ダイコンの葉が動物にかじられた ― 2018年12月02日
八ヶ岳南麓の山小屋にダイコンの収穫に行った。9月上旬にタネまきをして、その3週間後に間引きと追肥しただけの手抜き農作業である。それでも昨年までは結構大きなダイコンが大量に収穫でき、隣近所にも配った。しかし、今年はダメだった。
山小屋に到着して畑を眺めると緑が少ない。例年、ダイコンの収穫時期にはダイコンの葉が大きく繁茂して地面が見えないほどだが、今年はスカスカである。よく見ると、ほとんどの葉が根元近くで千切られている。動物にかじられたようだ。
これまで、トウモロコシ、ジャガイモ、カボチャなどが動物被害にあってきた。だが、ダイコンは無事だったので何の警戒もしていなかった。葉をかじられたダイコンは成長も悪く、細くて短い。発育不全は間引きの時期が遅れたせいもあるかもしれないが、葉を千切られたのが主因に違いない。
憎き動物であるが、その正体がつかめない。ネットで調べてもダイコンの葉がかじられる動物被害の情報は少ない。状況から察するに、シカやイノシシのような大型動物ではなく、鳥でもない。小動物のようだ。野ウサギか、ハクビシンか、イタチか、よくわからない。昨年まで無事で今年はじめて被害にあった理由もよくわからない。手抜き農作業もそろそろ潮時かもしれない。
山小屋に到着して畑を眺めると緑が少ない。例年、ダイコンの収穫時期にはダイコンの葉が大きく繁茂して地面が見えないほどだが、今年はスカスカである。よく見ると、ほとんどの葉が根元近くで千切られている。動物にかじられたようだ。
これまで、トウモロコシ、ジャガイモ、カボチャなどが動物被害にあってきた。だが、ダイコンは無事だったので何の警戒もしていなかった。葉をかじられたダイコンは成長も悪く、細くて短い。発育不全は間引きの時期が遅れたせいもあるかもしれないが、葉を千切られたのが主因に違いない。
憎き動物であるが、その正体がつかめない。ネットで調べてもダイコンの葉がかじられる動物被害の情報は少ない。状況から察するに、シカやイノシシのような大型動物ではなく、鳥でもない。小動物のようだ。野ウサギか、ハクビシンか、イタチか、よくわからない。昨年まで無事で今年はじめて被害にあった理由もよくわからない。手抜き農作業もそろそろ潮時かもしれない。
「筒井康隆展」で松浦寿輝氏との対談を聞いた ― 2018年12月09日
世田谷文学館で約2カ月間開催された「筒井康隆展」は本日(2018年12月9日)で閉幕である。昨日は同館の1階文学サロンで筒井康隆氏と松浦寿輝氏の記念対談があり、それを聞きに行った。
「筒井康隆展」の展示を観るのは昨日を含めて2回目で、この作家の全貌を巨大年譜と多彩な現物で表現した空間を堪能した。私は高校生の頃から半世紀以上にわたる筒井康隆ファンなので、展示場を巡っていると自分自身の半生をたどっているような気分にとらわれた。
松浦寿輝氏との対談は筒井康隆作品を巡る多岐にわたる話題にあふれていて面白かった。筒井康隆氏が創作意欲の背後に「社会への怒り」があると発言したのには少し驚いた。考えてみれば、すぐれた文学作品の多くは「社会への怒り」の表現のように思えてきた。人間は社会的動物だから、非常に個人的で内面的なことを語っても、それは「社会への怒り」の表現になりうる。
筒井康隆氏は84歳だが、創作意欲は衰えていない。もう長編を書く予定はないと言いながらも「読者からテーマを募集しようか」との発言もあった。期待できそうだ。
「筒井康隆展」の展示を観るのは昨日を含めて2回目で、この作家の全貌を巨大年譜と多彩な現物で表現した空間を堪能した。私は高校生の頃から半世紀以上にわたる筒井康隆ファンなので、展示場を巡っていると自分自身の半生をたどっているような気分にとらわれた。
松浦寿輝氏との対談は筒井康隆作品を巡る多岐にわたる話題にあふれていて面白かった。筒井康隆氏が創作意欲の背後に「社会への怒り」があると発言したのには少し驚いた。考えてみれば、すぐれた文学作品の多くは「社会への怒り」の表現のように思えてきた。人間は社会的動物だから、非常に個人的で内面的なことを語っても、それは「社会への怒り」の表現になりうる。
