李香蘭の自伝に続いて川島芳子の自伝を読んだ ― 2023年01月08日
先日読んだ『李香蘭 私の半生』は川島芳子との興味深い「交流」を描いていた。また、『「李香蘭」を生きて』は、巻末に十数頁にわたる「川島芳子(金璧輝)裁判記録(抜粋)」を収録している。
「男装の麗人」「東洋のマタハリ」と呼ばれた川島芳子(本名:愛新覺羅顯玗、漢名:金璧輝)は、日本の大陸浪人・川島浪速の養女として日本で教育を受けた清朝の王女である。終戦時、漢奸(日本に協力した中国人)として北京で銃殺刑になった。
『李香蘭 私の半生』によれば、山口淑子は17歳のときに天津東興楼のパーティで川島芳子出会っている。東興楼は川島芳子が経営する料亭である。二人ともヨシコなので、川島芳子は山口淑子に次のように語った。
「ボクは小さいころ“ヨコチャン”と呼ばれていたよ。だから、きみのことも“ヨコチャン”と呼ぶからな。ボクことは、“オニイチャン”と呼べよ」
当時30歳だった川島芳子は「活躍の時代」を既に終えた有名人で「頽廃的生活」をおくっていた。妹分にされた山口淑子は周辺の人から「あの人には近づかないほうがいい」と忠告されたそうだ。
山口淑子は川島芳子の「活躍」には言及していない。「東洋のマタハリ」が具体的に何をした人物か、私は知らない。ネット検索してみると、彼女の防諜活動については不明部分が多いようだ。彼女の自伝が文庫本になっていると知り、入手して読んでみた。
『動乱の蔭に:川島芳子自伝』(川島芳子/中公文庫/2021/9)
最近出た文庫本だが、原著は80年以上昔の1940年(皇紀2600年)刊行である。自伝とは言え、祐筆(伊賀上茂)による日本人向けの聞き書きの書である。この祐筆は本書冒頭の「川島芳子女士の横顔」(女史でなく女士だ)で次のように述べている。
「人前に出るには、多少の粉飾は常識である。自叙伝に於ても。化粧した姿で登場することが、咎めらるべきものでないと信ずる。従って、川島芳子女士のあり来し方を詮索するには、自叙伝以外に求めるのが賢明だいうことになる。」
祐筆が自ら粉飾と述べている通り、どこまでが事実かわからない眉唾自伝である。下手な小説のような冒険譚もある。
終章の「日本の皆様へ――歯に衣着せぬ記」は、当時の親日派中国人の日本人観の一端がうかがえて興味深い。
日本を医者、中国を患者と見たて、日本は名医だろうが患者の腹を切開して意外に重症なのに驚いているのでは、と述べている。患者の懸念である。また、日本人の中国人蔑視への苦言も呈している。中国からフランスやアメリカに留学した学生は帰国後、留学先の国を賛美するのに、日本に留学した学生は帰国後、こぞって排日運動に参加するとも指摘している。
川島芳子の生涯は中国と日本との葛藤におおわれていたのだと思う。
「男装の麗人」「東洋のマタハリ」と呼ばれた川島芳子(本名:愛新覺羅顯玗、漢名:金璧輝)は、日本の大陸浪人・川島浪速の養女として日本で教育を受けた清朝の王女である。終戦時、漢奸(日本に協力した中国人)として北京で銃殺刑になった。
『李香蘭 私の半生』によれば、山口淑子は17歳のときに天津東興楼のパーティで川島芳子出会っている。東興楼は川島芳子が経営する料亭である。二人ともヨシコなので、川島芳子は山口淑子に次のように語った。
「ボクは小さいころ“ヨコチャン”と呼ばれていたよ。だから、きみのことも“ヨコチャン”と呼ぶからな。ボクことは、“オニイチャン”と呼べよ」
当時30歳だった川島芳子は「活躍の時代」を既に終えた有名人で「頽廃的生活」をおくっていた。妹分にされた山口淑子は周辺の人から「あの人には近づかないほうがいい」と忠告されたそうだ。
山口淑子は川島芳子の「活躍」には言及していない。「東洋のマタハリ」が具体的に何をした人物か、私は知らない。ネット検索してみると、彼女の防諜活動については不明部分が多いようだ。彼女の自伝が文庫本になっていると知り、入手して読んでみた。
『動乱の蔭に:川島芳子自伝』(川島芳子/中公文庫/2021/9)
最近出た文庫本だが、原著は80年以上昔の1940年(皇紀2600年)刊行である。自伝とは言え、祐筆(伊賀上茂)による日本人向けの聞き書きの書である。この祐筆は本書冒頭の「川島芳子女士の横顔」(女史でなく女士だ)で次のように述べている。
「人前に出るには、多少の粉飾は常識である。自叙伝に於ても。化粧した姿で登場することが、咎めらるべきものでないと信ずる。従って、川島芳子女士のあり来し方を詮索するには、自叙伝以外に求めるのが賢明だいうことになる。」
祐筆が自ら粉飾と述べている通り、どこまでが事実かわからない眉唾自伝である。下手な小説のような冒険譚もある。
終章の「日本の皆様へ――歯に衣着せぬ記」は、当時の親日派中国人の日本人観の一端がうかがえて興味深い。
日本を医者、中国を患者と見たて、日本は名医だろうが患者の腹を切開して意外に重症なのに驚いているのでは、と述べている。患者の懸念である。また、日本人の中国人蔑視への苦言も呈している。中国からフランスやアメリカに留学した学生は帰国後、留学先の国を賛美するのに、日本に留学した学生は帰国後、こぞって排日運動に参加するとも指摘している。
川島芳子の生涯は中国と日本との葛藤におおわれていたのだと思う。

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