映画『敵』の影の主役は屋敷 ― 2025年02月09日
テアトル新宿で映画『敵』(原作:筒井康隆、監督・脚本:吉田大八、主演:長塚京三)を観た。この監督の映画を観るのは『美しい星』、『騙し絵の牙』に続いて3本目である。映画を観る直前に筒井氏の原作を再読したので、原作の雰囲気と比較しつつの映画鑑賞になった。
上映後にはトークイベンがあった。吉田大八監督に若手の奥山由之氏(映画監督、写真家)がインタビューする形のトークだった。吉田監督は「原作にかなり忠実な映画です。スピリットでは…」と語っていた。その通りだとは思うが、当然ながら映画表現は小説表現とは異なる。
10年前に退職した元大学教授・渡辺儀助の生活を描いたこの映画はモノクロである。儀助が一人で暮らしている古い屋敷がモノクロにマッチしている。冒頭、儀助の起床、朝食の支度、朝食、歯磨き、洗濯、掃除、講演依頼電話への対応、パソコンを使った原稿執筆などの場面が坦々と流れる。原作小説の端正な世界引き込まれて行く心地よさを感じた。
原作の小説では、薄い膜を通した回想のような世界を感じた。映画は即物的表現がメインである。映像からは具体的でリアルな感触が伝わってくる。米を研ぐ手慣れた様子に感心し、朝食の咀嚼に美味を感じた。この映画に出てくる食べ物は美味しそうに見える。儀助が自身の生活演出に満足しているように見えるからだろう。
原作で75歳だった儀助が映画では77歳である。小説の儀助は私より1つ年下だが映画では1つ上だ。何故か得心する。この二十数年の社会の高齢化シフトを反映しているのだろう。
原作を改変した箇所はいくつかあり、それぞれに納得できて面白い。儀助の従兄弟の長子・渡辺槙男が最後に登場するのには驚いた。原作では名前が出てくるだけの人物である。渡辺槙男を登場させたのは、儀助の屋敷の相続人に指定されたからである。
吉田監督がトークでも述べていたが、この映画では屋敷のウエイトが高い。古い屋敷には記憶が多重的に刻み込まれている。畳み込まれた時間が錯綜的に流れる不思議な空間である。映画『敵』はそんな時空を表現した作品になっている。
上映後にはトークイベンがあった。吉田大八監督に若手の奥山由之氏(映画監督、写真家)がインタビューする形のトークだった。吉田監督は「原作にかなり忠実な映画です。スピリットでは…」と語っていた。その通りだとは思うが、当然ながら映画表現は小説表現とは異なる。
10年前に退職した元大学教授・渡辺儀助の生活を描いたこの映画はモノクロである。儀助が一人で暮らしている古い屋敷がモノクロにマッチしている。冒頭、儀助の起床、朝食の支度、朝食、歯磨き、洗濯、掃除、講演依頼電話への対応、パソコンを使った原稿執筆などの場面が坦々と流れる。原作小説の端正な世界引き込まれて行く心地よさを感じた。
原作の小説では、薄い膜を通した回想のような世界を感じた。映画は即物的表現がメインである。映像からは具体的でリアルな感触が伝わってくる。米を研ぐ手慣れた様子に感心し、朝食の咀嚼に美味を感じた。この映画に出てくる食べ物は美味しそうに見える。儀助が自身の生活演出に満足しているように見えるからだろう。
原作で75歳だった儀助が映画では77歳である。小説の儀助は私より1つ年下だが映画では1つ上だ。何故か得心する。この二十数年の社会の高齢化シフトを反映しているのだろう。
原作を改変した箇所はいくつかあり、それぞれに納得できて面白い。儀助の従兄弟の長子・渡辺槙男が最後に登場するのには驚いた。原作では名前が出てくるだけの人物である。渡辺槙男を登場させたのは、儀助の屋敷の相続人に指定されたからである。
吉田監督がトークでも述べていたが、この映画では屋敷のウエイトが高い。古い屋敷には記憶が多重的に刻み込まれている。畳み込まれた時間が錯綜的に流れる不思議な空間である。映画『敵』はそんな時空を表現した作品になっている。
