『地中海の十字路=シチリアの歴史』を読んで沖縄を連想2024年03月06日

『地中海の十字路=シチリアの歴史』(藤澤房俊/講談社選書メチエ)
 私は6年前にシチリアの古跡を巡るツアーに参加した。それに先立ってシチリア史の概説書を何冊か読んだ。だが、6年前に読んだ本の内容の大半は蒸発していて、シチリア史の何層にも堆積した複雑さの漠然たる印象が残っているだけだ。

 あの複雑なシチリア史の復習をしようと思い、次の本を読んだ。1943年生まれの研究者による5年前の本である。

 『地中海の十字路=シチリアの歴史』(藤澤房俊/講談社選書メチエ)

 本書は、紀元前8世紀のギリシア植民市から20世紀の第2次世界大戦終結までのシチリア史を要領よく描いている。読了して、シチリアの歴史の複雑さと面白さをあらためて認識した。

 ざっくり言えば1282年の「シチリアの晩禱」事件までは活気があり、それ以降は沈滞と翻弄の時代に思える。

 シチリアと言えば、塩野七生が『皇帝フリードリッヒ二世の生涯』で魅力的に描いたフェデリーコ2世が思い浮かぶ。「世界の驚異」と呼ばれた13世紀のこの皇帝に、本書はかなりのページを割き、その事績には神話・俗説も多いと述べている。フェデリーコ2世の施策(都市反乱の弾圧など)がイタリアの南北問題の歴史的要因の一つになったとも指摘している。意外な指摘だ。

 18世紀末にシチリアを「再発見」したのは『イタリア紀行』を著したゲーテである。その再発見はオリエンタリズムであり、シチリア人にとっては「シチリアに無知なヨーロッパ人」の再発見だった、との見解が面白い。

 マルクスもシチリア史に言及しているそうだ。マルクスは、以下のように要領よくまとめている。

 「シチリア人は南と北のあらゆる人種が混血したものである。まず、原住民のシカーニ人、フェニキア人、カルタゴ人、ギリシア人、そして売買あるいは戦争によって世界各地からシチリアに連れてこられた奴隷、さらにアラブ人、ノルマン人、イタリア人との混血である。シチリア人は、あらゆる転変と推移の間にも、自らの自由のために戦ってきたし、戦い続けている。」

 シチリアは歴史的に何度か独立を試みているが、現在はイタリアの特別自治州である。海に囲まれたシチリアの歴史は、海からやって来る「よそ者」に次々に支配・翻弄される歴史だった。最後にやって来た「よそ者」は第2次世界大戦末期の米英連合軍である。

 私は現在、沖縄滞在中で、本書を沖縄で読んだ。そのせいか、シチリアと沖縄が二重写しになった。