筒井康隆氏は84歳だが、創作意欲は衰えていない。もう長編を書く予定はないと言いながらも「読者からテーマを募集しようか」との発言もあった。期待できそうだ。
『ローマ人の物語』の最終巻を7年ぶりに再読 ― 2018年12月12日
ふとした気まぐれで塩野七海の『ローマ人の物語』の最終巻を読み返したくなった。この本を読了したのは7年前、ギボンの『ローマ帝国衰亡史』(全10冊)を読了したのが4年前、すでに内容の大半は蒸発している。年末が近づき、西ローマ帝国滅亡の経緯を再確認したくなったのだ。
『ローマ世界の終焉(上) ローマ人の物語(41)』(塩野七生/新潮文庫)
『ローマ世界の終焉(中) ローマ人の物語(42)』(塩野七生/新潮文庫)
『ローマ世界の終焉(下) ローマ人の物語(43)』(塩野七生/新潮文庫)
『ローマ人の物語』(全15巻)の15巻目『ローマ世界の終焉』は文庫本だと(41)(42)(43)の3冊である。7年ぶりに読み返して、やはり塩野七生は歯切れがよくて読みやすい と感じた。5世紀を描く最終巻になってもBC1世紀に活躍したカエサルへの言及が多いのは塩野七生らしくて微笑ましい。女性を観る目が辛辣なのも面白い。
ギボンは5世紀の西ローマ帝国滅亡後も延々と15世紀の東ローマ帝国滅亡までを書き続けたが、塩野七生は東ローマ帝国は「ローマ世界」とは別種のものとの認識で西ローマ帝国滅亡で擱筆した……そう思いこんでいた。だが、再読してみると塩野七生も西ローマ帝国滅亡後に言及してた。
文庫本3冊の2冊目で西ローマ帝国は滅亡し、3冊目はその後の話になっている。私がかん違いしていたのは、西ローマ帝国滅亡の描写が印象的だったからだ。それは次のような描写である。
「ローマ帝国は、こうして滅亡した。蛮族でも攻めて来て激しい攻防戦でもくり広げた末の、壮絶な死ではない。炎上もなければ阿鼻叫喚もなく、ゆえに誰一人、それに気づいた人もいないうちに消えうせたのである。
(…)
燃えつきはした。だがそれは、火炎によってではなかった。
滅びはした。だが、阿鼻叫喚ととともに、ではなかったのである。
誰一人気づかないうちに、滅びたのであった。」
『ローマ世界の終焉』はキリスト教を国教に昇格させたテオドシウス「大帝」が亡くなって二人の息子が東ローマと西ローマを受け継いだ時点で始まる。そして、文庫本で3冊目の「第3部 帝国以後」では西ローマ帝国滅亡後を描いている。この、私が失念していた3冊目が意外に面白かった。
476年、西ローマ皇帝は蛮族出身の将軍オドアケルによって退位させられ、オドアケルがイタリア王となって西ローマ帝国は消滅する。それからの約半世紀は「パクス・ロマーナ」ならぬ「パクス・バルバリカ」の時代で、ローマに暮らす人々は蛮族王支配のもとで平穏に暮らしていた。その平穏を打ち壊してローマという都市を疲弊させ「ローマ世界」を終焉させたのは、西ローマの奪還を試みた東ローマだった。皮肉な話である。
イスラムによって東ローマも縮小し、地中海が「内海」から「境界」に変わったとき、ローマ世界は終焉したという見解はわかりやすくて納得できる。
『ローマ世界の終焉(上) ローマ人の物語(41)』(塩野七生/新潮文庫)
『ローマ世界の終焉(中) ローマ人の物語(42)』(塩野七生/新潮文庫)
『ローマ世界の終焉(下) ローマ人の物語(43)』(塩野七生/新潮文庫)
『ローマ人の物語』(全15巻)の15巻目『ローマ世界の終焉』は文庫本だと(41)(42)(43)の3冊である。7年ぶりに読み返して、やはり塩野七生は歯切れがよくて読みやすい と感じた。5世紀を描く最終巻になってもBC1世紀に活躍したカエサルへの言及が多いのは塩野七生らしくて微笑ましい。女性を観る目が辛辣なのも面白い。
ギボンは5世紀の西ローマ帝国滅亡後も延々と15世紀の東ローマ帝国滅亡までを書き続けたが、塩野七生は東ローマ帝国は「ローマ世界」とは別種のものとの認識で西ローマ帝国滅亡で擱筆した……そう思いこんでいた。だが、再読してみると塩野七生も西ローマ帝国滅亡後に言及してた。