『シビル・ウォー』は米国の内戦を追う戦場カメラマンの話 ― 2024年11月28日
映画『シビル・ウォー アメリカ最後の日』を那覇市のシネマパレットで観た。現代の米国が内戦に突入した世界を描いた架空の同時代戦争映画だ。
カリフォルニアとテキサスを中心とするWF(西部勢力)と政府軍の内戦状況のなか、女性戦場カメラマンら4人のジャーナリストが大統領インタビューというスクープのために車でワシントンDCを目指す話である。内戦で荒廃した世界のロードームービーの趣がある。
戦闘場面だけでなく無政府状態での私刑や大量虐殺が描かれていて、現代世界で内戦が勃発したときの悲惨さが伝わってくる。
内戦の原因などは語られていない。半世紀以上昔に筒井康隆氏が描いた『東海道戦争』の開戦理由は「東京が攻めてくるから」「大阪が攻めてくるから」だった。内戦とは防衛と攻撃がないまぜになりやすいのかもしれない。
この映画で面白いと思ったのは、内戦下にあって「あえて内戦を見ない」という態度をとる人や町が存在することだ。中立や無関心とは少し違うように思う。積極的に殻にこもるという生き方であり、そのためには殻が頑丈でなければならない。現代的な態度のひとつかもしれない。
映画を観ながら、戦場カメラマンとは不思議な仕事だとあらためて思った。大きな成果をあげた戦場カメラマンは多いし、戦場で命を落としたカメラマンも少なくない。戦場の実情を伝え、平和に資するのが彼らの使命だと思うが、過酷な仕事である。戦場カメラマンという仕事がなくなる世界になればいいはずだが、当分は無理だろう。戦場カメラマンがいなくなり、戦場だけが残る――そんな世界になると恐ろしい。
カリフォルニアとテキサスを中心とするWF(西部勢力)と政府軍の内戦状況のなか、女性戦場カメラマンら4人のジャーナリストが大統領インタビューというスクープのために車でワシントンDCを目指す話である。内戦で荒廃した世界のロードームービーの趣がある。
戦闘場面だけでなく無政府状態での私刑や大量虐殺が描かれていて、現代世界で内戦が勃発したときの悲惨さが伝わってくる。
内戦の原因などは語られていない。半世紀以上昔に筒井康隆氏が描いた『東海道戦争』の開戦理由は「東京が攻めてくるから」「大阪が攻めてくるから」だった。内戦とは防衛と攻撃がないまぜになりやすいのかもしれない。
この映画で面白いと思ったのは、内戦下にあって「あえて内戦を見ない」という態度をとる人や町が存在することだ。中立や無関心とは少し違うように思う。積極的に殻にこもるという生き方であり、そのためには殻が頑丈でなければならない。現代的な態度のひとつかもしれない。
映画を観ながら、戦場カメラマンとは不思議な仕事だとあらためて思った。大きな成果をあげた戦場カメラマンは多いし、戦場で命を落としたカメラマンも少なくない。戦場の実情を伝え、平和に資するのが彼らの使命だと思うが、過酷な仕事である。戦場カメラマンという仕事がなくなる世界になればいいはずだが、当分は無理だろう。戦場カメラマンがいなくなり、戦場だけが残る――そんな世界になると恐ろしい。
映画『箱男 The Box Man』は意外に原作通り ― 2024年09月05日
渋谷のユーロスペースで映画『箱男 The Box Man』(原作:安部公房、監督:石井岳龍、出演:永瀬正敏、浅野忠信、佐藤浩市、白本彩奈、他)を観た。
ロビーに箱男の段ボール箱を置いていた。かなりボロボロなので、箱男の残骸にも見える。実物の段ボール箱は意外に大きく、存在感があり、かなり不気味である。
32年前、安部公房は石井監督に「娯楽映画にしてほしい」と言ったそうだ。この映画は、27年前に撮影直前になって制作中止となり、石井監督の執念の持続で安部公房生誕100年の今年、公開にこぎつけた。
