『神曲:地獄篇』の不思議な世界観 ― 2023年09月07日
『神曲』の『地獄篇』を読了した。この後、さらに『煉獄篇』『天国篇』が続く。
『神曲:地獄篇』(ダンテ・アリギエリ、原基晶訳/講談社学術文庫)
この有名古典の名は中学生の頃から知っていた。高校生の頃にはダンテの想い人ベアトリーチェの名も知った。漠然と地獄巡りの話と聞いていたが、高邁で難解な宗教的古典だろうと敬遠したまま半世紀以上が経過した。
『神曲:地獄篇』を読んで、「こんな内容だったのか」と驚いた……というか、むしろ呆れた。同時代の政治や宗教への怨念をぶつけた書ではないか。ダンテの同時代の人々(私には未知の人ばかり)をことごとく地獄に堕として告発・断罪している。誹謗中傷の怪文書のようにも感じられる。
とは言え、壮大な叙事詩である。巨大な古典文学と評価される由縁もわかる。ダンテが己の脳内世界を渾身の思いでさらけ出した作品だと思う。
『神曲』の翻訳は何種類かある。当初、岩波文庫の山川丙三郎訳を手にしたが、旧字旧仮名で、明治の新体詩のような翻訳だった。これで数百ページは辛い。結局、比較的新しい講談社学術文庫版にした。訳者の原基晶氏は1967年生まれ、私より19歳若い。「注」が各見開きの左端にあって読みやすく、巻末の解説も充実している。
『神曲』は百の歌(『地獄篇』34歌、『煉獄篇』33歌、『天国篇』33歌)から成る叙事詩である。詩の翻訳は難しい。原文の格調を日本語に移せるとは思えない。翻訳でしか読めない私は、その内容の何割かを把めるだけで、ダンテの詩的表現などは評価できない。きっと、格調高い文学なのだろうと推測するだけだ。
本書を読むにあたって2冊の概説書(『やさしいダンテ〈神曲〉』『ドレの神曲』)を読んだのは役立った。わかりやすいとは言い難い『神曲』を、何とか面白く読み進めることができた。
ダンテは1265年、都市国家フィレンツェに生まれた。1300年に行政最高権の統領に就任するも、ローマ訪問中にフィレンツェでクーデターが発生、追放処分となり死刑宣告を受け、亡命者となる。その後、フィレンツェの地を踏むことなく、1321年にラヴェンナで亡くなる。亡命生活のなかで執筆したのが『神曲』である。だから、自分を追放した者たちへの激しい思いが反映されているのは当然だろう。
私はフィレンツェの歴史には不案内で、政争のゴチャゴチャもよくわからない。大雑把に単純化すれば、教皇党と皇帝党の争いで、ダンテは後者だった。教皇は神事に専念し、俗事は皇帝が担当するべきと考えていたようだ。
『神曲』はキリスト教世界観の書である。キリストが至高の存在だ。だが、キリスト以前のギリシア・ローマの人々やギリシア神話の神々への言及が多い(私にとっては「注」や「解説」がなければ読み解けない事項ばかりだが)。古代ローマの皇帝を神聖ローマ帝国の皇帝と同様に高く評価している。ダンテの脳内世界をうかがえて面白い。
ダンテを地獄巡りに案内する師が紀元前の詩人ウェルギリウスなのも興味深い。彼はキリスト以前の人だから洗礼を受けておらず、天国へは行けない。だが、ダンテを導く師として存在感は大きい。不思議だ。
『地獄篇』は9圏から成る巨大なすり鉢状の地獄(地底世界?)を、第1圏から第9圏まで降りて行く見聞記である。途中、さまざまな罰によって責め苦を受けている人々に出会う。まさに地獄絵巻だ。
最後の第9圏では魔王ルシフェルに出会う。ラスボスである。この魔王は3人の人物を喰らている。その一人はイエスを裏切ったユダであり、これはまあ納得できる。後の二人はカエサルを暗殺したブルートゥスとカッシウスである。皇帝党のダンテにとっては、そういうことになるらしい。不思議な世界観だ。
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【後日追記リンク】
『神曲:煉獄篇』
