『カエサルを撃て』(佐藤賢一)のカエサルは薄毛を気にする中年男2016年10月07日

『カエサルを撃て』(佐藤賢一/中公文庫)
 『王妃の離婚』で直木賞を受賞した佐藤賢一氏はフランス中世を舞台にした小説を書く人だと思っていたが、古代ローマを題材にした作品を三つも書いていると知った。まずは次の小説を読んだ。

 『カエサルを撃て』(佐藤賢一/中公文庫)

 私は以前に『王妃の離婚』を読んだだけで、この作家の小説を読むのは本書ガ2作目だ。主人公は『ガリア戦記』の最後の方に登場する蛮族の指導者ウェルキンゲトリクスである。普通の日本人にはあまり馴染みのない人物に思えるが、フランスでは有名人らしい。第三共和国の教科書の冒頭にフランスの歴史上最初の英雄として登場するそうだ。フランス史に詳しい佐藤賢一氏らしい目のつけ所だ。

 私はこの人物を塩野七生氏の『ローマ人の物語』で初めて知った。その後、カエサルの『ガリア戦記』も読んだので、多少の印象は残っている。その印象とは、バラバラなガリア諸民族を束ねて決起し強大なローマ軍に立ち向かい、最後は破れるにしてもカエサルを追い詰めて苦しめた「敵ながらアッパレな奴」といったものだ。

 ローマに協力する蛮族を味方、反抗する蛮族を敵とみなすのはカエサルやローマという文明に感情移入しているせいだが、『ローマ人の物語』や『ガリア戦記』を読んでいると、どうしてもそんな気分になってしまう。

 だが本書はその裏返しで、ガリア側視点の『ガリア戦記』である。当事者であるカエサルが書いた『ガリア戦記』を読んでいても、ガリア地域に文明と平和をもたらすためにローマが進出するというのは、部族割拠のガリアの人々にとっては大きなお世話であり、ローマの侵略に見えてくる。だから、ガリア側から抵抗運動を描いた方が痛快で説得力がある物語になるように思える。

 ところが、『カエサルを撃て』は痛快なレジスタンス小説とは言えない。カエサルは十分に悪役だが、対峙するウェルキンゲトリクスもなかなかに野蛮で感情移入しにくく、エンタメ英雄譚にはなっていない。猥雑でややえげつない古代世界を生々しく描いた小説で、著者がウェルキンゲトリクスに惚れ込んで描いたわけではないように思える。

 興味深いのは、この小説におけるカエサル像だ。薄毛を気にする小心な中年男、陽気で優しくて思いやりにも長けたお人好の二流の男、大成するには何かが足りない男として描かれている。

 そんな男が何故その後、ローマ帝国の創始者とも呼ばれる大人物になったのか。それは、若きウェルキンゲトリクスと対峙したからである…というのが本書の歴史解釈のミソである。何とかウェルキンゲトリクスを破りガリア総決起を抑えることができたとき、カエサルは別人への変貌を遂げたというのである。本書の末尾近くに次のような記述がある。

 「(カエサルは)確かに別人になっていた。ガリアの若き野生に魅せられ、もうローマの醜い中年男はいなかった。やはり、カエサルは撃たれたのだ。」

 ユニークで面白い見方だ。だが、本書全編を費やしても、この回心を説得的に展開しているとは言いにくい。もちろん、人間が別人に変貌を遂げることはあるだろうが、そんなに容易に変われるわけではなく、人間の回心を説得的に描くのは容易ではない。

『ユリウス・カエサル氏の商売』(ブレヒト)のカエサルはオポチュニスト2016年10月09日

『ユリウス・カエサル氏の商売』(ベルトルト・ブレヒト/岩淵達治訳/河出書房新社)
 小説『カエサルを撃て』(佐藤賢一)に続けて次の小説を読んだ。

 『ユリウス・カエサル氏の商売』(ベルトルト・ブレヒト/岩淵達治訳/河出書房新社)

 本書の存在を知ったのは塩野七生氏の『ローマ人の物語』での言及だ。塩野氏はシェイクスピアの戯曲『ジュリアス・シーザー』は評価していないが、ブレヒトのこの作品をかなり高く評価していた。