どう作れば、あのメタフィクション的で難解な『箱男』が娯楽映画になるのだろうかと思いながら映画館に足を運んだ。観終えて、娯楽映画になっているかは疑問だった。箱男(永瀬正敏)と贋箱男(浅野忠信)の格闘シーンや軍医(佐藤浩市)の奇怪なふるまいなど、娯楽映画的に楽しめるシーンは多い。だが、原作と同様に話が迷路になっていて、わけがわからなくなってくる。
原作では「記録(小説『箱男』の本文?)」の書き手がだれかが不分明になっていき、この箇所の映画表現は困難だと思った。ところが、映画でもその部分を取り入れている。箱男とは見る存在ではなく記録する存在である、との認識にはナルホドと思った。
原作の登場人物は「葉子」以外は記号化されていて、そもそも別人なのか同一人物なのかも怪しくなる。俳優が演じる映画では、「わたし」「贋医者」「軍医」を個別の肉体が表現するので、多少はくっきりする。
そして、この映画は私が想定した以上に原作に忠実に作られていると感じた。原作の解釈のひとつの提示であり、あの小説を読み解く大きな手助けにもなる。その意味では、かなり重要な映画だと思う。
安部公房が「娯楽映画にしてほしい」と述べたのは、『箱男』には娯楽映画になる要素が潜んでいると考えたからだろう。その視点での読み解きのヒントを与えてくれるのが、この映画である。
映画を観終えて、ロビーの段ボールの残骸を眺め、箱男とは抜け殻かもしれないとも感じた。
ロビーに箱男の段ボール箱を置いていた。かなりボロボロなので、箱男の残骸にも見える。実物の段ボール箱は意外に大きく、存在感があり、かなり不気味である。
32年前、安部公房は石井監督に「娯楽映画にしてほしい」と言ったそうだ。この映画は、27年前に撮影直前になって制作中止となり、石井監督の執念の持続で安部公房生誕100年の今年、公開にこぎつけた。
どう作れば、あのメタフィクション的で難解な『箱男』が娯楽映画になるのだろうかと思いながら映画館に足を運んだ。観終えて、娯楽映画になっているかは疑問だった。箱男(永瀬正敏)と贋箱男(浅野忠信)の格闘シーンや軍医(佐藤浩市)の奇怪なふるまいなど、娯楽映画的に楽しめるシーンは多い。だが、原作と同様に話が迷路になっていて、わけがわからなくなってくる。
原作では「記録(小説『箱男』の本文?)」の書き手がだれかが不分明になっていき、この箇所の映画表現は困難だと思った。ところが、映画でもその部分を取り入れている。箱男とは見る存在ではなく記録する存在である、との認識にはナルホドと思った。
原作の登場人物は「葉子」以外は記号化されていて、そもそも別人なのか同一人物なのかも怪しくなる。俳優が演じる映画では、「わたし」「贋医者」「軍医」を個別の肉体が表現するので、多少はくっきりする。
そして、この映画は私が想定した以上に原作に忠実に作られていると感じた。原作の解釈のひとつの提示であり、あの小説を読み解く大きな手助けにもなる。その意味では、かなり重要な映画だと思う。
安部公房が「娯楽映画にしてほしい」と述べたのは、『箱男』には娯楽映画になる要素が潜んでいると考えたからだろう。その視点での読み解きのヒントを与えてくれるのが、この映画である。
映画を観終えて、ロビーの段ボールの残骸を眺め、箱男とは抜け殻かもしれないとも感じた。
映画字幕をめぐるアレコレは面白い ― 2024年08月22日
映画字幕翻訳者が書いたドストエフスキー紹介本『ひらけ! ドスワールド』の軽妙な文章が面白かったので、同じ著者の次のエッセイを読んだ。
『字幕屋のホンネ:映画は日本語訳こそが面白い』(太田直子/知恵の森文庫/光文社/2019.2)
映画字幕翻訳にまつわるアレコレを暴露したエッセイである。身近に接している映画字幕の背景に私の知らないさまざまな事情があると知り、「へぇー」と思いながら楽しく読了した。
本書の原題は『字幕屋は銀幕の片隅で日本語が変だと叫ぶ』(2007年刊)で、著者の最初の本である。著者は2016年に56歳で亡くなっている。著者の死後3年の文庫化にあたって改題している。
