『台湾海峡一九四九』は読み応えのある歴史ルポ2017年03月08日

 『台湾海峡一九四九』(龍應台/天野健太郎訳/白水社)
 最近、私的に台湾への関心が高まり、関連本を何冊か立て続けに読み、『非情城市』『湾生回家』などの映画も観た。先月末の2月28日は白色テロ二・二八事件から70周年の節目で新聞でも関連記事が掲載されていて、興味深く読んだ。

 そんなマイブームの中で読んだ『台湾海峡一九四九』(龍應台/天野健太郎訳/白水社)は読み応えがあった。タイトルを見るとハードボイルド小説にも見えるが、台湾と中国の現代史を扱ったルポルタージュだ。原題は『大江大海一九四九』、2009年に発行され台湾と香港で大ベストセラーになり、中国では禁書扱いだが海賊版が売れているそうだ。私は、そんなことを最近まで知らなかった。

 著者は1952年生まれの女性作家・評論家で、台湾の文化省の初代大臣、夫はドイツ人で息子はドイツで暮らしているそうだ。19歳になるその息子から「家族の歴史を知りたい」と言われたのをきっかけに執筆したのが『台湾海峡一九四九』だ。

 1949年とは蒋介石の国民党が台湾に撤退した年であり、中華人民共和国ができた年でもある。著者はこの年に焦点を当て、1945年の日本敗戦から国共内戦を経て1949年に至る歴史変動に翻弄されたさまざまな人の物語をレポートしている。

 私より4歳若い1952年生まれの著者が1949年を体験しているわけではないので、自分の親も含めた多くの年長者への取材や記録をベースにいろいろな物語を紡ぎだしている。著者の家族の話ではなく、台湾と中国の地に生きた多様な人々の歴史物語になっている。

 本書で私が初めて知った歴史事象も多い。日中戦争さなかの学生の大規模な集団疎開の話には驚いた。教師に引率された学生たちは広大な大陸を集団で放浪しながら時に勉強するという生活を続け、その中で多くの学生や教師の命が失われていくのだ。また、国共内戦における長春包囲戦の凄惨さにも驚く。中国で禁書扱いになっている理由も分かる。

 著者は台湾の外省人だ。国共内戦の敗者でありながら台湾の支配層となった人々の末裔である。そのせいか、視点が複眼的で柔軟だ。日本敗戦のとき、台湾の人々は自分たちが勝者なのか敗者なのか判然としなかった、つまり、世代によって感じ方が違っていたという話も面白い。

 そもそも、歴史事象には勝者と敗者を容易には判定できないケースも多そうだ。視座によって見え方が違ってくることもある。そう思うと同時に、本書を読みながら勝者と敗者のパラドックスのようなものも感じた。勝者の歴史認識は硬直化し貧困になり、敗者の歴史認識は柔軟になり豊かになるように思える。

『ブラッドランド』で20世紀前半の「大量殺人」に暗然とする2017年03月15日

『ブラッドランド:ヒトラーとスターリン大虐殺の真実(上)(下)』(ティモシー・スナイダー/布施由紀子訳/筑摩書房)
 本日(2017年3月15日)投票のオランダ下院選挙では「イスラムはナチスより悪質」と主張する極右政党がどこまで伸びるか注目されている。選挙結果はまだわからないが、そんな日に、ヒトラーとスターリンの怖ろしさが伝わってくる次の本を読了した。

 『ブラッドランド:ヒトラーとスターリン大虐殺の真実(上)(下)』(ティモシー・スナイダー/布施由紀子訳/筑摩書房)

 ドイツとソ連に挟まれたポーランドとその周辺地域において、1933年から1945年の間に発生したヒトラーとスターリンによる「大量殺人」を描いた本である。現在のポーランド、ウクライナ、ベラルーシ、バルト三国にまたがるこの地域を著者はブラッドランド(流血地帯)と名付けている。

 この地域における大量殺人はドイツがポーランドに侵攻した第二次世界大戦勃発によって始まったのではない。ロシア革命の後、スターリンが権力の座につき、工業国家建設のためにウクライナの農地と農民を活用しようとしたときから始まったのである。それは人為的に飢餓を発生させる政策になり、ウクライナでは330万人の餓死者が出た。

