話題の『応仁の乱』をやっと読了2018年01月05日

『応仁の乱』(呉座勇一/中公新書)
◎若い頃を思い出す見栄読書

 硬い内容の新書なのにベストセラーになって注目を集めていた『応仁の乱:戦国時代を生んだ大乱』(呉座勇一/中公新書)をこの年末に読んだ。発行は一昨年(2016年)の10月、話題につられて購入したのは昨年の春頃。なかなか読む気になれず積んだままだった。

 昨年末、同世代の友人4人での忘年会でこの本が話題になり、私だけが読んでいないことが判明し、少々あせった。それが年末になって本書を読んだ動機である。

 そんな動機の見栄読書は久々の体験だ。私たちの学生時代には動機不純な背伸びした見栄読書が多かったと思う。歯が立たない本にまで見栄で手を出すのである。バカげたことではあるが、そんな読書でもいくぶんかは本当の興味にもつながることもあり、多少の効用はあったと思う。本の売れ行きにも幾分かは貢献したかもしれない。ひるがえって、本が売れない時代の現代の若者たちは……

 などと定番の年寄りの繰言を語りたくなったが、本書の著者は私の息子と同い年(1980年生まれ)と気づき、年月の流れを感じるとともに若い学者の活躍に感服した。繰言からは何も生まれない。

◎ウォーミングアップして読み始める

 閑話休題。私は日本史では現代日本と地続きで考察できる幕末維新に最も関心があり、中世への興味は高くない。本書をパラパラとめくると馴染みの薄い固有名詞が頻出している。本書をなかなか読み始める気になれなかった由縁である。

 読む前に、まずは『もういちど読む山川日本史』で高校日本史レベルの応仁の乱を復習し、本書に取りかかった。出だしはなかなか面白い。若い学者が現在の研究成果に基づいて従来の見解の見直しを展開している趣で興味深い。応仁の乱を目撃した二人の興福寺の高僧(経覚、尋尊)の日記をベースに記述するというスタイルも臨場感があっていい。興福寺の人事などはまったく未知の世界の話なので勉強になる。

◎尺取虫のような読書

 興味深く読み始めたのだが、次第にわかりにくくなっていく。多くの人名が出てきて争闘、提携、寝返り、和解、赦免などをくり返すので、うかうか読んでいるとわけがわからなくなる。ゴチャゴチャした話を読んでいると頭が朦朧としてきて眠くなる。あきらめて読書姿勢のまま眠気に身をゆだねて居眠りする。しばらくして寝覚め、頭が多少スッキリしたら数ページ戻って、読書を再開する。本書の前半部分はそんな尺取虫のような遅々とした読書のくり返しだった。

 半醒半睡の状態でうつらうつらと本書の内容を反芻していると、本書の登場人物の武将たちも、寝覚めの夢うつつの状態では、現在の自分の状況が不分明になり、只今現在の味方が誰で敵が誰なのか混乱することがあったのではなかろうかなどと、いらぬ心配をした。

◎やはり面白かった

 居眠りを繰り返しながら半分ぐらい読むと登場人物たちの関係がある程度は頭に入って読みやすくなり、後半は興味深く読み進めることができた。

 本書を読了して、応仁の乱における人間模様の変転にあきれると共にその複雑さを知った。本書には同時代人のミクロの目で歴史の眺める面白さと、後世の目で歴史の趨勢を俯瞰する面白さの両方があり、そのかねあいがいい。固有名詞を整理したうえで再読したくなる。読みやすい本ではないにもかかわらずベストセラーになった理由が少しわかった気がした。

 さほど関心のなかった日本中世の歴史を読み、どの国のどの時代の歴史変動であっても、それを詳細に考察すればそれなりに面白く、そこからさまざまな興味深い知見をくみとることができるという、当然のことを再認識した。

網野善彦の『無縁・公界・楽』は面白くて刺激的2018年01月08日

『[増補]無縁・公界・楽:日本中世の自由と平和』(網野善彦/平凡社ライブラリー)
 年末に『応仁の乱』(呉座勇一/中公新書)を読んで頭の中が少し日本中世モードになったのを機に、かねてから気になっていた次の本を読んだ。

