網野義彦の『蒙古襲来』を読んだ2018年01月14日

『蒙古襲来』〔日本の歴史10〕(網野善彦/小学館)
◎飛礫の話からはじまる

 網野義彦の『無縁・公界・楽』に続いて『蒙古襲来』を読んだ。1970年代に刊行された小学館版『日本の歴史』(全32巻)の第10巻で、数年前に著者名に惹かれて古書で入手した。

 一般向けの概説書叢書の一巻だからさほど読みにくくはなかろうと思った。冒頭のタイトルは「飛礫・博奕・道祖神 ― はじめに」とユニークで少々面食らう。この「はじめに」には「蒙古襲来」への言及はなく、当時の社会の様相を飛礫・博奕・道祖神という三つのキーワードで描いている。この部分が面白くて引き込まれた。飛礫に関連して次のような記述もある。

 「最近、日本のみならず、世界の各地の街頭でしばしば飛びかう飛礫は、しばらくおこう。」

 本書刊行は1974年9月20日、学園闘争はすでに下火になっていた。とは言え、歩道の敷石がはがされ投石がくり返されていた日々の記憶が鮮明な時代だったのだ。

 時代を感じさせる脱線気味のつぶやきも楽しめる本書は、1978年刊行の『無縁・公界・楽』の4年前の著作で、その後、小学館ライブラリーや小学館文庫でも刊行されている。

 『応仁の乱』(中公新書)を執筆した若手歴史学者・呉座勇一氏は、次のように述べている。

 「網野善彦の本というと、圧倒的に『無縁・公界・楽』が有名だろう。しかし、日本中世史学界においては、『無縁・公界・楽』よりも『蒙古襲来』の方か高い評価を得ているのである」(『現代思想』2014年2月臨時増刊号)


◎転換する100年の社会史

 小学館ライブラリーや小学館文庫の『蒙古襲来』には「転換する社会」というサブタイトルが付いている。そのサブタイトルにふさわしい内容の本である。蒙古襲来の文永の役(1274年)、弘安の役(1281年)をはさんだ前後約100年、言い換えれば鎌倉幕府滅亡(1333年)までの約100年の政治の動きと社会の転換を描いている。

 冒頭4分の1ぐらいは13世紀前半の日本の政治と社会の話だ。その後、舞台が鎌倉や京都から急にゴビ砂漠に転換し「そうか、本書は蒙古襲来の本であった」と思い出した。

 続いて文永の役、弘安の役が語られる。2度の蒙古襲来が終わっても本書はまだ半分あたり、後半は蒙古襲来から鎌倉幕府滅亡までの話になる。もちろん、後半は蒙古襲来と無関係ではない。事後処理もあるし、予想される3度目の襲来への備えも必要だ。とは言え蒙古は遠景になる。

 本書の扱う100年の時間から見れば文永の役、弘安の役は短期間の出来事であり、「蒙古襲来」だけを描いているわけではない。しかし、この時代に日本という島国が洋の東西にまたがる広大な蒙古帝国を通して世界史の一端に登場する一種のロマンを感じた。

◎花園天皇が面白い

 本書の眼目は海の民、山の民、手工業者、傀儡子、遊女、博打打などの非農民への着目にある。鎌倉幕府滅亡にいたる1世紀の社会の転換を「農民と非農民」の様相や評価の変転としてとらえる視点は面白いし魅力的だ。

 非農民と天皇との結びつきの指摘も興味深い。本書で花園天皇という人を知り、面白い人だと感じた。「謹直の権化のような花園天皇も白拍子の芸を楽しみ、猿曳の芸能に興じ、『東北院職人歌合』の筆者にすら擬せられているのである」という記述もある。ネットで『東北院職人歌合』を検索して「医師、鍛冶、刀磨(とぎ)、巫女、海人、陰陽師、番匠、鋳物師、博打、賈人」の10人の職人が描かれた絵巻物を見ることができた。

 この花園天皇がハラハラしながら見ていた若き皇太子が後の後醍醐天皇であり、「非農民」の力を使って挙兵し幕府滅亡のきっかけを作る。ダイナミックで面白い時代だったと思えてくる。