 330万人という死者数は実感しにくいし、想像の範囲を超える。大量殺人という言葉でイメージできるのは数十人程度からせいぜい数百人までで、それを超えると個々の死の積み重ねを想像しにくくなる。新聞の死亡者リスト掲載も難しくなる。

 大災害になると犠牲者の規模は大きくなる。東日本大震災の死者は2万人弱、関東大震災の死者は10万人余りで、この数字でも途方に暮れる。戦争の犠牲者で見ても、広島原爆が約20万人、長崎原爆が約14万人。それと桁が違う330万人の餓死者はとんでもない数字である。石碑に名簿を刻むのも困難な数字だ。

 だが、330万人はブラッドランドにおける大量殺人のはじまりに過ぎず、その後1945年までの間に総計1,400万人が殺されたのだ。これは戦死を含まない数字で、人為的餓死、銃殺、ガス殺などの犠牲者の数だ。人間の文明がこれだけの数の人を殺したという事実に暗然とするしかない。

 著者が推計した1,400万人の内訳は以下の通りだ。

  ・ソ連の政策で餓死させられたウクライナにのソ連国民 330万人
  ・ソ連で政策的に処刑された70万人の内、西部のソ連国民 30万人
  ・独ソの軍隊に射殺されたポーランド国民(主に指導層) 20万人
  ・ドイツ占領下で餓死させられたソ連国民 420万人
  ・ドイツにガス殺または射殺されたユダヤ人 540万人
  ・ベラルーシ、ワルシャワでドイツに殺害された民間人 70万人

 その詳細は本書で詳しく語られている。ヒトラーが主にユダヤ人や敵国民を殺害しているのに対してスターリンは自国民も大量に殺害している。この地帯に住む人々の民族意識・政治信条・国籍はさまざまでアイデンティティも複雑だから、大量殺人の実相は多様だ。著者はこの大量殺人を「数」に還元するのではなく個々の人々の死であることを繰り返し強調している。

 ホロコーストと言えばアウシュヴィッツを連想するが、アウシュヴィッツは生き残った人々の証言が多いために有名になったのであり、ブラッドランドにおける大量殺人の一部に過ぎない。そのことをあらためて認識した。

 本書を読めば、ヒトラーもスターリンも悪魔的に怖い人物に思えてくるが、ほんの数十年前に発生した大量殺人の責任をこの二人だけに負わせるわけにはいかない。人類は犠牲者ではなく加害者だとの視点が必要だ。歴史から学ぶべきことは多い。

空疎で空虚な首相に暗然とする『安倍三代』2017年03月25日

『安倍三代』(青木理/朝日新聞出版)
 3月23日の森友学園・籠池理事長の証人喚問は、平日の昼間にもかかわらず多くの人がテレビの国会中継を観たようだ。朝日新聞には「今日だけは惜しくなかった受信料」という川柳が載っていた。

 私はこのテレビ中継を観ていない。11時から21時前まで歌舞伎座の昼の部と夜の部を連続で観劇していた。仁左衛門の「大物浦」、海老蔵の「助六」などが目当てでそれなりに満足したが、籠池劇場のテレビ中継を見損ねたのは少々残念だ。

 と言っても、今回の森友学園問題にはハラハラ・ワクワクするスケール感がない。役者も事件もチャチに見える。かなりいいかげんな人物が経営する学園に首相夫妻が共感を表明し、そのことを忖度した財務官僚や大阪府が一丸となって小学校設立支援に動いた。しかし、国有地払下げ価格や学園経営者のいかがわしさが指摘され始めると、支援者たちが蜘蛛の子を散らすように逃げてしまった。そこに違法性があるか否かはわからないが、小さな人物たちのコメディであって巨悪の物語には見えない。

 そんな索漠とした思いを喚起させるのが、安倍晋三首相のルーツを描いた次の本だ。

 『安倍三代』(青木理/朝日新聞出版)

 安倍三代とは、安倍晋三、父の安倍晋太郎、祖父の安倍寛の三人であり、「第1部:寛、第2部:晋太郎、第3部:晋三」という構成になっている。安倍晋三と言えば母方の祖父・岸信介が有名だが、本書の「三代」に岸信介は含まれていない。それがミソだとも言える。

