ディティールを楽しめる『吸血鬼ドラキュラ』2023年06月14日

『吸血鬼ドラキュラ』(ブラム・ストーカー/平井呈一訳/創元推理文庫)

 高校2年のとき(57年前)に古本で入手したまま未読だった『吸血鬼ドラキュラ』を読んだ。表紙は破れ、中身が黄ばんだ文庫本である。巻末のメモで購入年がわかった。

 『吸血鬼ドラキュラ』(ブラム・ストーカー/平井呈一訳/創元推理文庫)

 こんな昔の本を読む気になったのは、先日読んだ『バルカンの歴史』がこの小説に言及していたからである。ドラキュラのモデルは15世紀ワラキア公国のヴラド公である。法律に違反した者に串刺し刑を科すことが多かったので異名は串刺公、オスマン帝国と戦った英雄でもある。

 アイルランドの作家ブラム・ストーカーがスラヴの吸血鬼伝説とヴラド公を結びつけた『吸血鬼ドラキュラ』を刊行したのは1897年、19世紀末である。

 高校生の私が本書を読みかけにしたのは、読みにくかったからだと思う。十字架とニンニクが苦手な吸血鬼を、棺桶で眠っているときに胸に杭を打ち込んで退治する――それだけの話だとわかっているので、読むまでもないと放り出したのかもしれない。

 57年ぶりの『吸血鬼ドラキュラ』は楽しみながら読み進めることができた。この小説は、複数の登場人物による手紙や日記の集成という構成である。日記には速記文字で書かれたものや蝋管蓄音機に録音されたものもある。日記に新聞記事が挿入されていたり、手書き日記をタイプライターで複写したりもする。この小説は、多様なドキュメントを日付順に整理したファイルなのだ。作者の工夫が面白い。

 冒頭は、東欧の未知の地トランシルヴァニアに出張した英国の若い弁理士の日記である。ドラキュラ伯爵の居城に招かれて異郷を旅する記録に引き込まれる。彼の地の歴史や風俗への言及も興味深い。大時代的な雰囲気もいい。

 だが、ふと思う。この小説は、57年前の高校生の私には退屈で難儀だったかもしれない。思わせぶりなシーンは多く、ストーリーの進行が遅いのだ。手紙や日記の繰り返しを「物語のふくらみ」と感じれば楽しめるが、冗長と感じると退屈かもしれない。荒唐無稽でバカげた話にうんざりする可能性もある。

 この小説に出てくる地名の大半は、高校生の私には未知の地名だったと思う。いまの私は、高校生の頃よりは歴史や地理を知っているので、地名からイメージが広がる。未知の地名が小説に出てくれば調べる。ネットのおかげで調べやすいし地図帳もいくつかある。だが、57年前の私は、おそらく未知の地名を気にせず、ストーリーを追って読み進めるだろう。

 この小説に登場する地名の多くはトランシルヴァニア周辺と英国であり、この二つの地域を結ぶ海路や鉄道も出てくる。地名を確認しながら登場人物の移動を地図で追うのが楽しい。

 主要人物の教授がロンドンとオランダを容易に行き来しているのにも驚いた。19世紀末の交通事情に興味がわく。本書に登場するリヴァプールという地名は、イングランド西岸の港町だとすると違和感がある。いろいろ調べて、ロンドン市内にリヴァプール・ストリートという駅があると判明して得心した。年を取ると、そんな些末な所に読書の楽しみを見いだすのである。