 『[増補]無縁・公界・楽:日本中世の自由と平和』(網野善彦/平凡社ライブラリー)

 網野善彦の代表作で、初版は1978年、増補版が1987年、私が読んだ平凡社ライブラリー版が刊行されたのが1996年である。

 網野善彦の高名は以前から知っていたが、まとまった著作を読むのは数年前の『日本の歴史をよみなおす』(ちくま学芸文庫)に次いで2冊目にすぎない。『日本の歴史をよみなおす』は非農民や海洋に着目したとても面白い本で、網野善彦史観の概要を把握できた気分になっていた。『無縁・公界・楽』を読了して、その気分は浅薄な早やとちりだったと感じた。

 学術書に近いと思っていた『無縁・公界・楽』は想像していた以上にパッションの書だった。洋の東西から人類史までも視野に入れたスケールの大きさに驚いた。素人目にもかなり強引で大胆な論旨が展開されていて、確かに面白い。ひろげた「風呂敷」がうまく結ばれているかどうかはわからないが刺激的な内容だ。話題の書となり物議をかもしたのもよくわかる。

 「増補版」の約三分の一が初版の後に書き加えられた「補注」「補論」で、その多くは初版への批判に対する反論であり、この部分も面白い。門外漢の私が批判や反論の当否を判断することはできないが、辛辣な批判で指摘された事項をある程度は受け容れつつも見解の主旨を貫徹する著者の情熱に感服した。

 学問において信念と認識は別物であり、思い込みによって事実を変えることはできないだろう。だが、情熱がなければ歴史解釈の追求はできないとも思う。

 私が、それと知らずに網野善彦の文章に初めて接したのは1986年4月、『週刊朝日百科 日本の歴史(第1号)』を手にした時だった。当時、朝日新聞出版局は立て続けに週刊の大判百科を刊行していて、1986年4月からのテーマは「日本歴史」。図解の日本史百科に食指は動かなかったが、「(第1号)源氏と平氏」を手にし、その内容が高校日本史などで習った内容とは全く切り口の異なるユニークなものだと気づき、その魅力に惹かれて全133冊の購読を決めた。

 この「(第1号)源氏と平氏」の責任編集が網野善彦・石井進で、巻頭の「アジアと海の舞台を背景に」の執筆者が網野善彦だった。網野善彦はその他にも「(第3号)遊女・傀儡・白拍子」「(第6号)海民と遍歴する人びと」「(第12号)後醍醐と尊氏」「(第19号)庭」「(第28号)楽市と駆込寺<アジールの内と外>」「(第51号)税・交易・貨幣」などの責任編集をしている。私が「アジール」と言う言葉を知ったのもこの週刊百科によってだと思う。

 『週刊朝日百科 日本の歴史』が出た頃、すでに『無縁・公界・楽』は刊行されていて、網野善彦は話題の歴史学者だったはずだ。私がその名を認識したのは後年になってからだが、名前を認識する前からその魅力は感じていた。

 そんな記憶をたどれるのは、『週刊朝日百科 日本の歴史』全133冊を私自身が合本製本して今も手元に保存しているからだ。「製本」は私の趣味の一つである。

映画『オリエント急行殺人事件』を観て数十年ぶりに原作再読2018年01月10日

 公開中の映画『オリエント急行殺人事件』を観た。

 原作を読んだのは数十年前だ。高名な推理小説なので犯人を知っている人も多いだろうが、私は何も知らずに読み、犯人解明のシーンで大きな衝撃を受けた。中学生の頃からシャーロック・ホームズのファンだったが、この小説によって本格ミステリーの醍醐味を知った。無垢な状態で本作の謎解きの快感を味わえたのは稀有な体験だった。

 映画『オリエント急行殺人事件』を観ようと思ったのは、イスタンブールからフランスのカレーに向かう列車の旅への憧れがあり、犯人がわかっていても謎解きの面白さを十分に味わえると思ったからだ。

 映画は私の期待に応える映像だった。驀進する列車は迫力があるし、列車の内部の雰囲気もいい。いつの日かこんな列車の旅をしてみたいと夢想する。原作では積雪で停車する列車が映画では脱線してしまうのには驚いた。

