岡山文庫の『吉備真備の世界』は読みやすくて面白い2020年08月03日

『吉備真備の世界』(中山薫/岡山文庫/日本文教出版/2001.2)
 私は岡山県出身なので「岡山文庫」は昔から知っている。岡山の出版社(岡山県教職員組合の外郭団体)が刊行している岡山テーマの文庫である。この「岡山文庫」に吉備真備に関する本があると知り、さっさく入手して読んだ。

 『吉備真備の世界』(中山薫/岡山文庫/日本文教出版/2001.2)

 この本がめっぽう面白く、勉強になった。コンパクトだが濃い。私としては吉備真備本の決定版である。

 私は、吉備真備が岡山ゆかりの人物だから関心があるのではない。遣唐使船で玄昉とともに平城京に来た胡人(ソグド人)を描いた松本清張の小説『眩人』を読んだのを契機に、玄昉と行動をともにしていた吉備真備が気がかりな存在になったのである。

 本書の著者は県立高校に38年間勤務したのち、岡山大学の非常勤講師を務めた研究者である。吉備真備ゆかりの真備町在住で、真備町教育委員長も務めたそうだ。本書は偏狭な郷土贔屓目線の偉人伝などではない。全国区レベルあるいは世界史レベルで冷静に吉備真備を描いている。

 一般向けの本なので読みやすくてわかりやすい。しかも、かなり深い。読みやすいのは、引用史料を現代文に読み下しているからである。その点について、著者は「あとがき」で次のように述べている。

 「読み下しには、筆者の独断的解釈を避けるように努めたが、読み下し自体、筆者の解釈が入るものである。出来れば原典に当たり、筆者の読み下し文そのものも批判的にお読みいただければ筆者にとって、この上ない幸いである。」

 好感のもてる述懐で、「原典に当たり」という語句に著者の思いが感じられる。著者は本書において、研究者たちが「原典に当たる」ことを怠って孫引きなどで「誤り」を拡散させている状況を憂いているからである。

 本書の直前に人物叢書の『吉備真備』(宮田俊彦)を読んでいたのは正解だった。著者・中山薫氏は『吉備真備』(宮田俊彦)を「現在、吉備真備研究では最も権威ある著作」として、宮田氏の見解を随所で紹介している。だが全般的には、中山氏は宮田氏に批判的である(宮田氏は本書刊行以前に没している)。宮田氏の記述の誤りをいくつか指摘し、宮田氏の見解への異論も展開している。そんな箇所を興味深く読めたのは、宮田氏と中山氏の著作を続けて読んだからである。

 宮田氏の見解への中山氏の異論の一つは、大宰府に左遷された真備が遣唐副使に任命された理由である。宮田氏は、高齢の真備が船旅で発病することを期する藤原仲麻呂の下心があったのでは、と推測している。中山氏は、この遣唐使には重要な任務があったため、仲麻呂は余人をもって代えがたい真備を「しぶしぶ追加任命した」のでは、と推測している。

 また、大宰府の真備が70歳にして造東大寺長官として都に復帰(復権)した件について、この人事を決めた人物を、宮田氏は孝謙天皇とし、中山氏は藤原仲麻呂としている。宮田氏の見解は常識的で理解しやすい。中山氏の見解は、仲麻呂が真備を取り込もうとして都に呼び戻したが、上洛した真備は政界の底流を見て仲麻呂に与することの危険を察した、というものである。

 私は門外漢なので研究者たちの見解を評価することはできない。だが、本書を読む限りでは著者・中山氏の見解に説得力を感じた。

 本書は史料をベースに真備の生涯を検討しているだけでなく、史実とは別物の説話や伝説も史料として紹介し、後世、真備がどう見られてきたかを辿っていて、この部分も面白い。著者自身は真備の人物評には控えめだが、折々の真備の心情を推測した表現があり、おのずと真備の人物像が浮かび上がってくる。

 本書の「はしがき」では、真備が留学した時代の長安にはキリスト教(ネストリウス派)、ゾロアスター教、マニ教などが存在したと紹介し、真備は国際都市・長安で政治、経済、文化、人間の多様性を学んだはずだと推測している。非常に興味深い話で、この推測に呼応した本文の展開を期待したが、残念ながら、それはなかった。直接史料が存在しないからだろう。

