綱淵謙錠の『航』は開陽丸の生涯を語っている2019年01月06日

『航(こう) 榎本武揚と軍艦開陽丸の生涯』(綱淵謙錠/新潮社)
 1986年に出版された榎本武揚がらみの歴史小説を読んだ。

 『航(こう) 榎本武揚と軍艦開陽丸の生涯』(綱淵謙錠/新潮社)

 漢字一文字の題名が多いこの歴史作家の小説を読むのは初めてである。史料の引用や検討を中心に淳淳と語っていく作風は芳醇なウィスキーをチビリチビリ舐めるような味わいがある。

 この小説、「榎本武揚の生涯」ではなく「開陽丸の生涯」の物語である。幕府は軍艦運用にかかわる技術習得のため榎本武揚ら15人を留学生としてオランダに派遣し、同じ頃、最新軍艦をオランダに発注する。留学生たちは軍艦を受け取って日本へ回航する役目も与えられる。その最新軍艦・開陽丸が竣工したのは1866年7月、榎本武揚らを乗せて日本に到着したのが1867年3月、北海道の江差沖で座礁・沈没したのが1868年11月である。本書の最終章で開陽丸の最期を次のように語っている。

 「開陽丸の航海はそこで永遠に停止した。1866年12月1日(和暦・慶応2年10月25日)オランダのフリッシンゲン港を出発して日本回航の途にのぼってから1868年12月28日(明治元年11月15日)まで、まる二年と二十七日の航海であった。同時に、榎本の北航の夢も半ば破れたといってよいだろう。」

 この約二年間の話が「航」と題するこの小説の後半分である。前半分は、それ以前の約四年間を語っている。冒頭は榎本武揚ら留学生を乗せて出帆した商船がジャワで遭難するシーンである。そして、何とかオランダに辿り着いて留学生活をおくるさまが留学生らの日記や回想録をベースにていねいに語られている。

 後半より前半の方が面白い。私にとって未知の内容が多かったからである。遠い異国で幕末動乱の断片的な風聞に接しながら勉学に励む留学生たちの姿に惹かれ、つい感情移入したくなる。また、あの時期にヨーロッパの地を踏んだ日本人が意外に多かったことも興味深い。世界認識において当時の若者と現代の若者にさほどの違いはないように思えた。

日食を写真撮影2019年01月06日

 本日(2019年1月6日)午前の日食、東京都調布市は曇天だが雲の隙間から時折日がさし、何とか観察できた。

童門冬二の『小説榎本武揚』は座談のような小説2019年01月07日

『小説榎本武揚:二君に仕えた奇跡の人材』(童門冬二/祥伝社)
 綱淵謙錠の『航』に続けて童門冬二の『小説榎本武揚』を読んだ。

 『小説榎本武揚:二君に仕えた奇跡の人材』(童門冬二/祥伝社/1997年9月)

 著者はおびただしい数の歴史書を書いている元都庁幹部の歴史作家で、私も何冊かは読んでいる。

 『小説榎本武揚』は榎本武揚の出自から北海度開拓使出仕までを描いている。だが肝心の箱館戦争のくだりはほとんど省略している。開陽丸を回航して激動の日本に帰国し、榎本武揚が勝海舟から「不在のツケを払え」と言われたと思うと、アッと言う間に榎本は辰の口の牢の住人になっていて、出牢したら小説も終盤になる。こいう取捨選択もありかと感心した。

 この小説は丁寧な伝記というより、博識な横丁のご隠居さんの榎本武揚に関する奔放な座談の趣がある。話題が時間を越えて行ったり来たり脇道に入ったりする。精粗混在、繰り返しもあるのが愛嬌で、蘊蓄座談を楽しく拝聴している気分になる。

 著者は下町の江戸っ子だそうで、榎本武揚を山の手精神のインテリ江戸っ子として描いている。勝海舟も山の手精神の江戸っ子だが榎本とは気質が違い、著者は榎本の方に好感を抱いているようだ。