文庫本3冊の2冊目で西ローマ帝国は滅亡し、3冊目はその後の話になっている。私がかん違いしていたのは、西ローマ帝国滅亡の描写が印象的だったからだ。それは次のような描写である。
「ローマ帝国は、こうして滅亡した。蛮族でも攻めて来て激しい攻防戦でもくり広げた末の、壮絶な死ではない。炎上もなければ阿鼻叫喚もなく、ゆえに誰一人、それに気づいた人もいないうちに消えうせたのである。
(…)
燃えつきはした。だがそれは、火炎によってではなかった。
滅びはした。だが、阿鼻叫喚ととともに、ではなかったのである。
誰一人気づかないうちに、滅びたのであった。」
『ローマ世界の終焉』はキリスト教を国教に昇格させたテオドシウス「大帝」が亡くなって二人の息子が東ローマと西ローマを受け継いだ時点で始まる。そして、文庫本で3冊目の「第3部 帝国以後」では西ローマ帝国滅亡後を描いている。この、私が失念していた3冊目が意外に面白かった。
476年、西ローマ皇帝は蛮族出身の将軍オドアケルによって退位させられ、オドアケルがイタリア王となって西ローマ帝国は消滅する。それからの約半世紀は「パクス・ロマーナ」ならぬ「パクス・バルバリカ」の時代で、ローマに暮らす人々は蛮族王支配のもとで平穏に暮らしていた。その平穏を打ち壊してローマという都市を疲弊させ「ローマ世界」を終焉させたのは、西ローマの奪還を試みた東ローマだった。皮肉な話である。
イスラムによって東ローマも縮小し、地中海が「内海」から「境界」に変わったとき、ローマ世界は終焉したという見解はわかりやすくて納得できる。
『腰巻お仙 振袖火事の巻』に司祭のような大久保鷹が登場 ― 2018年12月16日
Space早稲田という小さな劇場で『腰巻お仙 振袖火事の巻』(作:唐十郎、演出:小林七緒、プロデューサー:流山児祥)を観た。半世紀前、状況劇場が新宿西口公園で機動隊に包囲された紅テントでゲリラ上演した伝説の芝居である。
今回の公演は「日本の演劇人を育てるプロジェクト新進演劇人育成公演 俳優部門」と銘打った芝居で、私の知らない若い役者が中心だが、一人だけ知っている役者が出ている。状況劇場の往年の怪優・大久保鷹である。彼が出演していると知って、ぜひこの芝居を観ようと思った。
Space早稲田は中華料理屋の地下にある客席60の劇場で、客席と舞台との密接感がテント劇場に似ている。私は『腰巻お仙 振袖火事の巻』を観たことはなく、戯曲を読んだこともない。『腰巻お仙 振袖火事の巻』の新宿西口広場での初演は1969年1月、私が紅テントを観始めたのは1969年12月の『少女都市』からである。私はかの「特権的肉体論」が収録されている『腰巻お仙』(唐十郎/現代思潮社)を持っているが、この本に収録されている戯曲は「忘却篇」と「義理人情いろはにほへと篇」で「振袖火事の巻」は載っていない。
そんなわけで初見の新鮮な気分で開幕を待っていた。そのとき、隣席の若い女性から突然声をかけられた。
「これの初演は御覧になりましたか」
当方が爺さんなので半世紀前の舞台を観ていると思ったようだ。
「いいえ、観ていません。私が観たのは『少女都市』からです」
「すごいですね、『少女都市』を観ているんですか。私は2年前からです。唐さんの芝居を観るようになったのは」
つい最近になって唐十郎の芝居を観るようになった若者がいることは、私にとっては驚きだった。
「あの頃って、みんな闘っていて、すばらしいですね。今はどうしちゃったんでしょう」
彼女は、1960年代に憧れているようなことを言い、私は何ともこそばゆい気がした。
そして芝居が始まった。冒頭、大久保鷹が登場し、機動隊に囲まれて新宿西口公園で強行上演したのが50年前だったことを力強く語り、そして異空間が幕開けした。大久保鷹は登場人物として演じながらも、冒頭とラストでは現代と50年前を架橋する司祭のようだった。
この芝居、初見にもかかわらず既視感にあふれていた。若い役者の背後に麿赤児、唐十郎、李礼仙、四谷シモン、不破万作などのイメージがちらつくのは仕方ない。50年前、人さらいのように当時の若者たちを不思議な世界へ誘った状況劇場の魔力が今も有効かどうかはわからない。有効ならうれしい。
