日本史の始まりは中世とする『日本に古代はあったのか』2024年11月07日

『日本に古代はあったのか』(井上章一/角川選書/2008.7)
 先日、日本中世史研究者の本郷和人氏の講演を聞いたとき、日本文化研究センター所長の井上章一教授が、日本に古代はなかったと説いていると知り、ヘェーと思った。で、次の本の読んだ。

 『日本に古代はあったのか』(井上章一/角川選書/2008.7)

 とても面白い刺激的な本だった。「日本に古代はなかった」と主張している。著者は歴史学者ではない。建築学から意匠論、風俗史に転身した研究者である。

 「あとがき」では「いまさら古代をなくすわけにいかないだろう」と自説が受け入れられるのは難しいと認めている。そのうえで「日本史へ古代をもちこんでしまったことの意味は、考えなおしてほしいものだ」と提言し、自身のことを「アマチュアが、なまいきにも、プロにくってかかっていったのだ。」と述べている。

 著者がくってかかっている相手は、日本史や中国史の研究者である。門外漢の私の知らない研究者の名前が多く出てくるが、歴史学の世界のアレコレが垣間見えて興味深い。著者は京都の学者である。議論の芸風は京都vs東京を強調して京都に与する形になっている。語り口は洒脱だが、かなりしつこい。

 「日本に古代はなかった」と聞くと驚く。しかし、フランスにもイギリスにも古代はなく、歴史は中世から始まっていると指摘されると、ナルホドと思う。

 本書は冒頭で中国史家・宮崎市定の学説を紹介している。宮崎市定は西欧史と中国史の並行性に着目し、西欧ではローマ帝国が滅亡して中世が始まり、中国では漢の滅亡で中世が始まったとしている。つまり、魏、蜀、呉の三国時代からが中世である。著者は、この時代区分を評価しつつ、なぜ、その区分を日本にまで広げなかったのかと苦言を呈している。中世の中国と交流のあった邪馬台国や奈良時代は古代でなく中世でいいのでは、ということである。

 もちろん「古代」や「中世」が何を意味するかの議論も展開している。本書で面白いのは「関東史観」という言葉である。鎌倉武士を評価し、京都の公家を貶める史観である。

 平安時代から鎌倉時代への変わり目は大したものではなかったと見る著者は、関東史観を、明治維新以降のゆがんだ見方だとして徹底的に批判する。東大の本郷和人氏はもちろん関東史観である。関西出身なのに関東史観になった司馬遼太郎に「お前もか」と慨嘆し、著者に深い影響を与えた梅棹忠夫までが関東史観に与したのを悲しんでいる。

 私はまったくの門外漢だが、著者の主張にほぼ説得された。とは言うものの、古代か中世かというのは、どうでもいいような気もする。研究者によって定義や見方が変わるのは仕方ない。門外漢はそんな研究者たちの景色を楽しめばいい。

オートヴィル家の息子たちの歴史は面白い2024年11月01日

『ノルマン騎士の地中海興亡史』(山辺規子/白水Uブックス/白水社)
 数カ月前に『中世シチリア王国』(高山博)という新書を再読したとき、ノルマンディのオートヴィル家の息子たちの話に惹かれた。北フランスの田舎の小領主の息子たちが南イタリアへ傭兵(あるいは盗賊)として赴き、一帯を支配する王にまで上りつめていく「イタリアン・ドリーム」物語である。彼らについてもう少し知りたいと思い、次の本を読んだ。

 『ノルマン騎士の地中海興亡史』(山辺規子/白水Uブックス/白水社)

 11世紀から12世紀にかけての南イタリアにおけるノルマン人の征服活動とシチリア王国成立を描いた歴史書である。とても面白い。目次は以下の通りだ。

 プロローグ ノルマンディ
 第1章 ノルマン人、南イタリアへ
 第2章 ロベール・ギスカール登場
 第3章 ノルマン人、シチリアへ
 第4章 古い支配の終焉
 第5章 世界の恐怖――ロベール・ギスカール
 第6章 シチリア王国の成立
 第7章 ノルマン朝シチリア王国の変遷
 エピローグ 十字軍のノルマン人

 全7章のうち、第2章から第5章までの4章、つまり本書の半分以上がロベール・ギスカールに関する話である。本書の主役と言えるだろう。勇敢で頭がいい魅力的な騎士だったらしい。著者は「一言でいえば「すごい奴」ということになる」と紹介している。