私は原題の方がいいと思う。内容にもマッチしている。生前の著者は改題を承知していたのだろうか。文庫化にあたって、版元が独自の営業的判断で改題したのかもしれない。原題は一部の人にはウケるかもしれないが、何を言いたいのかわかりにくい。そもそも長すぎる。多くの読者に売るには、もっと短くてわかりやすい題名がいいと、誰かが判断した可能性もある。
――こんなことを考えたのは、売り手のオトナの事情のアレコレがもたらすアレコレが、著者が本書で描いている字幕をめぐる状況とパラレルだと感じたからである。入れ子細工のようで面白い。
映画字幕にはさまざまな制約があり、俳優の台詞をそのまま翻訳しているわけではない。一画面で容易に読み取れる字数制限があるのは当然だが、それ以外にもさまざまな制約があると知った。台詞のない余韻画面にまで字幕を要求されることもあるそうだ。
いずれにしても、いかに少ない文字数で過不足なく伝えるかの技術は興味深い。文章を、より「わかりやすく」、より「短く」する技術は重要で有用だと思う。
本書は、字幕をネタに現代の日本語へのいろいろな違和感も提示している。「そんなに叫んでどうするの~「!」の話」では「!」の多用への苦言を呈している。にもかかわらず、本書の章題では「!」を連発し、本書(原版)の後に出した本のタイトルは『ひらけ! ドスワールド』だ。
著者のそんなところにも面白さを感じる。
『字幕屋のホンネ:映画は日本語訳こそが面白い』(太田直子/知恵の森文庫/光文社/2019.2)
映画字幕翻訳にまつわるアレコレを暴露したエッセイである。身近に接している映画字幕の背景に私の知らないさまざまな事情があると知り、「へぇー」と思いながら楽しく読了した。
本書の原題は『字幕屋は銀幕の片隅で日本語が変だと叫ぶ』(2007年刊)で、著者の最初の本である。著者は2016年に56歳で亡くなっている。著者の死後3年の文庫化にあたって改題している。
私は原題の方がいいと思う。内容にもマッチしている。生前の著者は改題を承知していたのだろうか。文庫化にあたって、版元が独自の営業的判断で改題したのかもしれない。原題は一部の人にはウケるかもしれないが、何を言いたいのかわかりにくい。そもそも長すぎる。多くの読者に売るには、もっと短くてわかりやすい題名がいいと、誰かが判断した可能性もある。
――こんなことを考えたのは、売り手のオトナの事情のアレコレがもたらすアレコレが、著者が本書で描いている字幕をめぐる状況とパラレルだと感じたからである。入れ子細工のようで面白い。
映画字幕にはさまざまな制約があり、俳優の台詞をそのまま翻訳しているわけではない。一画面で容易に読み取れる字数制限があるのは当然だが、それ以外にもさまざまな制約があると知った。台詞のない余韻画面にまで字幕を要求されることもあるそうだ。
いずれにしても、いかに少ない文字数で過不足なく伝えるかの技術は興味深い。文章を、より「わかりやすく」、より「短く」する技術は重要で有用だと思う。
本書は、字幕をネタに現代の日本語へのいろいろな違和感も提示している。「そんなに叫んでどうするの~「!」の話」では「!」の多用への苦言を呈している。にもかかわらず、本書の章題では「!」を連発し、本書(原版)の後に出した本のタイトルは『ひらけ! ドスワールド』だ。
著者のそんなところにも面白さを感じる。
映画『PERFECT DAYS』の主役は公共トイレか? ― 2024年02月27日
役所広司がカンヌ国際映画祭主演男優賞を受賞して話題になった映画『PERFECT DAYS』(監督:ヴィム・ヴェンダース)を観た。公共トイレ清掃員の日常を淡々と描いた映画と聞いていたので、観る前から一定のイメージが頭の中にあった。そのイメージからさほど逸れない想定通りの映画だった。
