47年ぶりに紅テントで唐十郎の『吸血姫』を観た2018年05月12日

 1960年代末から70年代にかけて唐十郎主宰『状況劇場』の紅テント芝居をよく観た。その中でも特に印象に残っているのが『吸血姫』だ。

 その『吸血姫』を劇団唐組が花園神社で上演すると知り、懐かしさからチケットを手配した。状況劇場解散後、唐十郎が劇団唐組を立ち上げたことは知っていたが、この劇団の芝居を観るのは初めてだ。

 今回の観劇では不思議な体験をした。数週間前、7年前に会ったきりの大学時代の友人から突然の電話があり、いきなり「5月11日はあいているか」と聞かれた。手帖を確認して「その日は予定がある」と返答した。彼は「唐十郎の『吸血姫』をやっているので、5月11日に一緒に行かなないかと思ったんだ」と言った。私は驚いた。私の予定はその芝居の観劇だったのだ。「5月11日の『吸血姫』のチケット、すでにに持っている」と返答すると彼は絶句し、「じゃあ、ぼくもこれからチケットを手配するから、当日会えるね」と言って電話を切った。

 そんな偶然もあるのかと驚き、カミさんに話すと「死期が近いんじゃないの」と言われた。

 というわけで、69歳にして旧友とテント芝居を観た。記録を調べると『吸血姫』の初演は1971年で、吉祥寺と渋谷の空き地で上演している。私は誰とどこで観たか失念していたが、久々に再会した旧友は吉祥寺で私と一緒に観たと言う。おそらくそうなのだろう。

 テントのゴザであぐらをかいて芝居を観るのは久々の体験だ。ゴザ席の後部に若干の椅子席があるのが往年と違う。その椅子席に、やや老いた唐十郎と麿赤児が並んで座っているのを発見し感動した。

 47年前の『吸血姫』は、上演直後に中央公論社から戯曲が刊行され、それもわが書架にある。芝居を観た後、戯曲も読んだと思うが、今回の観劇ではあえて事前に戯曲に目を通さなかった。そして、47年ぶりの舞台を観て、内容の大半を失念していることを自覚した。

 観劇の印象は47年前とは微妙に異なる。私の頭の中に残っている『吸血姫』のイメージは、廃墟になった病院の庭いちめんの墓という超現実的で静謐な死の異世界に連れて行かれる陶酔感だ。だが、47年ぶりに観る『吸血姫』では、かつての強烈なイメージを追体験したいという気分が先行し、往年の遺物をなぞっているような、やや醒めた体験に終始した。

 現代の役者が劣っているとは思わないが、往年の麿赤児、大久保鷹、四谷シモン、李礼仙、唐十郎、根津甚八、不破万作などの舞台は奇跡に近く、もはや再現不能だ。

 この芝居では「夏の海辺に行ったとき~」で始まり「一面の墓」という印象的な語句を含む歌謡が効果的で強烈なのだが、今回の芝居では1回しか歌われなかった。帰宅後、戯曲を確認すると、ラストシーンもこの歌謡になっている。今回の上演でそのラストの歌謡が省かれた理由はわからない。やや不満である。

 それにしても、年老いてからのゴザ桟敷観劇は足につらい。終演後、私は何とか立ち上がれたが、わが旧友は脚が吊って苦悶していた。花園神社での観劇後、ゴ―ルデン街あたりで一杯とも思っていたが、旧友は足を引きずっていて、早く地下鉄に乗りたいとのことなので早々に別れた。47年の歳月を感じる。

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