 ギスカールとは「狡猾」という意味のあだ名である。そう呼ばれる面もあったのだろうが、本書を読む限りではかなり寛容な人物である。彼の生涯は支配権を確立していく過程での反乱への対処のくり返しだった。著者は次のように述べている。

 「ロベール・ギスカールが反乱に対して寛容な態度を取り続けてきたために、反乱を起こすのも、毎度同じメンバーである」

 同輩や縁者たちの中から一人が突出していくなかで「昨日の友は今日の敵」「昨日の敵は今日の友」がくり返されるのは、どこの世界にもある話だろう。ロベール・ギスカールが対処する相手はイタリアの諸侯やノルマン人諸侯だけでない。ローマ教皇、神聖ローマ皇帝、ビザンツ皇帝も重要なプレイヤーであり、彼らとの流動的な絡みの展開が歴史を作っていく。

 彼の二番目の妻シケルガイタ(サレルノ侯女)も興味深い。戦場に同行し、長槍を手に馬を駆って騎士たちを叱咤する凄い女性である。

 このロベール・ギスカールは高校世界史には登場しない。本書に登場するノルマン騎士で、高校世界史で名が挙がるのは、ロベール・ギスカールの甥にあたるルッジェーロ2世だけだと思う。ルッジェーロ2世は初代シチリア王になる。知的好奇心旺盛な優れた政治家であり、ロベール・ギスカールとは別の魅力がある。この王がいたからパレルモは「12世紀ルネサンス」の地になった。

 ルッジェーロ2世の孫が「世界の驚異」と呼ばれた神聖ローマ皇帝フェデリコ2世である。私はフェデリコ2世のファンであり、2カ月前、彼が建てた謎の城カステル・デル・モンテを訪問した。フェデリコ2世から見るとルッジェーロ2世は母方の祖父になる(父方の祖父はフリードリヒ1世=バルバロッサ)。フェデリコ2世の時代にはシチリアのノルマン朝はすでになく、彼をノルマン騎士とは呼べないだろう。だが、本書を読んで、フェデリコ2世はルッジェーロ2世に似ていると思った。

『コーヒーが廻り世界史が廻る』は高踏漫文の歴史エッセイ2024年10月05日

『コーヒーが廻り世界史が廻る:近代市民社会の黒い血液』(臼井隆一郎/中公新書)
 先日、砂糖に着目した歴史書『砂糖の世界史』を読んだ。その印象が残っているうちに、コーヒーに関する次の新書を読んだ。

 『コーヒーが廻り世界史が廻る:近代市民社会の黒い血液』(臼井隆一郎/中公新書)

 この新書を入手したのは5年前だ。榎本武揚への関心から、臼井隆一郎氏の『榎本武揚から世界史が見える』を読んだ。この本に不思議な魅力があったので同じ著者の『コーヒーが廻り世界史が廻る』を入手したが、未読棚に積んだままになっていた。

 著者はドイツ文学者である。本書はコーヒーに関わる文化論的な歴史エッセイである。『榎本武揚から世界史が見える』を読んだときにも感じたが、かなりクセのある文章である。やや衒学的な高踏漫文とも言える。波長が合う読者には面白いが、そうでない読者は辟易するかもしれない。私はその中間である。時々は「やりすぎでは…」と思いつつも面白く読了した。

 本書の前に岩波ジュニア新書の『砂糖の世界史』を読んでいたのは正解だった。ある程度の歴史知識があった方がこの歴史エッセイを楽しめる。砂糖と同様に、世界商品であるコーヒーも奴隷労働で成り立っていたのだ。

 イギリスで発展したコーヒー・ハウス文化の話題も『砂糖の世界史』と共通している。本書が紹介する珍妙なパンフレット「コーヒーに反対する女性の請願」は面白い。このパンフレットによって、イギリスの家庭ではコーヒーでなく紅茶が普及したというのは怪しいが…。

 イスラム神秘主義の修道僧、スーフィーたちが好んだコーヒーはヨーロッパに伝播していく。その歴史は「コーヒー対アルコール」の歴史だったという指摘は興味深い。と言っても、両方ともを好む人は多いと思う。

 砂糖と同様にコーヒーのプランテーションもモノカルチャーを生み出す。1931年、ブラジルは過剰生産したコーヒー豆を大量に廃棄した。廃棄量は世界のコーヒー消費量全体の2年半分だった。蒸気機関車は石炭の替わりにコーヒー豆を燃料にしたという。「コーヒー豆を動力に、香ばしいアロマを発散させながらブラジルの山河を疾走する蒸気機関車」と著者は表現している。驚くべき光景だ。

