという企画だ。歴史学者・磯田道史氏も出演している。

 たまたま忠臣蔵の史実の概説書を読み比べた直後だったので、この番組を十分に楽しめた。読み比べたのは次の4冊だ。

(1)『忠臣蔵:その成立と展開』(松島栄一/岩波新書/1964.11)
(2)『忠臣蔵:赤穂事件・史実の肉声』(野口武彦/ちくま新書/1994.11)
(3)『赤穂浪士の実像』(谷口眞子/吉川弘文館/2006.7)
(4)『これが本当の「忠臣蔵」:赤穂浪士討ち入り事件の真相』(山本博文/小学館101新書/2012.4)

 上記は発行年月順で、(1)(2)は以前に読んだものを再読、(3)(4)は最近入手して読んだ。

◎史実の基本はおさえておきたい

 忠臣蔵の面白さは歴史上の事件とフィクションが融合した「忠臣蔵文化」にある。それを楽しむ前提として史実の基本は把握しておきたいが、史料の山に挑んで研究しようと思うほど熱中はしていない。新書本で把握できる程のレベルで、何が史実と見なされているかをつかめればいい。

 その意味では野口武彦氏の(2)『忠臣蔵:赤穂事件・史実の肉声』が適切で、これで十分と思っていた。かなり以前に読み、最近再々読した。

 だが、この本以降に歴史学者による(3)(4)が出ていることを知り、読み比べてみたくなった。野口武彦氏は歴史学者ではなく国文学者・文芸評論家である。(1)はかなり昔の定評ある解説書で、著者は歴史学者だ。再読したのは、その見解が後続書でどう変遷しているか興味があったからだ。

◎討入りの史実は面白いが…

 まずは、一昨日のテレビで「実況中継」された討入りである。上記の4冊で討入りの「史実」の概要は把握しているつもりだったが、これらの本に載っていない「新事実」もテレビで紹介されていて興味深かった。

 テレビ出演の磯田道史氏が「このシーンは初めてですね。こういうのを見たかったんです」と感心していたのが、長屋をカスガイで封鎖するシーンだ。確かにこの件は上記の本には載っていない。だが、かなり以前に読んだ池宮彰一郎氏の『四十七人の刺客』には長屋を釘付けするシーンがあったと記憶している。

 印象深い重要な場面だと思われるので、上記の本が触れていない理由がよくわからない。

 実況テレビでは上野介の孫で吉良家当主・吉良左兵衛が登場しなかったのが不満だ。浪士と切り結ぶも負傷し、後に幕府に処分されるこの若者こそは一連の事件の最大の被害者とも言える。末路が哀れなのであえて無視したのかもしれない。

 寺坂吉右衛門が表門と裏門の伝令として実況テレビで活躍していた。討入り後、寺坂はなぜ姿を消したかは諸説ある。(1)(2)は大石内蔵助の密命を受けて離脱したとしている。(4)は『寺坂私記』を信用できないとし、単に逃げたのでないかとしている。(3)は諸説を紹介するのみで結論を出していない。寺坂は『仮名手本忠臣蔵』で活躍する人物だ。

 寺坂問題に限らず不明の事柄は多くあり、(3)の「あとがき」で著者・谷口眞子氏は次のように述べている。

 「日本史研究者は、これほど史実と物語とが混在して語られる世界に足を踏み入れるのを躊躇している感がある」

 忠臣蔵研究は歴史学者には不人気らしい。

◎わかるのは事象だけ

 4冊の概説書を読んで、松の廊下から討ち入りに至るまでに発生した事柄のあらましはつかめた。刃傷事件、内匠頭切腹、赤穂城明渡し、討入りなどの事実は確かだし、東西の人々の動きや会合なども記録が残っている分は事実だろう。元禄14年以降約2年間に発生した事実の羅列でかなりの分量の年表ができそうだ。

 また、これらの本によって、浅野内匠頭が名君とは言いがたい問題児だったこと、内匠頭切腹直前の家臣との面会や辞世はフィクションの可能性が高いこと、大石内蔵助がお金持ちだったこと、祇園で派手に遊んだかどうかは不明なことなどはわかった。だが、その先がわからない。

 外から見える事象は把握できても、さらに踏み込んでその意味を知るのは至難だ。事実の背景にある「人の思い」はわからない。社会学的に時代風潮を検討して事件の社会背景にアプローチできたとしても、なぜ、内匠頭が刃傷事件を起こしたかは謎だし、大石内蔵助が当初から討入りを目的にしていたかどうか不明だ。

◎発端の謎が「忠臣蔵文化」を作った

 「討入り」の史実は明らかであり、トリビアルなあれこれはあっても、そこに大きな謎はない。俗説を引き剥がして「史実」を解明すべきは「松の廊下の刃傷事件」である。発端の重大事件だ。

 だが、「刃傷事件」の真相を解明するのはもはや不可能だと思う。浅野や吉良の人物像を推測できても、彼らが何を考えていたのかはわかりようがない。刃傷事件の理由・背景は諸説を羅列するしかない。