 映画向けに脚色していると思われるシーンもあったが、おおむね原作に忠実な内容だと思え、十分に楽しめた。ただし、終盤のポアロの印象が重すぎて多少の違和感があった。原作はもっと軽い感じだったと思えた。

 そんな気分から、映画を観た後に原作を再読した。数十年ぶりのミステリー再読は、ある意味では贅沢な至福の時間だ。犯人を推測する必要がないので、物語の細部への関心がわいてくる。地図帳で登場する地名を確認しながら読み進めた。

 映画の冒頭シーンはエルサレムで、ポワロはそこからオリエント急行起点のイスタンブールまで船旅をする。原作では、冒頭はトルコのアッポレだった。ポワロはそこからイスタンブールまで列車の長旅をしている。オリエント急行に乗る前に、すでにポワロは列車の長旅に倦んでいたと思えるのは再読での再発見だった。

 再読では、オリエント急行が雪で停車した場所への関心もわいた。原作ではユーゴスラビアとなっていて、現在のクロアチアだ。今はなき国名に接し、時代背景も気になった。明示はされていないが、小説発表当時の同時代、第一次大戦と第二次大戦の間の時代のようだ。興味深い時代だと感じたのは再読の成果だ。

 そして、この物語の終盤における原作のポアロは映画ほど重くないと確認できた。映画のポワロは殺されたジョニー・ディップへの配慮があったのだろうか。原作のポワロの方が映画より早い時点で事件の全貌を見抜いているようにも思える。ポワロ像は映画より原作の方がいいと私は思う。

 また、原作では「一人の女優」の印象が強く、そこに面白さがあるのに、映画ではさほどではない。これは名優たちを集めた映画の宿命で、あえて「一人の女優」をフレームアップするのが難しかったのかもしれない。

 名優を集めるのに適した『オリエント急行殺人事件』でも、名優すべてを活かして映画を面白くするのは難しい。

網野義彦の『蒙古襲来』を読んだ2018年01月14日

『蒙古襲来』〔日本の歴史10〕(網野善彦/小学館)
◎飛礫の話からはじまる

 網野義彦の『無縁・公界・楽』に続いて『蒙古襲来』を読んだ。1970年代に刊行された小学館版『日本の歴史』(全32巻)の第10巻で、数年前に著者名に惹かれて古書で入手した。

 一般向けの概説書叢書の一巻だからさほど読みにくくはなかろうと思った。冒頭のタイトルは「飛礫・博奕・道祖神 ― はじめに」とユニークで少々面食らう。この「はじめに」には「蒙古襲来」への言及はなく、当時の社会の様相を飛礫・博奕・道祖神という三つのキーワードで描いている。この部分が面白くて引き込まれた。飛礫に関連して次のような記述もある。

 「最近、日本のみならず、世界の各地の街頭でしばしば飛びかう飛礫は、しばらくおこう。」

 本書刊行は1974年9月20日、学園闘争はすでに下火になっていた。とは言え、歩道の敷石がはがされ投石がくり返されていた日々の記憶が鮮明な時代だったのだ。

 時代を感じさせる脱線気味のつぶやきも楽しめる本書は、1978年刊行の『無縁・公界・楽』の4年前の著作で、その後、小学館ライブラリーや小学館文庫でも刊行されている。

 『応仁の乱』(中公新書)を執筆した若手歴史学者・呉座勇一氏は、次のように述べている。

 「網野善彦の本というと、圧倒的に『無縁・公界・楽』が有名だろう。しかし、日本中世史学界においては、『無縁・公界・楽』よりも『蒙古襲来』の方か高い評価を得ているのである」(『現代思想』2014年2月臨時増刊号)


◎転換する100年の社会史

 小学館ライブラリーや小学館文庫の『蒙古襲来』には「転換する社会」というサブタイトルが付いている。そのサブタイトルにふさわしい内容の本である。蒙古襲来の文永の役(1274年)、弘安の役(1281年)をはさんだ前後約100年、言い換えれば鎌倉幕府滅亡(1333年)までの約100年の政治の動きと社会の転換を描いている。