 本書はさまざまな文献を援用している。引用元はマルクスの『ドイツ・イデオロギー』や吉本隆明の『定本詩集』からレヴィ=ストロースの『悲しき熱帯』まで多様だ。終章はボブ・ディランで締めくくっている。

『砂糖の世界史』で蒙を啓かれた2024年09月27日

『砂糖の世界史』(川北稔/岩波ジュニア新書)
 次の岩波ジュニア新書を読んだ。

 『砂糖の世界史』(川北稔/岩波ジュニア新書)

 発行は28年前の1996年7月。私が読んだのは2023年4月の44刷だ。ロングセラーである。蒙を啓かれる面白い本だった。

 今年の春、Eテレで放映した『3か月でマスターする世界史』の講師・岡本隆司氏の『世界史序説』で本書を知った。岡本氏は本書を、ウォーラーステインの世界システム論を祖述・発展させた不滅の業績と評価し、次のように紹介している。

 「『砂糖の世界史』が描くところは、世界最高水準の世界経済史像であって、それが高校生にでもわかる平易な日本語で読めるのは、後学の至福だといってよい。」

 こんな紹介を読めば、読まねばならない気分になる。

 砂糖をめぐる世界史は、植民地の大規模農園プランテーション発生の歴史であり、奴隷制度の歴史であり、大西洋での三角貿易の歴史であり、産業革命の歴史である。「砂糖のあるところに奴隷あり」という言葉を初めて知った。製糖業の発展が奴隷制度と表裏一体だったと知り、認識を新たにした。

 また、イギリスにおける紅茶の普及と砂糖が密接に関係し、それが産業革命に絡んでいることも知った。2年前に入手した高校世界史の図解副読本『最新世界史図説 タペストリー』巻頭の「読み解き演習」に「イギリスにおける紅茶の普及」という見開きページがあったのを思い出した。貴族が紅茶を飲む18世紀前半の絵画と労働者が紅茶を飲む19世紀後半の絵画を比較・考察するページだった。本書によって、あの考察への理解が深まった。

 『最新世界史図説 タペストリー』をよく見ると、監修者の一人は『砂糖の世界史』の著者・川北稔氏だ。川北氏はウォーラーステインの大著『近代世界システム』の翻訳者でもある。私はこの大著に挑む元気はないが、世界史システム論の考え方の一端に触れることができた。

 著者は「あとがき」で「この本は「世界システム」論といわれる歴史の見方と、歴史人類学の方法を使って書いてみました」と述べている。歴史人類学とは、モノや慣習などを通じて歴史上の人々の生活の実態を調べる学問だそうだ。確かに、砂糖などのモノに着目すれば、歴史の実態に触れたような気分になる。

 本書は日本における砂糖の歴史にも言及している。私は10年前にサイパン旅行をしたとき、サイパンの歴史を少し調べた。そのとき、海の満鉄と呼ばれた南洋興発という会社を知った。製糖業で発展した会社である。本書を読みながら南洋興発への言及があるかと期待したが、そこまで筆は及んでなかった。

観劇前に澤地久枝氏の「早わかり本」を読んだ2024年09月21日

 ノンフィクション作家・澤地久枝の高名は承知しているが、その著作を読んだことがない。澤地氏について少し知りたいと思い、家人の本棚にあった次の新書を読んだ。

 『昭和史とわたし:澤地久枝のこころ旅』(澤地久枝/文春新書/2019.5)

 澤地氏の膨大な著作の抜粋で構成したコンパクトな「仕事集成&一代記」である。編者がまとめたものを澤地氏がチェックしたようだ。オビには「本書はわが人生のアンソロジーです」とある。

 この新書1冊で澤地氏の人生や考え方の概要を知った気分になる。と言っても「早わかり本」である。著作の1編も読まずにわかった気になってはイカンとも思う。

 近く『失敗の研究―ノモンハン1939』という芝居を観る予定があり、それが本書を読んだ理由である。チラシによれば、1970年のとある出版社の女性編集者・沢田利枝や大物小説家・馬場が登場する芝居らしい。フィクションだろうが、沢田利枝は澤地久枝、馬場は司馬遼太郎をモデルにしているように思える。観劇前に未読の澤地氏について少しは知っておきたいと思った。