吉備真備は直接史料のない人物2020年07月31日

『吉備真備』(宮田俊彦/人物叢書/吉川弘文館)
 ‫いま、吉備真備が小さなマイブームなのだが、歴史概説書、小説、テレビドラマ、漫画では吉備真備の全体像を把めた気がしない。で、次の本を読んだ

 『吉備真備』(宮田俊彦/人物叢書/吉川弘文館)

 日本歴史学会編集の「人物叢書」の1冊である。新本で入手したが、1961年刊行のかなり古い本の新装版で、研究者の専門的著作に近い。

 本書の「はしがき」で著者は次のように述べている。

 「吉備真備については、不思議なことに直接史料が殆どない。(…)高名天下に轟く真備であるにも拘わらず、この人に関する研究が余りない。単行本も研究論文も、その数が多くない理由であろう。」

 そんな事情だと初めて知った。ネット検索しても一般向けの手頃な本が見つからなかったわけだ。本書は、数少ない間接史料を紹介しながら、先行研究者の説を検討しつつ著者の見解を述べている。史料が少ないせいで、吉備真備の生涯をたどる評伝とは言い難い。真備に関連する史料を収集整理した生涯の点描に近い。

 本書は以下の5つの章で構成されている。

  第1 真備の出自
  第2 虚往盈帰
  第3 広嗣の乱
  第4 再度の入唐
  第5 大宰府の真備
  第6 右大臣吉備真備

 第6の分量が全体の4割に近いのは史料の多寡の反映だろう。第2の「虚往盈帰(きょおうえいき)」は難しい言葉だ。広辞苑にはないし、ググっても出てこない。この章は留学生として唐に渡った真備を扱っていて、「入唐する前はカラッポで、唐に行ってよく学んで頭一杯学問を充実させて帰って来た」ということを表す言葉が虚往盈帰なのである。

 本書に引用されている史料の文章は私には難しく、十分に理解できたわけではないが、著者が描く真備像はなんとなく把めた。著者は本書の末尾で真備の生涯を5期にわけて整理している。略述すれば以下のようになる。

 第1期 誕生(695年)~22歳
  下級武官の子に生まれる。成績優秀で入唐を命ぜられる。
 第2期 23歳~41歳 留学期間
  学習は多方面に及び、帰国に際して多くの漢籍を持ち帰る。
 第3期 41歳~55歳
  官位の昇進、目覚ましい限り。
 第4期 56歳~70歳
  大宰府に左遷。57歳で遣唐副使として再び入唐、60歳で帰国。
  平城京に戻るも、すぐに大宰府。主に軍事方面に才能を発揮。
 第5期 70歳~81歳で死去(775年)
  造東大寺長官として帰京。恵美押勝の乱で軍学用兵の妙を発揮。
  参議を経て右大臣(72歳)。77歳で辞め、81歳で死去。

 真備が留学を終えて帰国してから逝去までの40年は、権力者の浮沈がくり返される激動の時代だった。権勢にあった藤原家の四子が天然痘で死去、代って橘諸兄が勢力を伸ばし、藤原広嗣が乱を起こすも敗死、やがて藤原仲麻呂が台頭し橘諸兄は力を失い、諸兄の子・奈良麻呂が仲麻呂を除こうとするも失敗、その仲麻呂(恵美押勝)も道鏡の台頭で力を失い、乱を起こして敗死、だが道鏡も没落する。そんな転変の40年間、真備は権力の中枢に近い場所で無事に生き延び、天寿をまっとうしたのである。

 真備は儒学者だが、主に軍学の才で評価されたようだ。その軍学の内容は、私にはよくわからない。詩歌の才はなかったらしい。この時代の史料として、要人が万葉集や懐風録に残した詩歌が引用されることが多い。だが、万葉集にも懐風録にも真備の作品はない。

 著者は真備の人物像を次のように推測している。

 「真面目な、文字通り穏健な人であった(…)政治家としては極めて地味であって、華々しい活動をしない。(…)功績がない、というのでは断じてなく、改革や変動には不向きな人であった(…)詩文の方にではなく、いわば実学の方に力を注いだと思われる。(…)生涯を通じての謙遜な努力家であった」