一人暮らしの中年のトイレ清掃員の早朝の目覚めで映画は始まる。朝のルーティンを経て軽のワンボックスカーで現場に出勤、いくつかのトイレの清掃を終えて帰宅し、自転車で開店直後の銭湯に行って湯に浸かり、小さな居酒屋で軽く一杯飲む。帰宅後、就寝前に布団に寝そべったまま少々の読書、やがて本を閉じて消灯、眠りにつく。
そんな日常の繰り返しを表現するだけで映画になるのかと心配になる。小さな出来事はいろいろあっても、物語が展開されるわけではない。でも、退屈することなく観終えた。人生とは小さな出来事の繰り返し――という当然のことを突き付けられ気分になる。
この映画で驚いたのは、公共トイレが綺麗なことである。どれもデザインが凝っている。主役はこれらの公共トイレかもしれない。
一人暮らしの中年のトイレ清掃員の早朝の目覚めで映画は始まる。朝のルーティンを経て軽のワンボックスカーで現場に出勤、いくつかのトイレの清掃を終えて帰宅し、自転車で開店直後の銭湯に行って湯に浸かり、小さな居酒屋で軽く一杯飲む。帰宅後、就寝前に布団に寝そべったまま少々の読書、やがて本を閉じて消灯、眠りにつく。
そんな日常の繰り返しを表現するだけで映画になるのかと心配になる。小さな出来事はいろいろあっても、物語が展開されるわけではない。でも、退屈することなく観終えた。人生とは小さな出来事の繰り返し――という当然のことを突き付けられ気分になる。
この映画で驚いたのは、公共トイレが綺麗なことである。どれもデザインが凝っている。主役はこれらの公共トイレかもしれない。
映画『ナポレオン』はアッと言う間の2時間半 ― 2024年01月07日
公開中の映画『ナポレオン』(監督:リドリー・スコット、主演:ホアキン・フェニックス)を観た。2時間半を超える大作、戦闘シーンは大迫力だ。ダヴィドの絵画を動画で再現した戴冠式も見ごたえがある。ナポレオンの事蹟を2時間半で綴るのだからダイジェストにならざるを得ないが、ナポレオン時代の壮大な絵巻物を観た気分である。
昨年末、ナポレオン関連の本数冊(岩波新書、世界史リブレットなど)を読んだばかかりなので、私の頭の中に一定のナポレオンのイメージができている。映画のナポレオンは、そのイメージとは少し異なっていた。歴史研究者と映画製作者との切り口の違いをあらためて認識し、それを面白く感じた。
ナポレオンとジョゼフィーヌを中心に据えた映画である。ナポレオンが軍人として頭角を現していく頃からセントヘレナ島で没するまでの二十数年を、ナポレオンのジョゼフィーヌへの思いに焦点を当てて描いている。
エジプト遠征の途中でナポレオンが少人数で帰国した主因を、ジョゼフィーヌの浮気を知ったことにしている。ナポレオンがエルバ島に流されたとき、すでにジョゼフィーヌを離婚しオーストリア皇女と再婚しているが、エルバ島脱出を決意するのは、ジョゼフィーヌとロシア皇帝の交際の報に接して怒りに燃えたせいにしている。ワーテルローで敗れた遠因をジョゼフィーヌの死を知った失意としているようにも見える。映画らしい目のつけ所だと感心した。史実にどれだけ近いか遠いか、私にはわからないが。
昨年末、ナポレオン関連の本数冊(岩波新書、世界史リブレットなど)を読んだばかかりなので、私の頭の中に一定のナポレオンのイメージができている。映画のナポレオンは、そのイメージとは少し異なっていた。歴史研究者と映画製作者との切り口の違いをあらためて認識し、それを面白く感じた。
ナポレオンとジョゼフィーヌを中心に据えた映画である。ナポレオンが軍人として頭角を現していく頃からセントヘレナ島で没するまでの二十数年を、ナポレオンのジョゼフィーヌへの思いに焦点を当てて描いている。
エジプト遠征の途中でナポレオンが少人数で帰国した主因を、ジョゼフィーヌの浮気を知ったことにしている。ナポレオンがエルバ島に流されたとき、すでにジョゼフィーヌを離婚しオーストリア皇女と再婚しているが、エルバ島脱出を決意するのは、ジョゼフィーヌとロシア皇帝の交際の報に接して怒りに燃えたせいにしている。ワーテルローで敗れた遠因をジョゼフィーヌの死を知った失意としているようにも見える。映画らしい目のつけ所だと感心した。史実にどれだけ近いか遠いか、私にはわからないが。