 冒頭4分の1ぐらいは13世紀前半の日本の政治と社会の話だ。その後、舞台が鎌倉や京都から急にゴビ砂漠に転換し「そうか、本書は蒙古襲来の本であった」と思い出した。

 続いて文永の役、弘安の役が語られる。2度の蒙古襲来が終わっても本書はまだ半分あたり、後半は蒙古襲来から鎌倉幕府滅亡までの話になる。もちろん、後半は蒙古襲来と無関係ではない。事後処理もあるし、予想される3度目の襲来への備えも必要だ。とは言え蒙古は遠景になる。

 本書の扱う100年の時間から見れば文永の役、弘安の役は短期間の出来事であり、「蒙古襲来」だけを描いているわけではない。しかし、この時代に日本という島国が洋の東西にまたがる広大な蒙古帝国を通して世界史の一端に登場する一種のロマンを感じた。

◎花園天皇が面白い

 本書の眼目は海の民、山の民、手工業者、傀儡子、遊女、博打打などの非農民への着目にある。鎌倉幕府滅亡にいたる1世紀の社会の転換を「農民と非農民」の様相や評価の変転としてとらえる視点は面白いし魅力的だ。

 非農民と天皇との結びつきの指摘も興味深い。本書で花園天皇という人を知り、面白い人だと感じた。「謹直の権化のような花園天皇も白拍子の芸を楽しみ、猿曳の芸能に興じ、『東北院職人歌合』の筆者にすら擬せられているのである」という記述もある。ネットで『東北院職人歌合』を検索して「医師、鍛冶、刀磨(とぎ)、巫女、海人、陰陽師、番匠、鋳物師、博打、賈人」の10人の職人が描かれた絵巻物を見ることができた。

 この花園天皇がハラハラしながら見ていた若き皇太子が後の後醍醐天皇であり、「非農民」の力を使って挙兵し幕府滅亡のきっかけを作る。ダイナミックで面白い時代だったと思えてくる。

新たな『近松心中物語』で時代の移ろいを感じる2018年01月15日

 新国立中劇場で上演中の『近松心中物語』(演出:いのうえひでのり、出演:堤真一、宮沢りえ、池田成志、小池栄子)を観た。

 近松門左衛門の浄瑠璃をベースに秋元松代が蜷川幸雄のために書き下ろした蜷川演劇の代表作の一つだ。私は蜷川幸雄演出のこの舞台を観たことはない。テレビ画面で1981年上演(主演:平幹二郎、太地喜和子)の録画を観たことがあるだけだ。

 新たな演出による今回の芝居は当然ながら蜷川演出とは異なっている。舞台美術も刷新されている。格子を組み合わせた立体構造を無数の赤い風車で飾り、それを前後左右に動かしながら回り舞台も駆使するあでやかな舞台は蜷川の世界を彷彿させる。華やかでシンプルな大仕掛けに新しさを感じた。

 堤真一、宮沢りえが平幹二郎、太地喜和子ほどに重厚でないのは、時代の変遷の反映だろう。『冥途の飛脚』をベースにしたこの作品は、心中に至る緊張感を表現すると同時に心中を批判的に相対化する視点も組み込まれている。だから、重ければいいというだけの芝居でもない。今回の舞台でそう感じた。

 蜷川演出と大きく異なっているのは、随所に効果的に挿入されていた森進一の演歌がなくなっている点だ。この芝居のために作られた『それは恋』(作詞:秋元松代、作曲:猪俣公章)を浄瑠璃の代わりに森進一が嫋嫋と歌い上げて場面を盛り上げるのはこの芝居の肝だった。そこには何とも言えない心地よさがあった。

 今回の舞台では、そんな演歌で盛り上げる仕掛けがなくなっていた。パンフレットに「イメージソング:石川さゆり」とあったので森進一の代わりに石川さゆりの演歌で盛り上げるのかと思っていたが、そのイメージソングが流れたのはカーテンコールの後だった。歌謡曲は昭和の文化だったという説がある。平成も終わろうとしている時代の舞台に昭和歌謡を流すのはあまりにアナクロで、パロディになってしまうのかもしれない。

