話題の『応仁の乱』をやっと読了2018年01月05日

『応仁の乱』(呉座勇一/中公新書)
◎若い頃を思い出す見栄読書

 硬い内容の新書なのにベストセラーになって注目を集めていた『応仁の乱:戦国時代を生んだ大乱』(呉座勇一/中公新書)をこの年末に読んだ。発行は一昨年(2016年)の10月、話題につられて購入したのは昨年の春頃。なかなか読む気になれず積んだままだった。

 昨年末、同世代の友人4人での忘年会でこの本が話題になり、私だけが読んでいないことが判明し、少々あせった。それが年末になって本書を読んだ動機である。

 そんな動機の見栄読書は久々の体験だ。私たちの学生時代には動機不純な背伸びした見栄読書が多かったと思う。歯が立たない本にまで見栄で手を出すのである。バカげたことではあるが、そんな読書でもいくぶんかは本当の興味にもつながることもあり、多少の効用はあったと思う。本の売れ行きにも幾分かは貢献したかもしれない。ひるがえって、本が売れない時代の現代の若者たちは……

 などと定番の年寄りの繰言を語りたくなったが、本書の著者は私の息子と同い年(1980年生まれ)と気づき、年月の流れを感じるとともに若い学者の活躍に感服した。繰言からは何も生まれない。

◎ウォーミングアップして読み始める

 閑話休題。私は日本史では現代日本と地続きで考察できる幕末維新に最も関心があり、中世への興味は高くない。本書をパラパラとめくると馴染みの薄い固有名詞が頻出している。本書をなかなか読み始める気になれなかった由縁である。

 読む前に、まずは『もういちど読む山川日本史』で高校日本史レベルの応仁の乱を復習し、本書に取りかかった。出だしはなかなか面白い。若い学者が現在の研究成果に基づいて従来の見解の見直しを展開している趣で興味深い。応仁の乱を目撃した二人の興福寺の高僧(経覚、尋尊)の日記をベースに記述するというスタイルも臨場感があっていい。興福寺の人事などはまったく未知の世界の話なので勉強になる。

◎尺取虫のような読書

 興味深く読み始めたのだが、次第にわかりにくくなっていく。多くの人名が出てきて争闘、提携、寝返り、和解、赦免などをくり返すので、うかうか読んでいるとわけがわからなくなる。ゴチャゴチャした話を読んでいると頭が朦朧としてきて眠くなる。あきらめて読書姿勢のまま眠気に身をゆだねて居眠りする。しばらくして寝覚め、頭が多少スッキリしたら数ページ戻って、読書を再開する。本書の前半部分はそんな尺取虫のような遅々とした読書のくり返しだった。

 半醒半睡の状態でうつらうつらと本書の内容を反芻していると、本書の登場人物の武将たちも、寝覚めの夢うつつの状態では、現在の自分の状況が不分明になり、只今現在の味方が誰で敵が誰なのか混乱することがあったのではなかろうかなどと、いらぬ心配をした。

◎やはり面白かった

 居眠りを繰り返しながら半分ぐらい読むと登場人物たちの関係がある程度は頭に入って読みやすくなり、後半は興味深く読み進めることができた。

 本書を読了して、応仁の乱における人間模様の変転にあきれると共にその複雑さを知った。本書には同時代人のミクロの目で歴史の眺める面白さと、後世の目で歴史の趨勢を俯瞰する面白さの両方があり、そのかねあいがいい。固有名詞を整理したうえで再読したくなる。読みやすい本ではないにもかかわらずベストセラーになった理由が少しわかった気がした。

 さほど関心のなかった日本中世の歴史を読み、どの国のどの時代の歴史変動であっても、それを詳細に考察すればそれなりに面白く、そこからさまざまな興味深い知見をくみとることができるという、当然のことを再認識した。