『北北西に進路を取れ』の「北北西」の謎 ― 2023年11月26日
ヒッチコックの有名映画はいくつか観ているが、1959年の『北北西に進路を取れ』は未見だった。タイトルは航海映画を思わせるのに、映画のなかに「北北西」が出てこないとは聞いていた。いずれ観ようと、テレビ放映を録画していたのを、ついに観た(録画したまま未見の映画は数十本、いつになったら観るのか自分でも不明)。
別人に間違えられた広告マンが謎の組織に追いかけられる話である。74年前の映画だから冗長に感じる部分もあるが、飽きることなく楽しめた。往年の米国の雰囲気を感得できるのがうれしい。
問題はタイトルである。『謎解き「ハムレット」』という本には次の記述がある。
「ハムレットが「俺の気が狂うのは北北西の風が吹くときだけだ。南風なら、鷹の子と糸鋸の区別はつく」といったわけのわからない台詞を言うのも、ギルデンスターンらを煙に巻くための佯狂だ。この台詞から題名を借りたアルフレッド・ヒッチコック監督の映画『北北西に進路を取れ』は、ある日突然ひとりの男が不可解な事件に巻きこまれてしまう不条理を描くものだが、この映画と同様に、狂っているのは主人公ではなくて、彼の陥った状況のほうかもしれない。」
ネットで調べると、このタイトルがハムレット由来というのはひとつの説にすぎないようだ。
映画の原題は"North by Northwest"、実在しない方位だそうだ。北北西は"North Northwest"である。ハムレットも"North Northwest"と言っている。byを使った"Northwest by North"という方位はあり、これは北西と北北西の間の方向になる。
ヒッチコックは、"North by Northwest"がコンパスに実在しないことをふまえて「タイトルがこの映画の全体を象徴している」と述べているが、公開後の後付けの弁の可能性がある。
このタイトルは"North Northwest"のつもりで間違えたかのだろうか。何らかの効果を考えてあえて"North by Northwest"としたのだろうか。ネイティブの意見を聞いてみたい。
別人に間違えられた広告マンが謎の組織に追いかけられる話である。74年前の映画だから冗長に感じる部分もあるが、飽きることなく楽しめた。往年の米国の雰囲気を感得できるのがうれしい。
問題はタイトルである。『謎解き「ハムレット」』という本には次の記述がある。
「ハムレットが「俺の気が狂うのは北北西の風が吹くときだけだ。南風なら、鷹の子と糸鋸の区別はつく」といったわけのわからない台詞を言うのも、ギルデンスターンらを煙に巻くための佯狂だ。この台詞から題名を借りたアルフレッド・ヒッチコック監督の映画『北北西に進路を取れ』は、ある日突然ひとりの男が不可解な事件に巻きこまれてしまう不条理を描くものだが、この映画と同様に、狂っているのは主人公ではなくて、彼の陥った状況のほうかもしれない。」
ネットで調べると、このタイトルがハムレット由来というのはひとつの説にすぎないようだ。
映画の原題は"North by Northwest"、実在しない方位だそうだ。北北西は"North Northwest"である。ハムレットも"North Northwest"と言っている。byを使った"Northwest by North"という方位はあり、これは北西と北北西の間の方向になる。
ヒッチコックは、"North by Northwest"がコンパスに実在しないことをふまえて「タイトルがこの映画の全体を象徴している」と述べているが、公開後の後付けの弁の可能性がある。