 時代の移り変わりを感じる舞台であった。

目から鱗の『蒙古襲来と神風』(服部英雄/中公新書)2018年01月17日

『蒙古襲来と神風:中世の対外戦争の真実』(服部英雄/中公新書)
 網野善彦の『蒙古襲来』を読んだせいで、本屋の新書売り場に積まれていた次の本が目に止まった。昨年(2017年)11月25日発行で、著者は1949年生まれの歴史学者だ。

 『蒙古襲来と神風:中世の対外戦争の真実』(服部英雄/中公新書)

 この本、非情に面白かった。蒙古襲来に関する通説・定説を否定した本で、目から鱗が落ちる気分を味わった。

 専門家向けの論文に近い細かな議論が多く、それを門外漢の私が評価できるわけではない。だが論旨は説得的で、私は著者の主張に納得してしまった。

 本書は「神風」(=台風)が蒙古を撃退したという通説を否定し、「神風」という幻想が太平洋戦争における特攻隊にまで影響及ぼしたことを痛切に批判している。

 蒙古襲来とは文永の役(1274年)と弘安の役(1281年)の2回であり、私が子供の頃から抱いていたイメージは「2回とも蒙古軍は台風で大きな被害を受けて撤退し、当時の人はこの台風を神風と呼んだ」といったものだ。

 現代の歴史学者たちは、台風が蒙古を撤退させたという単純な見方をしているわけではない。『もういちど読む山川日本史』(山川出版社/2009年)では、文永の役は暴風雨とは関連づけられていないし、弘安の役における大暴風雨を撤退の大きな要因としつつも別の要因もあげている。網野善彦の『蒙古襲来』(1974年)も似たような見解だ。

 とは言え、暴風雨(=台風)にかなりのウエイトをおいているのは確かだし、私を含めて一般の人間の多くは「蒙古襲来=台風」のイメージを強くもっている。

 服部英雄氏は弘安の役で台風が襲来した事実を認めたうえで、史料の検討をふまえて、暴風雨の後も戦争が継続し、実際に参戦した武士たちは「神風が蒙古軍を撤退させた」などとは考えてもいなかったはずだと指摘している。

 にもかかわらず「神風」が強調されたのは、戦場から離れた場所(京都や鎌倉)で蒙古退散を祈祷していた公家や寺社が自分たちの祈祷の効果の喧伝に暴風雨(=神風)を大いに利用したからである。また、撤退した蒙古・高麗側も言い訳に暴風雨を強調した記録を残している。わかりやすい話だ。それが現在の私たちにまで何等かの影響を与えているのだ。

 本書の眼目は「神風史観」を否定するという単純な点にあるのではなく、蒙古襲来の史料を再検討し、通説・定説をひとつずつ丁寧にくつがえしている点にある。

 蒙古襲来に関しては東京帝国大学教授・池内宏の『元寇の新研究』(1931年)が不動の定説とされ、次々に孫引きされてきたそうだ。著者は次のように批判している。

 「歴史学研究者はこの戦前の著書を自ら熟読し、引用された史料類を再検討するという作業はしておらず、ただただ引用をくりかえした。思考停止のままの拡散である。」

 私の知らない世界の話なので著者の見解の当否は判断できない。当たっているとすれば80年間の思考停止だ。驚くしかない。

既死者になった西部邁の自伝を読み返した2018年01月26日

『ソシオ・エコノミクス』(西部邁/中央公論社/1975.10.30)、『寓喩としての人生』(西部邁/徳間書店/1998.6.30)
 先日(1月21日)、西部邁が78歳で自死した。このニュースに接し、江藤淳の自死を想起した。妻に先立たれ自身の健康の衰えを自覚した保守派論客の自死に共通点を感じたのだ。だが、続報記事や過去の著作に目を通し、江藤淳のケースとは異なると思えてきた。

 私は西部邁の考え方に共鳴しているわけではないがファンだった時期がある。この人の名を知ったのは1975年の処女出版『ソシオ・エコノミクス』(中央公論社)を書店の店頭で手にした時だから、かなり昔だ。この本に出会った話は過去のブログ(唐牛健太郎の伝記の感想)に書いた。