 こんな地味そうな人物は歴史小説の主人公には不向きに思える。テレビドラマ『大仏開眼』が吉備真備を主人公にしたのは、なかなかのチャレンジだったと思う。

吉備真備に関する昨年末のビッグニュース2020年07月29日

 吉備真備に関して、昨年(2019年)12月に新発見の新聞報道があったと人から聞いた。図書館に行き、新聞縮刷版の該当記事をコピーした。2019年12月26日の朝日新聞朝刊の記事で、見出しに「吉備真備の書か 中国に墓誌」とある。

 奈良時代に遣唐使船で留学生として唐に渡った吉備真備が、唐で書いた墓誌が発見されたという記事である。唐の中級官僚の墓誌で、文章を考案したのは中国人で、筆をとったのは吉備真備らしい。末尾に「日本国朝臣備書」とあるそうだ。734年の墓誌なので、留学生・真備39歳の時の書である。

 吉備真備は歴史上の人物としてそこそこの知名度はあると思うが、彼が書いた文書は一つも残っていないそうだ。だから、この1285年前の墓誌が真備の書とすれば、初めて真備の書いたモノが確認されたことになる。確かにビッグニュースである。

 この記事には、吉備真備の簡単な紹介がある。その一部は以下の通りだ。

 「(吉備真備は)下級役人の家に生まれ、のちに唐で官僚になった阿部仲麻呂らと一緒に717年に留学生として唐に渡った。帰国後は政権内で活躍したが、左遷され、遣唐副使に任命され、再び唐に渡った。帰国後に政権中枢の右大臣まで出世し、81歳で死去した。」

 1回目の入唐は22歳、18年間の留学生暮らし、40歳で帰国して異例の出世を遂げるも左遷され、2回目の入唐は58歳から60歳、帰国後も大宰府勤めだったが、70歳で都に復帰して出世、そして81歳で没する。生還率6割の遣唐使船で2回生還、上昇下降また上昇――なかなかの人生である。

吉備真備はネズミ男だった2020年07月27日

『火の鳥:鳳凰編』(手塚治虫/COM名作コミックス/虫プロ商事)
 テレビドラマ『大仏開眼』をオンデマンドで観て、吉備真備が気がかりな人物になったとき、遠い昔に吉備真備が登場するマンガを読んだ記憶が甦ってきた。手塚治虫の『火の鳥』である。本棚の奥を探索し、それが『鳳凰編』だと判明した。1970年12月刊行のB5判コミッックである。半世紀ぶりに再読した。

 『火の鳥:鳳凰編』(手塚治虫/COM名作コミックス/虫プロ商事)

 大仏建立の天平時代の仏師の物語で、橘諸兄、吉備真備、良弁などの実在の人物も登場する。久々に手塚マンガを再読し、巨匠に対しては失礼な言い方になるが、やはり巧いなと感心した。

 手塚マンガは構成やストーリーがキッチリしていても、本筋とは無関係にヒョウタンツギやベレー帽の作者などが出現するアソビが挿入されるのが楽しい。1970年刊行のこの漫画にも大阪万博やサイケデリックを反映したコマがある。時代を感じさせるそんなシーンも、いま見れば貴重に思える。

 このマンガに登場する吉備真備は偉ぶった高級官僚の爺さんで、時の権力者・橘諸兄に対抗する人物で、終盤には左遷させられる。橘諸兄は真備を「なり上がりのくせに唐にいったのをハナにかけて出しゃばるからだ」などと詰る。唐から帰国した吉備真備は橘諸兄に重用されたというイメージがあるので、手塚治虫の真備像はやや意外である。

 私が面白く思ったのは、真備をネズミ男として描いているコマがあることだ。アソビのギャグ・コマだが、1970年の時点で手塚治虫が水木しげるのキャラクターを借用しているのに驚いた。かなり意識していたのだろうか。『ゲゲゲの娘、レレレの娘、らららの娘』(文藝春秋)という座談会本で手塚治虫の娘が「親子二代にわたる水木漫画への嫉妬心ですよー」と語っているのを思い出した。

 ギャグとは言え、吉備真備をネズミ男に見立てるのは秀逸で辛辣である。海外帰りの知識を武器に権力に取り入って出世し、左遷の憂き目にあってもしぶとく復活するというイメージに重なって面白い。さすが、手塚治虫である。

井上靖の『天平の甍』を初読2020年07月26日

『天平の甍』(井上靖/新潮文庫)
 天平時代や遣唐使への関心が高まり、テレビドラマ『大仏開眼』をオンデマンドで観ていて、ふと気づいた。井上靖の高名な『天平の甍』を未読だと。