 本書は1頁に1~2編の抜粋を収録し、それぞれの抜粋に小見出しを付けている。短文の羅列だが、それを自然な流れで読める工夫がなされていて読みやすい。全体は次のような構成だ。

 序 その仕事を貫くもの
 Ⅰ わたしの満州――戦前から戦中を過ごして
 Ⅱ 棄民となった日々――敗戦から引揚げ
 Ⅲ 異郷日本の戦後――わが青春は苦く切なく
 Ⅳ もの書きになってから――出会った人・考えたこと
 Ⅴ 心の海にある記憶――静かに半生をふりかえる
 Ⅵ 向田邦子さん――生き続ける思い出

 私には、著者の苛酷な体験を綴った「わたしの満州」「棄民となった日々」が興味深かった。著者は15歳のときに満州で敗戦を迎え、1年後に博多港に上陸している。戦中派の背負った背骨を感じざるを得ない体験談だ。

 印象に残ったのは、俳句に命を救われたという話である。戦時中に満鉄調査部事件で検挙された獄中の夫に妻が送った葉書には、中村草田男の俳句「玫瑰や今も沖には未来あり」が書かれていた。私の好きな句のひとつだ。この葉書は厳しい検閲を通過して夫の手元に届く。獄死を覚悟していた夫は、この葉書で生き延びる気力を得たという。

 私は、俳句に関しては桑原武夫の「第二芸術」にくみするが、第二芸術のもつ玄妙な力を認めざるを得ない。

こんな人がいたとは知らなかった2024年09月14日

『奪還:日本人難民6万人を救った男』(城内康伸/新潮社)
 朝日新聞の書評(2024.8.17)で保坂正康氏が紹介していた『奪還』を読んだ。「引き揚げの神様」と呼ばれた民間人・松村義士男という人物に関するノンフィクションである。

 『奪還:日本人難民6万人を救った男』(城内康伸/新潮社)

 敗戦後の満州からの引き揚げの悲惨な苦労話はいろいろ読んだ気がする。だが、本書の内容は私にとっては初耳だった。こんな人物がいたのかと驚いた。

 舞台は北朝鮮である。私はうかつにも38度線は朝鮮戦争停戦によって定められた境界だと思っていた。この境界は朝鮮戦争以前の敗戦直後から存在していたのである。

 広島への原爆投下から2日後の1945年8月8日、ソ連が日本に宣戦布告し満州に侵攻する。そのため、敗戦後は38度線以北はソ連の管轄、38度線以南は米国の管轄となる。ソ連の撤収は北朝鮮が「独立」する1948年末である。

 当時、北朝鮮地域には約25万人の一般邦人が住んでいた。そこに満州から約7万人の避難民もなだれ込んで来た。南朝鮮地域にいた邦人は比較的スムーズに日本への引き揚げることができたが、38度線が事実上封鎖されていたため、北朝鮮地域には約32万人の邦人難民があふれる状況になった。食糧不足や厳寒のために命を落とす人も少なくなかった。

 なぜ、そんな事態になったのか。いろいろ理由はあるだろうが、ソ連軍が在留日本人の生活を無視して放置したからである。日本人送還の条件(費用負担など)に関して米ソがなかなか合意しなかったということもあった。北朝鮮地域でコレラの発生もあった。

 敗戦は1945年8月、その年の冬を生き延びた難民たちは、居住環境や装備品の悪化などで1946年の冬を越えるのは困難だとの焦りがあった。そんな難民の南朝鮮への脱出に尽力した「引き揚げの神様」が松村義士男である。

 労働運動に関わっていた松村は治安維持法違反で2回検挙されている。だが1940年頃には釈放され、朝鮮にある建設会社「西松組」で働いていた。敗戦3カ月前の1945年5月に33歳で召集され、敗戦時にはソ連軍の捕虜になる。そして、捕虜になった直後に脱走する。もし脱走しなければ、労働力としてシベリア送りになったはずだ。機転のきく人だったのだろう。

 脱走した後、現地で日本人難民救済のための組織を立ち上げ、多くの日本人を38度線の南へ脱出させる。そのために、ソ連軍や北朝鮮当局と事前に交渉して「黙認」を取り付ける。そんな微妙な交渉ができたのは、治安維持法違反で投獄されていたときの朝鮮人投獄者との「人脈」を活用したようだ。みずから「共産党員」と僭称したこともある。それにしても、脱走した捕虜がソ連軍と堂々と交渉できたのが面白い。修羅場に強い胆力の人である。