 本書で面白いと感じたのは榎本の助命に尽力した福沢諭吉の描き方である。福沢は榎本に対して屈辱感のようなわだかまりがあったという見方は、後の「痩せ我慢の説」につながっているようにも思える。

 土方歳三が箱館戦争で戦死せずに榎本と一緒に入牢していたならば榎本の助命は難しかったかもしれないという指摘もあり、歴史の機微を感じた。

ひとつの榎本武揚像を提示した『かまさん』2019年01月09日

『かまさん:榎本武揚と箱館共和国』(門井慶喜/祥伝社文庫)
 榎本武揚を描いた『航』(綱淵謙錠)、『小説榎本武揚』(童門冬二)に続いて次の歴史小説を読んだ。

 『かまさん:榎本武揚と箱館共和国』(門井慶喜/祥伝社文庫)

 文庫本のオビに「祝 直木賞受賞」とあるが本書が受賞したのではない(『銀河鉄道の父』で2017年下半期の直木賞受賞)。この作家の小説を読むのは初めてで、本書の「あとがき」で知ったのだが、作者の「慶喜」という名は歴史好きの父がつけた本名だそうだ。悪く言われることも多い最後の将軍の名を背負ったことに同情したくなる。本書にも作者の名が影を落としている。

 『かまさん』はコミックかテレビドラマのような軽快な展開で読みやすい。榎本武揚が開陽丸を回航して帰国し横浜に入港するシーンから始まり、箱館戦争で降伏するシーンで終わる小説である。榎本武揚の生涯でもっとも派手な時期を扱っていて、主人公の「かまさん(釜次郎=武揚)」はやたらと元気で威勢がいい。勝海舟ともジャレあうように仲がよく、佐々木譲の『武揚伝』などとはかなりテイストが違う。

 史実を材料にかなりデフォルメしたフィクションだなと思いつつ読み進めたが、中盤を過ぎたあたりから、これも一つの歴史解釈を提示した小説だと気づいた。

 この小説の面白いのは、「共和国」を目指していた榎本軍に比べて、封建制を引きずっていると思えた新政府軍の方がより近代化されていると榎本が気づき、それが降伏を受け容れた根本の理由だと見なしている点だ。新政府軍が藩を超えた日本という共通の理念の下に動いているなら、それと別に独立国を建てる意義はないと考えるのである。

 明治政府に都合のいい後付け論理にも見えるが、そんな解釈もあり得なくなないだろう。

 徳川慶喜が大阪城から脱出して開陽丸で江戸に向かったとき、大阪に取り残された開陽丸艦長の榎本武揚は呆然として「俺たちは、見すてられたんだなあ」とつぶやく。その榎本武揚が箱館戦争の終結時には、自身の心境と徳川慶喜の姿を重ね、心の中で「慶喜さんは、えらい人だ」と感じるのが本書のミソである。

『榎本武揚 シベリア日記』で榎本の好奇心・探検心を再認識2019年01月13日

『榎本武揚 シベリア日記』(講談社編/講談社学術文庫)
◎ペテルブルグからシベリア経由で帰国

 榎本武揚関連の評伝(『榎本武揚』『近代日本の万能人』)や小説(『武揚伝』『航』『小説榎本武揚』『かまさん』)を数冊を読み、いよいよ本人が書き残した『シベリア日記』を読んだ。

 『榎本武揚 シベリア日記』(講談社編/講談社学術文庫)

 榎本没後100年の2008年に刊行された本書には『シベリア日記』の他に『渡蘭日記』と書簡3通も収録されている。

 箱館戦争に敗れて投獄された榎本武揚は1872年(明治5年)に釈放され、北海道開拓使を勤めた後、1974年に対ロシア領土問題処理のため特命全権公使・海軍中将としてペテルブルグに赴任する。

 4年間の海外任務を終えて1878年(明治11年。榎本43歳)、帰国の途につく。ルートはシベリア経由である。ペテルブルグ出発は1878年7月26日、小樽到着は同年10月4日、2カ月余のシベリア横断の記録が『シベリア日記』である。

