北里柴三郎の伝記は面白い2024年03月08日

『北里柴三郎:雷(ドンネル)と呼ばれた男(上)(下)』(山崎光男/中公文庫)
 先日、北里研究所の関係者と面談する機会があった。そのときまで、北里研究所とは北里大学内の研究機関だと思っていた。しかし、逆だった。北里研究所のもとに北里大学や北里病院などの諸機関があるそうだ。北里柴三郎が設立したのは北里研究所であり、それがそもそもの母体だと知った。そんなきっかけでこの偉人について知りたくなり、伝記を読んだ。

 『北里柴三郎:雷(ドンネル)と呼ばれた男(上)(下)』(山崎光男/中公文庫)

 本書は2003年刊行の単行本の文庫版(2007年)である。著者は、医学・薬学分野の作品が多い小説家である。今年の夏、千円札の肖像が野口英世から北里柴三郎に代わるが、それに当て込んだ本ではない。

 北里柴三郎については子供時代に偉人の一人として習っただけで、詳しくは知らなかった。第1回ノーベル賞受賞の可能性があったが、東洋人なので受賞を逸したという話を聞いたことはある。本書を読んで、北里柴三郎の業績と疾風怒涛の生涯を知った。第1回ノーベル賞に関する著者の見解も納得できた。とても面白い伝記である。

 細菌学と言えばコッホの名が浮かぶ。柴三郎はベルリンに留学し、コッホの門下生になる。単なる弟子ではなく、優秀な共同研究者としてコッホから高く評価される。同じ時期の留学生・森林太郎とはかなり異なる。柴三郎の方が研究熱心だ。

 柴三郎はケンブリッジなど英米の大学から「研究所長に…」と要請されるが、国費留学生なので帰国する。しかし、帰国しても能力を活かす場がない。柴三郎の留学時代から「東大vs北里」という感情的対立があったからである。妬みが絡んだ対立という図式は、よくある光景だ。

 やがて、福沢諭吉や内務官僚らの支援で柴三郎のための私立伝染病研究所が設立され、その後、国立の研究所になる。柴三郎は伝染病研究所の所長として39歳から61歳まで活躍する。

 しかし、柴三郎が61歳のとき、政治家らの思惑で伝染病研究所は唐突に文部省に移管され東大付属となる。柴三郎は辞任し、自ら北里研究所を設立する。そのとき、研究員らも柴三郎と行動を共にする。研究員は残留すると目論んでいた東大側はあわてる。このくだりの経緯は小説のように面白い。現在の北里研究所の由来がよくわかった。