中公版『日本の歴史8 蒙古襲来』(黒田俊雄)も面白かった2018年01月27日

『日本の歴史8 蒙古襲来』(黒田俊雄/中央公論社)
 『蒙古襲来』(網野善彦)、『蒙古襲来と神風』(服部英雄)を読んだ余波で中公版『日本の歴史』の蒙古襲来の巻も読んだ。

 『日本の歴史8 蒙古襲来』(黒田俊雄/中央公論社)

 小学館版『日本の歴史』の『蒙古襲来』(網野善彦)の刊行は1974年9月、本書はそれからさらに9年前の1965年9月刊行だ。

 本書を読もうと思ったのは、せっかく読んだ蒙古襲来前後の歴史知識を多少なりとも定着できればと考えたこともあるが、服部英雄氏が近著『蒙古襲来と神風』で批判した「通説・定説を無批判に孫引きしてきた概説書」に本書が該当するかどうかを確認したいと思ったからだ。

 結論から言うと、服部英雄氏の批判に該当する通説・定説の踏襲が多いのは確かだった。だが「神風」を持ち上げているわけではなく、カッコつきの「神国日本」という1章をたてて、神風神話の成立を検証している。武士の記録に「神風」が登場しないのは、当時の武士にはまだ「国家」という意識が芽生えていなかったからだとしているのは面白い見解だ。

 本書の著者の黒田俊雄氏は戦後の多くの歴史研究者と同様にマルキシズムの学者だから「神風史観」には批判的である。

 服部英雄氏が定説・通説の元凶とした『元寇の新研究』(池内宏/1931年)が本書の元になっているのは確かだ。黒田俊雄氏は池内宏氏をリスペクトし、付録の月報の対談(相手は村松剛氏)で次のように述べている。

 「池内さんがなされたような仕事が戦前ちゃんとあるのに、ほとんど一般に知られていないということは残念だと思いますね。池内さんの仕事はいまの東洋史の水準から見ると足りないところがあるそうですけれども、しかし、元寇をモンゴル・高麗の側から見ようとした画期的な試みを、専門の学者の枠内にとじこめておいて、一般の人の知識にさせなかったことは残念だと思います。」

 50年以上前は、そんな状況だったようだ。

 本書には『八幡愚童記』からの引用も多い。服部英雄氏が「八幡神がいかに偉大な神であるか、それを愚かな童に諭すための宣伝書で、史料的価値は疑わしい」としている史料である。そんな史料を何度も引用して「史実」を記述している。しかし、後段になると「神風」の神威を説く霊験譚が『八幡愚童記』だとも述べている。史料として活用しながらも、宣伝書と批判しているのだ。

 これは、黒田俊雄氏が不見識なのではなく、そういう歴史記述を楽しんでいるのだと思う。というのは、『太平記』も似たような扱いをしているからだ。『太平記』を「文芸作品」「講釈師の元祖」と決めつけたうえで、歴史記述の一環としてその内容を紹介している。そこに史実のいくぶんかは反映されていると考えているからだ。なかなかの芸である。

 実は、私は本書に面白さはあまり期待していなかった。網野義彦氏の『蒙古襲来』ほどに面白くはないフツーの概説書だろうと思っていた。だが、黒田俊雄氏の『蒙古襲来』には網野義彦氏の同名書と甲乙つけがたい面白さがあった。

 黒田俊雄氏の『蒙古襲来』は網野義彦氏と同様に鎌倉幕府滅亡にいたる政治・経済・宗教・社会の描写がメインで蒙古襲来は遠景になっている。史料による実例紹介がふんだんに盛り込まれているのが興味深い。著者の感慨や感想を交えた自由な筆致で歴史を記述しているのが面白い。最終章のラストを鎌倉で発掘された910体の人骨で締めくくっているのも印象的だ。