 そんな記憶があったので、カエサルを扱った文学作品を読むなら本書を外せないだろうと思っていた。訳書は1973年刊行で古書はかなり高い。ブレヒト戯曲全集を検索しても収録されていない。仕方なく、相対的に安い古書を購入した。

 本書を手にしてわかったことは、『ユリウス・カエサル氏の商売』が戯曲ではなく小説で、しかも未完の作品だということだ。ブレヒト作品だから戯曲だろうと思い込んでいた。戯曲全集にないのは当然だ。

 タイトルの印象で、カエサルを戯画化した芝居を想像したが、読んでみるとなかなか重厚な歴史小説だった。未完なのが惜しい。

 本書の舞台はカエサルが暗殺されて20年後のイタリア、語り手である「わたし」は伝記作家である。カエサルの伝記を書くため、カエサルと親交があった老銀行家(かつては執達吏)を訪ねる。彼がカエサルの秘書の日記を所有していると知り、その日記を借り出して読むのが目的である。

 というわけで、この小説の枠組みは「わたし」と老銀行家やその周辺の人々とのやりとりである、その中でカエサルの思い出話もいろいろ出てくる。だが、この小説の大部分は「わたし」が借り出した秘書の日記そのもので、それは紀元前63年から数年間の日記である。

 この日記の部分を読んでいると、本物の史料を読んでいる気分になる。三頭政治以前の時代の日記で、この日記で描かれている大事件といえばカティリナの陰謀で、ローマ史全体から見ればさほど大きな出来事ではない。しかし、そのディティールから歴史解釈が浮かび上がってくるところが面白い。

 ブレヒトは当初この作品を戯曲として計画したそうだが、戯曲には収まりきれないと気づき小説として一九三八、九年頃に書き始めたが、第二次大戦の勃発による亡命や他作品の執筆などで中断し、ついに未完に終わったそうだ。

 もし未完でなければ、どの時代まで書き進める予定だったのかはわからないが、三頭政治以前の短い期間を扱った本書だけでもブレヒトの意図は十分に表現されている。巻末に収録されている岩淵達治氏による詳細な解説も本書を読み解くにはとても有益だった。

 ブレヒト作品だから唯物史観で独裁者カエサルを批判的に描いているのだろうとは想像していたが、それほど単純に図式化した話ではなかった。近代の視点で意図的にデフォルメしているにもかかわらず、古代ローマのひとつのリアルが感じられる小説だ。

 この小説ではカエサルの膨大な借金の由来と対処に焦点をあてているのがユニークで面白い。カエサルが若い頃に海賊に捕えられた経緯の「真実」を明かす話も面白いし、カティリナの陰謀に関わる裁判におけるカエサルの有名な死刑反対演説の背景の説明も面白い。ここで表現されているカエサルは政治家であると同時にビジネスマンであり、多面的なオポチュニスト親父である。

 佐藤賢一氏は『カエサルを撃て』でカエサルを小心な二流の男に描き、ブレヒトは本書でカエサルをオポチュニスト親父に描いている。もちろん、真実は不明であり、残された史料を手がかりに推測するしかない。歴史学者に比べて小説家はより奔放に自由に推測することが許されている。そんな作品を読むのも、素人にとっては歴史を知る楽しみの一つであり、歴史解釈の一端と考えてみたくなる。

 歴史上の人物にとどまらず世の中のさまざまな事項にいろいろな見方があるのは当然であり、多様な見方を知った上で自分の考えを紡ぐしかない。

全11段完全通しを観る準備に『仮名手本忠臣蔵を読む』を読んだが…2016年10月16日

『仮名手本忠臣蔵を読む』(服部幸雄編/吉川弘文館)
 国立劇場は開場50周年記念で『仮名手本忠臣蔵』全11段を3ヶ月連続完全通し上演する。10月は大序から4段目まで、11月は7段目まで、12月は11段目までの上演だ。全11段を観る機会はあまりないと思い、3ヶ月の通しチケットを購入した。で、忠臣蔵気分を盛り上げるため、未読のまま放置していた次の本を読んだ。

