美輪明弘、演出・美術・主演の『近代能楽集』を観劇2017年04月05日

 初台の新国立劇場中劇場で三島由紀夫の『葵上・卒塔婆小町』(『近代能楽集』より)を観た。演出・美術・主演は美輪明弘だ。

 戯曲集『近代能楽集』を読んだのは約半世紀前の大学生時代だ。当時すでに新劇の魅力は色あせ、紅テントや黒テントなどのアングラに魅かれていた。そんな時代だったが、『近代能楽集』収録の8編の一幕劇は超現実的な秀逸な現代的戯曲に思えた。あの頃、私たちの同時代文学は安部公房、大江健三郎、三島由紀夫に代表されているという感覚があった。

 半世紀が経過し『近代能楽集』の内容は忘却の彼方にある。何篇かは舞台でも観ているが記憶は朧だ。しかし、戯曲や舞台から受けた摩訶不思議な印象だけは残っている。

 私は芝居を観る前には戯曲を目に通すことが多い。役者たちが舞台に立ち上げる時空間を堪能するのが観劇の醍醐味であり、筋の展開を追うのは二の次だから戯曲を読んでいても観劇の興をそぐことはないと思うからだ。

 だが、今回の『葵上・卒塔婆小町』では失念している戯曲を再読せずに観劇した。観劇の過程で記憶のよみがえりを楽しむというワクワク体験を期待したのだ。

 美輪明弘は主演・演出だけでなく美術も担当している。ダリをモチーフにした『葵上』の舞台も新宿の都庁舎を遠景にした『卒塔婆小町』の舞台も異世界的で十分に魅力的だった。そして、この舞台で展開される三島由紀夫の世界に昭和レトロを感じてしまった。

 半世紀前に同時代的だと共感していた世界に昭和レトロを感じる自分自身に少し驚いた。三島由紀夫がすでに古びてしまったのか、私が年老いてしまったのかはよくわからない。

 この芝居で「俗悪」という単語が何度か出てくるのも気になった。この単語に久々に触れた気がした。現実世界を唾棄する言葉として「俗悪」が使われているようでありながら、演劇空間は「俗悪」を彼方に夢想しているようにも思える。

 「俗悪」という単語にこんな反応をするのは、この世が俗悪から遥かに遠ざかってしまったのか、あるいは俗悪の中に埋没してしまったのか、それもよくわからない。

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