今回の公演は「日本の演劇人を育てるプロジェクト新進演劇人育成公演 俳優部門」と銘打った芝居で、私の知らない若い役者が中心だが、一人だけ知っている役者が出ている。状況劇場の往年の怪優・大久保鷹である。彼が出演していると知って、ぜひこの芝居を観ようと思った。
Space早稲田は中華料理屋の地下にある客席60の劇場で、客席と舞台との密接感がテント劇場に似ている。私は『腰巻お仙 振袖火事の巻』を観たことはなく、戯曲を読んだこともない。『腰巻お仙 振袖火事の巻』の新宿西口広場での初演は1969年1月、私が紅テントを観始めたのは1969年12月の『少女都市』からである。私はかの「特権的肉体論」が収録されている『腰巻お仙』(唐十郎/現代思潮社)を持っているが、この本に収録されている戯曲は「忘却篇」と「義理人情いろはにほへと篇」で「振袖火事の巻」は載っていない。
そんなわけで初見の新鮮な気分で開幕を待っていた。そのとき、隣席の若い女性から突然声をかけられた。
「これの初演は御覧になりましたか」
当方が爺さんなので半世紀前の舞台を観ていると思ったようだ。
「いいえ、観ていません。私が観たのは『少女都市』からです」
「すごいですね、『少女都市』を観ているんですか。私は2年前からです。唐さんの芝居を観るようになったのは」
つい最近になって唐十郎の芝居を観るようになった若者がいることは、私にとっては驚きだった。
「あの頃って、みんな闘っていて、すばらしいですね。今はどうしちゃったんでしょう」
彼女は、1960年代に憧れているようなことを言い、私は何ともこそばゆい気がした。
そして芝居が始まった。冒頭、大久保鷹が登場し、機動隊に囲まれて新宿西口公園で強行上演したのが50年前だったことを力強く語り、そして異空間が幕開けした。大久保鷹は登場人物として演じながらも、冒頭とラストでは現代と50年前を架橋する司祭のようだった。
この芝居、初見にもかかわらず既視感にあふれていた。若い役者の背後に麿赤児、唐十郎、李礼仙、四谷シモン、不破万作などのイメージがちらつくのは仕方ない。50年前、人さらいのように当時の若者たちを不思議な世界へ誘った状況劇場の魔力が今も有効かどうかはわからない。有効ならうれしい。
ネコ特集『週刊朝日』の売れ行き好調は目出度いが… ― 2018年12月24日
『週刊朝日』の先週号(2018.12.28号)は売り切れ店続出だそうだ。理由は「ネコ特集」、私には理解できない現象である。
同誌のホームページに次のような紹介文が載っていた。
「創刊95年超の歴史の中で、初めて表紙にネコを起用したのは昨年12月。発売初日から飛ぶように売れ、各地の書店で完売御礼となりました。読者のみなさんの熱いリクエストに応え、今年は「愛猫に食べさせたい自家製ごはん」「模様でわかるネコの性格診断」といった特集記事も盛りだくさん。さらに充実した誌面をつくりました。」
ネコ特集は昨年に続いて2回目で、ネコを表紙に起用したのは95年の歴史の中で昨年が初めてとある。これを読んで、ハテナと思い、書棚の奥を探索すると、ネコが表紙の1982年の週刊朝日が出てきた。36年前にもネコを表紙に起用しているではないか。
と言っても、1982年のネコ表紙は「パソコン特集」の増刊号であり、増刊号だから保存していたのだ。週刊朝日は翌1983年にも「パソコン特集」増刊号を出していて、その表紙もネコである。増刊号はカウント外なのか。
こんなことを書いていると、重箱の隅をつつく小言幸兵衛の心地になり、自分がめっきり爺さんになった気がしてくる。
同誌のホームページに次のような紹介文が載っていた。
「創刊95年超の歴史の中で、初めて表紙にネコを起用したのは昨年12月。発売初日から飛ぶように売れ、各地の書店で完売御礼となりました。読者のみなさんの熱いリクエストに応え、今年は「愛猫に食べさせたい自家製ごはん」「模様でわかるネコの性格診断」といった特集記事も盛りだくさん。さらに充実した誌面をつくりました。」