 『仮名手本忠臣蔵を読む』(服部幸雄編/吉川弘文館)

 2007年に75歳で逝去した歌舞伎研究家・服部幸雄氏の最後の本である。11人の学者・評論家の論考を集成した本で、編者である服部氏は冒頭の「仮名手本忠臣蔵とその時代」を執筆している。この文章の最後の方に「忠臣蔵文化」という言葉が出てくる。赤穂事件と仮名手本忠臣蔵をベースに大衆の熱烈な要望に応える形で製作されてきた多様な文物を「忠臣蔵文化」と名付け、次のように結んでいる。

 《「忠臣蔵文化史」には、江戸時代以来の歌舞伎の歴史の流れと併走してきたような性格があり、その意味で「忠臣蔵」と「忠臣蔵文化」の歴史は、時代の大衆の心性とともに「かぶいて」きたといってもよい。二十一世紀にあってもなお時代とともにかぶき、新時代の文化の中にあくなき創造をつづけるだろうと思っている。》

 私は忠臣蔵ファンなので「忠臣蔵文化」という言葉に納得した。言われてみれば、私たちが時おり触れる忠臣蔵に関するあれやこれやを「忠臣蔵文化」という総称で眺めると見晴らしがよくなる気がする。

 そう思いつつ本書のいろいろな論者の文章を読み進め、末尾近くで「忠臣蔵の近代」(神山彰)という文章に出会い、ハッとした。私が意識下に感じていたことに光が当てられた感じがしたのだ。

 神山彰氏は1950年生まれの大学教授(近代日本演劇)で、私より2歳下のほぼ同世代だ。神山氏はNHK大河ドラマの『赤穂浪士』が放映されていた中学生の頃、東横ホールで『仮名手本忠臣蔵』を観て「物足りない」「変なもの」という感想をもったそうだ。

 その感想に続く神山氏の次の文章が面白い。

 《そこには映画の「忠臣蔵」で得ることのできるような満足感がなかった。しかし、その後、参考書を読んだり、何度も見返すうちに、その当初の貴重な感情は忘れてしまい、『仮名手本』を基準として月旦する、幾らもいる凡庸な「歌舞伎好き」になってしまったのである。》

 私が忠臣蔵の物語を知ったのが何歳の頃かは定かでない。桃太郎や猿蟹合戦と同じように幼少期に刷り込まれたような気がする。中学生の頃に大河ドラマ『赤穂浪士』を観ながら「また忠臣蔵だ」と感じていたように思う。

 『仮名手本忠臣蔵』を意識したのは丸谷才一氏の『忠臣蔵とは何か』を読んだ頃だから、三十代半ばだ。この本を読んだ少し後、歌舞伎座で『仮名手本忠臣蔵』を昼夜通しで観た。観劇の前に台本も読んでいたので「変なもの」であることは承知していて、それを「変なもの」と明に意識することはなかった。丸谷才一氏の著作をはじめとする多様な情報により「これこそが忠臣蔵だ」と思い込んでいたからだ。

 だが考えてみれば、私が面白いと感じてきた忠臣蔵のエピソードの多くは『仮名手本忠臣蔵』には登場しない。たとえば次のようなエピソードである。

 ・勅使饗応準備で一晩で畳替えをする話
 ・大石内蔵助が偽名で投宿し、偽名の本人と鉢合わせする話
 ・町人に見をやつした浪士たちの諜報活動(図面入手など)
 ・大高源五の俳句で其角が討ち入りを察知する場面
 ・大石内蔵助と瑤泉院の「南部坂の別れ」
 ・討ち入りの際、吉良邸の隣家から提灯が差し出される場面
 ・吉良邸救援に向かおうとする上野介の息子を上杉の家老が諫める話

 などなど、挙げ出すキリがない。これらの話の多くは史実ではないが、講談・落語・浪曲などで「実録」「銘々伝」「外伝」として語り継がれ、映画や芝居でも取り上げられてきたものだ。『仮名手本忠臣蔵』にこれらの話がないのは、その多くが『仮名手本忠臣蔵』を補完するものだったからだろう。

