『「李香蘭」を生きて』は『李香蘭 私の半生』のダイジェスト版2023年01月06日

『「李香蘭」を生きて:私の履歴書』(山口淑子/日本経済新聞社/2004.12)
『李香蘭 私の半生』を読んでいるとき、ネット検索で次の本を見つけた。

 『「李香蘭」を生きて:私の履歴書』(山口淑子/日本経済新聞社/2004.12)

『李香蘭 私の半生』は67歳の時点での自伝、似たタイトルの本書は84歳の時点の刊行である(山口淑子は2014年逝去。享年94歳)。新たな事実を綴った本かなと思って入手・読了したが、前著のダイジェスト版のような自伝だった。前著のようなコクはない。やや期待はずれだった。

 本書は日経新聞の連載記事「私の履歴書」(2004年8月)をまとめたものである。私は新聞連載時に読んでいるはずだが、何も憶えていない。私が子供の頃に母か聞いたと思っていた李香蘭の話には、18年前に読んだ「私の履歴書」の記憶が混入していたのかもしれない。

 本書の大半は『李香蘭 私の半生』と重複しているが、新たな話も少しだけある。その一つは、幼少期からの友人リュバ(ユダヤ系ロシア人)との53年ぶりの再会(1998年)である。終戦時の上海で山口淑子が裁判にかけられたとき、戸籍謄本入手を手配してくれた命の恩人である。再会したときの二人は78歳、スターリン時代を生き延びたリュバの人生にも歴史の非情が刻印されている。

 もう一つ、興味深いのは、テレビ司会者になった山口淑子のパレスチナ取材である。この件、重信房子やアラファト議長を取材する写真が載っているだけで、詳しい記述はない。彼女が日本赤軍を取材したのは、かつての若者の旧満州への「海外雄飛」と重なるものを感じたからだろうか。もう少し語ってほしかった。