 その後、西部邁はテレビに出演する論客になり多くの著書を世に出した。私は初期の5~6冊に目を通した。どれも、やや粘着質ながら論理的かつ浪漫的で陶酔的でもあるニシベ節とも言うべき独特な魅力の本だった。

 訃報に接し、『ソシオ・エコノミクス』をパラパラとめくり返し、『寓喩としての人生』(徳間書店/1998年6月)を読み返した。

 40年前には難解に感じた『ソシオ・エコノミクス』は、やや晦渋ではあるものの、現在の目から見ると意外にわかりやすい。経済学批判をベースに社会学やラディカル・エコノミクスクスを中心に社会科学の全体性の構築を目指す「稚気」にも近い初々しさを感じる。

 『寓喩としての人生』は59歳の時点で綴った自伝で抜群に面白い。著者の人生が興味深いのは確かだが、その人生のあれこれに関する「語り」に引き込まれる。ニシベ節全開である。歴史意識を語るなかで過去・現在・未来の人間を指す「既死者」「未死者」「未生者」という独特の言葉が出てくるのも興味深い。寓喩という言葉でゴチャゴチャと自伝執筆の言い訳をするのも愛嬌のある説得的な芸になっている。

 「未死者」から「既死者」へ移行してしまった西部邁は、その10日前のインタビューで「近年繰り返していた自らの自殺の話」をし、「数週間後には自分は生きていない」と語っていたそうだ。20年前の『寓喩としての人生』には次のような一節もある。

 「安楽死とか尊厳死とかいったような形容は私の最も嫌うところだ。それらは人間礼賛の成れの果ての表現にすぎない。あえていえば、単純死としての自殺、それが理想の死に方だとすべきではないのか。」

 西部邁の自死は江藤淳ではなく三島由紀夫の自死に近かったのかもしれない。

中公版『日本の歴史8 蒙古襲来』(黒田俊雄)も面白かった2018年01月27日

『日本の歴史8 蒙古襲来』(黒田俊雄/中央公論社)
 『蒙古襲来』(網野善彦)、『蒙古襲来と神風』(服部英雄)を読んだ余波で中公版『日本の歴史』の蒙古襲来の巻も読んだ。

 『日本の歴史8 蒙古襲来』(黒田俊雄/中央公論社)

 小学館版『日本の歴史』の『蒙古襲来』(網野善彦)の刊行は1974年9月、本書はそれからさらに9年前の1965年9月刊行だ。

 本書を読もうと思ったのは、せっかく読んだ蒙古襲来前後の歴史知識を多少なりとも定着できればと考えたこともあるが、服部英雄氏が近著『蒙古襲来と神風』で批判した「通説・定説を無批判に孫引きしてきた概説書」に本書が該当するかどうかを確認したいと思ったからだ。

 結論から言うと、服部英雄氏の批判に該当する通説・定説の踏襲が多いのは確かだった。だが「神風」を持ち上げているわけではなく、カッコつきの「神国日本」という1章をたてて、神風神話の成立を検証している。武士の記録に「神風」が登場しないのは、当時の武士にはまだ「国家」という意識が芽生えていなかったからだとしているのは面白い見解だ。

 本書の著者の黒田俊雄氏は戦後の多くの歴史研究者と同様にマルキシズムの学者だから「神風史観」には批判的である。

 服部英雄氏が定説・通説の元凶とした『元寇の新研究』(池内宏/1931年)が本書の元になっているのは確かだ。黒田俊雄氏は池内宏氏をリスペクトし、付録の月報の対談(相手は村松剛氏)で次のように述べている。

 「池内さんがなされたような仕事が戦前ちゃんとあるのに、ほとんど一般に知られていないということは残念だと思いますね。池内さんの仕事はいまの東洋史の水準から見ると足りないところがあるそうですけれども、しかし、元寇をモンゴル・高麗の側から見ようとした画期的な試みを、専門の学者の枠内にとじこめておいて、一般の人の知識にさせなかったことは残念だと思います。」