 討ち入りの47年後に上演された『仮名手本忠臣蔵』以前にも赤穂事件を題材にした芝居はあったそうだが『仮名手本忠臣蔵』の大ヒットによって、赤穂事件の物語の中心が『仮名手本忠臣蔵』になる。そして、赤穂事件という史実と『仮名手本忠臣蔵』という芝居をベースに多様な忠臣蔵の物語が生み出されてきたのだ。それが「忠臣蔵文化」である。

 本書を読んで、あらためて忠臣蔵の物語の広がりを知ることができた。『仮名手本忠臣蔵を読む』というタイトルは、むしろ『忠臣蔵文化概論』とでも名付けるのがふさわし内容だった。歌舞伎の『仮名手本忠臣蔵』を観る前の景気づけのつもりで本書を読んだのだが、読み終えると『仮名手本忠臣蔵』以外の「忠臣蔵文化」への関心が喚起されてしまった。

繪本と写真集で『仮名手本忠臣蔵』観劇気分を盛り上げる2016年10月18日

『繪本仮名手本忠臣蔵』(安野光雅/朝日新聞出版)、 『写真忠臣蔵』(吉田千秋/カラーブックス
 『仮名手本忠臣蔵』連続完全通し上演を今月から3ヶ月続けて観る予定なので、観劇気分を盛り上げようと『仮名手本忠臣蔵を読む』(服部幸雄編/吉川弘文館)という本を読んだが、むしろ歌舞伎以外の忠臣蔵文化へ関心が分散してしまった。

 それはそれでいいとしても、観劇気分を引き戻すため、書架から次の2冊を引っ張りだした。いずれも絵や写真が中心で文章は少ないので、のんびりとコーヒーを飲みながらページを繰っていける。

『繪本仮名手本忠臣蔵』(安野光雅/朝日新聞出版/2010年9月)
『写真忠臣蔵』(吉田千秋/カラーブックス・保育社/1983年12月)
 
 前者は大判の絵本、後者は文庫版の写真集、サイズはずいぶん異なるが内容は似ている。どちらも『仮名手本忠臣蔵』全11段のすべてを各段ごとに絵あるいは写真で紹介し、各段ごとのあらすじと解説が付いている。観劇のための贅沢なパンフレットのような本で、観劇の前準備に最適だ。

 大判の『繪本仮名手本忠臣蔵』は全11段を31枚の見開きの絵で表している。『旅の絵本』シリーズなどで高名な安野光雅氏独特の情緒がある絵だ。安野光雅氏は仮名手本忠臣蔵を最初に人形浄瑠璃で観たそうで、多くの絵は人形浄瑠璃と歌舞伎の舞台を混ぜ合わせた雰囲気になっている。人物は歌舞伎役者というよりは浄瑠璃人形に近い。舞台を超えて情景を自由に挿絵風に描いた絵もあり、まさに絵本という独自の世界に展開された仮名手本忠臣蔵である。

 『写真忠臣蔵』の著者・吉田千秋氏は舞台写真家で、全ページに1枚から数枚の歌舞伎舞台写真が掲載されている。30年以上前の本なので故人になった役者の写真が多いが、現在も活躍している役者の若い頃の写真もある。かなりの期間に撮りためた多様な舞台写真を編集し、古い白黒写真や新しいカラー写真を混ぜて各場面を構成している。

 この本の面白いところは、場面ごとに役者が目まぐるしく変わっている点だ。たとえば、3段目の刃傷の場の10枚ほど舞台写真では、師直は中村富十郎、板東三津五郎、中村勘三郎、尾上松緑の4人であり、判官は市川海老蔵(9代目)、中村歌右衛門、尾上梅幸、市川海老蔵(10代目)の4人だ。それぞれの写真には役者名が書かれているだけで撮影年月の記載がなく、その役者が何代目かは写真から推測しかない。

 同じ役者が場面ごとに役が入れ替わっている例も多い。吉田千秋氏の解説文によれば、仮名手本忠臣蔵に関しては主役から端役にいたるどの役も演じられるように勉強しておくのが歌舞伎役者の心得だったそうだ。だから、この芝居に限っては役名と役者名を決めるだけで、舞台稽古なしのぶっつけ本番で上演されてきたそうだ。