 井上靖の小説は、中学時代に『あすなろ物語』で甘酸っぱく感動し、高校時代には古典の教師に『異域の人』を勧められて読み、同時に『蒼き狼』も読んだ。その頃、『天平の甍』も読まねばと思ったが、未読のまま時は流れ、いつしか井上靖は私の関心外の作家になった。

 久々に『天平の甍』を思い出し、駅前の書店へ行くと、この小説は文庫本の棚に健在だった。さっそく購入して読んだ。

 『天平の甍』(井上靖/新潮文庫)

 鑑真(本書では「鑒真」と表記)を招聘した遣唐使の僧たちの苦闘物語である。頭が天平モードなので面白く読了できた。読んだばかりの『遣唐使』(東野治之/岩波新書)とは、些細な史実の食い違いがある。この小説の刊行は1957年(私は小学3年だ)だから、その後、歴史研究が進展したのかもしれない。単なる解釈の違いとも考えられる。小説だから、どうでもいいのだが……。

 この小説は、大雑把い言えば、天平5年(733年)の遣唐使として唐に渡った僧・普照が、天平勝宝4年(752年)の遣唐使の帰国船で鑑真を連れて帰国するまでの約20年間の物語である。遣唐使は十数年ごとにしか派遣されないので、天平5年(733年)の次が天平勝宝4年(752年)である。

 遣唐使で派遣された人々の生還率は6割ぐらいだそうだ。遭難が多かったからである。滞在十数年になる留学生や留学僧には客死する人や帰国を断念する者も少なくなかった。

 この小説は、天平5年(733年)の遣唐使船に乗った4人の留学僧を巡る話で、次の遣唐使船で帰国できたのは一人(普照)だけである。留学僧たちの要請に応えて訪日を決断した鑑真は次の遣唐使を待っていたのではない。自ら手配した船で何度かの渡海を試みるがすべて失敗し、最終的には次回の遣唐使船で訪日を果たすのである。

 私が興味深く思ったのは、天平5年(733年)と天平勝宝4年(752年)の遣唐使の両方に吉備真備が関わっている点である。養老元年(717年)の遣唐使船で唐に渡った吉備真備や玄昉は、16年間の留学生活を終えて天平5年(733年)の遣唐使船で帰国する。普照たちとはすれ違いである。入国した普照は帰国する真備に会う。その場面描写は以下の通りだ。

 「普照には、真備は背の低い、穏やかな風貌を持った平凡な人物に見えた。」

 19年後、吉備真備は遣唐使副使として再び入唐する。橘諸兄のブレーンとして栄達したものの、台頭した藤原仲麻呂に疎んじられ、都から遠ざけられたのである。

 普照は19年ぶりに真備に再開するが、真備は普照を憶えていない。この場面の描写は以下の通り。

 「どこか傲岸なとことのある自尊心の強そうな気難しい老人でしかなかった。」

 普照が、高僧鑑真とともに何度も渡海を試みるも失敗した苦労話をしても、真備はまったく感動せず、嘲笑を込めて次のように語る。

 「渡れるように準備してかかれば、自然に船は海を渡るだろう。月、星、風、波、あらゆるものの力を、船が日本へ向かうように働かせなけらばならぬ。若し反対の働き方をさせていれば、いつまで経っても、船は日本へは近寄らぬだろう。」

 井上靖の描いた吉備真備はインテリ風を吹かせるイヤな奴である。

NHKドラマ『大仏開眼』をオンデマンドで観た2020年07月24日

松本清張の『眩人』を読んだのを機に天平時代や遣唐使への興味がわき、次のテレビドラマをオンデマンドで観た。

 『大仏開眼』(作:池端俊策)

 10年前にNHKで放映されたドラマで、前編・後編合わせて3時間だった。吉備真備を主人公にした話で、主な出演者は以下の通りだ。

 下道真備→吉備真備:吉岡秀隆
 阿倍内親王→孝謙天皇:石原さとみ
 藤原仲麻呂:高橋克典
 玄昉:市川亀治郎(現在の猿之助)
 葛城王→橘諸兄:草刈正雄
 聖武天皇:國村隼
 光明皇后:浅野温子
 行基:笈田ヨシ