 50年以上前は、そんな状況だったようだ。

 本書には『八幡愚童記』からの引用も多い。服部英雄氏が「八幡神がいかに偉大な神であるか、それを愚かな童に諭すための宣伝書で、史料的価値は疑わしい」としている史料である。そんな史料を何度も引用して「史実」を記述している。しかし、後段になると「神風」の神威を説く霊験譚が『八幡愚童記』だとも述べている。史料として活用しながらも、宣伝書と批判しているのだ。

 これは、黒田俊雄氏が不見識なのではなく、そういう歴史記述を楽しんでいるのだと思う。というのは、『太平記』も似たような扱いをしているからだ。『太平記』を「文芸作品」「講釈師の元祖」と決めつけたうえで、歴史記述の一環としてその内容を紹介している。そこに史実のいくぶんかは反映されていると考えているからだ。なかなかの芸である。

 実は、私は本書に面白さはあまり期待していなかった。網野義彦氏の『蒙古襲来』ほどに面白くはないフツーの概説書だろうと思っていた。だが、黒田俊雄氏の『蒙古襲来』には網野義彦氏の同名書と甲乙つけがたい面白さがあった。

 黒田俊雄氏の『蒙古襲来』は網野義彦氏と同様に鎌倉幕府滅亡にいたる政治・経済・宗教・社会の描写がメインで蒙古襲来は遠景になっている。史料による実例紹介がふんだんに盛り込まれているのが興味深い。著者の感慨や感想を交えた自由な筆致で歴史を記述しているのが面白い。最終章のラストを鎌倉で発掘された910体の人骨で締めくくっているのも印象的だ。

蒙古襲来の頃、マルコ・ポーロは元にいた2018年01月28日

『マルコ・ポーロ 東方見聞録』(月村辰雄・久保田勝訳/岩波書店)
 日本を「黄金の国」と紹介したマルコ・ポーロの『東方見聞録』の名は小学生の頃から知っていたが、その後の半世紀以上の人生で、この高名な書を読んでみたいと思ったことはなかった。にもかかわらず、先日読んでしまった。気まぐれ人生の一寸先は闇だ。

 『東方見聞録』を読む気になったのは、小学館版『日本の歴史』の『蒙古襲来』(網野善彦)と中公版『日本の歴史』の『蒙古襲来』(黒田俊雄)を続けて読み、その両方にマルコ・ポーロの『東方見聞録』に関する記述があったからだ。

 『東方見聞録』が元寇に言及していると知り、ギボンの『ローマ帝国衰亡史』を読んでいて元寇に関する記述に遭遇してささやかな感動を覚えた気分を思い出し、『東方見聞録』への興味がわいた。

 私が読んだのは次の版だ。

 『マルコ・ポーロ 東方見聞録』(月村辰雄・久保田勝訳/岩波書店)

 ヴェネツィアの商人マルコ・ポーロ(1254年~1324年)は17歳のとき父・叔父に連れられて東方へ旅立ち、元の大都(北京)でクビライ・カーンの行政官を務めたりして、41歳になって帰国する。文永の役(1274年)、弘安の役(1281年)の時代に東アジアに在住していた鎌倉時代末期の人である。

 『東方見聞録』は帰国後にルスティッケロという著述家がマルコ・ポーロの話を文章化したもので、当時は写本の時代なのでいろいろな版が伝えられている。私の読んだ岩波書店版は原本に近い版の翻訳だそうだ。

 マルコ・ポーロに関しては、元の大都まで行ってないとか、マルコ・ポーロは実在しないなどの見解もあり、『東方見聞録』には謎が多い。だが、この本がコロンブスをはじめ後の西洋人に多大な影響を与えたのは間違いない。

 本書には信じがたい奇跡や魔法の話も多く、かなり話を盛っている。マルコ・ポーロの個人的体験談や感想は少なく、情報を収集した地誌に近い。ユーラシア大陸全体からアフリカ東岸にいたるまでの数多くの地名が出てくるのには驚いた。訪問はしていないと明記しているのは日本とマダカスカルぐらいで、他の地域をすべて踏破しているとすれば大旅行である。

 マルコ・ポーロがビルマのパガンも訪れているのには感激した。私は遺跡群の町パガンに2回行ったことがあり、多くの寺院遺跡を残したパガン王朝が滅びたのが鎌倉時代末期だと聞いていた。だから、本書のパガンの件りは期待しながら読んだ。しかし、通り一遍の簡単な記述で終わっていた。がっかりである。