◎埋もれていた『シベリア日記』

 榎本武揚がシベリアを横断したのは西南戦争の翌年、西郷・大久保・木戸らが相次いで没し、幕末の争乱が一段落した時期である。なぜか『シベリア日記』は公表されず、榎本没後27年の昭和10年に発見される。昭和10年代に3回出版されたそうだが非売品や少部数のためあまり知られず、講談社学術文庫版の本書で日の目を見た。

 当時、ペテルブルグからの帰国は船旅が常識で、シベリア横断は榎本武揚の好奇心と探検心のあらわれである。同行の日本人は3人(留学生2人、書記官1人)いて、ロシア当局は日本の高官がシベリア横断旅行を支障なく遂行できるよう各地に通達を発している。

◎幅広い関心領域

 この日記を読んで、次のようなことを感じた。

 ・主要な町で厚待遇を受け、大名旅行のようである。
 ・と言うものの、拷問のような馬車や南京虫に悩まされる苛酷な旅である。
 ・榎本の関心領域は、土壌・植生・鉱工業・経済・軍備・言語・民族と幅広い。
 ・夏の旅のせいか、極寒のイメージはあまりない。
 ・やはり、当時のシベリアには囚人が多い。
 ・美人目撃の記述が散見される。
 ・シベリアだけでなく満州や蒙古への関心も強い。

 旅の後半で黒龍江(アムール河)を船で下るとき次のような感想を述べている。

 「実に亜細亜中屈指の良河にして、欧州のダニューブ北米のミシシッピーとただちに比較し得るものなり」

 国際人・榎本武揚の識見を感じる。

◎18歳のとき蝦夷に行っていた

 また、この日記の中に次の記述があるのにも注目した。

 「予かつて二十五年前、石狩川を航過せしとき河鮫の網に罹かりしこと聴きたり」

 25年前と言えば18歳のときである。榎本は昌平坂学問所卒業後、蝦夷・樺太に行ったとされているが、証拠文書が乏しいと聞いたことがある。この日記は証拠のひとつだと思った。

◎幕末留学生の『渡蘭日記』

 『渡蘭日記』は幕末にオランダ留学するときの航海日記で、バタビアからセントヘレナ島まで寄港地なしの帆船の旅の坦々とした記録である。

 洋上、マグロを釣り上げ、留学生たちは刺身で食べたいと思うが、オランダ人に野蛮と思われそうなので言い出せない。不味く調理された煮魚に辟易する場面などが面白い。

 洋上が晴れていても島の上に雲がかかっていることが多いという指摘は、私が航海したときの経験と同じで共感したが、榎本は「ただ、雲容の模様、自ずから異なれり」と記している。幕末の人が私より深く観察しているのに敬服した。

◎解説文も歴史的文書では?

 本書の巻末には次の二つの解説が載っている。

 「両日記の解説 -- 榎本武揚小伝」(廣瀬彦太)
 「学術文庫版解説」(佐々木克)

 後者の筆者は幕末史の著名な歴史学者で妥当な解説文だが、前者の解説がヘンである。文体や内容から昭和10年代に刊行された『日記』の解説文と思われる。廣瀬彦太という人はウィキペディアにも載っていない。「生年1882年、没年1968年」とはわかった。「両日記の解説 -- 榎本武揚小伝」なる解説は歴史的文書として扱われるべきものと思われるが、本書には何の説明もない。不親切である。

社会学者の小説『平成くん、さようなら』で旧石器捏造事件を想起2019年01月15日

『平成くん、さようなら』(古市憲寿/文藝春秋)
 若手社会学者・古市憲寿氏が書いた小説が芥川賞候補になっている。タイトルに誘われて読んだ。

 『平成くん、さようなら』(古市憲寿/文藝春秋)

 古市氏は9年前の大学院生時代にピースボート体験題材の修士論文をベースにした『希望難民ご一行様』(光文社新書)を刊行している。当時ピースボートに関心があった私はすぐに読み、読後感をブログに書いた。その後、古市氏はテレビ出演も多い売れっ子学者になったが、彼の著作を読むのは9年ぶりの2冊目である。