 現在でもそうなのかどうかはわからないが、すごい話だ。頻繁に上演される場面では成り立つようにも思えるが、めったに上演されない場面をぶっつけ本番でやれるのだろうか。

 『写真忠臣蔵』が素晴らしいのは、めったに上演されない場面を含めて、ほぼすべての場面の写真が掲載されている点である。安野光雅氏の『繪本仮名手本忠臣蔵』には、4段目冒頭の「花献上の場」について次のように書いている。

 「普通、歌舞伎ではこの場面を省くことが多く、いろいろ資料をあたってもみつからないので、ここでは人形所瑠璃の舞台を参考にした。」

 私の手元にある『名作歌舞伎全集2』(東京創元社)に収録されている「仮名手忠臣蔵」の台本にもこの場面はなく、4段目は「切腹の場」から始まっている。

 ところが『写真忠臣蔵』には、この「花献上の場」の写真がちゃんと掲載されている。カラーなので、そんなに昔の舞台ではなさそうだ。今回の国立劇場のパンフレットにも「花献上の場」が載っていた。

 そんなささやかな発見をして、観劇気分が盛り上がってきた。

完全通し『仮名手本忠臣蔵』第1部を観て腑に落ちたこと2016年10月21日

 国立劇場開場50周年記念3ヶ月連続完全通し上演『仮名手本忠臣蔵』の第1部を観た。11時から16時過ぎまでで大序から4段目までの上演だ。

 国立劇場では芝居パンフレットとは別に上演台本も販売する。今回は手元の『名作歌舞伎全集』所収の台本にないシーンもある完全上演でなので、台本も買うつもりで行った。だが、なんと台本は売り切れだった。増刷中で郵送予約を受け付けていたので予約した。私の前後にも郵送予約の人が相次いでいた。

 開演の11時よりかなり早めに着席した。案の定10分ぐらい前には口上人形が登場し「エヘン、エヘン」と言いながら役者読み上げを始めた。続いて一幅の錦絵のようなファーストシーンである。人形のように固まった役者たちが浄瑠璃の紹介に合わせて順次目を開いて魂が入って行く。人形浄瑠璃へのリスペクトを込めた祝祭的な幕開けである。このシーンを観ていると、三波春夫が長編浪曲歌謡『大忠臣蔵』冒頭で朗々と歌いあげる「忠臣蔵の幕が開く」という名調子が聞こえてくる気がしてワクワクしてくる。

 今回の完全上演の内容は以下の9つの場面だ。

  (1) 大序  鶴ヶ丘社頭兜改めの場
  (2) 二段目 桃井館力弥使者の場
  (3)     桃井館松切りの場
  (4) 三段目 足利館門前の場
  (5)     足利館松の間刃傷の場
  (6)     足利館裏門の場
  (7) 四段目 扇ヶ谷塩冶館花献上の場
  (8)     扇ヶ谷塩冶館判官切腹の場
  (9)     扇ヶ谷塩冶館面門城明渡しの場

 私にとっては、この9つの場面のうち(2)(3)(6)(7)の4つのは初見だ。かつて観た「通し」と銘打った舞台は完全通しではなく抜粋だった。

 とは言え、全段の台本は一応読んでいるので、ストーリーの全貌は把握しているつもりでいた。しかし、当然のことながら台本を読むのと実際の舞台を観るのとでは大違いである。台本を読むだけでは芝居の神髄は伝わってこない。

 今回、四段目までの完全上演を観て、『仮名手本忠臣蔵』の中で漠然と感じていた「変な話だなあ」という気分のいくつかがすっきりと霧消した。四段目までを観るだけで、その後のあれやこれやの展開が腑に落ちたのだ。

 たとえば勘平とお軽である。私の中では「道行き」「山崎街道」「勘平切腹」の印象がすべてで、忠臣蔵のメインストーリーから外れた変な話だなあという感覚があった。しかし、上記(4)(6)での勘平とお軽の登場シーンを観ると、その後の展開ときちんと繋がっていることがわかる。これらのシーンが頭に残っていれば「山崎街道」から「勘平切腹」に至る話に説得性が出てくる。