『神曲:天国篇』
『神曲:地獄篇』(ダンテ・アリギエリ、原基晶訳/講談社学術文庫)
この有名古典の名は中学生の頃から知っていた。高校生の頃にはダンテの想い人ベアトリーチェの名も知った。漠然と地獄巡りの話と聞いていたが、高邁で難解な宗教的古典だろうと敬遠したまま半世紀以上が経過した。
『神曲:地獄篇』を読んで、「こんな内容だったのか」と驚いた……というか、むしろ呆れた。同時代の政治や宗教への怨念をぶつけた書ではないか。ダンテの同時代の人々(私には未知の人ばかり)をことごとく地獄に堕として告発・断罪している。誹謗中傷の怪文書のようにも感じられる。
とは言え、壮大な叙事詩である。巨大な古典文学と評価される由縁もわかる。ダンテが己の脳内世界を渾身の思いでさらけ出した作品だと思う。
『神曲』の翻訳は何種類かある。当初、岩波文庫の山川丙三郎訳を手にしたが、旧字旧仮名で、明治の新体詩のような翻訳だった。これで数百ページは辛い。結局、比較的新しい講談社学術文庫版にした。訳者の原基晶氏は1967年生まれ、私より19歳若い。「注」が各見開きの左端にあって読みやすく、巻末の解説も充実している。
『神曲』は百の歌(『地獄篇』34歌、『煉獄篇』33歌、『天国篇』33歌)から成る叙事詩である。詩の翻訳は難しい。原文の格調を日本語に移せるとは思えない。翻訳でしか読めない私は、その内容の何割かを把めるだけで、ダンテの詩的表現などは評価できない。きっと、格調高い文学なのだろうと推測するだけだ。
本書を読むにあたって2冊の概説書(『やさしいダンテ〈神曲〉』『ドレの神曲』)を読んだのは役立った。わかりやすいとは言い難い『神曲』を、何とか面白く読み進めることができた。
ダンテは1265年、都市国家フィレンツェに生まれた。1300年に行政最高権の統領に就任するも、ローマ訪問中にフィレンツェでクーデターが発生、追放処分となり死刑宣告を受け、亡命者となる。その後、フィレンツェの地を踏むことなく、1321年にラヴェンナで亡くなる。亡命生活のなかで執筆したのが『神曲』である。だから、自分を追放した者たちへの激しい思いが反映されているのは当然だろう。
私はフィレンツェの歴史には不案内で、政争のゴチャゴチャもよくわからない。大雑把に単純化すれば、教皇党と皇帝党の争いで、ダンテは後者だった。教皇は神事に専念し、俗事は皇帝が担当するべきと考えていたようだ。
『神曲』はキリスト教世界観の書である。キリストが至高の存在だ。だが、キリスト以前のギリシア・ローマの人々やギリシア神話の神々への言及が多い(私にとっては「注」や「解説」がなければ読み解けない事項ばかりだが)。古代ローマの皇帝を神聖ローマ帝国の皇帝と同様に高く評価している。ダンテの脳内世界をうかがえて面白い。
ダンテを地獄巡りに案内する師が紀元前の詩人ウェルギリウスなのも興味深い。彼はキリスト以前の人だから洗礼を受けておらず、天国へは行けない。だが、ダンテを導く師として存在感は大きい。不思議だ。
『地獄篇』は9圏から成る巨大なすり鉢状の地獄(地底世界?)を、第1圏から第9圏まで降りて行く見聞記である。途中、さまざまな罰によって責め苦を受けている人々に出会う。まさに地獄絵巻だ。
最後の第9圏では魔王ルシフェルに出会う。ラスボスである。この魔王は3人の人物を喰らている。その一人はイエスを裏切ったユダであり、これはまあ納得できる。後の二人はカエサルを暗殺したブルートゥスとカッシウスである。皇帝党のダンテにとっては、そういうことになるらしい。不思議な世界観だ。
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【後日追記リンク】
『神曲:煉獄篇』
『神曲:天国篇』
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