「意識」が自然科学の対象になっていることの驚異2018年05月02日

『脳の意識 機械の意識:脳神経科学の挑戦』(渡辺正峰/中公新書)
◎「まえがき」でワクワクさせられる

 朝日新聞(2018.1.21)と日経新聞(2018.1.20)の書評に取り上げられていて興味を喚起された次の新書をやっと読んだ。

 『脳の意識 機械の意識:脳神経科学の挑戦』(渡辺正峰/中公新書)

 書評を目にした直後に近所の本屋の新書コーナーを探索したが見つからなかった。売れ行き好調のようだ。後日、3版を入手した。

 まず「まえがき」にびっくりする。

 「未来のどこかに時点において、意識の移植が確立し、機械の中で第二の人生を送ることが可能になるのはほぼ間違いないと私は考えている。」

 「読者のみなさんも、意識が脳に宿ることの真の不思議さを実感できた暁には、天地がひっくり返るごとき衝撃を味わうはずだ。」

 「肝心なのは(…)、脳のどこにもブラックボックス(未知の仕組み)が隠されていないことを実感してもらうことだ。ブラックボックスがないのに意識が宿る、これこそが衝撃なのだ。」

 刺激的で挑戦的な記述に否応なくワクワクさせられる。

◎脳科学の本

 本書のテーマは「意識」であり、冒頭にデカルトの「我思う、ゆえに我あり」が紹介される。しかし、哲学を検討する書ではない。タイトルに「機械の意識」という言葉があるが、人工知能の将来を構想する工学書でもない。脳科学の本だ。脳神経科学における先端的研究分野の現場レポートである。

 先端的研究の話だから難解だ。私は半分も理解できなかった。にもかかわらず、研究現場の臨場感が伝わってきて面白く読了できた。再読したいとも思った。再読すれば、多少は理解が深まるかもしれない。

 よく理解できなながらも、脳科学において「意識の発生」を追求する研究テーマがあり、それがいかに重要かがわかった。同時に、われわれの脳の不思議を再認識した。われわれが生きている「現実」は脳が作り出している「仮想現実」だという指摘は興味深い。納得せざるを得ないと思う。

◎夢の中で新聞を読めるか

 脳が作り出す仮想現実としての夢の説明にも驚いた。目覚めている時の「仮想現実」に比べて夢の「仮想現実」は解像度が低いそうだ。だから、夢の中では大きな字は読めても新聞のような小さな字は読めないらしい。自身の夢で確かめたくなる話だ。

◎意識の自然則

 本書が大胆なのは「自然則」を検討している点だ。自然則とは、「万有引力の法則」「光速度一定の法則」などのように、他の法則から導くことのできない、科学の根幹を成す法則である。著者は「意識とは何か」を解明する「意識の自然則」を追求している。そして一つの仮説を提示している。

 「意識の自然則」の研究紹介はスリリングで圧巻とも言える。十全には理解できないものの刺激的な読書体験だった。

◎ネズミの意識

 それにしても「意識」の研究現場ではマウスやラットの脳を使っていると知り、かなり驚いた。もちろん人間の脳を実験材料に使うのが難しいのはわかるが、脳科学の研究においてはネズミの脳の延長に人間の脳があり、ネズミの脳にも「意識」が発生しているとみなしているわけだ。確かに哲学ではなくサイエンスだ。

◎記憶についても知りたい

 人間の意識の機械への移植の検討も驚異のテーマだ。著者は、それが可能になるだろうとの立場だ。「記憶」の移植にも言及されているが、あまり詳しく述べられていない。煩雑になり過ぎるからかもしれない。脳研究の最先端で記憶がどのように解明されているか知りたいと思った。

沖縄の秋は何月か?2018年05月05日

 この数年、年に3回ぐらい那覇に行き10日ほど過ごしている。1年のうち1カ月は沖縄暮らしだ。先月末、沖縄から帰京した。次回は9月に行く予定である。

 かなり以前から工事中の那覇・旭橋バスターミナル大改修はかなり進捗し、おおまかな全貌がブルーシート越しに見えてきた。看板には「那覇バスターミナルが生まれ変わります 2018年秋」とある。

 マンションの管理人に「次は秋の9月に来ます」と言うと「9月はまだ秋ではありません。沖縄の秋は11月ぐらいです」と言われた。次回訪問時にはバスターミナルが完成しているかと期待していたがダメかもしれない。

 工事現場の看板の「2018年秋」という表記は何月を示しているのだろうか。「秋」というアバウトな表現に、したたかなおおらかさを感じた。

47年ぶりに紅テントで唐十郎の『吸血姫』を観た2018年05月12日

 1960年代末から70年代にかけて唐十郎主宰『状況劇場』の紅テント芝居をよく観た。その中でも特に印象に残っているのが『吸血姫』だ。

 その『吸血姫』を劇団唐組が花園神社で上演すると知り、懐かしさからチケットを手配した。状況劇場解散後、唐十郎が劇団唐組を立ち上げたことは知っていたが、この劇団の芝居を観るのは初めてだ。

 今回の観劇では不思議な体験をした。数週間前、7年前に会ったきりの大学時代の友人から突然の電話があり、いきなり「5月11日はあいているか」と聞かれた。手帖を確認して「その日は予定がある」と返答した。彼は「唐十郎の『吸血姫』をやっているので、5月11日に一緒に行かないかと思ったんだ」と言った。私は驚いた。私の予定はその芝居の観劇だったのだ。「5月11日の『吸血姫』のチケット、すでにに持っている」と返答すると彼は絶句し、「じゃあ、ぼくもこれからチケットを手配するから、当日会えるね」と言って電話を切った。

