カザフ&キルギス旅行記(1) --- アク・ベシム遺跡など ― 2026年07月17日
カザフ&キルギスのツアーから帰ってきた。このツアーに参加した主な理由はアク・べシム遺跡の見学だった。
2014年、世界遺産に登録された「シルクロード:長安-天山回廊の交易路網」には、キルギスの三つの遺跡(アク・ベシム、クラスナヤ・レーチカ、ブラナ)が入っている。今回のツアーでは、この三つの遺跡すべてを巡った。
事前に『アク・ベシムを掘る』なども読み、遺跡の写真も見ていたので、派手な遺物などを期待していたわけではないが、思った以上に殺風景な場所だった。
アク・ベシム、クラスナヤ・レーチカ、ブラナの三つの遺跡は、それぞれ車で数十分の距離にあり、三点セットといった趣だが、時代や内容は多少異なる。アク・ベシムは6~12世紀の都市遺跡・城砦遺跡、クラスナーヤレーチカは8世紀後半および13~14世紀の都市遺跡、ブラナは8世紀末~9世紀および13~14世紀の都市遺跡である。
アク・ベシムは、ソグド人の都市と唐の砕葉鎮城が隣接した遺跡である。7世紀前半に玄奘が往路で立ち寄った西突厥の拠点もここにあったらしい。かなりの規模の遺跡だろうと推測していたが、見学できたのはネストリウス派の教会跡と城砦跡の一部だけだった。さほど大きな遺跡ではない。
先々月に新聞報道された大雲寺跡を見学できるかと期待していたが、それを見ることはできなかった。ガイドの説明によれば、帝京大の山内教授らによる発掘現場は、発掘後に埋め戻しているそうだ。
そう言えば『アク・ベシムを掘る』には、発掘シーズンは4月中旬から5月下旬とあった。夏や冬の発掘作業は難しいそうだ。私が訪れた7月は発掘シーズンではないので、埋め戻しているのだ。ここはまさに発掘進行中の現場であり、遺跡の全貌を見学者に披露する前段階の場所なのだと認識した。
アク・ベシムもクラスナヤ・レーチカも、野原の中に小さな丘があるだけの似たような雰囲気である。世界遺産を示す標識はあるが、囲いなどはなく、管理人もいない。バスを降りた場所から遺跡までの道もない。草原に散らばっている家畜の糞や水溜まりを避けながら遺跡まで歩く。われわれのツアー以外の観光客もなく、青空トイレOKの開放的な場所である。
ブラナ遺跡はアク・ベシムやクラスナヤ・レーチカとは少し様子が違う。ブラナの塔というミナレットの残骸があるせいだと思うが、多少の観光客が来ている。各地で出土した石人を陳列した公園風の場所もある。小さな土産物屋もポツンとある。少しだけ整備された遺跡である。やはり、見栄えのする遺物があった方が観光客を呼び込みやすいようだ。
遺跡見学の醍醐味は、現場に立って周辺を見渡しながら往時に思いを馳せ、空間のなかに時間を感じることにある――あらためて、そんな思いを確認させられる三つの遺跡だった。
カザフ&キルギス旅行記(1) (2) (3) (4)
2014年、世界遺産に登録された「シルクロード:長安-天山回廊の交易路網」には、キルギスの三つの遺跡(アク・ベシム、クラスナヤ・レーチカ、ブラナ)が入っている。今回のツアーでは、この三つの遺跡すべてを巡った。
事前に『アク・ベシムを掘る』なども読み、遺跡の写真も見ていたので、派手な遺物などを期待していたわけではないが、思った以上に殺風景な場所だった。
アク・ベシム、クラスナヤ・レーチカ、ブラナの三つの遺跡は、それぞれ車で数十分の距離にあり、三点セットといった趣だが、時代や内容は多少異なる。アク・ベシムは6~12世紀の都市遺跡・城砦遺跡、クラスナーヤレーチカは8世紀後半および13~14世紀の都市遺跡、ブラナは8世紀末~9世紀および13~14世紀の都市遺跡である。
アク・ベシムは、ソグド人の都市と唐の砕葉鎮城が隣接した遺跡である。7世紀前半に玄奘が往路で立ち寄った西突厥の拠点もここにあったらしい。かなりの規模の遺跡だろうと推測していたが、見学できたのはネストリウス派の教会跡と城砦跡の一部だけだった。さほど大きな遺跡ではない。
先々月に新聞報道された大雲寺跡を見学できるかと期待していたが、それを見ることはできなかった。ガイドの説明によれば、帝京大の山内教授らによる発掘現場は、発掘後に埋め戻しているそうだ。
そう言えば『アク・ベシムを掘る』には、発掘シーズンは4月中旬から5月下旬とあった。夏や冬の発掘作業は難しいそうだ。私が訪れた7月は発掘シーズンではないので、埋め戻しているのだ。ここはまさに発掘進行中の現場であり、遺跡の全貌を見学者に披露する前段階の場所なのだと認識した。
アク・ベシムもクラスナヤ・レーチカも、野原の中に小さな丘があるだけの似たような雰囲気である。世界遺産を示す標識はあるが、囲いなどはなく、管理人もいない。バスを降りた場所から遺跡までの道もない。草原に散らばっている家畜の糞や水溜まりを避けながら遺跡まで歩く。われわれのツアー以外の観光客もなく、青空トイレOKの開放的な場所である。
ブラナ遺跡はアク・ベシムやクラスナヤ・レーチカとは少し様子が違う。ブラナの塔というミナレットの残骸があるせいだと思うが、多少の観光客が来ている。各地で出土した石人を陳列した公園風の場所もある。小さな土産物屋もポツンとある。少しだけ整備された遺跡である。やはり、見栄えのする遺物があった方が観光客を呼び込みやすいようだ。