ネコ特集は昨年に続いて2回目で、ネコを表紙に起用したのは95年の歴史の中で昨年が初めてとある。これを読んで、ハテナと思い、書棚の奥を探索すると、ネコが表紙の1982年の週刊朝日が出てきた。36年前にもネコを表紙に起用しているではないか。
と言っても、1982年のネコ表紙は「パソコン特集」の増刊号であり、増刊号だから保存していたのだ。週刊朝日は翌1983年にも「パソコン特集」増刊号を出していて、その表紙もネコである。増刊号はカウント外なのか。
こんなことを書いていると、重箱の隅をつつく小言幸兵衛の心地になり、自分がめっきり爺さんになった気がしてくる。
映画『家に帰ろう』で人それぞれの70年を考えた ― 2018年12月26日
シネスイッチ銀座でアルゼンチン映画『家へ帰ろう』を観た。広い意味でナチス・ヒトラー関連の映画だが、シンプルな作りの好感の持てる映画だった。
アルゼンチン在住の仕立屋の爺さんが主人公で、この爺さんは1945年にポーランドから逃げて来たユダヤ人である。昨年、私はポーランド旅行をしアウシュヴィッツにも行ったが、第二次大戦を体験したユダヤ人にとってドイツやポーランドが特殊な場所だということを再認識させられる映画だ。
主人公の爺さんは少年時代にナチス支配下のポーランドで迫害され、父や妹を失いながらも、ポーランド人の友人に助けられてアルゼンチンに亡命する。それから70年、娘や孫に囲まれた生活から老人ホームへの入居をひかえた爺さんは、突如ポーランド目指して旅立つ。70年前の1945年に分かれた友人に自分が仕立てたスーツを届けに行くのである。
つまりはアルゼンチンからポーランドまでのロードムービーであり、娘たちに裏切られてさまようリア王の要素も入っている。
フィクションではあるが、70年間会っていない旧友に会いに行くという設定に感動した。私は現在70歳であり、10年~50年ぶりの旧友との再会は想像できるが70年はあまりに長い。でも、それもありと思えてくる。
ナチスの時代以前のポーランドには多くのユダヤ人が住んでいたが、現在は非常に減少している。そんな近代史の実情もこの映画から伝わってくる。
アルゼンチン在住の仕立屋の爺さんが主人公で、この爺さんは1945年にポーランドから逃げて来たユダヤ人である。昨年、私はポーランド旅行をしアウシュヴィッツにも行ったが、第二次大戦を体験したユダヤ人にとってドイツやポーランドが特殊な場所だということを再認識させられる映画だ。
主人公の爺さんは少年時代にナチス支配下のポーランドで迫害され、父や妹を失いながらも、ポーランド人の友人に助けられてアルゼンチンに亡命する。それから70年、娘や孫に囲まれた生活から老人ホームへの入居をひかえた爺さんは、突如ポーランド目指して旅立つ。70年前の1945年に分かれた友人に自分が仕立てたスーツを届けに行くのである。
つまりはアルゼンチンからポーランドまでのロードムービーであり、娘たちに裏切られてさまようリア王の要素も入っている。
フィクションではあるが、70年間会っていない旧友に会いに行くという設定に感動した。私は現在70歳であり、10年~50年ぶりの旧友との再会は想像できるが70年はあまりに長い。でも、それもありと思えてくる。
ナチスの時代以前のポーランドには多くのユダヤ人が住んでいたが、現在は非常に減少している。そんな近代史の実情もこの映画から伝わってくる。
榎本武揚は開拓精神と探検心の人だ ― 2018年12月30日
榎本武揚は1908年に73歳で亡くなった。没後100年の2008年に出版された次の本を年末になってやっと読了した。
『近代日本の万能人 榎本武揚』(榎本隆充・高成田亨編/藤原書店)
執筆者は32人、座談会・講演記録・コラムなどもまじえたムック風のボリュームたっぷりの書籍で、内容は多岐にわたる。こまぎれに読んでいたので全部を読了するのに時間がかかった。
編者の榎本隆充氏は榎本武揚の曽孫である。「近代日本の万能人」という言葉が示すように、箱館戦争以降の明治になってからの榎本武揚の業績に焦点を当てた記事が多い。
榎本武揚は武士・軍人であり、国際法に明るく語学に長けた有能な外交官であり、科学者でもあり技術者でもあった。前半生で敗軍の将となったせいか、後半生は自己主張を抑えながらの活躍だったように見える。