 テレビで「松の廊下の刃傷事件」の「実況中継」があったとしても、それだけでは何もわからない。さらに踏み込んだ「調査報道」が必要なのだが、おそらくその材料はないだろう。

 後の「討入り事件」に照射されて注目度が上がった「刃傷事件」は、その理由が不明だからこそ、フィクションによるさまざまな粉飾が容易だったのだと思う。

木彫の帽子掛けを壁に密着取り付けして、ささやかな満足2016年12月13日

 月2回の木彫教室に通い始めて5年が経過した。飽きてきたが惰性で続けている。芸を究めようという心境になれないのは移り気な凡人のサガだ。没我の職人作業の時間を過ごすのが至福と思っているのに、なぜか一時しのぎの慌ただしい作業時間の積み重ねになってしまう。

 そんな時間の積み重ねで「鷲の帽子掛け」が完成した。木彫そのものは図案や写真(ナマの鷲)を眺めながら進めていく作業で、時間をかければ何とか形になる。彫った後の塗装は面倒だ。との粉を剥がすのはマスク必須の大変な作業だし、ニスを塗った直後に布で拭き取る作業も神経を使う。塗る、拭き取る、乾かす、という工程を何度も繰り返して、やっと完成する。

 今回は塗装が終わって、さらに一工夫が必要だった。壁に掛ける方法が課題なのだ。

 壁に掛ける作品は絵画のようにフックで吊るすのが一般的だ。時計や鏡なら紐で壁に吊るしてもいいが、帽子掛けはそうは行かない。絵画や時計や鏡は眺めるものだが、帽子掛けは眺めるのではなく使うものである。フックで吊るしたのでは、帽子を掛けたり外したりするたびに右に左にフラフラ揺れて、はなはだ不具合だ。

 2箇所のフックで吊れば左右の揺れはなくなりそうだ。しかし、紐で吊るすのでは前のめりになり壁に密着しない。眺めるだけの絵画なら前のめりも許されるが、帽子掛けは鑑賞用装飾品ではなく日常生活の道具である。不安定に揺れては道具としての機能を十分に果たせない。壁にきちんと固定しているのが望ましい。

 「鷲の帽子掛け」を壁に密着させる方法をいろいろイメージした上でホームセンターに行き、金具を物色した。そして、爪で引っかける形式の適切な金具を発見した。そのまま取り付けると前のめりになるが、木彫の裏面二箇所に四角い窪みを彫ってこの金具を取り付ければ、壁に密着する形で容易に着脱できる筈だ。

 そんなわけで、写真のように壁と木彫裏面に金具を取り付けた。「鷲の帽子掛け」は見事に壁に密着した。多少乱暴に帽子の掛け外しをしてもビクともしない。満足である。

『シン・ゴジラ』は面白い。その科学は難しい。2016年12月21日

◎ついに観た『シン・ゴジラ』

 年末になって『シン・ゴジラ』を観た。今年7月の封切り時にはさほど関心がなかったが、『太陽の蓋』に似ているという話を聞き、興味が湧いた。そして、先月発売の『日経サイエンス 2016年12月号』に『シン・ゴジラの科学』という特集記事があったので驚いた。真面目な科学雑誌が特集するほどの科学テーマを内包しているなら、ぜひ観なければと思い、映画を観るまではその特集記事を読むのを封印した。ネタバレになると思ったからだ。

◎『太陽の蓋』と『シン・ゴジラ』

 封切りから半年経って観た『シン・ゴジラ』は従来の怪獣映画とは一線を画す面白さで十分に楽しめた。首相官邸の対応を中心にしたリアルっぽい政治エンターテインメントで、原発事故を連想させる仕掛けになっているのが現代的だ。

 確かに3.11の原発事故をテーマにした『太陽の蓋』に似ている。「ジャーナリスティック・エンターテインメント」と銘打った『太陽の蓋』は今年7月の封切り時に渋谷ユーロスペースで観た。管内閣の官房副長官・福山哲郎氏の『原発危機 官邸からの証言』(ちくま書房)などを元にしたドキュメンタリータッチの劇映画だ。俳優たちが福山官房副長官をはじめ管首相、枝野官房長官らを実名で演じるのがミソで、仮名で登場する学者や東電関係者の頼りなさが浮き彫りになる警世の映画だった。よりえげつないほどにジャーナリスティックで、もっとエンタメ性を高めれば、単館上映ではなく広範な観客を動員できたのではと思った。

 今回『シン・ゴジラ』を観て、『太陽の蓋』が目指した「ジャーナリスティック・エンターテインメント」がここに実現されているようにも感じた。どちらも、官房副長官を中心に展開する点に工夫を感じる。ほぼ同時期に封切られたこの二つの映画を二本立て上映すれば、虚構と現実の相互浸透的面白さが出るのではと夢想した。

