半世紀ぶりに安部公房の『榎本武揚』を再読して気づいたこと2019年02月03日

『榎本武揚』(安部公房/中央公論社)、『戯曲 友達・榎本武揚』(安部公房/河出書房新社)
 この3カ月ほどで榎本武揚に関する小説や評伝を10冊ほど読んだ。私が初めて読んだ榎本関連本は安部公房の小説『榎本武揚』で、約半世紀前の学生時代だ。榎本武揚関連本を続けて読んだのを機に安部公房の小説『榎本武揚』と戯曲『榎本武揚』を再読した。

 『榎本武揚』(安部公房/中央公論社)
 『戯曲 友達・榎本武揚』(安部公房/河出書房新社)

 私は安部公房ファンで、その著作をほとんど読んでいる。榎本武揚が気がかりな存在になったのは、安部公房の小説を読んだせいかもしれない。とは言え、『榎本武揚』は安部作品としては異色である。今回、小説と戯曲を再読して、位置づけの難しい宙ぶらりんな作品だと再確認した。

 小説『榎本武揚』は評伝ではない。現代の人間が史料(その一部は作者の創作と思われる)を元に榎本武揚とは何者だったを探る少々入り組んだ構造になってる。

 榎本武揚が箱館戦争に踏み切った動機は何か、明治政府高官への転身は変節か、自分の生きた時代への忠誠を裁く基準はあるのか、などを追求する内容で、作者自身はこの小説に関連して「忠誠でもなく、裏切りでもない、第三の道というものはありえないのだろうか」と語っている。

 そんな作者の意図に沿って考察するなら、変遷する時代の風圧にさらされる個人の生き方を素材に転向論を追求した小説ということになり、戦後日本の知識人の思想と行動の軌跡の幾ばくかが反映されているようにも思えてくる。

 だが、そんな図解的な読み方はつまらない。その図解からはみ出る部分にこの小説の面白さがあると思える。単純に言えば、安部公房が榎本武揚のどこに魅かれているかを読み解ければいいのである。

 また、再読で気づいたのだが、小説『榎本武揚』もまた失踪小説である。失踪する福地旅館の主人は『砂の女』の主人公に重なる。さらに言えば、榎本武揚も「内なる辺境」に亡命した失踪者の一人にも思えてくる。

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