 ソ連が正式に日本人引き揚げを公認したのは1946年12月、すでに冬だった。それまでに、松村らの尽力によって大半の日本人が脱出していて、北朝鮮に残っていたのは8千人にすぎなかった。

 脱出事業完了後、松村は帰国して工務店を立ち上げる。だが、その工務店は人手にわたる。北朝鮮での脱出事業のために借り入れた資金の返済が破綻の原因らしい。1967年(敗戦後22年)に55歳で病死しているが、それまでの生活は不明である。

 敗戦後79年に出た本書を読んで、その時間の長さを感じる。空白の多い伝記にならざる得ない。事情を知る関係者の多くは存命でないので、人々が書き残した記録の渉猟がメインになる。それでも、著者は存命の引き揚げ者何人かにインタビューしている。16歳でソ連の侵攻を体験した94歳の女性は、ロシアのウクライナ侵攻のニュースに接して「あのときと全く一緒だわ。今も同じようなことが起きているなんて!」と語ったそうだ。

中世イスラム世界が舞台の小説『千年医師物語 ペルシアの彼方へ』2024年09月09日

『千年医師物語Ⅰ ペルシアの彼方へ(上)(下)』(ノア・ゴードン/竹内さなみ訳/角川文庫)
 知人から『千年医師物語 ペルシアの彼方へ』が面白いと聞き、ネット古書店で20年以上前に出た文庫本を入手した。

 『千年医師物語Ⅰ ペルシアの彼方へ(上)(下)』(ノア・ゴードン/竹内さなみ訳/角川文庫)

 中世の西欧と中東を舞台にしたスケールの大きい物語である。面白く読了した。大工の子としてロンドンに生まれ、孤児になった主人公が、イギリス中を放浪したあげく海を渡り、遠くイスファハーン(イラン)にまで赴き、医師修行し、妻子を連れて帰国する成長譚である。艱難辛苦・波乱万丈の物語でもある。展開の速い大河ドラマのようだ。

 同じく中世イギリスを舞台にしたオモシロ長編小説『大聖堂』を連想した。『大聖堂』と大きく異なるのは、中世のキリスト教世界だけでなくイスラム世界をかなり詳しく描いている点である。著者は米国の記者出身の作家で、1921年に95歳で亡くなっている。西欧の作家によるイスラム世界を舞台にした小説は珍しいように思う。

 本書はフィクションだが、イブン・シーナ(980-1037)という実在の大学者が登場する。第二のアリストテレスとも言われる百科事典的大学者で、『医学典範』などの著書もある。主人公はイブン・シーナに医学の教えを乞うために長い旅をするのである。

 加藤九祚の『中央アジア歴史群像』(岩波新書)はイブン・シーナについてかなり詳しく記述している。私はこの岩波新書を数年前に読んでいるが、イブン・シーナの名は失念していた。小説を読みながら、イブン・シーナについて検索し、かつて読んだ本に載っていたことを知った。この小説のイブン・シーナは重要な登場人物で印象深い。小説のおかげで、イブン・シーナの名をやっと覚えたような気がする。時間が経てば、また失念するかもしれないが…。

 小説が扱う11世紀は「12世紀のルネサンス」以前であり、学術や文化の先進地域はイスラムだった。西欧は後進地域である。そのことを明快に描いているのも、この小説のユニークな点だと思う。

 小説にはペストも出てくる。中世の医師たちは過去の文献を頼りにさまざまな対策を講じながらペストに挑む。そのなかで、壁を石灰で白く塗るという対策が出てきた。先日、南イタリア旅行でアルベルベッロを訪れ、白壁にとんがり屋根の中世の村を見た。ガイドは壁はペスト対策のため石灰で白く塗ったと説明していた。小説を読みながら、その説明とアルベルベッロの白壁を思い浮かべた。

【蛇足】
 本書の邦題は『千年医師物語Ⅰ ペルシアの彼方へ』、原題は『The Physician』である。この小説は三部作で、主人公の子孫を扱った『Shaman』『Matters of Choice』と続くらしい。邦題は三部作全体を『千年医師物語』とし、ⅠⅡⅢとしたようだ。第二部は19世紀のアメリカの話で、南北戦争が絡んでいるそうだ。子孫の話だとしても、まったく別の物語に思える。私は、今のところ第二部に挑む予定はない。

神聖ローマ皇帝フリードリヒ2世あれこれ復習2024年08月19日

『物語イタリアの歴史』(藤沢道郎/)、『神聖ローマ帝国』(菊池良生)、『文明の道(4) イスラムと十字軍』
◎フェデリコ? 誰やねん?

