ハッジ(大巡礼)の迫力に圧倒される写真集『メッカ:聖地の素顔』2021年03月23日

『カラー版 メッカ:聖地の素顔』(野町和嘉/岩波新書)
 先日読んだ 『世界史との対話(上)』 (中巻は現在読書途中)で紹介されていた次の本に興味がわき、入手して読んだ。

 『カラー版 メッカ:聖地の素顔』(野町和嘉/岩波新書)

 メッカ巡礼の写真がメインで、文章はさほど多くない。どの写真も迫力がある。文章も面白い。

 イスラム教徒が生涯に一度は巡礼したいと願うメッカとメディナは、ムスリム以外は入れない聖地である。観光で行ける場所ではない。なぜ、著者はこんな写真を撮影できたのか。本書の冒頭でその経緯が語られている。

 1946年生まれの野町氏は、アフリカ、中東、チベットなどを撮るカメラマンとして国際的に知られていた。1994年、ムハンマドの直系子孫にあたる人物から野町氏に、メディナのモスク竣工記念写真集のための撮影依頼が来る。イスラム教徒でなくても撮影できるよう特別許可を出すという。

 野町氏はメディナだけでなくメッカの写真も撮りたいと希望するが、それは異教徒には無理だと言われる。そのとき、なんと野町氏はイスラムに入信する決断をする。東京のイスラミック・センターで宣誓し、ムスリム証明書を受け取るとき、「メッカの撮影が終わったらムスリムをやめるというんではダメですよ」とクギをさされる。

 ムスリムになった野町氏は1995年から2000年まで毎年メッカ、メディナを取材し、5回のハッジ(大巡礼)を体験する。その体験の記録が本書である。初めての巡礼体験の新鮮な驚きが伝わってきて読者も興奮させられる。

 本書冒頭の見開き写真は、カーバ神殿を回る大群衆の写真である。この写真には見覚えがあった。2年前に酔狂で購入した高校世界史の教科書(山川出版社)の巻頭グラビアページにこの写真があり、「これは何じゃ」と驚いた。パラパラと拾い読みしただけの「山川世界史」で印象に残っているのはこの写真だけだ。その印象強烈な写真は、日本人カメラマンが撮影した貴重なものだったのだ。

 イスラム史の重要都市として知っているだけのメッカとメディナのイメージが本書によって鮮明になった。歴史の蓄積と近代が混合した大迫力の「巡礼都市」というの不思議なイメージである。

井上ひさしの初期作品『日本人のへそ』を観た2021年03月25日

 紀伊国屋サザンシアターでこまつ座の井上ひさし芝居『日本人のへそ』(演出:栗山民也、出演:井上芳雄、小池栄子、山西惇、朝海ひかる、他)を観た。

 戯曲は読んでいるが舞台を観るのは初めてである。2時間弱の第一幕と1時間弱の第二幕という構成で、第一幕は合唱が多い音楽劇で突然の事件で幕となる。第二幕に合唱はないがギャグが頻発し、事件の解決編という趣からどんでん返しを繰り返す。

 当然ながら、舞台を観ると戯曲を読んだだけではわからない面白さを感得できる。この芝居には、井上ひさしが抱いていたさまざまな「想い」と「仕掛け」が過剰に詰め込まれている。「騙す」や「演ずる」を多層化・相対化して「真実」と等価と思わせてしまうエネルギーを感じた。真実を明らかにするためのどんでん返しではなく、どんでん返しを自己目的化してもいいではないかという居直りも感じる。

 『日本人のへそ』の初演は1969年2月、あの『表裏源内蛙合戦』より早い。当時大学生だった私は、唐十郎の状況劇場に魅せられ、紅テントに通いながらアングラ系の芝居を観ていた。『表裏源内蛙合戦』という新劇ともアングラとも違う芝居が登場したと聞き、戯曲は読んだもののさほど食指は動かず、舞台を観たのは後年である。

 1969年当時、大学生の私が『日本人のへそ』を観ていたらどう感じただろうと想像してみた。多少の違和感を抱きつつも、面白いとは思っただろう。共感したか反発したか黙殺したか、70歳を過ぎたいまでは何ともわからない。この芝居に1969年頃のアレコレが反映されているのは確かだが…

青山墓地で満開の桜と星新一の墓を見た2021年03月27日

 私は年に数回、六本木から外苑前まで、青山墓地の中央を縦断して歩く。普段は人通りの少ない並木道である。青山墓地には著名人の墓も多いと聞いているので、それを探索してみるのも一興と思いつつ、いつも墓を素通りしている。

 普段は人通りの少ない青山墓地の縦断道も、桜の季節になると散歩する人が増える。昨日の午後、外苑前で所用を終えた後、気まぐれで青山墓地に足を踏み入れた。桜は満開で人も多い。桜並木を散策しながら、星新一の墓がここにあると聞いたことを突然に思い出した。

 スマホで「星新一 青山墓地」と検索すると、墓のアドレスが出てきた。墓地の随所には地図看板がある。何ともわかりやすく、検索して数分後には「星家の墓」の前に立っていた。墓石の左側面には星一(星新一の父、星製薬創業者)の墓誌があり、右側面には星親一(星新一の本名)の墓誌があった。

 満開の桜の下でショートショートの神様の墓の前に立ち、浮世を一瞬だけ離脱した浩然の気に浸った。「気まぐれ…」というタイトルの多い作家への気まぐれ墓参であった。

『世界史との対話(中)』は深くて読み応えがある2021年03月29日

『世界史との対話:70時間の歴史批評(中)』(小川幸司/地歴社)
 『世界史との対話(上)』に続く中巻をやっと読み終えた。

 『世界史との対話:70時間の歴史批評(中)』(小川幸司/地歴社)

 長年、高校や市民講座で世界史を教えてきた高校教師の講義録という体裁だが、テーマを絞って人物、生活、社会などにこだわった濃い講義で読み応えがある。全3冊で70回(週2回で1年分)のうち23講義を本書に収録している。

 冒頭の第25講のタイトルは「ジュリエットとスコラ哲学」で、オッカムという哲学者の文章が紹介される。その引用文があまりに難解で困惑したが、引用の直後に「これでは理解不能と思われる方も多いでしょう。私も最初はそうでした」とあり、ホッとした。それにしてもジュリエットなんて哲学者がいたかなあと思いつつ読み進めると、これは『ロミオとジュリエット』のジュリエットだった。『薔薇の名前』も出てくる。関係なさそうなものが見事に絡みあって歴史の講義になっていく展開に引き込まれた。

 著者の講義は哲学や文学を援用して世界史を語る形が多い。本書末尾の第47講は美貌の皇妃エリザベートを題材にした「宮廷生活を嫌ったオーストリア皇后」で、この講義ではカフカの『変身』を引用している。「存在と記憶の抹殺」という世界史の問題をこの小説に重ねているのだ。もちろんカフカ自身も歴史の登場人物の一人である。なるほどと唸ってしまう。

 本書全般の大きなテーマは、従来の西欧中心史観の見直しである。いわゆる「大航海時代」を東南アジアの視点で捉え直した説明が興味深い。大英帝国の「覇権」を冷静に再検討しているのも私には新鮮だった。教えられることが満載の講義である。

 全3巻の本書には各巻ごとに「まえがき」と「あとがき」がついていて、それがまた面白い。世界史教育の課題がわかるだけでなく、高校教師の悲哀と喜びが伝わってくる。本文にも著者の自分語りの箇所があり、親しみがわく。