『B面昭和史 1926-1945』は戦争の時代の民草の記録2023年01月16日

『B面昭和史 1926-1945』(半藤一利/平凡社ライブラリー)
 半藤一利氏の『昭和史 戦後編 1945-1989』に続いて次の「B面版」を読んだ。

 『B面昭和史 1926-1945』(半藤一利/平凡社ライブラリー)

 政治・経済・外交などのA面でなく、世相史・文化史のB面である。1945年の敗戦までの時代を生きた民草の様子を、新聞の社会面・週刊誌風に語っている。戦後を省略したのは、前著『昭和史 戦後編』で戦後風俗にかなり言及したからだと思う。

 「民草」は半藤氏が好んで使う言葉だ。「国民」や「民衆」とは微妙に使い分けている。ナショナリズムをベースに国の行方を案じて右往左往する集団が「国民」、日々の生活に追われながらもノホホンと日常を過ごす人々が「民草」、民草が集団になれば「民衆」――そんなニュアンスだろうか。

 本書は、1930年生まれの半藤氏(敗戦時に15歳)の体験談を盛り込んだ歴史エッセイとも言える。半藤氏の父親が面白い。反骨の人である。戦前から「アメリカと戦争して日本が勝てるはずはない」とくり返し、山本五十六元帥戦死・アッツ島玉砕の報道に接し「総大将が戦死したり、守備隊が全滅したりする戦さに、勝利なんてない」と断言していたそうだ。

 興味深い話題満載で、いちいち挙げると切りがないが、五・一五事件(1932年)のときに新聞に載った庄野潤三(当時は小学生)の作文には驚いた。世間は事件を起こした将校たちに同情的だったそうだが、庄野少年は「人殺しをしたり、けんかをしたりする世の中となったことを僕は大へん残念に思う」と綴っている。

 井上清一中尉の妻の事件の記述には、もの足りなさを感じた。満州事変(1931年)以降、「招集令状→遺骨になって帰国」というケースが増えていた。井上中尉に赤紙が届いたとき、新妻は夫に心残りさせないためにみずから命を絶った。この事件は感動的に報道され、大日本国防婦人会発足のきっかけになったそうだ。本書はそこまでしか書いていない。井上中尉が満州の平頂山事件の当事者になることに触れていない(巻末の対談で澤地久枝は言及している)。当時の民草がこの事件を知るよしもなかったから、そこまで踏み込まなかったのだと思うが…

 先日読んだ『李香蘭 私の半生』に出てくる「日劇七廻り半」事件も面白い。1941年の2月11日(紀元節)に日劇で開催されたショー「歌う李香蘭」に群衆が殺到し、警察が出動する騒ぎになった、というだけの話だ。『李香蘭 私の半生』を読んだとき、それほどの事件なのかと思いつつ『朝日新聞に見る日本の歩み』という新聞縮刷抄録集を調べると、この事件が収録されていた。面白いことに、その記事には李香蘭や日劇などの固有名詞は出てこない。某劇場に殺到した群衆に対する警察署長の叱責がニュースで、記者が群衆の醜態・無分別を延々と説教するヘンな記事だった。その事件を本書も採り上げている。時代を反映する出来事だったのだろうと思う。

 本書で半藤氏の次のような感慨を述べている。印象に残った。

 「そもそも歴史という非情にして皮肉な時の流れというものは、決してその時代に生きる民草によくわかるように素顔をそのままに見せてくれるようなことはしない。いつの世でもそうである。何か起きそうな気配すらも感ぜぬまま民草は、悠々閑々と時代の風にふかれてのんびりと、あるいはときに大きく揺れ動くだけ、そういうものなのである。」