 先日観た芝居『破門フェデリコ~くたばれ!十字軍~』のパンフレットに、作者・阿部修英氏が「ただこのフェデリコ。日本では正直『誰やねん』。」と書いていた。その通りだと思う。私がこの皇帝の名を知ったのは約10年前、60歳を過ぎてからだ。

 神聖ローマ皇帝フリードリヒ(フェデリコ)2世に関する一般書はさほど多くはない。私が読んだ評伝は次の2冊である。

 『皇帝フリードリッヒ二世の生涯』(塩野七生/2013.12)
 『フリードリヒ2世』(藤澤房俊/2022.3)

 前者は歴史小説、後者は研究者による評伝である。どちらもこの皇帝を高く評価しているが、内容は多少食い違っている。前者がフリードリヒを「政教分離」「法治国家」という近代的概念を追究したルネサンスの先駆者と見なしているのに対し、後者はあくまで中世という時代の枠内で活躍した皇帝としている。

 日本人にとっては『誰やねん』状態のフリードリヒ2世が、歴史概説書ではどのように描かれているか、わが身辺のささやかな資料を再確認した。というか、昔読んだ本の内容を失念しているから、パラパラと読み返してみたのである。

◎高校世界史では…

 まず、高校世界史だ。教科書に載っている用語すべてを収録した『世界史用語集』(山川出版社)には、次の簡潔な解説が載っている。

 「フリードリヒ2世 1194~1250 神聖ローマ帝国皇帝(在位1215~50)。シチリア王を兼ね、外交交渉でイェルサレムを回復して地中海に支配権を確立した。

 高校世界史はこの皇帝を無視しているわけではない。

◎世界史シリーズ本では…

 続いて、世界史シリーズ『大世界史』(全26巻/文藝春秋)、『世界の歴史』(全30巻/中央公論社)、『週刊朝日百科 世界の歴史』(全26巻)の西欧中世の巻を確認した。いずれも、かなり昔の本だ。

 『中世の光と影(大世界史 7)』(堀米庸三/1967.12)は、外交交渉で一時エルサレムを回復したフリードリヒ2世の十字軍を、破門中の皇帝の仕事であるがゆえに「十字軍と名づけてよいかどうかも疑わしい」と述べている。人物像については「その性格は、彼の同時代の君主中まれにみる学殖とともに、謎につつまれた部分が少なくない」とし、ブルクハルトの「中世における最初の近代人」という言葉を紹介している。

 『西ヨーロッパ世界の形成(世界の歴史 10)』(佐藤彰一、池上俊一/1997.5)は社会史にウエイトを置いた概説書で、エルサレム無血回復には触れていない。教皇側の視点で「フリードリヒ2世の領土的野心に苦しみつつも教権伸長につとめ…」と述べているのが面白い。終章の「国民国家の懐胎」において、「フリードリヒ2世には、普遍的国家の主権にすべてを服従させようという、もっとも極端で完璧な秩序への情熱がうかがわれる」と述べている。ひとつの評価だと思う。

 『週刊朝日百科 世界の歴史』の第53号『13世紀の世界 人物』(1989.11)はフリードリヒ2世の伝記的解説に約1ページ半をあてている(筆者:橋口倫介)。エルサレムの無血開城を「破天荒の解決策を断行」と表現し、「後世の歴史家はこぞって彼を「時代の変革者」と高く評価している」と述べている。フリードリヒ2世を肯定的に紹介した解説記事だ。

◎概説書3冊

 世界史シリーズ本が概ねフリードリヒ2世に軽く言及しているのに比べて、次の3冊はフリードリヒ2世に相応のページを割いている。

 ①『物語イタリアの歴史』(藤沢道郎/中公新書/1991.10)
 ②『神聖ローマ帝国』(菊池良生/講談社現代新書/2003.7)
 ③『文明の道(4)イスラムと十字軍』(清水和裕・高山博・他/NHK出版/2004.1)

