『クオリアと人工意識』(茂木健一郎)は超科学の考察書2020年12月26日

『クオリアと人工意識』(茂木健一郎/講談社現代新書)
 書店の棚で、タイトルに「人工意識」という言葉がある本が目に入った。

 『クオリアと人工意識』(茂木健一郎/講談社現代新書)

 脳科学者・茂木健一郎氏の姿はテレビでよく見る。著書を読むのは初体験である。

 私が「人工意識」という言葉に反応したのは、2年前に 『脳の意識 機械の意識』(渡辺正峰/中公新書) を読んだからだ。サイエンスで「意識」を捉えようとしている最近の脳科学に驚いた。その後、一般向けの脳の本を何冊か読んだが、正面から「人工意識」を扱った本には出会っていない。

 『クオリアと人工意識』を、脳科学における「人工意識」研究の解説書と期待してを読み進めたが、私が想定した科学解説書ではなかった。科学に軸足を置いているが、科学・文学・哲学が混然としたエッセイに近い。解説よりは主張にウエイトがあり、刺激的で面白いが、話題が錯綜しゴチャゴチャした印象を受ける。

 「クオリア」というわかりにくい概念は『脳の意識 機械の意識』の冒頭にも登場し、著者の渡辺氏は「モノを見る、音を聴く、手で触れるなどの感覚的意識体験」としている。茂木氏は、「クオリアを定義しても、それに満足する人は少ない」としたうえで、次のように述べている。

 「なぜならば、クオリアは、それについての認知的な理解。すなわち「メタ認知」を持つ人にとっては、これ以上ないというくらいに「自明」なことだからだ。一方、クオリアについてのメタ認知をまだ持たない人は、それをいくら説明されてもわからない。」

 クオリアの定義や説明の放棄である。だが、クオリアは本書の主要なキー概念であり、くりかえし登場する。Windows のユーザーより Mac のユーザーの方がクオリアへの感受性が高いなどの記述もあり、おかしな気分になる。「瞑想」などが登場すると、科学解説といより芸術論、宗教論に近いと感じてしまう。

 脳科学や人工知能における「意識」や「知性」を考えるとき、現状の自然科学の方法での解明は困難で、新たな方法を探らなければならない、というのが茂木氏の考えのようだ。だから、本書は解説書ではなく「考察の書」であり、哲学や文学にも接近し、わかりにくくなっている。

 そんな「考察」を十全に理解できたわけではないが、脳科学や人工知能の研究の現状の一端を垣間見ることはできた。次のような指摘は興味深い。

 「画期的な人工知能の研究は、その研究手法や発表のやり方も新しい。その行動倫理は、「アナーキーで反権威主義的」なものだと言える。これは、いわゆる「破壊的イノベーション」(disruptive innovation)を推進するコミュニティに共通のものだが、人工知能の周辺では、その傾向が先鋭化している。」

 本書のタイトルにある「人工意識」は必ずしも人工知能研究に馴染んでいるテーマではない。著者は「人工意識」を考慮しない「人工知能」に疑念を呈しているのだ。