 活字で名前のみ認識している歴史上の人物が、俳優の演じる映像で目の前に現れるのは、かなり楽しい体験である。おぼろだった人物像が映像によって鮮明になったりもする。もちろん、自分のイメージとは違うと感じることもある。このドラマでは、ヒーローとヒロインの下道真備と阿倍内親王は「違うな」と感じた。ヒーロー・ヒロインは美化しなければならないので仕方ないとも思う。藤原仲麻呂、聖武天皇、光明皇后などは「なるほど」というイメージで、玄昉はピッタリだと思った。

 このドラマで私が惹かれたのは、朱雀門などの平城京や造営中の大仏、大仏開眼会などを迫力あるリアルな映像で表現している点である。貴族たちの衣装や館、疲弊した庶民のさまも絵になっている。タイムマシンで平城京を訪問した気分になり、それだけで十分に満足した。このドラマの時代考証は、岩波新書『遣唐使』の著者・東野治之氏である。

 ドラマは吉備真備と玄昉が唐から帰国する場面から始まり、仲麻呂の乱で終わる。史実をベースにしているとは言え「吉備真備 vs 藤原仲麻呂」という構成に単純化したドラマに仕立てている。ヒーロー・ヒロインを際立たせるためか、道鏡は登場しない。

 3時間のドラマとしては、かなりの事項を盛り込んでいて、省略は仕方ないにしても、これでいいかと思う。ただ、このドラマで美化されている吉備真備像がどこまで史実を反映しているか、少し気になった。フィクションと割り切ればいいのだが、吉備真備が気がかりな人物になってしまった。

女帝(孝謙=称徳)はなぜ道鏡を天皇にしたかったのか?2020年07月22日

『女帝と道教:天平末葉の政治と文化』(北山茂夫/講談社学術文庫)
 先日読んだ『奈良の都(日本の歴史 3)』(青木和夫)の終章のタイトルは「道鏡と女帝」だが、道鏡についてさほど詳しくは書いていない。宇佐八幡の二つ神託の話に続いて次のように述べている。

 「この事件から半年とたたないうちに女帝は病気となり、ついに後継者を指名しないままに死んだ。道鏡は同時に没落した。/後継者の推薦のいきさつや、広虫・清麻呂姉弟および道鏡のその後は、第4巻の話題であり、また解釈でもある。」

 「以下次号」なのである。次号の『平安京(日本の歴史 4』(北山茂夫)の冒頭をパラパラと拾い読みしたが、いま、平安時代にまで手を伸ばす気はない。シルクロードやソグド人への関心から平城京に興味をもったのであり、日本史の泥沼に踏み込むのは危険だ。当面は関心領域を平城京にとどめておきたい。だが、道鏡の「その後」は気になる。『第4巻』の著者が書いたコンパクトな本を見つけたので、それを読んだ。

 『女帝と道教:天平末葉の政治と文化』(北山茂夫/講談社学術文庫)

 著者は天武・持統の時代を古代王朝の黄金期としており、次のように述べている。

 「古代国家の上昇カーブは、持統・文部の共治の大宝時代に、極点に達し、文部の末の慶雲期を境として、緩やかな下降をたどるようになる。」

 女帝(孝謙=称徳)と道鏡の時代は、その下降線の行き着いた果ということになる。本書で面白く感じたのは、道鏡に対してやや同情的な点である。また、「道鏡を天皇へ」の神託を創作した宇佐八幡の人々に関する考察も興味深い。著者は、九州地方では朝廷への反発心が根強かったとし、次のように述べている。

 「宇佐地方の土豪と考えられる田麻呂、杜女らは、朝廷を利用しようという考えは熾烈であったが、忠誠という点になるとたいへん疑わしい。まま子扱いされてきた西辺の土豪の根性が強い。だからこそ、中央の王臣や朝廷と関係の深い他の地方の土豪からみれば、ゆるしがたいだいそれた思想を大胆に、神託の形で表明しえたのである。

 その神託は、道鏡を天皇にしたいという女帝の心境におもねったものである。そもそも、そんな女帝の考えが妄執と乱心に思えるが、本書を読んで女帝の心境が納得できた。聖武・光明の子である女帝は、親から受け継いだ仏教を貴ぶ精神を発展させただけなのである。仏法の世界の最高位者・法王が俗界の王・天皇になることこそが理想世界に思えたようだ。

