シチリアの古跡巡りをした2018年05月24日

 8泊10日のシチリアの旅から帰国した。「異文化研究家 前田耕作先生同行 シチリア島の古跡を極める旅」という10人ほどのツアーで、充実した歴史紀行だった。

 事前に読んだ入門書でこの島の複雑な歴史をある程度は把握していたが、現地を訪れてヨーロッパ史の多層をあらためて認識した。

 紀元前1300年頃からこの島にはシクリ族と呼ばれる人たちが住んでいた。紀元前8世紀からギリシア人の植民が始まり、ギリシアの植民都市が建設される。続いてカルタゴがこの地に進出し島を支配するが、ポエニ戦争でカルタゴに勝利したローマの属州になる。ローマ帝国衰亡期にはゲルマン人支配となり、ビザンチン領を経てイスラムの支配となる。そのイスラムをノルマン人が破りノルマン朝のシチリア王国となる。以上が古代から中世までだ。その後も支配者は多様に変遷し、イタリアに併合されたのは150年ほど前になる。

 要はゴチャゴチャと多様な文化が混合した島なのだ。そんなシチリアには古代ギリシア・ローマの遺跡が多い。その遺跡を巡るのが今回の旅行の主旨だ。

 世界遺産に指定され観光客の多い遺跡もあれば、訪れる人がほとんどいないひっそりとした遺跡もある。バスが入れない道をひたすら歩き続けなければたどり着けない遺跡もある。そんな多様な遺跡を巡りながら、人間は歴代の遺跡の積み重ねの上で暮らしてきたのだという当然のことに気づいた。

 古代ギリシアの遺跡がそのまま残っている所の多くは巨石の瓦礫になっている。瓦礫を復元している遺跡もあるが、それらしい趣を残している所には、ギリシア人が造った神殿や劇場をローマ人が改造して活用し、さらに中世の人々が自分たちに合わせて改変したものが多い。

 昔の建造物を「遺跡」として保存しようという考えがいつごろから生まれたのかは知らないが、古い建造物を自分たちの活用に適合するように改造するのは当然の発想だ。だから、ギリシア・ローマの神殿の柱を保持したキリスト教会もあれば、ギリシア→ローマ→中世と改造されてきた劇場もある。

 ギリシア時代に作られた劇場の遺跡が現代のイベントに活用されているのにも感動した。遺跡劇場の舞台にイベント用の現代的オブジェが置かれている所もあったし、山頂の遺跡劇場でギリシア劇の扮装をした高校生がリハーサルをやっている光景も観た。ヨーロッパの歴史のふところの深さを感じた。

 また、遺跡を巡りながら地中海やイオニア海を望み、人間の歴史にとって海が大きな役割を果たしてきたことを実感した。海の向こうからは植民者や交易者がやって来るし敵も来襲する。

 ギリシア人が初期に建設した海岸の植民都市ナキソスの遺跡からイオニア海を臨み、古代から海こそが道だったのだとの感を強くした。同時に、ナキソスの人々がその後に建設した後背の山岳都市の残滓(現在はリゾートの町タオルミーナ)を観て、生き延びる道を垂直方向にも見出す人類の強靭さも感じた。

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