『文明の道③』はバクトリアとクシャン朝の話 ― 2023年05月09日
20年前のテレビ番組「文明の道」の「第2集 アレクサンドロスの遺産 最果てのギリシャ都市」「第3集 ガンダーラ・仏教飛翔の地」をオンデマンドで観て、この番組の書籍版を読んだ。
『文明の道② ヘレニズムと仏教』(前田耕作・小谷仲男・他/NHK出版/2003.7)
本書が扱うのはバクトリア王国とクシャン朝のガンダーラである。
バクトリア王国はセレウコス朝から独立したギリシア系国家である。BC3世紀半ばからBC2世紀頃まで、現在のアフガニスタン北部にあった。グレコ・バクトリアとも呼ぶヘレニズム国家だ。
クシャン朝は遊牧民族クシャン人(前身はイラン系の大月氏)が1~3世紀に中央アジアから西北インドに建てた王朝である。地理的にはバクトリアに重なる。2世紀のカニシカ王が仏教を保護、ガンダーラ美術が発達したことで知られる。
私がバクトリア王国を知ったのは、4年前に『バクトリア王国の興亡』を読んだときである。と言っても「遺跡や遺物が少なく、わからないことが多い」と知っただけのように思う。
アフガニスタン北部のアイ・ハヌム遺跡はバクトリア王国の主要都市でアレクサンドリアのひとつとされている。この遺跡は1964年に発掘が始まったが、1978年のソ連軍アフガニスタン侵攻で中断した。
番組が放送された2003年は、米国がフセイン政権のイラクを攻撃した年で、アフガニスタンはタリバン(2001年にバーミアンの大仏を破壊)掃討後の国家再建途上だった。
取材班が伝えるアイ・ハヌム遺跡やカーブル国立博物館の現状(2003年当時)は悲惨である。破壊と略奪の跡に今も昔も変わらぬ人類の愚かさを感じた。本書は博物館の再建を期して「再びアフガニスタンの素晴らしい美術品が見られるようになるのも、そう遠い日ではなかろう」と述べている。20年後の現在、その日はまだ遠い。
クシャン朝の仏教に関しては、仏像の出現に関する考察もあるが、新たに発見された教典の話が興味深い。大乗仏教はこの地で生まれたのかもしれないのだ。
蛇足だが、取材班がアレクサンドリアを探すなかで、タジキスタンのホジェンドが少しだけ登場する。私は4年前、最果てのアレクサンドリアとされるホジェンドを訪問したので、町の映像に懐かしさを感じた。この地の博物館にアレクサンドロスの生涯を描いた壁画(最近の制作)があった。取材班はホジェンドでアレクサンドリアの痕跡を探索するが、古代の城壁(私も見た)があるだけで、アレクサンドリアの遺跡などは見つからない。
大半のアレクサンドリアが、大王の死後早々に放棄された幻想の都市だった、ということなのだと思う。
『文明の道② ヘレニズムと仏教』(前田耕作・小谷仲男・他/NHK出版/2003.7)
本書が扱うのはバクトリア王国とクシャン朝のガンダーラである。
バクトリア王国はセレウコス朝から独立したギリシア系国家である。BC3世紀半ばからBC2世紀頃まで、現在のアフガニスタン北部にあった。グレコ・バクトリアとも呼ぶヘレニズム国家だ。
クシャン朝は遊牧民族クシャン人(前身はイラン系の大月氏)が1~3世紀に中央アジアから西北インドに建てた王朝である。地理的にはバクトリアに重なる。2世紀のカニシカ王が仏教を保護、ガンダーラ美術が発達したことで知られる。
私がバクトリア王国を知ったのは、4年前に『バクトリア王国の興亡』を読んだときである。と言っても「遺跡や遺物が少なく、わからないことが多い」と知っただけのように思う。
アフガニスタン北部のアイ・ハヌム遺跡はバクトリア王国の主要都市でアレクサンドリアのひとつとされている。この遺跡は1964年に発掘が始まったが、1978年のソ連軍アフガニスタン侵攻で中断した。
番組が放送された2003年は、米国がフセイン政権のイラクを攻撃した年で、アフガニスタンはタリバン(2001年にバーミアンの大仏を破壊)掃討後の国家再建途上だった。
取材班が伝えるアイ・ハヌム遺跡やカーブル国立博物館の現状(2003年当時)は悲惨である。破壊と略奪の跡に今も昔も変わらぬ人類の愚かさを感じた。本書は博物館の再建を期して「再びアフガニスタンの素晴らしい美術品が見られるようになるのも、そう遠い日ではなかろう」と述べている。20年後の現在、その日はまだ遠い。
クシャン朝の仏教に関しては、仏像の出現に関する考察もあるが、新たに発見された教典の話が興味深い。大乗仏教はこの地で生まれたのかもしれないのだ。
蛇足だが、取材班がアレクサンドリアを探すなかで、タジキスタンのホジェンドが少しだけ登場する。私は4年前、最果てのアレクサンドリアとされるホジェンドを訪問したので、町の映像に懐かしさを感じた。この地の博物館にアレクサンドロスの生涯を描いた壁画(最近の制作)があった。取材班はホジェンドでアレクサンドリアの痕跡を探索するが、古代の城壁(私も見た)があるだけで、アレクサンドリアの遺跡などは見つからない。
大半のアレクサンドリアが、大王の死後早々に放棄された幻想の都市だった、ということなのだと思う。
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