沖縄問題に関する新書本2冊を読んで…2017年05月13日

『沖縄問題:リアリズムの視点から』(高良倉吉・編著/中公新書)、『沖縄を蝕む「補助金中毒」の真実』(山城幸松/宝島社新書)
 年初に読んだ仲村清司氏の『消えゆく沖縄:移住生活20年の光と影』(光文社新書) で著者が「沖縄を表層で語ると叱られるし、深入りしすぎると火傷する」と語っていたのが印象に残った。沖縄を語ろうとも深入りしようとも思わないが、それでも辺野古問題は気がかりだ。このまま基地建設を強行すれば禍根を残すのは確かだと思うが、解決策が見えない。

 今年になって出版された次の2冊の新書本を読んだ。

 『沖縄問題:リアリズムの視点から』(高良倉吉・編著/中公新書)
 『沖縄を蝕む「補助金中毒」の真実』(山城幸松/宝島社新書)

 どちらも著者は沖縄の人で、辺野古の基地建設に反対する本ではなく、むしろ容認に近い。それだけに、現在の沖縄の課題がいろいろ見えてくる。

 『沖縄問題』の編者・高良倉吉氏は琉球史の学者で、その著書『琉球の時代:大いなる歴史像を求めて』(ちくま学芸文庫)を私は何年か前に読み大いに勉強になった。高良倉吉氏が琉球大学定年退職後、仲井真県政の副知事を務めていたことは本書ではじめて知った。本書は5人の共著で、その5人すべてが元・沖縄県庁の職員(副知事2人、部長2人、室長1人)である。だから、行政現場からの報告書の趣がある。

 『沖縄を蝕む「補助金中毒」の真実』の著者・山城幸松は本書の著者紹介には1947年生まれ、(社)琉球島嶼文化協会代表理事とある。本書は翁長知事批判、沖縄の2大紙(『沖縄タイムス』『琉球新報』)批判の書であり、一見反左翼本にも見えるが、公務員批判や土建体質批判をはじめ首肯させられる指摘が多い。
 
 『沖縄問題』は真面目な官僚の作文のような箇所が多く、事情説明と行政マンの言い訳をベースにした解説に見えてくる。現状と課題はわかるが、解説を超えた問題解決案を提示しているとは思えない。

 『沖縄を蝕む「補助金中毒」の真実』は官僚の作文を批判する内容でもあり、それなりの説得力はある。しかし、終章「補助金中毒からの脱出」で提示されている問題解決策はやや弱い。期待したほどの迫力がなく竜頭蛇尾にも感じられる。

 とは言え『沖縄問題』『沖縄を蝕む「補助金中毒」の真実』によって、いままで私が漠然と感じていたことが少しだけ明確になった。この2書がそれぞれに沖縄学の父・伊波普猷の言説を引用して「沖縄人」自らを叱咤的に鼓舞しているのも印象に残った。解決困難な課題に取り組むのは容易ではないが、道はあると思う。

アウシュヴィッツ強制収容所に行った2017年05月27日

(上)第1収容所入口、(下)第収容所入口
 先週、約1週間のポーランド観光ツアーに参加した。20人余りの団体の大半は私と同じ高齢者で、男性より女性の方が多い。ポーランドはヨーロッパのやや外れにあり、他の国々は見尽くしてポーランドを選んだというツアー・リピーターが多いように思われた。

 このツアーにはオプショナルで「アウシュヴィッツ強制収容所見学」が含まれいて、私の目当てはこれだった。アウシュヴィッツに関しては様々な本や映像で一通りのことは知っているつもりだが、現場の雰囲気を体感しながら歴史の暗部を振り返ってみたいと思ったのだ。

 アウシュヴィッツはポーランド第2の都市クラクフ(かつてのポーランド王国の首都)からバスで2時間ばかりの場所にある。オプショナルなので、アウシュヴィッツに行かない人はクラクフで自由行動となっていたが、ツアー参加者の全員がアウシュヴィッツ行きを選択した。ちょっと意外だった。

 アウシュヴィッツには公式のガイドがいる。そこには唯一の日本語公式ガイド・中谷剛氏がいる。中谷氏は『アウシュヴィッツ博物館案内』(凱風社)という著書もあり、私も事前にその本を読んでいた。その本には次のような一節がある。

 「アジアからの訪問者も年々増えている。特に韓国からの訪問者が多く、2011年は4万3000人に上った。日本からの見学者は年間1万300人に増えた。ヨーロッパの見学者の74%が14歳から25歳までの若年層であるのに対し、遠距離のせいもあってか、アジア----特に日本----からの訪問者はお年を召した方が中心であるのは、ある意味で残念なことだ。」
 
 アウシュヴィッツでのわれわれのガイドは中谷剛氏だった。上記の本が書かれた2011年には日本からの来訪者は1万人程度だったが、その後も来訪者は増加し、昨年は3万人を超えたそうだ。中谷氏がガイドできるのは1日に2回なので、すべての日本人のガイドはできなくなっているそうだ。日本人来訪者の大半が高齢者なのは変わらない。

 中谷氏のガイドはユダヤ人迫害のかつてのドイツの状況を現代の排外主義風潮、ヘイトスピーチ、ポピュリズムなどと重ね合わせて解説する部分もあり、含蓄に富んでいた。中谷氏ならずとも、高齢者ではなくい日本の若い人々もここを見学しやすくなればと思った。

 1948年生まれの私にとってアウシュヴィッツ強制収容所は生まれる数年前まで存在した同時代の事象という感覚がある。しかし、21世紀の若者にとっては、遠い過去の歴史上の出来事だろう。だからこそ、歴史に学ぶ場としてのアウシュヴィッツの現代的意義は増大する。

 アウシュヴィッツの現場に立って、あの有名な「ARBEIT MACHT FREI」の文字がある門は意外と小さく感じた。第一収容所全体も思ったほど広くはない。陳列されている犠牲者の様々な遺品や頭髪の山には息を飲むしかない。第二収容所のビルケナウは広大だった。

 われわれのグループに10年ほど前にもアウシュヴィッツに来たという無口な高齢者がいて、ビルケナウをもっとゆっくり見学できないだろうかと要望したが、それはかなわなかった、私が彼に「なぜ、2回も来たのですか」と尋ねると「何度でも来たい」という答が帰ってきた。そもそもの来訪のきっかけはフランクルの『夜と霧』を読んだことだそうだ。そんな人もいるのだ。

 ポーランド政府観光局が制作した日本語の冊子があり、アウシュヴィッツを含めて13の世界遺産を紹介している。アウシュヴィッツ以外の世界遺産は見開きか4頁で紹介しているのに、アウシュヴィッツだけは1頁だ。ドイツ人が作った強制収容所を観光地として宣伝したくないという観光局の気持ちはわかる。景勝地や歴史的建造物など他の世界遺産と異質なのは確かだ。

 だが、アピールの方法が難しくても、重要な遺跡であるアウシュヴィッツへの多くの人々の来訪を促すべきだ。現地を訪れて強くそう思った。