古い岩波新書『十字軍』は面白かった ― 2026年06月06日
50年以上前の1974年に出た次の岩波新書を古書で入手して読んだ。
『十字軍:その非神話化』(橋口倫介/岩波新書/1974.11 第1刷、1992.4 第22刷)
私が入手したのは1992年発行の22刷。著者・橋口倫介(1921-2002)は研究者で上智大学長も務めた。専攻はヨーロッパ中世史・教会史である。私は5年前に読んだ『十字軍物語』(塩野七生)で本書を知った。塩野氏は『十字軍物語』の「読者に――文庫版まえがき」で次のように述べている。
「今(2018年)からならば半世紀近くも昔になる1974年に岩波新書から、上智大教授であった橋口倫介著の『十字軍』が刊行されています。(…)(中世のヨーロッパとオリエントの対決という)意味の十字軍史ならば、また一般の読者向けに書かれた学者の著作ということならば、いまだに橋口先生の岩波新書しかないのです。」
塩野氏は戦後日本で十字軍の本が少ないと指摘し、その理由を戦争アレルギーのせいだとしている。私はうがちすぎと感じたが『十字軍物語』は面白く堪能した。
あの時は岩波新書まで読もうとは思わなかったが、後にギボンの輪読会のために十字軍関連書を多少読むようになった。先月、古書で入手した『十字軍という聖戦』(八塚春児)を読んでいて、橋口倫介の名に再会した。八塚氏(1951-)は京大の学生時代に橋口氏の集中講義を受講し、十字軍研究に進んだそうだ。『十字軍という聖戦』の「あとがき」では「本書を橋口先生に捧げたい」と述べている。八塚氏の本文には橋口氏の『十字軍』を最新の視点で相対化して紹介している箇所もある。で、その古い岩波新書を読みたくなった。
本書は、1096年の第1回十字軍から1270年の十字軍でルイ9世がチュニスで客死するまで約200年の十字軍の歴史を、原史料の紹介や後世の研究者の見解を織り込みながらコンパクトに概説している。多少学術的でありつつ記述は簡明で読みやすい。
著者は十字軍を「聖地巡礼」と「エルサレム解放」を目的としたものとし、異端攻撃のアルビジョア十字軍などは「十字軍ならざる十字軍」として対象から外している。現在の研究者の見解とは異なるように思えるが、著者の見解の方が明解でわかりやすい。アメリカのイラン攻撃を「十字軍」とするのは比喩か冗談だ。
十字軍に参加した諸侯・騎士を一人二役の役者に例えているのが面白い。彼らは戦士と巡礼の早変りをくり返し、敬虔な信徒であり、かつ虐殺者だったとしている。
本書には民衆史観という言葉がしばしば登場する。その観点から民衆十字軍も巡礼の一種として評価している。本書の34年後に出た『十字軍という聖戦』では、弟子筋の八塚氏が民衆十字軍(農民十字軍)について次のように述べている。
「橋口倫介が『十字軍』(岩波新書)の中で「民衆史観」という名のもとに紹介したように、これ(農民十字軍)が高く評価された時代もあったが、最近ではあまり重視されない傾向にある」
エルサレムを交渉で奪還したフリードリヒ2世の評価も橋口氏と八塚氏は少し異なる。橋口氏はかなり評価しているが、八塚氏は「過大に評価すべきでない」としている。時代の流れとともに研究者たちの見解が変化しているのだろうか。
私が本書で驚いたのは十字軍とモンゴルとの関係である。後期の十字軍がモンゴルの支援を期待し、ルイ9世がルブルクをカラコルムに派遣したことは知っていたが、両者の関係が進展したとは思っていなかった。本書によれば、1260年にモンゴル・十字軍共同作戦でダマスカス占領が実現したそうだ。モンゴル側の将軍キトボカはネストリウス派のキリスト教徒だった。その後、モンケ・ハンの訃報でモンゴルの主力は撤退し、現地に残ったキトボカは戦死、モンゴルと十字軍の交流は途絶したそうだ。