 私の世代(1948年生まれ)にとって安倍晋太郎は馴染み深い政治家だが、本書を読むまで安倍寛は知らなかった。1937年からの衆議院議員で、反戦・反東条の非翼賛会議員だったそうだ。地元(山口県日置村)で非常に敬愛され人望を集めた人物だったが、病弱で終戦後の1946年に早世している。
 
 安倍晋太郎は常々「オレは岸信介の女婿じゃない。安倍寛の息子なんだ」と語っていたそうだ。だが、安倍晋三が父方の祖父・安倍寛を語ることは少なく、岸信介の孫という意識が強い。安倍晋三が生まれた時、すでに安倍寛は他界していたのに対し、岸信介はあの1960年安保の頃から幼児の晋三を可愛がっていたのだから、必然的にそうなったのだろう。

 本書で私が一番面白く読めたのは「第2部:晋太郎」だ。新聞記者出身のこの政治家については通り一遍のことしか知らなかったが、本書でその生い立ちや内面に触れ、いろいろな屈折を抱えた興味深い人物に思えてきた。総理を目前に早世したのが惜しまれる政治家だったようだ。

 それに比べて三代目は・・・というのが本書の眼目だ。「売り家と唐様で書く三代目」とは多少異なるが、起業家的な一代目から三代を経ると人物も精神も劣化・空疎化し薄っぺらになり、無知と無恥がはびこるようだ。北朝鮮の金王朝とわが総理を比較するのは失礼の極みだろうが、似たような三代目の不気味さを感じる。

 本書の「第3部:晋三」は面白いというより、むしろ不気味だ。著者の青木理氏の次の述懐が印象深い。

 「悲しいまでに凡庸で、何の変哲もない。(…)正直言って「ノンフィクションの華」とされる人物評伝にふさわしい取材対象、題材ではまったくなかった。/しかし、それが同時に不気味さを感じさせもする。なぜこのような人物が為政者として政治の頂点に君臨し、戦後営々と積み重ねてきた“この国のかたち”を変えようとしているのか。これほど空疎で空虚な男が宰相となっている背景には、戦後70年を経たこの国の政治システムに大きな欠陥があるからではないのか。」

 薄っぺらい首相とスピリチャル・オカルトの首相夫人を巡る安手の籠池劇場を観劇するよりは、仁左衛門や海老蔵の大芝居を観ている方が楽しい・・・と言いたいが、そうもいかないだろう。

雪の畑にジャガイモを植える2017年03月27日

 八ヶ岳南麓の山小屋のささやかな畑では毎年ジャガイモを植えている。種イモの植え付け時期は、手引書によれば東京などでは2月下旬から3月下旬だが、寒冷地の八ヶ岳では4月上旬から5月上旬だ。時期の後半になるとホームセンターなどで種イモの入手が困難になる。

 今年はいろいろ予定があり4月に八ヶ岳に行けるか否か不明なので、3月26、27日(つまり昨日と今日の一泊)、ジャガイモを植えるために山小屋へ行ってきた。やや早いかもしれないが仕方ない。

 天気予報が雨または雪なのに出発したのは、八ヶ岳南麓は寒冷地であっても積雪は少ないので何とかなるだろうと楽観したからだ。実際にはこの2日で関東甲信越地方に例年にない積雪があり、那須では雪崩被害が発生した。八ヶ岳南麓も雪だった。積雪はさほどではなかったが。

 26日昼、山小屋に到着すると畑は雪で覆われ、雪が舞っていた。雪の中で作業する気になれないので、27日に植え付け作業をすることにした。夕方には雪がみぞれになり、畑の雪も溶け始めたので、翌朝には何とかなると推測した。ところが、夜中に再びかなりの雪が降ったらしく、27日の朝は一面の雪景色になっていた。

 雪の畑にジャガイモを植えていいものか否かよくわからない。手元に3冊の野菜作りの手引書があるが、どの本にも積雪の畑に関する注意書きなどはない。ままよと、雪の畑を耕して畝作りを始めた。この作業で体は汗ばんでくるのに手足の指先は凍えてくる。凍傷になりそうに思えたので、途中休憩で手足をお湯につけて人心地つけて作業を再開した。

 そんな苦労のすえ、雪の畑でのジャガイモの植え付けが完了し、夕刻には帰京した。天気予報によれば明日もまた彼の地は雪のようだ。この先は植物の生命力に頼るしかない。うまく育つだろうか。