 『平成くん、さようなら』の主人公は平成元年生まれの「平成(ひとなり)」という名をもつ若手文化人で、語り手は彼と同棲している女性である。

 この小説を読んでいると、田中康夫の『なんとなくクリスタル』が想起され、蓮實重彦の『伯爵夫人』と似た印象もわいてくる。過剰な同時代セレブ風俗とネット・ジャーゴンで読者を辟易させ、かつ達者なあざとさを感じてしまうのである。先入観のせいもあるだろうが、社会学者の頭脳が生み出した小説との印象が強く残る。

 主人公が29歳になった平成30年から平成が終わり新元号になる平成31年5月までの話だが、そこに描かれている日本は現実とは少しズレた異世界で、安楽死が公認されている。年間死者137万人のうちの一割強の15万人が安楽死で、かつては3万人を超えていた自殺者は数千人に激減した…そんな世界である。興味深い舞台設定だと思う。

 退位という形で自らの終焉を決めた平成という時代を安楽死とからめているのがこの小説のミソである。視力が失われていく病気や、瀕死の病をかかえた「ミライ」という名の猫も登場する。手がかりの多い小説である。

 社会学者とは、この世界のさまざまに事象や表現を解読して社会の姿や変容を明解な形で提示する人だと思う。読み解く立場の人が、読み解かれるべきテキストを提示しているのが『平成くん、さようなら』である。

 この小説を読んでいると、かつての旧石器捏造事件を思い出した。発掘調査に携わっていた研究家が事前に石器を埋設していた事件である。

 この小説は面白いとは思うが、見え見えの仕掛けを楽しめるか否かが評価の分かれるところだ。芥川賞の選考会は明日(2019年1月16日)である。他の候補作を読んでいないので何とも言えないが、本作が「平成最後の」受賞作になる可能性は50パーセント以下だと私は思う。

『独楽の科学』で「全日本製造業コマ大戦」を知り感動2019年01月17日

『独楽の科学:回転する物体はなぜ倒れないのか』(山崎詩郎/ブルーバックス/講談社)
 先月(昨年だ)中旬、歯医者の待合室で手にした『週刊文春』の「私の読書日記」で池澤夏樹氏が『独楽の科学』『ジャイロモノレール』を取り上げていた。記事を読み終えないうちに診療の順番が来た。気がかりな印象が宙づりのように残ったが、『ジャイロモノレール』は昨年末に入手して読んだ。そして、その読後記憶が何とか残っているうちにもう一冊も読むことができた。

 『独楽の科学:回転する物体はなぜ倒れないのか』(山崎詩郎/ブルーバックス/講談社)

 本書の導入部はコマの回転に関する力学的な解説で、たまにこういう文章を読むと頭の整理整頓をしている心地がする。

 だが、本書で俄然面白いのは「全日本製造業コマ大戦」の記録である。本書を読むまで、こんな世界があるとは知らなかった。2つのコマを土俵の上に投げ、相手を場外に飛ばすか、相手より長く回っていれば勝ちという対戦で、コマには直径2センチ以下、高さ6センチ以下という制約がある。

 この単純な対戦のために多くの製造業が技術の粹を集めて精密で奇抜なコマを開発しているそうだ。ネットで検索すると「コマ大戦」の動画がいくつかあり、試合の様子がよくわかる。

 著者の物理学的な解説のはじめの方を読んでいると理想的な最強のコマが自ずから決まるように思えてくる。ところがそんな単純な話ではなく、「戦うコマ」はさまざまな工夫によって進化し続けているそうだ。下町製造業の力強さが感じられる意外な話にびっくりすると同時に感動した。

 私は人類の歴史の「進歩」にはいささか懐疑的になっているが、小さな手廻しコマの奥深さを知り、創意工夫を続ける人類に愛おしさを感じた。

中薗英助『榎本武揚シベリア外伝』は大風呂敷のミステリー小説2019年01月19日

『榎本武揚シベリア外伝』(中薗英助/文藝春秋)
 『榎本武揚シベリア日記』(講談社学術文庫)を読んだ後、ネット検索をしていて、次の小説の存在を知った。

 『榎本武揚シベリア外伝』(中薗英助/文藝春秋)