 著者は本書の末尾近くで、道鏡と玄昉を並べて取り上げ、次のように締めくくっている。

 「二人とも天平期の大きな内乱をくぐりぬけ、玄昉は、内乱で傷つき、道鏡は、内乱の波にのって、政界に登場した。この二僧の晩年は、落莫たるものであり、同時代ならびに後世の史家から不当に筆誅をうけて現代に及んでいるが、やはり天平仏教の宮廷的側面を代表する才物であった、といわねばなるまい。」

『遣唐使』(東野治之)に波斯人李密翳への言及があった2020年07月20日

『遣唐使』(東野治之/岩波新書/2007.11)
『奈良の都(日本の歴史 3)』(青木和夫)などで頭が奈良時代モードになり、次の新書も読んだ。

 『遣唐使』(東野治之/岩波新書/2007.11)

 遣唐使については『奈良の都』でも相応のページを割いた説明があった。留学僧・玄昉や渡来波斯人を描いた松本清張の『眩人』の背景をもう少し詳しく知りたいと考え、この新書読んだ。

 研究者の著作なので各種史料をベースに遣唐使の実態を描いていて、著者の見解や発見も紹介している。門外漢の私には興味深い内容だった。

 著者は本書で遣唐使のダブルスタンダードを指摘している。遣唐使は朝貢であり、唐は日本を属国視していた。日本はそれを承知していながらも独立国かのようにも振る舞っている。日本が遠い島国だったので、そんなあいまいな状態が可能だったようだ。日本の国際関係上の特殊な条件は古代から現代まで変わらず、そのせいで日本の統治者に外交センスが欠如している――著者はそう述べている。

 私が関心のある中国人以外の渡来人については次の記述がある。

 「インド僧菩提僊那、ベトナム(林邑)僧仏哲、ペルシア(波斯)人李密翳などが有名で、そほかにも鑑真一行の中に、イラン(胡国)人安如宝、インドシナ・インドネシア(崑崙)人軍法力がいる。」

 松本清張が題材にした李密翳は有名なようだ。波斯人と胡人がどう違うのかはわからないが、鑑真一行のなかに「安」姓の人物がいたと知り、ソグド人の影を見た気になった。著者は、これらの人々は混血が進んでいた可能性もあり「イラン人だから碧眼と決めてかかるのは避けるべきだろう」と述べている。

 また、本書の終章「日本文化の形成と唐文化」で、著者が日本の鎖国性に言及しているのが印象に残った。古代における唐文化の受容は明治維新後の欧風化以上に急速な唐風化だったが、それは「選択的受容」であり、道教や宦官は受け容れなかった。日本が大陸から遠い自給自足可能な島国だから、海外から強い影響を受けながらも、その影響から解放されることもできた。それを、著者は「潜在的な鎖国体質」とし、近年の日本史の学界で強調される「開かれていた日本」論に疑義を呈し、次のように主張している。

 「歴史の大局から見れば、それ(「開かれていた日本」論)に偏ると日本が本質的に持つ鎖国体質に目をつむってしまうことになる。歴史を将来に役立てる意味でも、むしろ日本の鎖国性こそ自覚されるべきであり、それはいくら強調してもし過ぎることはないだろう。」

【蛇足】
 2007年刊行の本書に1965年刊行の『奈良の都 日本の歴史 3(青木和夫)』に言及した箇所がある。遣唐使には北路、南路、南島路があるとされているが、本書の著者・東野治之氏は「青木和夫氏が早くに南島路の存在を否定されていたのは、炯眼というほかはない(『日本の歴史 三)」と述べている。だが、最新の『詳説日本史図録(山川出版社)』にも、北路、南路、南島路が明記されている。

奈良時代は原色の若い時代2020年07月18日

『奈良の都(日本の歴史 3)』(青木和夫/中央公論社/1965.4)
 半世紀前に出た中央公論版『日本の歴史』の第3巻『奈良の都』を読んだ。

 『奈良の都(日本の歴史 3)』(青木和夫/中央公論社/1965.4)

 平城京に来たペルシア人(ソグド人)を描いた松本清張の『眩人』を読み、平城京の様子を確認したくなったのである。

 ちょうど1年前、この時代を描いた歴史小説と歴史概説書を読んだ。光明皇后が主人公の葉室麟の小説『緋の天空』と集英社版『日本の歴史4 天平の時代』 (栄原永遠男/1991.9)である。奈良時代に関して頭の中に多少のイメージが形成されていてもいいのだが、1年もたつと読書記憶がおぼろになる。霞んでいく記憶の再生を期する気持ちもあって本書を読んだ。