 そんな偶然もあるのかと驚き、カミさんに話すと「死期が近いんじゃないの」と言われた。

 というわけで、69歳にして旧友とテント芝居を観た。記録を調べると『吸血姫』の初演は1971年で、吉祥寺と渋谷の空き地で上演している。私は誰とどこで観たか失念していたが、久々に再会した旧友は吉祥寺で私と一緒に観たと言う。おそらくそうなのだろう。

 テントのゴザであぐらをかいて芝居を観るのは久々の体験だ。ゴザ席の後部に若干の椅子席があるのが往年と違う。その椅子席に、やや老いた唐十郎と麿赤児が並んで座っているのを発見し感動した。

 47年前の『吸血姫』は、上演直後に中央公論社から戯曲が刊行され、それもわが書架にある。芝居を観た後、戯曲も読んだと思うが、今回の観劇ではあえて事前に戯曲に目を通さなかった。そして、47年ぶりの舞台を観て、内容の大半を失念していることを自覚した。

 観劇の印象は47年前とは微妙に異なる。私の頭の中に残っている『吸血姫』のイメージは、廃墟になった病院の庭いちめんの墓という超現実的で静謐な死の異世界に連れて行かれる陶酔感だ。だが、47年ぶりに観る『吸血姫』では、かつての強烈なイメージを追体験したいという気分が先行し、往年の遺物をなぞっているような、やや醒めた体験に終始した。

 現代の役者が劣っているとは思わないが、往年の麿赤児、大久保鷹、四谷シモン、李礼仙、唐十郎、根津甚八、不破万作などの舞台は奇跡に近く、もはや再現不能だ。

 この芝居では「夏の海辺に行ったとき~」で始まり「一面の墓」という印象的な語句を含む歌謡が効果的で強烈なのだが、今回の芝居では1回しか歌われなかった。帰宅後、戯曲を確認すると、ラストシーンもこの歌謡になっている。今回の上演でそのラストの歌謡が省かれた理由はわからない。やや不満である。

 それにしても、年老いてからのゴザ桟敷観劇は足につらい。終演後、私は何とか立ち上がれたが、わが旧友は脚が吊って苦悶していた。花園神社での観劇後、ゴ―ルデン街あたりで一杯とも思っていたが、旧友は足を引きずっていて、早く地下鉄に乗りたいとのことなので早々に別れた。47年の歳月を感じる。

シチリアの古跡巡りをした2018年05月24日

 8泊10日のシチリアの旅から帰国した。「異文化研究家 前田耕作先生同行 シチリア島の古跡を極める旅」という10人ほどのツアーで、充実した歴史紀行だった。

 事前に読んだ入門書でこの島の複雑な歴史をある程度は把握していたが、現地を訪れてヨーロッパ史の多層をあらためて認識した。

 紀元前1300年頃からこの島にはシクリ族と呼ばれる人たちが住んでいた。紀元前8世紀からギリシア人の植民が始まり、ギリシアの植民都市が建設される。続いてカルタゴがこの地に進出し島を支配するが、ポエニ戦争でカルタゴに勝利したローマの属州になる。ローマ帝国衰亡期にはゲルマン人支配となり、ビザンチン領を経てイスラムの支配となる。そのイスラムをノルマン人が破りノルマン朝のシチリア王国となる。以上が古代から中世までだ。その後も支配者は多様に変遷し、イタリアに併合されたのは150年ほど前になる。

 要はゴチャゴチャと多様な文化が混合した島なのだ。そんなシチリアには古代ギリシア・ローマの遺跡が多い。その遺跡を巡るのが今回の旅行の主旨だ。

 世界遺産に指定され観光客の多い遺跡もあれば、訪れる人がほとんどいないひっそりとした遺跡もある。バスが入れない道をひたすら歩き続けなければたどり着けない遺跡もある。そんな多様な遺跡を巡りながら、人間は歴代の遺跡の積み重ねの上で暮らしてきたのだという当然のことに気づいた。

 古代ギリシアの遺跡がそのまま残っている所の多くは巨石の瓦礫になっている。瓦礫を復元している遺跡もあるが、それらしい趣を残している所には、ギリシア人が造った神殿や劇場をローマ人が改造して活用し、さらに中世の人々が自分たちに合わせて改変したものが多い。

 昔の建造物を「遺跡」として保存しようという考えがいつごろから生まれたのかは知らないが、古い建造物を自分たちの活用に適合するように改造するのは当然の発想だ。だから、ギリシア・ローマの神殿の柱を保持したキリスト教会もあれば、ギリシア→ローマ→中世と改造されてきた劇場もある。

 ギリシア時代に作られた劇場の遺跡が現代のイベントに活用されているのにも感動した。遺跡劇場の舞台にイベント用の現代的オブジェが置かれている所もあったし、山頂の遺跡劇場でギリシア劇の扮装をした高校生がリハーサルをやっている光景も観た。ヨーロッパの歴史のふところの深さを感じた。

 また、遺跡を巡りながら地中海やイオニア海を望み、人間の歴史にとって海が大きな役割を果たしてきたことを実感した。海の向こうからは植民者や交易者がやって来るし敵も来襲する。

 ギリシア人が初期に建設した海岸の植民都市ナキソスの遺跡からイオニア海を臨み、古代から海こそが道だったのだとの感を強くした。同時に、ナキソスの人々がその後に建設した後背の山岳都市の残滓(現在はリゾートの町タオルミーナ)を観て、生き延びる道を垂直方向にも見出す人類の強靭さも感じた。