遺跡見学の醍醐味は、現場に立って周辺を見渡しながら往時に思いを馳せ、空間のなかに時間を感じることにある――あらためて、そんな思いを確認させられる三つの遺跡だった。
カザフ&キルギス旅行記(1) (2) (3) (4)
カザフ&キルギス旅行記(2) --- イシク・クル湖 ― 2026年07月17日
今回のカザフ&キルギス旅行は、玄奘の行った道を辿るという意味では、昨年の西域旅行の続編でもあった。昨年の旅行では玄奘が通った亀茲を経て、スバシ故城(世界遺産。玄奘の足跡を示す標識がある)を訪れた。
玄奘は亀茲から西進した後に天山山脈を南から北へ越えてイシク・クル湖へ至る。昨年の旅行では亀茲あたりから天山山脈が見えるかと期待していた。だが、ガイドから「このツアーでは天山山脈は見えません」と言われた。
今回のツアーではイシク・クル湖が目玉のひとつだった。琵琶湖の9倍の広さの透明度の高い湖である。「大唐西域記」では大清池と表記している。そのイシク・クル湖からは天山山脈をはっきりと望むことができた。感動した。巨大な氷雪の山脈である。
テンシャンという響きには独特の魅力を感じる。高校時代に友人から示された吉増剛三の詩(天山山脈をを超越的に謳っていた)の記憶のせいでもある。その詩は手元になく、強烈な印象だけが残っている。
玄奘は、イシク・クル湖畔のカラクルからアク・ベシム(砕葉、スイアブ)、タラス、シムケントを経てタシケントに至るコースで旅している。これは今回のツアーのコースに重なっている(ツアーの最後はウズベキスタンに入国してタシケントの空港から帰国)。
先月読んだ『シルクロード 歴史地図の歩き方』には、イシク・クル湖の水位は上昇し続けていて、玄奘が辿った湖畔の道はすでに湖に沈んでいると書いていた。ガイドの話では、現在のイシク・クル湖は流れ込む水量と蒸発する水量がバランスしていて水位は変わらないそうだ。玄奘が湖畔の北側を通ったか南側を通ったかも不明なので、玄奘の足跡を正確に辿るのは不可能だ。
今も昔もさほど変わっていないであろう山や湖などを眺めながら、このあたりを玄奘は旅したのだろうと想像するしかない。
イシク・クル湖は夏に観光客が来る保養地になっているとは聞いていた。と言っても僻地の高山の湖だからさほどの観光地ではないだろうと思った。それは見くびりだった。宿泊したチョルポン・アタという湖畔の町はソ連時代から要人が保養に来ていた場所で、いまは一大観光地である。ビーチには音楽が流れ、周辺には瀟洒なコテージやホテルが林立している。近くに空港もある。
約1400年前に玄奘が辿った頃には、きっと何もない場所だったのだと思う。リゾート客がひしめく湖畔で玄奘の旅に思いを馳せるのはなかなかにシュールな体験で、これもまた面白いと思った。
カザフ&キルギス旅行記(1) (2) (3) (4)
玄奘は亀茲から西進した後に天山山脈を南から北へ越えてイシク・クル湖へ至る。昨年の旅行では亀茲あたりから天山山脈が見えるかと期待していた。だが、ガイドから「このツアーでは天山山脈は見えません」と言われた。
今回のツアーではイシク・クル湖が目玉のひとつだった。琵琶湖の9倍の広さの透明度の高い湖である。「大唐西域記」では大清池と表記している。そのイシク・クル湖からは天山山脈をはっきりと望むことができた。感動した。巨大な氷雪の山脈である。
テンシャンという響きには独特の魅力を感じる。高校時代に友人から示された吉増剛三の詩(天山山脈をを超越的に謳っていた)の記憶のせいでもある。その詩は手元になく、強烈な印象だけが残っている。
玄奘は、イシク・クル湖畔のカラクルからアク・ベシム(砕葉、スイアブ)、タラス、シムケントを経てタシケントに至るコースで旅している。これは今回のツアーのコースに重なっている(ツアーの最後はウズベキスタンに入国してタシケントの空港から帰国)。
先月読んだ『シルクロード 歴史地図の歩き方』には、イシク・クル湖の水位は上昇し続けていて、玄奘が辿った湖畔の道はすでに湖に沈んでいると書いていた。ガイドの話では、現在のイシク・クル湖は流れ込む水量と蒸発する水量がバランスしていて水位は変わらないそうだ。玄奘が湖畔の北側を通ったか南側を通ったかも不明なので、玄奘の足跡を正確に辿るのは不可能だ。
今も昔もさほど変わっていないであろう山や湖などを眺めながら、このあたりを玄奘は旅したのだろうと想像するしかない。
イシク・クル湖は夏に観光客が来る保養地になっているとは聞いていた。と言っても僻地の高山の湖だからさほどの観光地ではないだろうと思った。それは見くびりだった。宿泊したチョルポン・アタという湖畔の町はソ連時代から要人が保養に来ていた場所で、いまは一大観光地である。ビーチには音楽が流れ、周辺には瀟洒なコテージやホテルが林立している。近くに空港もある。
約1400年前に玄奘が辿った頃には、きっと何もない場所だったのだと思う。リゾート客がひしめく湖畔で玄奘の旅に思いを馳せるのはなかなかにシュールな体験で、これもまた面白いと思った。
カザフ&キルギス旅行記(1) (2) (3) (4)


最近のコメント