このタイトルは"North Northwest"のつもりで間違えたかのだろうか。何らかの効果を考えてあえて"North by Northwest"としたのだろうか。ネイティブの意見を聞いてみたい。
大島新監督の『国葬の日』を沖縄で観た ― 2023年10月06日
いま、沖縄に来ている。気ままに過ごす日々のなか、那覇市の桜坂劇場で上映中の『国葬の日』(監督:大島新)を観た。2022年9月27日、安倍元首相国葬があった日に日本各地で取材したドキュメンタリー映画である。大島新監督の映画を観るのは2007年の『シアトリカル』以来だ。
私は、岸田首相が安倍元首相を国葬にすると決めたとき驚いた。まさか国葬はないだろうと思っていた私の認識は甘かった。世論調査では賛成4割、反対6割だった。元首相暗殺事件から2カ月後に実施された国葬の印象は薄く、その日、自分が何をしていたかも覚えていない。日記帳で確認すると、1年前の9月27日も沖縄に来ていて、のんびりした一日を過ごしていた。
この映画が2022年9月27日にキャメラをまわした場所は、国葬が行われた東京、元首相の出身地・山口、最期の地・奈良の他に京都、福島、沖縄、北海道、広島、静岡、長崎などだ。各地のさまざまな人々に国葬についてインタビューをしている。賛成の人も反対の人もいるが「どちらかといえば賛成」「どちらかといえば反対」というあいまいで無関心な人が多い。
この映画によって、映画監督の足立正生がいまだ健在なのを知り、少し驚いた。元首相暗殺事件に取材した映画を短期間で制作し、国葬の日に合わせて渋谷で上映会を開催していたのだ。足立監督に限らず国葬に強く反対を表明する人には高齢者が多い。
若い人には賛成が多いように思える。強く賛成しているというよりは時代の空気に流されて賛成しているように思えるのは、高齢者である私の偏見だろうか。「大統領やってた人だから」と国葬に賛意を表明する若者もいて、苦笑するより暗然とした。
映画のラストに流れるテロップによれば、内閣発表による献花した人数(25,889人)は、主催者発表の反対デモ参加者(16,600人)をかなり上回る。どちらもたいした数字ではないとも言えるが、献花した人が意外に多いなとも思う。
私は、岸田首相が安倍元首相を国葬にすると決めたとき驚いた。まさか国葬はないだろうと思っていた私の認識は甘かった。世論調査では賛成4割、反対6割だった。元首相暗殺事件から2カ月後に実施された国葬の印象は薄く、その日、自分が何をしていたかも覚えていない。日記帳で確認すると、1年前の9月27日も沖縄に来ていて、のんびりした一日を過ごしていた。
この映画が2022年9月27日にキャメラをまわした場所は、国葬が行われた東京、元首相の出身地・山口、最期の地・奈良の他に京都、福島、沖縄、北海道、広島、静岡、長崎などだ。各地のさまざまな人々に国葬についてインタビューをしている。賛成の人も反対の人もいるが「どちらかといえば賛成」「どちらかといえば反対」というあいまいで無関心な人が多い。
この映画によって、映画監督の足立正生がいまだ健在なのを知り、少し驚いた。元首相暗殺事件に取材した映画を短期間で制作し、国葬の日に合わせて渋谷で上映会を開催していたのだ。足立監督に限らず国葬に強く反対を表明する人には高齢者が多い。
若い人には賛成が多いように思える。強く賛成しているというよりは時代の空気に流されて賛成しているように思えるのは、高齢者である私の偏見だろうか。「大統領やってた人だから」と国葬に賛意を表明する若者もいて、苦笑するより暗然とした。
映画のラストに流れるテロップによれば、内閣発表による献花した人数(25,889人)は、主催者発表の反対デモ参加者(16,600人)をかなり上回る。どちらもたいした数字ではないとも言えるが、献花した人が意外に多いなとも思う。








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