本書を読んで、榎本武揚は万能人であり、その本質は開拓精神と探検心にあると思えた。開拓と探検……何とも魅力的な言葉である。
没後100年に刊行された本書は榎本武揚の再評価・正当な評価を目論んでいたのだと思う。本書刊行から10年、再評価が進んでいるようにはあまり思えない。
『近代日本の万能人 榎本武揚』(榎本隆充・高成田亨編/藤原書店)
執筆者は32人、座談会・講演記録・コラムなどもまじえたムック風のボリュームたっぷりの書籍で、内容は多岐にわたる。こまぎれに読んでいたので全部を読了するのに時間がかかった。
編者の榎本隆充氏は榎本武揚の曽孫である。「近代日本の万能人」という言葉が示すように、箱館戦争以降の明治になってからの榎本武揚の業績に焦点を当てた記事が多い。
榎本武揚は武士・軍人であり、国際法に明るく語学に長けた有能な外交官であり、科学者でもあり技術者でもあった。前半生で敗軍の将となったせいか、後半生は自己主張を抑えながらの活躍だったように見える。
本書を読んで、榎本武揚は万能人であり、その本質は開拓精神と探検心にあると思えた。開拓と探検……何とも魅力的な言葉である。
没後100年に刊行された本書は榎本武揚の再評価・正当な評価を目論んでいたのだと思う。本書刊行から10年、再評価が進んでいるようにはあまり思えない。
『ジャイロモノレール』にワクワクした ― 2018年12月31日
大晦日の忙中閑にとても面白い刺激的な新書を読んだ。
『ジャイロモノレール』(森博嗣/幻冬舎新書)
著者は工学の研究者でミステリー作家だそうだ。私には未知の人で本書が初体験である。
「ジャイロ」も「モノレール」も何となくわかるが、「ジャイロモノレール」という言葉は知らない。ジャイロで安定させるモノレールだろうと想像できるが聞いたことはない。
ジャイロモノレールは100年前の先端技術で実用実験もされていたそうだが、現在は忘れられた技術になっている。著者の森博嗣氏は昔の文献をもとにジャイロモノレールの復元を目指し、模型を実作している。本書はジャイロモノレールの理論の解説であり、実作の記録である。
ジャイロモノレールを単に「ジャイロで安定させたモノレール」ぐらいに考えたのは早とちりで、そこにはかなり複雑な理論とメカニズムがあることを知った。ジャイロの不思議と面白さをあらためて感じることもできた。
模型でジャイロモノレールを作るというのは簡単な作業ではなく、その制作記にはワクワクさせられる。レトロなメカニズムには独特の魅力がある。私には無理だが、模型好き・工作好きの友人に本書を紹介して挑戦させたいと思った。
この著者がどんなミステリー作品を書いているのかにも興味がわき、小説も読んでみたくなった。
『ジャイロモノレール』(森博嗣/幻冬舎新書)
著者は工学の研究者でミステリー作家だそうだ。私には未知の人で本書が初体験である。
「ジャイロ」も「モノレール」も何となくわかるが、「ジャイロモノレール」という言葉は知らない。ジャイロで安定させるモノレールだろうと想像できるが聞いたことはない。
ジャイロモノレールは100年前の先端技術で実用実験もされていたそうだが、現在は忘れられた技術になっている。著者の森博嗣氏は昔の文献をもとにジャイロモノレールの復元を目指し、模型を実作している。本書はジャイロモノレールの理論の解説であり、実作の記録である。
ジャイロモノレールを単に「ジャイロで安定させたモノレール」ぐらいに考えたのは早とちりで、そこにはかなり複雑な理論とメカニズムがあることを知った。ジャイロの不思議と面白さをあらためて感じることもできた。
模型でジャイロモノレールを作るというのは簡単な作業ではなく、その制作記にはワクワクさせられる。レトロなメカニズムには独特の魅力がある。私には無理だが、模型好き・工作好きの友人に本書を紹介して挑戦させたいと思った。
この著者がどんなミステリー作品を書いているのかにも興味がわき、小説も読んでみたくなった。
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