◎『物語イタリアの歴史』では…

 藤沢道郎氏の①の新書は全十話から成り、第4話「皇帝フェデリーコの物語」は、34ページをあてた簡潔明瞭で興味深い評伝である。

 フリードリヒ2世を語学・文学・科学などに秀でた万能人とし、「封建的な神権国家の理念を乗り越えて、近代的な国家理念を最初に体現した人」と評価している。法による支配を追究し、法体制の権威の根拠をカトリック教会ではなく古代ローマに求めたのは、ルネサンスに200年先駆けた古典古代復興だった、との見解である。

 フリードリヒ2世は異端を迫害する。反神秘主義の合理主義者が、異端迫害では期せずして教皇庁と一致したのは、宗教紛争を無秩序の要因と考えたからだとし、彼の強権的で苛烈な面も紹介している。

 晩年のフェデリコ2世はロンバルディア都市連合の反乱鎮圧に失敗する。その死闘のさまを「皇帝フェデリーコの姿は血を滴らせた地獄の魔王であった」と表現している。鎮圧失敗の要因として、都市連合の経済力とカトリック教会の民衆への影響力を過少評価したせいだとし、次のように述べている。

 「理性の人であり続けた皇帝フェデリーコは、道徳と感情の力を測り損ねたのである。」

◎『神聖ローマ帝国』では…

 菊池良生氏の②の新書本は「第5章 フリードリヒ2世―「諸侯の利益のための協定」」で25ページをフリードリヒ2世にあてている。この解説には①の藤沢氏の文章からの引用が何か所かあり、全体のトーンは①に近い。皇帝と教皇の対立を「理性と宗教の戦い」としている。

 フリードリヒ2世をニヒリストと見なし、「あらゆる価値を徹底して相対化していく積極的ニヒリスト」「当代随一のニヒリスト」と呼んでいる。

 また、彼を「ラストエンペラー」と表現しているのも面白い。彼の軸足はイタリアにあり、ドイツは分断統治する属州扱いだった。その分断統治が無数の領邦国家に分裂したドイツの姿につながる。フリードリヒ2世はローマを帝都と見なすローマ帝国の最後の皇帝であり、彼の後は神聖ローマ皇帝の「大空位時代」となる。

◎『文明の道(4) イスラムと十字軍』では…

 ③はテレビ番組『文明の道』の関連図書である。2003年11月放映の「NHKスペシャル 文明の道 第7集 『エルサレム 和平・若き皇帝の決断』」はフリードリヒ2世に焦点を当てた番組だった。この番組の取材協力者・高山博氏が本書に「フリードリッヒ2世と十字軍」という記事(21ページ)を書いている。

 フリードリヒ2世がアル・カーミルとの交渉によってエルサレムを無血で取り戻した件(ヤッファ協定)に焦点を当てた記事である。この平和共存の協定はキリスト教徒からもイスラム教徒からも評価されず、それぞれの側で激しい非難の渦が巻き起こる。10年という平和の期限の間は協定は守られたが、その後長く、フーリードリヒの十字軍はヨーロッパでは評価されなった。

 だが、ヨーロッパ中心の世界史認識から複数の文化圏が併存する世界史認識への変化を反映して、フリードリヒの十字軍は評価されるようになる。その再評価に着目する高山氏は、次のように述べている。

 「フリードリッヒ2世とアル・カミールに焦点を当て、ヨーロッパ史とイスラムの枠を超えた歴史事象を見ようとする行為は、まさに、地球上のさまざまな人間集団の歴史を包摂する、そのようなグローバル・ヒストリー構築への第一歩なのである。」

◎よくわからない…

 フリードリヒ2世に関するいくつかの文章を読み返し、伝説や神話も含めてこの人物の面白さを再認識した。ドイツとイタリアに対する統治方針の違いなど、わかりにくい事項も多い。人物像は魅力的だが、後のドイツ史やイタリア史にもたらした影響がプラスなのかマイナスなのか、いまひとつよくわからない。

ナポリは妖しい魅力の都市のようだ2024年08月06日

『ナポリ:バロック都市の興亡』(田之倉稔/ちくま新書)
 ナポリという都市の歴史の概説書と思って、次の本を入手して読んだ。
 
 『ナポリ:バロック都市の興亡』(田之倉稔/ちくま新書)

 私が想定した概説書とは少し異なり、かなりマニアックな内容だった。著者は演劇評論家&大学教授である。冒頭から「プルチネッラ」というナポリの道化の話が続き、少々面くらった。だが、読み進めるにしたがって著者の世界に引き込まれ、面白く読了した。