 本書挟み込み附録の対談で著者の青木和夫氏は次のように語っている。

 「編集部から、説明的な歴史、つまり概説は聞き飽きているから、事実そのものを読者の考える材料として出してほしいといわれたものですから、エピソードをまじえてクローズアップ的手法で事実をだしたつもりです。」

 確かにそのような歴史書である。読者に高校日本史レベルの知識があるのを前提にした叙述になっていて、もう少しきちんと説明してほしいと思う箇所もある。だが、8世紀に生きた人々の様子が浮かんできて、興味深く読めた。当時の人々の心情や思考を推測するため、『万葉集』や『日本霊異記』からの引用が多い。

 コロナ禍の読書なので、藤原四兄弟が天然痘で次々と倒れていくシーンが印象に残った。政権が生き残った者へ移行するのが歴史の妙だ。兄弟がたがいに見舞いに行ったので感染したのではとの推測に続いて「(感染しなかった)光明皇后は兄たちの見舞いには行かなかったのであろうか」と述べている。

 私が本書で確認したかったことのひとつは、『眩人』で描かれたような平城京で活躍する外国人の姿だった。大仏開眼の導師が南インド生まれの婆羅門僧正だったなどの記述はあるが、平城京で活躍する外国人一般に関する明確な言及はなかった。

 奈良時代の色彩感覚を次のように指摘しているのが興味をひいた。

 「色のつかいかたまで、奈良時代では平安時代以後の日本とは別である。中間色は目立たず、原色的な油濃さが横行している。渋さなどとは縁がない。」

 「日本人の色彩感覚が、奈良・平安をさかいに大きく変わったように思えてならない。それは行動的な奈良貴族から観照的な平安貴族への変化と対応しているようでもある。」

 本書の巻末近くの次の記述も印象深い。

 「八世紀の世界には、老いた国々(唐?)、壮年の国々(ビザンチン帝国?)、若い国々(フランク王国、アッバス朝?)が、たがいに境を接していた。人々はあるいは国を憂えて信念に死に、あるは国を忘れて世を楽しんだ。日本は東アジアの片田舎のまだ若い国であり、人々は未知の世界に強烈な関心を向けていた。」

 あらためて、奈良時代は面白いと気づいた。

ソグド人に関する研究者たちのレポート集を読了2020年07月11日

 『ソグド人と東ユーラシアの文化交渉』(森部豊:編/勉誠出版/2014.8)
 松本清張の『眩人』を読んだのを機に、読みかけだった次の本を読了した。

 『ソグド人と東ユーラシアの文化交渉』(森部豊:編/勉誠出版/2014.8)

 本書は一般向け概説書ではなく論文集に近い。冒頭の総論で編者は次のように述べている。

 「本書のねらいは、このように二十世紀後半から二十一世紀はじめにかけて、急速に進展したソグド研究の最新情報を、その第一戦で活躍する研究者によって伝えてもらおうとするものである。(…)十四名の研究者により、空間的にはソグディアナから中国東端の華北まで、時期的にはおよそ四世紀から十一世紀ころまでのソグド人の諸相が描かれることになる。」

 14編それぞれを興味深く読んだ。門外漢にとってはトリビアルに感じられる議論や考察もあるが、研究者の問題意識のありようがわかり、それなりに面白かった。本書の内容を十分に咀嚼できたわけではないが、ソグド研究の現状を垣間見ることができ、ぼんやりとではあるがソグド人の多様なイメージをつかむことができた。

 研究者たちのレポートだから、当然ながら史料の紹介・検討が中心である。文書史料や絵画史料もあるが、史料の多くは石碑や墓誌である。20世紀末になってソグド人墓誌の発見が相次いだのは、中国で開発工事が進展したという事情もあるようだ。また、ソ連崩壊によってソ連内に保管されていた中央アジアの史料へのアクセスが容易になったということもあるらしい。

 14編の論文の中には、松本清張が『眩人』で提示した「平城京にやって来たソグド人」を考察したものはない。正倉院にソグド人関連と見られる物があるのは知られているが、日本でソグド人の墓誌が発見されたという話は聞かないので、それは仕方ないことだろう。