昭和の戦後史はわが記憶に重なっていく2023年01月14日

『昭和史 戦後編 1945-1989』(半藤一利/平凡社ライブラリー)
 半藤一利氏の『昭和史 1926-1945』に続いて次の続編を読んだ。

 『昭和史 戦後編 1945-1989』(半藤一利/平凡社ライブラリー)

 敗戦の年1945年以降の昭和史である。昭和は1989年(昭和64年)まで続くが、本書のメインは1972年の沖縄返還までの30年弱で、その後の十数年はエピローグに近い。これは1948年生まれの私の実感にマッチする。ある程度の時間が経たなければ「時代」を「歴史」として語るのは難しい。いま、歴史として語れるのが1972年まで、という見方は納得できる。

 この時代の大きなテーマは「東京裁判」と「安保体制」であり、それに続く「高度経済成長」だと思う。

 東京裁判をどう捉えるかはさまざまな見解がある。半藤氏は東京裁判を次のようなものと見ている。

 (1) 日本の現代史を裁く
 (2) 復讐の儀式
 (3) 日本国民への啓蒙教化の目的

 勝者が敗者を裁く戦争裁判は多分に政治的行為になる。いたしかたないことだ。本書で面白く思ったのは天皇訴追に関するくだりである。米国は天皇を訴追しないと決め、キーナン検事はそれを承知している。にもかかわらず、東条英機が天皇の責任につながりかねないことを、そうとは自覚せずに証言し、周りがあわてて証言を修正させたりしている。半藤氏は次のように述べている。

 「いるのかいないのかわからないような犯罪的軍閥による戦争という「かたち」をつくるために、検事局も努力をし、弁護団も努力をし、被告も努力をしながら、裁判を進めていったわけです。敵も味方も汗を流してのまったく大変な作業であったんですね。」

 安保体制は講和条約以降、現在まで継続している。その内容にさまざまな問題点はあるが、戦後日本の軽武装・経済優先路線のベースになったのは間違いない。

 60年安保闘争は私が小学6年のとき、よく憶えている。「安保があると日本が米ソの戦争に巻き込まれる。だから反対しなければならない」と聞かされていた。あの頃は、石原慎太郎、江藤淳、清水幾太郎らが率先して安保反対を唱えていた。後の保守の論客だ。当時は、岸信介という元A級戦犯の傲慢な首相への反発が強かったようだ。

 半藤氏は60年安保以降をザックリと次のように述べている。

 「この次に出てくるのが岸内閣とはまったく方向を異にする池田内閣だったのです。それは佐藤内閣へと、すなわち吉田茂路線が長く長く続きます。そして昭和が終わったのち、その反動が来たかのように、憲法改正・再軍備の声が再び高くなってきます。自民党の本卦帰りというのかな。ま、先走って大ざっぱに言うと、そういう経過をたどって今日に至る、というわけです。」

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