『神曲:煉獄篇』は想定以上に面白かった2023年09月09日

『神曲:煉獄篇』(ダンテ・アリギエリ、原基晶訳/講談社学術文庫)
 『神曲:地獄篇』に続いて『煉獄篇』を読んだ。『地獄篇』ほどには面白くなかろうとの予断があったが、意外に面白かった。

 『神曲:煉獄篇』(ダンテ・アリギエリ、原基晶訳/講談社学術文庫)

 煉獄とは天国の手前にある世界で、生前に犯した七つの大罪をここで贖罪しなければ天国に行けない。1150年代以降に出てきた考え方だそうだ。

 私が初めて煉獄という言葉に接したのは、学生時代にソルジェニーツィンの『煉獄のなかで』(木村浩・松永緑彌訳)を読んだときだ。字面からは地獄より恐ろしい場所に思え、この小説を読み終えても、その印象は変わらなかった。

 『煉獄のなかで』の訳者によれば、この小説の原題は『第1圏にて』で、『神曲:地獄篇』の第1圏のことである。9圏から成る地獄のなかでは最も軽い罪人の場所だが、地獄であることに違いはない。『第1圏にて』では日本人にはわかりにくいとの訳者の判断で、『神曲:煉獄篇』をふまえて『煉獄のなかで』にしたそうだ。印象的な題名だ。私のように、地獄より苛烈な世界をイメージした読者も多かったと思う。

 煉獄は贖罪の苦行を強いられる苛酷な場所である。文字通り火もくぐらねばならない。地獄に似ていなくもない。

 『地獄篇』は凹形世界の降り旅だったが、『煉獄篇』は凸形世界の登り旅、南半球の海に浮かぶ煉獄山の登山である。この島には地獄の門ならぬ煉獄門があり、この門を通過するのも容易でなく、通過してからは、さらに大変である。煉獄山は七つの大罪(高慢、嫉妬、憤怒、怠惰、貪欲、飽食、淫乱)に対応した七層の環道から成る。大罪をひとつずつ浄罪しながら山を登って行くのである。

 各環道では著名人やダンテの同時代人たちがさまざまな苦行を受けている。ダンテは彼らと会話を交わし、それぞれの事情を聞き出す。その内容の大半は「注」と「解説」がなければ私には読み解けない。

 そんな話のなかで私が興味抱いたのは、神聖ローマ帝国皇帝フェデリコ2世絡みの話である。教皇に対抗する存在として皇帝に期待を寄せているダンテは、ローマで戴冠した最後の皇帝フェデリコ2世以降は皇帝空位の暗黒時代になったと見ているようだ。フェデリコ2世には私も関心がある。塩野七生の『皇帝フリードリッヒ二世の生涯』で興味をもち、テレビ番組『文明の道』で感動した。教皇と対立した13世紀のフェデリコ2世の時代からダンテの時代(14世紀)に至る歴史をもう少し勉強したくなった。

 煉獄山の山頂は、あのアダムとイブが追放されたエデンの園(地上楽園)である。ダンテはここで、天国から降りてきたベアトリーチェに出会う。感動的なラストだ。 と言っても、ダンテの批判精神は最後まで貫かれていて、最後の歌(第33歌)ではフランス王による教皇アヴィニョン捕囚を厳しく糾弾している。

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【後日追記リンク】
『神曲:天国篇』