◎荒唐無稽を支える科学は難解だ

 映画を観たので満を持して『日経サイエンス』の『シン・ゴジラの科学』を読んだ。20ページの特集記事だ。かなり難しい内容で、残念ながら私の頭では十分には理解できなかった。

 この特集記事は大きく二つに分かれていて、前半はゴジラの発生と進化に関する生物学的探求で、後半はゴジラを封じる鍵の一つになった「折り紙」の科学の解説だ。いずれも。専門の学者への取材をまとめたものだ。

 ゴジラは日本が生み出した伝統芸能的な壮大な存在だから、いかに超越的能力をもっていても、それが存在することを前提に「科学的」説明がなされなければならない。今回のゴジラは、深海に投棄された放射性廃棄物を餌にした未知の生物が体内に原子炉や核融合炉をもつ生物へと驚異の進化を遂げる。短時間での進化がSFの発想だ。

 このフィクションを支える科学的キーワードは「エネルギー」「未知の新元素」「混合栄養」「血液凝固剤」「極限環境微生物」「無性生殖」「群体」などだそうだ。解説記事だけではその先端科学の内容は雰囲気しかわからない。しかし、次の記述は印象に残った。

 「将来、そうした地球外生命探求の最前線で、今回の『シン・ゴジラ』を子ども時代に熱心に見て育った若手研究者がリーダーシップをとることになるかもしれない。」

 荒唐無稽な設定を何とか「科学的」に説明しようとするSFが、子どもの好奇心を刺激して科学にいざなう効用をもっているのは確かだと思う。

◎蛇足

 エンドロールの出演者リストの最後に野村萬斎の名があった。映画を思い返しても、どのシーンに出ていたのかわからない。購入したパンフレットをめくってもわからない。ネット検索してやっと判明した。野村萬斎はゴジラだった。ゴジラはCGだから、着ぐるみに野村萬斎が入っていたわけではない。CGのゴリラの動きを振り付けたそうだ。

 壮大なフィクションに科学や伝統芸能のリアルを注入しようとする果敢なこだわりは大切だ。

3ヵ月がかりで『仮名手本忠臣蔵』全段を観た2016年12月25日

 国立劇場の『仮名手本忠臣蔵』第三部を観た。10月、11月、12月の3ヵ月をかけて『仮名手本忠臣蔵』全十一段をフルバージョンで観たわけで、それなりの満足感はある。だが、年を取った悲しさで先月や先々月に観た舞台はすでに記憶の彼方で朧になりつつあり、間延びのした長丁場につきあったという散漫な気分にもなる。

 全十一段を休憩時間を入れながら上演すれば15時間ほどになる筈で、1日での一挙上演は無理かとは思うが、やはり一挙に観劇したかったなあと思った。2日がかりぐらいの短時間で全段を観れば、さまざまな絡みが自然な流れに見え、それぞれの場面の有機的な関連を実感的に鑑賞できそうだ。

 そんなことを思ったのは、師直を討った後の「高家紫部屋本懐焼香の場」で、寺岡平右衛門が早野勘平の代わりに縞の財布を戴いて焼香するシーンを眺めながら「そう言えば、勘平や平右衛門が登場する熱のこもった舞台を1ヵ月ほど前に観たなあ」と遠い記憶をまさぐる気分になったからだ。違和感一歩手前の感覚であり、それは私の貧弱な頭のせいではあるが、全十一段を一挙に観れば、違和感ではなく多様な伏線が収束していく素直な快感を得たのではと思われたのだ。

 もっとも、十一段目(討入り)の歌舞伎は浄瑠璃とは異なる実録風に変化しているし、今回の国立劇場の上演台本も『名作歌舞伎全集』(東京創元社)収録の台本とも少し異なってた。映画や小説では「討入り」は重要なクライマックスだが、歌舞伎の「討入り」は付録サービスのよう場面で、クライマックスとは言えない。「討入り」は最終段階の達成であって、そこには人間模様の葛藤はないし、見得を切るような状況もない。それ以前の多様なシーンで盛り上げていって芝居にしているところが歌舞伎独特の面白さだとあらためて気付いた。

 今回の観劇で今ごろになって気付いたことが他にもある。九段目「山科閑居の場」で、加古川本蔵が死に、大石内蔵助が本蔵が被っていた虚無僧笠を拝借して虚無僧姿になって出立するシーンである。台本を読んだ時には、他人の持ち物で変装(?)するなんて変だなあと思っていた。だが、芝居を観ながら、これは加古川本蔵と大石内蔵助を重ね合わせる仕掛けだと気付いた。考えてみれば、一歩違えば加古川本蔵と大石内蔵助の立場は逆転していたわけで、お互いにそのことをよく認識していた筈だ。だからこそ、九段目が成り立っているのだ。

 将来、この芝居をまた観たら、さらに新たな発見をするかもしれない。だが、昔のことは忘れてしまうので、観るたびに自分では新たな発見だと思う可能性も大きい。それでもかまわないが・・・