 本書は18~19世紀のナポリを芸能・演劇という視点で描いている。ナポリという都市は、そんな視点でなければ捉えられない不思議な都市のようだ。本書の各章のタイトルは以下の通りである。

 第1章「迷宮都市」――プルチネッラの生きる街
 第2章「ピカレスク都市」――悪魔の住む天国
 第3章「芸能都市」―ベル・エポックの面影
 第4章「祝祭都市」――生と死の交錯
 第5章「オペラ都市」――サブ・カルチャーとしてのバロック精神
 第6章「歌謡都市」――羽ばたいた民衆エネルギー

 目次を一覧すれば、この都市の雰囲気が何となく浮かび上がってくる。私はオペラにもカンツォーネにも不案内である。だが本書によって、きらびやかで猥雑な未知の世界を垣間見た気分になった。ナポリを訪問したゲーテ、デュマ、スタンダールらの見聞記の紹介もあり、往時のナポリの姿を身近に感じた。

 「カストラータ」なる存在を本書で初めて知った。カストラータとは去勢した男性ソプラノ歌手のことである。天使のような清澄な声が人々を魅了し、教会の聖歌隊やオペラ座に多くのカストラータがいたそうだ。著者は次のように述べている。

 「ルネサンス文化が自然や調和を重んじたとすれば、バロック文化は人工性やデフォルメされた美を偏愛した。とするとカストラータ歌手はまさにバロック精神を実現したものなのである。バロック都市ナポリ、音楽都市ナポリでカストラータが育てられたのは、したがって必然性があった。」

 宦官は、中国・ビザンツ・イスラム諸国などにいたが、西欧世界は宦官を忌避していたと聞いていた。カストラータの存在を知ったのは、私には新鮮な驚きだった。

イタリア海洋都市はビザンツやイスラムと近い2024年08月03日

『イタリア海洋都市の精神(興亡の世界史)』(陣内秀信/講談社学術文庫)
 先日読んだ『南イタリアへ!』の著者・陣内秀信氏の次の本を読んだ。

 『イタリア海洋都市の精神(興亡の世界史)』(陣内秀信/講談社学術文庫)

 20年近く前に出た講談社の歴史叢書『興亡の世界史』を文庫化した1冊である。本書が取り上げるイタリア海洋都市はヴェネツィア、アマルフィ、ピサ、ジェノヴァの4都市であり、その他の都市に簡単に触れている。

 著者は建築史・都市史を専攻するフィールドワークの研究者なので、本書は一般的な歴史概説書とは少し趣が異なる。都市史の概説というよりは歴史都市のディープな案内書である。イタリアの海洋都市には遺構や遺跡があると同時に、現代の都市の中に中世やルネサンスの姿がさまざまな形で残されている。だから、本書のようなアプローチが可能なのだろう。

 本書はヴェネツィアに3割強のページを割き、アマルフィに約四分の一のページを割いている。その他の都市への記述は相対的に簡略だ。私は10年以上昔に塩野七生氏の『海の都の物語:ヴェネツィア共和国の一千年』を読み、ヴェネツィア観光をしたこともある。今月末にはアマルフィ観光を予定している。だから、ヴェネツィアとアマルフィに関しては興味深く読めた。行ったことも行く予定もない都市に関するガイドは読み飛ばし気味になる。われながら現金な読書だと思う。

 本書によってあらためて感じたのは、イタリア海洋都市が東方の裕福なビザンツやイスラムと密接な関係にあったということである。それは、ローマ教皇とは一定の距離をとっていたということであり、宗教的なことよりは交易による利益を優先させたわけだ。合理的で健全な態度だと思う。もちろん、すべてが合理的で健全だったわけではないが…。

 17世紀から19世紀にかけてのグランドツアーの時代、アルプス以北の裕福な貴族の子弟にとってイタリアのローマやナポリは憧れのエキゾチックな旅行先だった。グランドツアーが古代ローマの魅力に関連しているとは認識していたが、本書によって、ギリシアへの憧れも関連しているとの認識を新たにした。

 グランドツアーの時代、ギリシアはオスマン帝国領で、アテネは容易に行ける都市ではなかった。南イタリアの都市の多くは、かつてはギリシアの植民都市で、その後、ビザンツ帝国の影響を強く受けた。南イタリアにはギリシアの姿が色濃く残っていた。旅行先としての南イタリアは、容易には行けないギリシアの代替でもあったのだ。