 『東方見聞録』全体を読んで、いちばん魅力的に見える地域は日本である。宮殿の屋根も床も純金で、大量の宝石(真珠のことらしい)を産すると書いてある。クビライ・カーンが日本征服を企てたのは、その富が目当てだったとある。本書を読んで日本を目指す冒険家が出てくるのは当然だと思える。

 元寇に関する記述は全般に史実離れしていて、ほとんどフィクションだ。また、次のような記述もある

 「この島(サパング=日本)の住民もインド(東南アジアのことか?)のすべての島々の住民も、敵を捕虜としてその身代金が支払われない時には、捕虜を捕まえた者は友人や親類を集め、皆で捕虜を殺し、その肉を焼いて食べてしまう。そして、これが世界で最高の味の肉だといっている。」

 日本人は人食い人種になっている。しかも、日本に関する記述の直前に前書きの形で「それらは驚くべき事柄であるが、嘘の一つも混じらぬ真実の話である」との念押しまである。常套句かもしれないが、これを信じた人も少なくはなかっただろう。

 いずれにしても『東方見聞録』は『驚異の書』と呼ばれるにふさわしい奇書だと確認できた。

唐十郎作『秘密の花園』観劇で己の記憶への不信が高まった2018年01月30日

 東京芸術劇場シアターイーストで上演中の唐十郎作品『秘密の花園』(演出:福原充則、出演:寺島しのぶ、柄本佑、田口トモロヲ、他)を観た。久しぶりに唐十郎の夢幻的迷宮世界の彷徨を堪能した。

 同時に、わが記憶の迷妄曖昧を思い知った。またもや記憶のねつ造を認識させられたのだ。

 私は1960年代後半から70年代にかけて唐十郎の芝居をかなり観ている。その大半は唐十郎ひきいる状況劇場の紅テントの芝居だが、他の演出家による一般劇場の舞台も観ている。蜷川幸雄演出、沢田研二主演の『滝の白糸』などは印象深い。

 だが、今回『秘密の花園』のチケットを購入したのは、懐かしき往年の芝居を再度観たいと思ったからではなく、この作品が未見だったからである。新聞記事で『秘密の花園』が本多劇場の柿落としで上演された芝居だとあるのを読んで変だなと思った。

 私は本多劇場の柿落としを観た記憶がはっきりあり、それは唐十郎作『下谷万年町物語』だった。だから、新聞記事は間違いだと思った。近ごろの若い記者はいいかげんだなとも思った。

 そんな気分で池袋の芸術劇場に赴き、初見のつもりで『秘密の花園』を観劇した。途中、かすかにデジャブを感じるシーンもあったが、唐十郎の舞台をいくつも観ているので似た印象の場面があるのは当然だと思った。

 終演後も初見気分は持続していたが、やがて、己の記憶への疑惑がわいてきた。自分はかつて『秘密の花園』を観ているのではないかとの思いが生じたのだ。ネットで検索してみると、確かに本多劇場の柿落としは『秘密の花園』だ。そして、今回、田口トモロヲが演じた役が清水紘治だったと知り、清水紘治がラジカセを担いで登場するシーンがありありと思い浮かんできた。私は『秘密の花園』の初演を観ていると確信せざる得なくなった。

 かつて見た芝居を再度観てもそれに気づかなかったのは、記憶の消滅であり、書籍や映画では日常的に発生する事象なので驚くにはあたらない。だが、今回の観劇は自分に確信があったぶんだけショックが大きかった。

 ネット検索で調べてみると『下谷万年町物語』は『秘密の花園』初演(1982年)の前年に西武劇場(後のパルコ劇場)で上演されている。記憶の中でこの二つが融合したようだ。まことにわが記憶はあてにならない。

 今回の観劇では寺島しのぶが往年の李礼仙にそっくりなのに驚いた。デジャブを感じた。だが『秘密の花園』初演の主役は李礼仙ではなく緑魔子だと判明し、わがデジャブがいささか混乱した。