 中薗英助が榎本武揚を書いていると興味を抱き、ネット古書店で注文した。届いた本は2000年5月刊行の単行本で、意外と最近の本なので驚いた。私にとって中薗英助は遠い過去の作家のイメージだった。調べてみると、本書刊行時に著者は79歳、2年後2002年に81歳で亡くなっている。

 『榎本武揚シベリア外伝』は榎本武揚の『シベリア日記』を題材にしたミステリーで、史伝ではなく大風呂敷のフィクションである。

 この小説が出た当時、講談社学術文庫版『榎本武揚 シベリア日記』(2008.6)は刊行されていない。本書巻末の参考文献にある『シベリア日記』は昭和14年満鉄編の「非売品」であり、小説の登場人物が接するのもこの非売品や国会図書館所蔵の原本である。『榎本武揚 シベリア日記』読了直後の興味でこの小説を読み進めることができた私は、小説発行当時の読者にくらべてラッキーだと思う。

 小説の主要登場人物・鹿見は榎本の『シベリア日記』に関する論文で賞を受けたトラベル・ライターである。彼は『シベリア日記』の旅を辿るテレビ番組制作に協力するためシベリアへ赴くが消息不明になる。1980年代初頭、ゴルバチョウフ登場以前の話である。

 現代(1999年~2000年)、私(ソ連通の作家)は通信社外信部長が入手した鹿見の手記の真贋の検討を依頼される。その手記はソ連崩壊後のKGBから流出したものだった。

 『榎本武揚シベリア外伝』は二つの時間(「私」の時間と「鹿見の手記」の時間)が並行的に進行し、「鹿見の手記」の中では明治11年の榎本のシベリア横断だけでなくその後の日本人によるシベリア探査も語られている。時間が何層にも入り組んだ構造のミステリーになっている。

 この壮大なフィクションが、なぜ『シベリア日記』は公開されなかったのか、福沢諭吉の『痩我慢の説』の背景に何があったのか、などの謎解き仕立てているのに感心した。複雑で無理スジの展開もあり、万人向けエンタテインメントとは言い難いのが少々残念である。西徳二郎、大庭柯公、ムラヴィヨフ・アムールスキーなど私にとって未知だった人物に関する知見を得たのは収穫だった。

「国立劇場おきなわ」に行った2019年01月30日

 「国立劇場」と名付けられた劇場は半蔵門の国立劇場、初台の新国立劇場の他に「国立劇場おきなわ」がある。前二者では何度か観劇しているが「国立劇場おきなわ」には行ったことがなかった。
 
 この数年、年間30日ほどは沖縄で過ごしているのて、沖縄の国立劇場にも行ってみたいと思いつつ、その機会がなかった。公演日が少なく、滞在中に適当な演し物に出会えないのである。

 だが、やっと私の滞在日と公演日が重なり「国立劇場おきなわ」で「絃への誘い」という催し物を観た(1月26日)。演目に惹かれたというよりは劇場を見たかったのである。

 「国立劇場おきなわ」はバス停から徒歩10分というやや不便な場所にある。駐車場は広い。沖縄は車社会だからこれでいいのかもしれない。建物は予想通りに立派である。半蔵門の国立劇場と同じように大劇場と小劇場があり、今回の催しは大劇場での上演だ。

 「絃への誘い」は第一部が琉球古典音楽、第二部が地歌・津軽三味線で、いずれも私にとっては馴染みのないものだったが十分に楽しめた。

 琉球古典音楽は三線の演奏と歌で、芝居を組み合わせた歌舞伎風の演目もあった。字幕が表示されるので内容は何とかわかる。地歌と津軽三味線はもちろん沖縄のものではないが、それぞれに通底するものを感じ、琉球の文化は独自でありながらも日本と同じルーツをもっていると思えた。

 「国立劇場おきなわ」は琉球の歌舞劇「組踊(くみうどぅい)」を継承していくために作られたそうだ。次はこの劇場で組踊を観たい。