 また、加古川本蔵のイメージも変貌した。刃傷の場で塩冶判官を抱き留めただけの男が後々のシーンで自ら大星力弥に討たれるのは、歌舞伎的誇張だとしても変な話だなあと感じていたが、私の間違いだった。刃傷の場で塩冶判官を抱き留める以前から伏線があり、それらが後の展開を説得的にしていることが(2)(3)の場面で理解できた。

 浅野内匠頭という人物を塩冶判官と桃井若狭之助という二人の人物像に分解して物語を面白くしているという設定も今頃になって得心でき、加古川本蔵の役回りの大きさが見えてきた。

 なお、安野光雅氏が『繪本仮名手本忠臣蔵』の中で「資料がみつからない」と述べていた「(4)花献上の場」もしっかり観ることができた。全体のストーリーとの繋がりの少ない短い場面で、省略されることが多いのもわかる。「切腹の場」という緊迫した場面が始まる前の、表面的には華やかな前奏曲のような趣きがある。この場面の上演は東京では41年ぶりだそうだ。

 歌舞伎は頭で理解したり解釈するといよりは、絵画や音楽のように感性で楽しむという要素が大きい。ただし、それを本当に楽しむ前提として、舞台世界の全貌をきちんと把握しておくことが肝心だということに気付いた。当然のことだ。それが、今回の収穫だった。

『唐牛伝:敗者の戦後漂流』は面白いのだが……2016年10月27日

『唐牛伝:敗者の戦後漂流』(佐野眞一/小学館)、『ソシオエコノミクス』(西部邁/中央公論社)の献辞
◎なぜいま唐牛健太郎

 1960年安保の全学連委員長・唐牛健太郎という名に反応するのは私たち団塊の世代までだろう。新聞の書評で次の本を知り、遠い昔の人がふいに現れたような不思議な気がした。

 『唐牛伝:敗者の戦後漂流』(佐野眞一/小学館)

 なぜ今頃になって唐牛健太郎だ、なぜ佐野眞一氏が唐牛健太郎を書いたのだろうと訝しく思った。と言って、私は佐野眞一氏の著作をきちんと読んだことはない。中内功や孫正義の伝記や週刊朝日で物議をかもして連載中止になった橋下徹の伝記(?)などを雑誌で拾い読みしているだけだ。

 かすかな違和感を感じつつも唐牛健太郎という素材に惹かれて本書を購入し、一気に読んだ。唐牛健太郎は全学連委員長の後、田中清玄事務所、ヨット会社経営、居酒屋の親父、与論島の土方、紋別の漁師、オフコンのセールス、徳田虎雄の選挙参謀など職を転々とし、1984年に直腸がんで亡くなっている。享年47歳。本書はその生涯を追った記録である。読後感は複雑だ。爽快ではない。

◎カッコイイと思った

 唐牛健太郎が全学連委員長として華々しい活躍をしていたとき、私は小学6年生だった。委員長の名前は知らなかったと思うが、全学連という言葉は深く脳裏に刻印され、小学生なりに安保闘争への関心は高く、日々のニュースに興奮していた。当時の小学生の多くがそうだったと思う。

 唐牛健太郎(カロウジケンタロウ)という名を知ったのは中学か高校の頃だ。その字面と響きに、なんとカッコイイ名前だろうと思った。もちろん、その気持には彼の活躍が裏打ちされていた。彼ら全学連が右翼の田中清玄から資金援助を受けていたことは既に知っていたが、そのことはカッコよさを減殺するものではなく、むしろ唐牛健太郎という名に魔術的オーラを加えるものだった。

◎西部邁氏の処女作で遭遇してびっくり

 その後、私たち団塊世代は1960年代末から70年代初頭にかけての狂騒の時代に突入し、その頃には私の頭の中で唐牛健太郎は遠い過去の伝説の人になっていた。

 その後、唐牛健太郎という名前に遭遇し、軽いショックを覚えたのは1975年、私が社会人になって2年目の時だった。その頃、学生時代にはほとんど勉強しなかった経済学を少しは勉強しなければと思い、ボチボチと経済書を読み始めていた。そして、本屋で『ソシオエコノミクス』(西部邁/中央公論社)という本を手にした。目新しそうな経済学の本だなと思いつつパラパラとめくり、異様な献辞にびっくりした。扉に「オホーツクの漁師、唐牛健太郎氏へ」とあったのだ。