『十字軍:その非神話化』(橋口倫介/岩波新書/1974.11 第1刷、1992.4 第22刷)
私が入手したのは1992年発行の22刷。著者・橋口倫介(1921-2002)は研究者で上智大学長も務めた。専攻はヨーロッパ中世史・教会史である。私は5年前に読んだ『十字軍物語』(塩野七生)で本書を知った。塩野氏は『十字軍物語』の「読者に――文庫版まえがき」で次のように述べている。
「今(2018年)からならば半世紀近くも昔になる1974年に岩波新書から、上智大教授であった橋口倫介著の『十字軍』が刊行されています。(…)(中世のヨーロッパとオリエントの対決という)意味の十字軍史ならば、また一般の読者向けに書かれた学者の著作ということならば、いまだに橋口先生の岩波新書しかないのです。」
塩野氏は戦後日本で十字軍の本が少ないと指摘し、その理由を戦争アレルギーのせいだとしている。私はうがちすぎと感じたが『十字軍物語』は面白く堪能した。
あの時は岩波新書まで読もうとは思わなかったが、後にギボンの輪読会のために十字軍関連書を多少読むようになった。先月、古書で入手した『十字軍という聖戦』(八塚春児)を読んでいて、橋口倫介の名に再会した。八塚氏(1951-)は京大の学生時代に橋口氏の集中講義を受講し、十字軍研究に進んだそうだ。『十字軍という聖戦』の「あとがき」では「本書を橋口先生に捧げたい」と述べている。八塚氏の本文には橋口氏の『十字軍』を最新の視点で相対化して紹介している箇所もある。で、その古い岩波新書を読みたくなった。
本書は、1096年の第1回十字軍から1270年の十字軍でルイ9世がチュニスで客死するまで約200年の十字軍の歴史を、原史料の紹介や後世の研究者の見解を織り込みながらコンパクトに概説している。多少学術的でありつつ記述は簡明で読みやすい。
著者は十字軍を「聖地巡礼」と「エルサレム解放」を目的としたものとし、異端攻撃のアルビジョア十字軍などは「十字軍ならざる十字軍」として対象から外している。現在の研究者の見解とは異なるように思えるが、著者の見解の方が明解でわかりやすい。アメリカのイラン攻撃を「十字軍」とするのは比喩か冗談だ。
十字軍に参加した諸侯・騎士を一人二役の役者に例えているのが面白い。彼らは戦士と巡礼の早変りをくり返し、敬虔な信徒であり、かつ虐殺者だったとしている。
本書には民衆史観という言葉がしばしば登場する。その観点から民衆十字軍も巡礼の一種として評価している。本書の34年後に出た『十字軍という聖戦』では、弟子筋の八塚氏が民衆十字軍(農民十字軍)について次のように述べている。
「橋口倫介が『十字軍』(岩波新書)の中で「民衆史観」という名のもとに紹介したように、これ(農民十字軍)が高く評価された時代もあったが、最近ではあまり重視されない傾向にある」
エルサレムを交渉で奪還したフリードリヒ2世の評価も橋口氏と八塚氏は少し異なる。橋口氏はかなり評価しているが、八塚氏は「過大に評価すべきでない」としている。時代の流れとともに研究者たちの見解が変化しているのだろうか。
私が本書で驚いたのは十字軍とモンゴルとの関係である。後期の十字軍がモンゴルの支援を期待し、ルイ9世がルブルクをカラコルムに派遣したことは知っていたが、両者の関係が進展したとは思っていなかった。本書によれば、1260年にモンゴル・十字軍共同作戦でダマスカス占領が実現したそうだ。モンゴル側の将軍キトボカはネストリウス派のキリスト教徒だった。その後、モンケ・ハンの訃報でモンゴルの主力は撤退し、現地に残ったキトボカは戦死、モンゴルと十字軍の交流は途絶したそうだ。
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