「仮名手本忠臣蔵」観劇気分を盛り上げるつもりだったが…2016年11月16日

『忠臣蔵 元禄十五年の反逆』(井沢元彦/新潮社)、『浅野内匠頭刃傷の秘密:精神科医の見た赤穂事件』(中島静雄/メディカル・パブリシティ)
◎歌舞伎を観て昔のミステリーを想起

 忠臣蔵の史実も面白いが当面は「仮名手本忠臣蔵」の面白さを追求したいという気分から、20数年前に読んだ次のミステリーを再読した。 

 『忠臣蔵 元禄十五年の反逆』(井沢元彦/新潮社/1988.12.15)

 出版直後に読んだものの内容はほとんど失念している。だが、一箇所だけ憶えている。「仮名手本忠臣蔵」は徳川綱吉への反逆を含意した芝居だと主人公が指摘し、その証拠として「松切りの場」が「松平を切る」を意味していると主張するシーンだ。この場面以外は何も記憶に残っていない。

 先月、国立劇場の「仮名手本忠臣蔵 第一部」で「松切りの場」を観たとき、このミステリーの記憶が甦った。それがきっかけで「仮名手本忠臣蔵」観劇を盛り上げる材料を期待して再読した。

 この小説の冒頭は、昭和61年(1986年)11月、国立劇場での「仮名手本忠臣蔵」全段上演を主人公が観劇するシーンである。この上演は私も記憶してる。観劇はしていないがテレビ放映を録画した。期待が高まる書き出しである。だが、その期待は期待倒れに終わった。

 『忠臣蔵 元禄十五年の反逆』は歴史上の事件の謎に挑戦する歴史ミステリーとしては面白く、それなりの論が展開されている。しかし、地の物語が安直で薄っぺらく、そのため歴史ミステリーの謎解き部分も怪しげに見えてしまう。おのれの記憶力を棚に上げて、私が内容の大部分を失念したのもむべなるかなと思えた。

◎論評小説でもある

 『忠臣蔵 元禄十五年の反逆』は実在の事件と芝居を扱っているので、実在の書籍の紹介や引用が多い。たとえば前半に出てくるものは以下の通りだ。

 『忠臣蔵:その成立と展開』(松島栄一/岩波新書)
 『日本の歴史16 元禄時代』(児玉幸多/中央公論社)
 『国文学 昭和61年12月号 忠臣蔵・日本人の証明』 
 『忠臣蔵とは何か』(丸谷才一/講談社)、その後の諏訪春雄・丸谷才一論争

 この他にもいろいろな文献の引用があり、後半のメイン書籍は次の本である。

 『浅野内匠頭刃傷の秘密:精神科医の見た赤穂事件』(中島静雄/メディカル・パブリシティ)
 
 登場人物たちがこれらの書籍を読んだり論評しながら歴史の謎を追究していく展開である。芝居や赤穂事件に関する解説や推論を小説仕立ての会話で延々と記述しているので、やや煩わしくも感じる。単なる評論文にすればかなりコンパクトになる内容だ。

◎ユニークな説を提示

 この小説で展開している主張は次の二点である。

 (1) 「仮名手本忠臣蔵」の高師直は吉良上野介ではなく徳川綱吉を表している。
 (2) 松の廊下の刃傷事件の理由は浅野内匠頭の精神病にあり、吉良には何の落ち度もない。

 どちらも通説とは異なるユニークな説であり、その論証もある程度は説得的で、感心しながら読んだ。面白い謎解きだと思う。しかし、これらの説を受け容れたわけではない。

 これらのユニークな説は、本来は国文学者や歴史学者が評価するべきものだろうが、実は誰にも当否の判断ができないものに思える。

 (1)に関して、「仮名手本忠臣蔵」という創作物をどう読み解くかは、作者の意図とは関係なく受け手にゆだねられるもので、それは多様だ。受け手には誤読の自由もあり、正解があるわけでもない。高師直=徳川綱吉も一つの読み方だと思う。

◎精神科医の見た赤穂事件

 (2)の刃傷事件は創作物ではなく歴史的事件に関わる事なので、真相の追究に意味があるとは思う。私が把握している限り、刃傷事件の理由は不明でいくつかの説がある。

 精神病説についてはよく知らないので、この小説で取り上げている『浅野内匠頭刃傷の秘密:精神科医の見た赤穂事件』を古書で入手し、読んでみた。

 精神科医の書いたこの本は、1982年に発生した日航機羽田沖墜落事故(精神異常の機長が逆噴射装置を作動させたのが原因)の機長と浅野内匠頭の類似点を指摘し、松の廊下の刃傷事件の原因は浅野内匠頭が精神病を発症したことにあると結論づけている。

 この指摘を読む限り、乱心が原因に思えてくる。ただし、本書は浅野内匠頭の診断にとどまらず、赤穂事件全般にまで筆が及び、吉良への同情からか討ち入りした赤穂浪士たちへの批判なども展開していて、バイアスを感じてしまう。冷静な浅野診断書に留めておいた方が評価が得られたのではと思う。

 刃傷事件の理由は信頼できる史料をベースに判断するしかなく、多くの学者たちが検討を重ねても不明とするしかなかった案件である。精神病の蓋然性はあるだろうが一つの説でしかない。不明なものは依然として不明で、如何ともしがたいのではなかろうか。

 「仮名手本忠臣蔵」観劇の気分を盛り上げようと昔のミステリーを再読したのだ、かえって「史実」への関心の方が高まってしまった。困ったことだ。