 その異様な献辞に惹かれて、未知の少壮経済学者らしき人のハードカバーを購入してしまった。唐牛健太郎が漁師になっていることは、この1行で知った。

 その後、西部邁氏は東大教授から保守評論家に転身し、数多くの本を書いている。最初に処女作の献辞「オホーツクの漁師、唐牛健太郎氏へ」に惹かれた因縁で、その後の彼の著作の何冊かに手を出してしまうことになった。

◎まさにセンチメンタルジャーニー

 『ソシオエコノミクス』は献辞だけでなく「はしがき」でも唐牛健太郎に言及している。この献辞と「はしがき」に惹かれた人は少なくないようだ。『唐牛伝』の最後の方に次の記述がある。

 「この献辞とはしがきを読んだとき、沢木耕太郎が「未完の六月」の中で書いているように、私も胸をしめつけられる思いにかられた。」

 私は「未完の六月」を読んでいないので正確な所はわからないが、西部邁氏の1行が唐牛健太郎というシンボルを増幅させたのは確かだろう。

 そう考えるのは、私の頭の中にある唐牛健太郎像のかなりの部分は、西部邁氏の著述に負っているからだ。『六〇年安保:センチメンタルジャーニー』(西部邁/文藝春秋/1986.10)の第1章は「悲しき勇者―唐牛健太郎」というタイトルで、西部邁が親友であり信友だった唐牛健太郎について語っている。30年前に読んだ文章だが、その哀切で酒に酔って演歌を聴いているような印象はいまも残っている。

 『唐牛伝』を読むにあたって、この章を読み返してみた。西部邁氏は、うますぎるとも言える粘着質でかつ明晰な特有の文章でセンチメンタルジャーニーを哀切に詠いあげている。

◎ややシラけるセンチメンタルジャーニー

 佐野眞一氏の『唐牛伝』もセンチメンタルジャーニー風ではある。だが、西部邁氏の芸には及ばない。

 佐野眞一氏は1947年生まれ、私と学年二つ上のほぼ同世代で、唐牛健太郎との面識はないそうだ。唐牛健太郎という魅力的な人物に興味を抱く気持はわかる。しかし、いまあえて唐牛健太郎を語る切実な動機が何なのか、本書から伝わって来なかった。プロローグやあとがきにおいて動機や問題意識が述べれてはいるが、私にはピンと来なかった。

 唐牛健太郎は30年前に亡くなっていて、関係者にも鬼籍に入った人が多い。もちろん、生き延びているも多いが、唐牛健太郎について語りたがらない人もいる。そんな状況の中で、著者は関係者を訪ね歩きながら情報を拾い集めている。

 実は唐牛健太郎に関してはかなりの量の雑誌記事や新聞記事が残されているし、死後に関係者が編纂した『唐牛健太郎追想集』という大部の書籍もある。

 だから、著者は独自の取材結果と過去の記事などの資料を元に唐牛健太郎の伝記を紡いでいく。この方法自体は正しいと思うが、取材旅行の様子をセンチメンタルジャーニー風にベタに綴っているのにはついて行けない。取材対象・唐牛健太郎への思いが強いとしても、伝記の大部分は過去の資料に基づく内容なのに、自身の取材をフレームアップし、その取材を詠嘆的に語られるとシラけてしまう。

◎ゴシップ記事集成の面白さか

 唐牛健太郎という人物が興味深いのは確かで、本書の内容も面白い。ただ、その面白さの多くは週刊誌のゴシップ記事を集成した面白さのように思え、著者の感慨や見解はやや陳腐に感じられる。唐牛健太郎の生涯の概要を知ることはできたが、もっと踏み込んだ物語にできたのでは、との思いが残る。「敗者の戦後漂流」というサブタイトルも適切とは思えない。